WELCOME TO OUR CHURCH


主日礼拝説教

トップへ
トップへ
戻る
戻る



20200329   主日礼拝説教  「もう泣かなくてよい」  山ノ下恭二
(列王記上17章11−17節、ルカによる福音書7章11−17節)

 
 私は、多くの葬儀に関わりましたが、前任地の東大宮教会での最初の葬儀は、教会員の息子さんで30歳になる、若者の葬儀でした。両親の嘆きは大変なもので、私は両親のそばにいて、その悲しみは深いものであることを実感しました。私たちは、様々なものを失うのですが、家族を失うことはとても辛いものです。そして特に、自分の子どもを失うことほど辛いことはないのです。子どもを失うことは、自分の未来を失うと言います。

 かなり前のことですが、聖学院大学カウンセリング研究センター主催の喪失経験をしている、悲しみの経験をしている人をどのように援助するか、それを学ぶためのセミナーに出席したことがあります。親しい人を失うと喪失の経験をするだけではなく、自分が何であるか、そのことをも見失うことになるのだ、という講演がありました。夫婦は一体ですから、互いに頼っていることがあり、相手がいなくなると、自分も誰であるか、分からなくなるのです。親子でも、親が育てた、育てている子どもを失うことは、自分をも失うのです。その意味で、喪失の経験は、人生のクライシス、人生の危機なのです。

 本日の礼拝で読みました、ルカによる福音書7章11−17節までのみ言葉は、簡潔な文章です。ここにある事件はささやかな事件です。ここにひとりの若者が死んだのです。母ひとり、子ひとりでした。それは悲しいことであったのです。7章12節に町の人が大勢「付き添っていた」と書いていますので、多くの人々がその死に深い同情を寄せたに違いないのです。当時の習慣で、この葬列に母親が泣いて、この母親と共にあった人々も、叫ぶように泣いていたかも知れないのです。町の外に泣きながら出て行くのです。町の外に墓がありました。町の中、門の内側は私たちの生活の営みの場所であり、その生活の外には、死が取り囲んでいるのです。誰でも平等に死が訪れるのですから、皆、自分の生活の外に出て行かなければならないのです。若者ですから、死とは無縁の存在であったはずですが、今、思いがけず、この葬列に付き添っている人々よりもずぅっと後に墓に行くべき若者が、今、死体として運ばれているのです。人々は若者を死者の世界に運んで、置いて帰ってくるのです。
 ちょうど私たちが納骨して、墓地に骨を入れて帰って来るのと同じです。これから人生が始まり、いろいろな可能性を持つ若者が死ぬのです。そのことに悲しんでいる母親の姿を見るのです。

 かなり前のことですが、ある時、二人の婦人が尋ねてきたことがありました。
大学で教えていた学生の母親とその母親の友人でした。二人とも、自分の長男を失っているのです。一人は16歳の時、夏休みに猪苗代湖で水死し、もう一人は17歳の時に、長い闘病生活の後に、亡くなっているのです。二人の話を聞いて、思ったことは、子どもを失うということはほんとうに悲しいことなのだと思ったのです。

 若者の死、そして、その死を悲しんで泣いている母の姿を見て、大勢の人々は、この母親の悲しみの傍らに立って、その悲しみを共にして、ただ一緒に歩くよりほかなかったのです。このような死に直面する時に、人間の限界を深く感じるのです。そして、親しい者を失った者にほんとうの慰めの言葉を持たない、そのような限界も深く感じるのです。
 北九州にいました時、地区の宣教委員会で「葬儀の手引き」を作るために、話し合いを持ちましたが、家族を失った人に対して、どのような言葉で慰めるのか、という話し合いをしましたが、適当な言葉がなく、遺族に対して「ほんとうに大変でしたね」と言うのが良いという意見と深々と頭を下げることが良いのではないか、という意見も出たのです。死の力に直面して、死に逆らう力ある言葉を持たないことも事実です。

 しかし、この大勢の人々の、町の外へ出て行く流れに向かい合って、別の大勢の人々がここに現れてきたのです。
 「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」(ルカ7章11−13節)

 この時、主イエスはひとりではなかったのです。弟子たち、大勢の群衆がいたのです。主イエスと共に、カイザリアの町からぞろぞろ付いて来たかもしれないのです。主イエスの教えをなお聞きたいと思っていたのかもしれないのです。しかし、これらの人々も、向こうから柩が運ばれてくるのを見たときに、自分たちは何もできないので、遺体に対して、遺族の悲しみに対して尊敬と同情を表して、静かに迎えるほかはないと思っていたのです。
 
 ルカはここで主イエスがこの婦人を見て、「憐れに思い」と書いています。「憐れに思う」、別の翻訳では「深い同情を寄せられ」と訳されています。この「憐れに思う」という元々の言葉は、マタイ、マルコ、ルカ、この三つの福音書だけに用いられており、神について、あるいは、主イエスについてだけ用いられています。ただ、主イエスが譬え話で話された時に用いられています。

 「憐れに思い」という言葉は、ルカによる福音書15章にある「放蕩息子」の譬え話に用いられています。二人の息子を持っていた父親が、次男に家出をされてしまったのです。やがて、放蕩の限りを尽くしてきた、その次男が帰ってくる、その姿を見た時にその父は「憐れに思い、走り寄って」と書いています。「憐れに思い」という言葉も同じ言葉です。
 またルカによる福音書10章に「よきサマリア人」と読んでいる主イエスの教えがあります。ひとりの旅人が強盗に会い、放り出されていたのです。この男はユダヤ人であったけれども、ユダヤ人と敵対関係にあるサマリア人がそこを通りかかり、深い同情をいだいて、この旅人を介抱したのです。
 ルカ10章33節には「その人を見て憐れに思い」と書かれています。放蕩息子の父が、父なる神をあらわしていることは明らかです。従って、これは結局、神について用いていると言って良いのです。「よきサマリア人」の物語は、例外的に人間についてこの言葉を用いているとも言えます。しかし、このサマリア人もまた、実は主イエス御自身のことを語っているのだと理解することができるのです。
 
 実は、この「憐れに思う」という日本語の翻訳も、ここで用いられているギリシャ語の言葉の意味を正しく表していないのです。この言葉の元になっている言葉は「内蔵」と言う言葉です。内蔵というと、心臓、肺、肝臓、腸など、人間のいのちに関わるものです。内臓が痛むという意味の言葉です。そこで深く感じ取るという意味です。「はらわた痛む」という訳もあります。ルカによる福音書7章13節に戻ると「主はこの母親を見て、憐れに思い」。主はこの母親を見て、はらわたの痛む思いを抱かれたと訳してよいのです。私たちも、若者、一人息子を失った母親を見て、胸が痛くなる、おなかが痛くなってしまうのです。

 存在の深いところで、相手の痛みで捉えられてしまうのです。我を忘れ、その人の痛みが自分の痛みになってしまう、そういうところに立つのです。そこに生まれる憐れみが、ここの憐れみなのです。福音書記者たちは、それができたのは、まず、誰よりも父なる神、主イエスだけであると書いているのです。父なる神は、あるいは主イエスは、深い同情を寄せ、お腹が痛いほどに痛みを覚えるのです。それほどまでに相手の痛みに捉えられ、存在の深いところで自分の痛みとしてしまうのです。そのような神であると語っているのです。

 二人の婦人が教会に訪ねてきたことを話しました。一人の方の息子さんは、水難事故で亡くし、もう一人の息子さんは、長い闘病生活の後、亡くなったのです。話を聞いて行くうちに、子どもを失うということが、母親にとってどんなに辛いことかということが、痛みとして、その悲しみが伝わってきたのです。 聖書が語る神は、人間に同情しない、心を寄せることをしない、鈍感な神ではないのです。鋭い感覚をもって、全存在をもって、相手の痛みを痛みとする神なのです。

 この事件が起こった後で、16節の終わりに「また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」と書かれています。この言葉は、ルカによる福音書1章68節の「主はその民を訪れて解放し」のという言葉が反映しています。ルカは、このザカリアの預言を覚えていました。そして、あのザカリアの預言が、ここに実現したと考えていました。神はその民を心にかけてくださった、訪問してくださったのです。母親の悲しみに激しく心を動かし、相手の痛みと悲しみに存在の深いところで、痛み、悲しんでくださる主イエスが、ここにいてくださるのです。神がこのキリストを地上に送られ、そして相手の存在の中に入り、悲しみと痛みを自分のものにしてくださるのです。そこに神の顧み、神の訪れを告げています。病の恐ろしさは誰でも経験しています。これから人生を歩もうとしている若者が死に、愛する者を失った家族の悲しみを目の当たりに見て、死と言うものがどんなに残酷なものであるかを思うのです。

 しかし、私たちはそのことにたじろぐことはないのです。それは聖書の御言葉を与えられているからです。詩編139編は、私たちが神に知られている喜びを歌っています。139編8節にこういう言葉があります。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。」(旧約p979)
 私たちは死ということを考えます。自分は死ぬとどうなるのだろうか、と考えることがあります。自分の意識は消えて、そのあと自分はどうなるのだろうか、そのように思い巡らします。しかし、私たちが死んだ後のことは分からないのです。昔から、そのようなことで思考停止はしていないのです。自分はどこにいくのだろうか、それは陰府の世界、光のささない暗い世界に行ってしまう、人々が手の届かないところに行ってしまう、そのように考えられて来たのです。
 
 この詩編は、死の世界、陰府の世界においても、神がいらっしゃると語るのです。「陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。」

 ナインの町の人々は、一人の若者を町の外に運び、死の世界へ、もう我々が手の届かない闇の世界に送り出しているのです。そこに主イエスが踏み込んで来られるのです。しかも、一人の若者、一人の息子を失った悲しみで涙を流している母親に対して、「もう泣かなくともよい」と語られたのです。
 この場面をどう解釈するかによって、翻訳は違ってくるのです。「泣かないでいなさい。」「そんなに泣くでない。」「泣くことはない。」ギリシャ語はメークライスです。「泣くな」という命令形です。悲しんでいる母親に同情しているけれども、「泣くな」と激しく命令しているのです。死の世界に行く遺体を運び、悲しんでいるけれども、「泣くな」と命令しているのです。この言葉は、この母親に言っていることだけではなくて、死に対する怒りがあるのです。生命がある者が死ぬ、どうして死があるのか、そういう怒りがあるのです。死に対して、死に立ち向かう者の命令の言葉があるのです。私たちには死に際して一方では悲しむけれども、どうして死ということがあるのだという怒りがあるのです。死ぬことは人生の定めだから、諦めしかないというのでなくて、死と戦ってやっつけたい、そういう思いにもなるのです。

 主イエスは、泣かないでくれと頼んでいるのではない、「泣くな」と命令しているのです。そのように、死に立ち向かう者の命令の言葉がここにあります。そして、主イエスは近寄り、棺に手をかけて、人々がそれに気づいて立ち止まった時に、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われたのです。ルカによる福音書7章15節には「すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して『大預言者が我々の間に現れた』と言い」とあります。

 先ほど、列王記上17章17−24節を読みました。預言者エリヤの物語です。このナインの一人息子の物語を読む時に、多くの人々は、エリヤが既に一人の婦人の息子をよみがえらせた物語を思い起こしたのです。「大預言者」と書かれているので、大預言者エリヤが再び現れたという意味なのです。

 しかし、エリヤ物語と違っていることも確かです。「現れた」と言う言葉は、主イエスがよみがえった時に、そのよみがえりを語る言葉となったのです。「若者よ、起きなさい」この「起きる」という言葉も同じ言葉であり、「よみがえる」という言葉です。主イエス・キリストこそが、よみがえりの主であります。
 
 ルカがこの物語を書いた時、既に主イエスはよみがえっておられたのです。ルカはパウロの伝道を支え、助けて、伝道に励んでいたのです。パウロは、コリントの信徒への手紙一 15章で人々が十字架につけたイエス、人々が死に渡したイエスを、神はよみがえらせてくださったと語っているのです。死から勝利したのだ、と語ったのです。そのパウロの言葉を聞いて、ルカは信じ、主イエスはよみがえって自分にも現れ、死という深い闇から自分たちを解放し、死を滅ぼし、よみがえりの光の中に生きることができることを信じていたのです。

 私たちは、自分が死に、死の世界に行くことを恐れます。しかし、この一人の若者が死の世界に行ってしまった、そこに主イエスも共に死に、しかも、よみがえりの主である主イエスが共にいらっしゃるのです。死の彼方さえも、主イエス・キリストが共にいてくださるのです。

20200322 主日礼拝説教 「ただ、お言葉をください」 山ノ下恭二
(創世記18章22−33節、ルカによる福音書7章1−10節)

 
 現在、洗礼準備会で、日本基督教団信仰告白を学んでいます。この日本基督教団信仰告白は、いつも礼拝で告白している使徒信条のまえに、前文が書かれています。この前文には、聖書のこと、神のこと、イエス・キリストのこと、キリスト者の生活のこと、教会のこと、が的確に告白されているのです。
 神について告白している第二項には、私たちが信じる神がどのような神であるのか、を告白しているのです。私たちがどのような神を信じているのか、そのことはとても大切なことです。日本では信じる対象である神がどのような神であるかを余り問題にしないのですが、教団の信仰告白は信じる対象をはっきり告白しているのです。「主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体にていましたまふ。」この神を深く信頼する者は幸いなのです。詩編40編5節A 「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人」
   
 この礼拝において、ルカによる福音書7章1−10節のみ言葉を読みました。百人隊長が登場する物語です。口語訳では百卒長の物語です。この物語は、信じるとはどのようなことか、ということが語られています。
 ルカによる福音書7章9節に「イエスはこれを聞いて感心し」と記されていますが「感心」と翻訳されている言葉は、「驚く」と翻訳されることの多い言葉です。最近、新しく翻訳された「聖書協会共同訳」には「驚く」と訳されています。「イエスはこれを聞いて驚き」と訳されています。
 皆さんは、予想もしない、考えもしなかったことがあると驚くことがあると思います。主イエスが百人隊長のことを驚かれた、驚かれて、従っていた群衆の方を向いて言われたのです。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」イスラエル、これは民族の呼び名であり、国の名にもなったのですが、ここではむしろ、信仰の民イスラエルという意味で用いられています。神がユダヤの人々にお与えになった呼び名です。神を信じ、神に選ばれているということについて、確信をもって生きている神の民のことをイスラエルと呼んでいるのです。主イエスは、ここでわざわざ、そういう呼び名を選んで用いているのです。ユダヤ民族という言い方ではないのです。イスラエル、つまり、信仰の民の中にも、これほどの信仰をわたしは見いださなかった、と主イエスは語るのです。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

 「見たことがない」という言葉は、「見いだす」という言葉です。イスラエルの民のなかにも、これほどの信仰をわたしは見いださなかった、と語っておられるのです。
 みなさんは、この人は信仰がある人だ、と言う時、どのような信仰のことを言っているでしょうか。主イエスは多くのユダヤ人と交際し、信仰を求められたのです。イスラエルの民のなかに、まことの信仰を見出そうとされたのです。しかし、まことの信仰を見いだすことができなかったのです。イスラエルの民の中にではなく、外に見いだされたのです。そして、驚いておられるのです。 主イエスをこれほど驚かされた信仰の者は、ユダヤ人の中に生きていた異邦人です。信仰の民、イスラエルに属している人ではないのです。イスラエルの外で生きている人です。この百人隊長はカファルナウムで、この地方の領主ヘロデ・アンティパスに雇われていた隊長であったのです。この人は、「ユダヤ人のために会堂を建てており」、財産もあり、力もあったのです。そして7章5節に「わたしたちユダヤ人を愛して」と書かれているので、信仰の民には属していなかったけれども、会堂を建て、ユダヤ教の礼拝に出ていたと思われるのです。主イエスはカファルナウムの会堂でよく説教をされていたので、喜んで主イエスの説教を聞いていたと思われます。しかし、信仰の民には属していないのです。ユダヤ教徒になるには、割礼を受け、律法に従って生活することを誓約し、その共同体に入る、そういう手続きが必要です。そのような手続きをしていないので、イスラエルの民ではないのです。その外にいた人、信仰を持っていない人、この人について、主イエスが口にしたのが「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と語られているのです。
 
 かなり前のことですが、私は、3月中旬にイスラエル研修旅行でエルサレムに行った時に、成年式を見たことがあります。12歳になった男子が、大きな巻物をもって、何かを言っているので、ユダヤ人のガイドに何をしているのか、と尋ねると、聖書の言葉を創世記からマラキ書まで暗記しているのを口にしているのだ、と説明してくれたのです。聖書を幼い頃から暗記するように教育されていることを知ったのです。次の日にエルサレム市街地を散歩していた時に、物乞いをしている人に通りがかりのほとんど人がお金をあげていた場面を見て、貧しい人々に自分のお金をささげるという律法の精神が生きていることを知りました。ユダヤ教の信仰の心が生きているのです。
 
 そういうユダヤ人の中に、信仰を見いだせず、異邦人のこの百人隊長に信仰を見いだしたのです。考えて見ると、主イエスは不思議な、意外なことを語られたのです。当然、信仰をもっていると考えられた人々の中に、信仰を見いだすことができず、信仰をもっていないと思われる人の側に信仰を見いだしているのです。主イエスが牛込払方町教会の会員の心の中をご覧になり、求道の方の心の中をご覧になって、求道者の中にまことの信仰があると言うようなものです。

 私は、この物語を読んで思ったことがあります。主イエスのこの言葉に逆に驚いたのが、百人隊長であったのではないか、と言うことです。百人隊長は何を思っていたのだろうか。百人隊長は、自分の部下が癒されるように助けを求め、ユダヤの長老たちに頼んで、部下が癒されることばかり考えていたのです。そのことだけに一所懸命であったのです。従って、自分がイスラエルの人たちにないほどの信仰を持っているなどとは、夢にも思わないのです。初めから主イエスに褒めてもらおうという野心もなかったに違いないのです。自分の信仰が立派であるようにわざと見せる、偽善者の意識もないのです。人の目を気にして、外見だけ信仰者のような振る舞いをすることも全く考えていなかったのです。

 この百人隊長は自分のしていることが、信仰的なことだという意識がないのです。ここが大切なところです。私たちが、生活のある部分に信仰を見出し、ある部分に信仰と関係ないことと区別していたら、それはおおいに問題であるのです。聖書を読んでいるとき、祈っているときが信仰している時で、皿を洗ったり、料理を作り、洗濯をしたり、人と話しているときが信仰と関係ない生活と分けているならば、それはおおいに問題であるのです。私たちにそのような意識があるならば、それは考え直さなければいけないのです。日曜日に教会に来ている時は、信仰がある時で、教会から離れて月曜日から土曜日にしていることは信仰とは異なることだ、という意識をもっていたとしたら、それは考え直さないといけないことになります。今、自分がしていることは、信仰的なことだと自分が確認して、信仰者として立派なことをしていて、他の人が認めることを望んでいたならば、それは、偽善者、ファリサイ派の人々と同じであるのです。自分は奉仕をしているから、自分は信仰がある、と考えたら、主イエスが厳しく批判したように、偽善者、ファリサイ派の人々と同じになっているのです。

 この百人隊長が、自分が信仰しているということに気がつかないことが、逆に、尊いのです。主イエスが驚き、感心したほどの信仰を持っていることに気がつかないところに、この百人隊長のすばらしさがあるのです。改めて私たちは、信じることはどのようなことか、と言うことです。この百人隊長は誰のために一所懸命になっているのかと言うと、自分の部下のためです。新共同訳は「部下」と翻訳していますが、元来は「奴隷」です。聖書協会共同訳は「僕」と訳しています。「部下」と言うと部長に対する部下のイメ−ジです。ルカ7章2節には「百人隊長に重んじられている部下」とありますが、「重んじられている」という言葉は「値打ちがある」と言う意味です。この部下は百人隊長の奴隷であるから、所有物です。しかし、ここで勘違いをしてはいけないのです。値段が高い奴隷であるから死なれたら困ると思って、部下が死なないように助けを主イエスに求めたわけではないのです。この百人隊長は、一人の人が死ぬことを阻止したい一心で主イエスに助けを求めたのです。
 
 彼が主イエスに助けを求めたのは、自分のためではなかったのです。自分のために、自分の命が助かるために、主イエスに助けを求めたのではないのです。愛する部下のため、愛する僕のためです。ここに、この物語の一つのポイントがあるのです。この百人隊長が主イエスに助けを求めた時、それは自分のためではなかったのです。自分を助けてくれと頼んでいるのではないのです。私たちは信じると言うことは、自分の一人のことだと思い込んでいます。
 しかし、信じることは自分だけの範囲のことだけではなくて、隣人をも含んでいるのです。私たちは信じることと愛することと分けて理解していることがあります。しかし、信じることは、愛することへと範囲を広げていくものなのです。それは部下の病が治るように心遣いをしているのですし、外国人であるにも関わらず、ユダヤ教の会堂を建てるのに献金を献げているのです。信じることは自分ひとりのことであると範囲を限っているのではなくて、隣人に対する愛へと広がるものなのです。神を信じることは、神の愛を信じることであり、信じることと愛することは深く結びついているのです。この神は私たちを愛して独り子イエス・キリストを罪の犠牲としてささげるほど、私たちを愛してくださった、この神を信じているのです。愛へと広がるものなのです。

 この物語で、何度も使われている言葉があります。それは「ふさわしい」という言葉です。ユダヤ人が「ふさわしい」と言っているのは、百人隊長がユダヤ教の会堂を建てるために、献金をしてくれたから、その良い行いを見て、主イエスを迎えるのにふさわしい、と言っているのです。しかし、百人隊長は、7章7節で「ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。」と言い、自分が主イエスのところに行ってお願いするのは、ふさわしくない、と語っています。ユダヤ人の長老たちは、百人隊長の良い行為を見て、主イエスのところに行き、お願いするのに資格がある、値打ちがあると言っているのです。しかし、主イエスは、百人隊長の信仰を見ているのです。行いではないのです。会堂を建てたり、人間の行いから生まれる値打ちや資格が、神の前に最終的に値打ちを持つのではないのです。主イエスが驚いたのは、百人隊長の行いではなく、信仰であるのです。

 いったい、百人隊長の信仰とは何でしょうか。もういちど、問われなければならないのです。それは、主イエスを病を治す医師として、癒やしを願ったのではないのです。百人隊長は、主イエスに自分の部下を助けに来てくださいとお願いをしたのです。ところが、7章6節には「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」主イエスに来ていただきたい、それ以外に救いはない、しかし、主イエスを迎え、家に入っていただくには、資格はないというのです。主イエスは力のある救い主、それに比べて、自分は主イエスをお迎えする資格はないと、その謙虚さ、へりくだり、謙遜さが表明されているのです。

 百人隊長は7章7節後半から8節にかけて語っています。「ひと言おっしゃってください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」この言葉こそ、百人隊長の信仰の核心にあるものを告げています。百人隊長は、自分も権威の下に、つまり、王の下に仕えているのです。王に仕えている人間として、兵隊あるいは奴隷たちを王に仕えさせる立場に立っているのです。

 自分の長い経験から、隊長としての命令がどんな重みをもっているかということをよく知っていたのです。戦争になれば、上官の命令によって部下の命を左右するのです。軍隊は戦争をするのです。戦争の時には、いのちをかけて戦うのです。上官が「行け」「進め」「止まれ」と号令をかければ、部下はその通りにするのです。「進め」「行け」と命令されて、その命令に従うと死んでしまうと思っても、隊長の命令は聞かなければならないのです。隊長の言葉に百人の部下のいのちがかかっているのです。隊長が「行け」と命令することによって、その命令に従って行った者は全員、死ぬかもしれないし、生きて帰ってくるかもしれないのです。この百人隊長は、言葉の重みをよく知っていたのです。他の人の生命を左右できるのは、権威の権威たるゆえんです。この百人隊長は、自分に権威があるからではないのです。自分に大きな力を与えられているのも、自分が王に仕えているからに他ならないのです。

 この隊長は、主イエスのことをよく知っていたのです。自分がこの地方の領主の権威の下に立っているのですが、この地上の権威よりも遙かに大きな神の権威のもとにある、つまり、主イエスという、まさに神が生きている、その方が主イエス・キリストであることを知っていたのです。
 主イエスが語られるところ、主イエスが業をなすところには、まことの神が生きておられるのです。
 自分を雇っている地上の王ヘロデ・アンティパスの支配よりも、もっと確かな仕方で、主イエスが、神の支配を確立しておられるのです。その主イエスが語られる言葉は、命令の力は、自分が部下のいのちを左右する言葉にまさる力を持っているのです。

  私たちができることは、その主イエスの御言葉を信じることしかないのです。主イエス・キリストに対する深い信頼です。信仰とは信頼なのです。主イエスの言葉によって、死に直面する部下の生命が救われるのです。主イエス・キリストの言葉によって、一人の生命が助かり、病から解放されるのです。

 「ひと言おっしゃってください。」口語訳では「ただお言葉をください。」文語訳では「ただ御言を賜ひて我が僕をいやし給へ。」と翻訳しています。ギリシャ語の原文では「ロゴス」であるので、言葉と翻訳したほうが良いと思います。主イエス・キリストの言葉にまことの救いがあり、そのことに深く信頼するのです。
 
 私たちは、毎日、様々な言葉を聞いています。しかし、神の言葉こそが、私たちを癒し、慰め、生きる力を生み出す言葉なのです。消えてしまうような、空しい人間の言葉ではなく、神の言葉こそが私たちに力を与えるのであり、そのことに深く信頼していくのです。

20200315 主日礼拝説教 「倒れることのない人生」 山ノ下恭二
(詩編34編1−23節、ルカによる福音書6章43−49節)

 
 井上ひさしという作家の名前を聞いた方もおられると思います。井上ひさしはある随想の中で、自分の生い立ちを書いているのです。井上ひさしが少年であった時に、家庭の事情で仙台のラ・サールホームというカトリックの児童養護施設で暮らしていた時があったのです。そこで一人の外国人神父と出会うのです。この神父の愛に溢れた生き方を経験して、とても感動して、それをきっかけとして、カトリック教会で洗礼を受けるのです。この神父は、自分が着ていた洋服は何年も着ているようなぼろのような服装で動き回り、生活をきり詰めた質素なものでしたが、子どもたちには良いものを与えるのです。この神父は自分のことを顧みることなく、子どもたちのために働くのです。自分が損をしても子どもたちのために報いを求めないで、自分の存在をもって、キリストの愛を伝えようとしたのです。

 本日は、ルカによる福音書6章43−49節を読みましたが、ここには主イエスがこれまで語ってきたことを実際に行うように勧めているのです。これまで語ってきたことは、どういうことだったのでしょうか。
 ルカによる福音書6章20−49節は、マタイによる福音書の5章−7章の山上の説教とよく似た物語が記されているのです。主イエスが平地で語られたので、平地の説教と呼ばれています。ルカによる福音書6章20−45節に書かれているのは、マタイによる福音書と比較して、短く、しかも、一つの主題にしぼって書いています。それは、敵を愛し、自分の罪が非常に大きいことを認め、相手の罪を赦すことがキリスト者の生き方であると語っているのです。 そして、本日の礼拝で読んだ6章43−49節には、主イエスが語られたことを聞いただけでお終いにして、実践しないのではなく、実行するようにとお求めになっているのです。主イエスが敵を愛し、赦すことを教え、それをただ聞くだけでなく、愛の業を実行することを求めているのです。
 ルカによる福音書10章25節−37節には「善いサマリア人」の譬え話が記されています。「憐れみ深いサマリア人」の譬え話と言ったほうが正確です。律法の専門家が主イエスに自分の隣人は誰か、と尋ねたので、主イエスが譬え話をされたのです。強盗に襲われて傷つき、倒れていたユダヤ人を助けたのは、同胞の宗教家ではなく、意外なことにユダヤ人と敵対するサマリア人であり、そのサマリア人が愛の行為をした、と言う譬え話をした後に、主イエスは律法の専門家に「行って、あなたも同じようにしなさい。」と主イエスは命じているのです。私たちが生きる時に大切なことは、愛の話を聞いて、何もしないのでいるのは意味がないのです。愛を実践することが重要であるのです。私たちキリスト者の生活が愛の生活であり、愛を実践する者がキリスト者のあり方であるのです。コリントの信徒への手紙一 13章13節には「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」と記されています。愛こそが私たちの生活にとって最も大切なものであるのです。
 私たちは「愛」という言葉をよく聞いています。しかし、ほんとうに愛しているのだろうか、とここで主イエスは私たちに問いかけているのです。ルカによる福音書6章27節以下は私たちの気持ちに逆らっても愛するようにと勧めているのです。敵を愛しなさい、自分に敵対し、自分を憎む者を愛せ、と語っているのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」と語られています。自分の自然な気持ちに従うことが誠実な生き方だと考えている者にとって、こんなことをすることはできないと思うのです。自分を憎む者に対しては、道で遭っても口も聞かず、親切になんかできないと思うのです。自分を侮辱する者に対しては、侮辱されたことをいつまでも忘れないで、機会があれば、相手を侮辱しようと考えているのです。実際に自分にはできないことを主イエスは行うように勧めている、と思うのです。
 6章31節には「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と語られています。相手の立場に完全に立って、相手の思いに寄り添って、自分のできる限りのことをしなさい、と命じているのです。自分が正しいと思うことを相手にするのではなく、相手がしてほしいことを相手を思って行うのです。私たちが愛と思っていたことが実は愛ではないことを主イエスは暴露しています。自分を愛してくれる人を愛しても、それは愛ではない、と語っているのです。自分に利益がある時に相手を愛する、それは愛ではない、と言うのです。報いを求めないで、ただ純粋に愛することを勧めているのです。自分が相手を愛しても相手が応答もなく、感謝の言葉もなくても、相手をただ愛するのだ、と勧めています。自分は相手のために尽くしたのに、相手は感謝の言葉もないと怒る必要がないのです。見返りを求めないのが愛なのです。

 主イエスのこの説教は、敵を愛しなさい、そして人を裁かないで赦しなさい、と語られています。ここで中心的に語っているのは、愛に生きなさい、赦しに生きなさい、と語られていることです。
 そして、6章43−45節には、私たちが語っていること、していることによって、その人の本質が分かると語るのです。43節に「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。」と語られています。おいしくない実を結ぶ木は悪い木であり、おいしい良い実を結ぶ木は良い木であるのです。私たちは、その人の言っていることやしていることを経験して、その人がどのような人であるかを判断するのです。会う度に、人の悪口を言う人を問題がある困った人だと思いますし、会う度に、心が温まるような言葉を語り、親切な人柄であれば、良い人だと思うのです。44節に「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは、採れないし、野ばらからぶどうは集められない。」と語っているのです。良い実を結ぶ木は、良い木である、良い木でないと良い実を結ぶことはできないのです。良い木とは、私たちが愛の心をもっていることであり、愛に溢れた存在であると言うことです。あの人は良いことを言うけれども、生活振りがどうも言っていることとかけ離れている、と言うのではないのです。私たちが語る言葉と私たちの存在、生き方が分離していないで、一つである、そのような生き方をして欲しい、と主イエスは願っているのです。

 「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう」と語って、一つの譬えを語られたのです。「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人」と「土台なしで地面に家を建てた人」の譬えです。この譬えはよく分かるたとえです。しっかりした土台の上に建てた家と、土台なしに建てた家とは、洪水になった時に、しっかり立っているか、すぐに倒れて壊れるか、はっきりしているというのです。
 主イエスは愛に生きなさい、赦しに生きなさい、と語られ、このことを実行するように語られて、しっかりした土台の上に建てた家と土台のない家との違いを明らかにして、しっかり土台を置くことの大切さを語られているのです

 実際に愛に生き、赦しに生きなさい、という主イエス・キリストの御言葉と、この譬えが、どのような関わりにあるのかということが重要なところです。
 まず、この譬えについて考えて見ます。家を建てた時にしっかり基礎を固めて建てたか、それともいい加減に手抜きをして工事をしたかということは、建てた時には分からないのです。いつ分かるかというと、建てた時ではなくて、ずっと先のことです。それは、洪水になって川の水がその家に押し寄せて来た時に、しっかり建ててあれば倒れることはないのです。しかし、土台もなく建てると、洪水になって川の水がその家に押し寄せてきた時に、その家は倒れてしまうのです。この雨による洪水は何を表しているのか、と言うことです。それは神の審判、裁きを表しているのです。神の審判に耐えられるような家を建てたか、それともそうではないか、と言うことです。
 私が、1989年4月に東大宮教会に赴任した時に、その年の1月に新しい会堂を建てたことを記念する献堂式が行われましたが、この会堂について、基礎工事がしっかりしているので、地震がきても大丈夫だという話をよく聞きました。とても深く掘って土台を固めて工事をしていたので、通りがかりの人が、高いビルを建てるんですか、とよく尋ねられた、という話を聞いたことがあります。私たちの毎日の生活が愛の生活であったのか、あるいはそうではなく、愛がない生活であったのか、神の審判があるのです。現代に生きる私たちは、神の審判、神の裁き、を全く考えないで、自分のことばかり考えて生活をしているのですが、私たちの生活振りが審判されるのです。神を神として愛して来たのか、隣人を愛してきたのか、が最後に神から問われるのです。

 元に戻りますと、この譬えで大切な言葉は、「岩の上に家を建てる」ということです。岩とは何を意味しているのでしょうか。岩と言うのは、揺らぐことがない、動くことがない、しっかりしているというイメ−ジを持ちます。これは神の御心、神の意志と言い換えることができます。神の救いの意志(御心)は揺らぐことがないということを、岩という言葉で言い表しています。聖書には岩という言葉が多く出てきますが、それと共に礎となる石についても多く語られています。一つ引用するとイザヤ書28章16節に「それゆえ、主なる神はこう言われる。『わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。』」(旧約p1103)石と言う言葉で、何を表そうとしているのでしょうか。これは、神の救いの意志、それは神が憐れみ、恵もうとする意志なのです。
 もっとはっきり言うと、岩とは主イエス・キリストによって表された神の恵みのことです。神の恵みが岩であるのです。この岩に私たちの基礎を置くのです。岩と言うと、私たちの存在を支えているものです。私たちを支えているものがなければ、立つことができないのです。岩にしっかり立つ、神の恵みにしっかり立つ、神の愛の中にしっかりと立つのです。

 岩の上に家を建てるということは、神の愛を信じるということです。神の愛とは何でしょうか。それは、神が正しい者にも正しくない者にも、恵みの雨を降らせ、その必要なものを欠けることなく与えてくださっていることです。神が父としての責任を果たしてくださって、私たちを愛してくださることです。そして、私たちの罪を贖うために十字架につけられ、死人のうちよりよみがえられた主イエス・キリストを信じ切ることが、私たちの基礎、岩なのです。この岩に立つ者は、どのようなことがあっても揺らるぐことはないのです。
 私たちの生命の基礎、私たちが生きている基盤とは何か、それは変わることのない神の愛なのです。私たちが神を忘れ、神の愛に応えない時にも、常に神はイエス・キリストによって、愛してくださるのです。イエス・キリストにおける神の愛が、私たちを支える基盤、基礎なのです。この岩、しっかりした基礎であるイエス・キリストの愛が、私たちの基礎、基盤なのです。
 このような神の愛は永遠の愛であり、この天地創造の前から存在する愛であり、私たちがこの地上の生活を終えたあとにおいても変わることなく、私たちを限りなく愛して下さる愛なのです。この地上で生きているときだけの限定・期限つきの神ではないのです。神の愛で始まり、神の愛で終わるのです。生きている時も死ぬ時も、私たちのそばに伴ってくださる方、この方に信頼し切って歩むのです。この神は、イエス・キリストによって罪を赦し、私たちを受け入れ、私たちの存在を肯定し、その神に信頼を置き、私たちの魂を委ねるのです。神から深く愛されていることを信頼する者が、相手を愛することができるのです。

 私たち人間の成長を考えるときに、誕生して六ヶ月の間、親からの愛を受けて育てられることがとても重要であるのです。母親に抱かれ、名前を呼ばれ、乳を飲み、自分の子どもとして大切にされ、愛されることが必要です。それによって基本的な信頼を獲得することができ、それによって、自己肯定感を持ち、自分の存在が好ましい存在であることを認識することができるのです。私たちが生きる上で、基礎となるこの時期に無条件に愛されることが重要なのです。私たちが立つべき岩、それは私たちを愛してくださる神の愛に生きる根拠を置き、基盤にして、愛を実践するのです。その愛は、敵を愛する愛であり、自分の過ちを認めて、相手の過ちを赦す、そのような愛なのです。
 
 かなり前のことですが、私は「愛する」という映画を見たことがあります。この映画は遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」という小説を題材にした映画でした。この小説の主人公は、井深八重という実在した女性をモデルにしています。聖学院大学の菊地順牧師が、大学の論集に「井深八重とその信仰」という論文を書いています。(論集・キリスト教と諸学 23号 p262−p2942007年 聖学院大学)井深八重は、明治学院学院長であった、井深梶之助の姪ですが、長崎の女学校の時に、ハンセン病であると診断されて、富士山の裾野にある、ハンセン病の患者を収容している、神山復生病院に入院したのです。井深八重はこの病院で病院長であるレゼー神父と出会い、この神父の生き方に深く感化されるのです。この病院はヨーロッパの国々の篤志家からの献金で成り立っていたのですが、寄付金が減り、経営が苦しくなってきたのです。そのような時に「神父が故国にのこした先祖伝来の私財を惜しむことなく、かたっぱしから売りつくして、患者の糧に代えたのもこの頃である。果ては老いの身を各地に運んで、必死の努力で寄付金を募った。」のです。「そうした経営者としての労苦の中で、レゼー神父は、ハンセン病患者の一人ひとりを深く愛し続けたのである。」「神父はまことに、心からハンセン病患者を愛された。この世から捨てられ、親しい人々からさえ追われた不幸な群は、神父の熱い愛の翼のもとにかばわれた。胸にまで達する銀のひげ、慈愛の光にみちた碧いひとみ−患者たちは神のみ姿として神父を伏し、拝んだ。かつては世をのろい、親兄弟をにくみ、神仏をさえうらみつつ、この門をくぐった彼らは、今や神父の偉大なめぐみに救われて、神を信じ、死後のよりよき生命の確信を得て、ほがらかに嬉々としてとして平和な年月を送っている。」
 レゼー神父は臨終の床で次のように語ったとあります。自分の神学校時代の同級生の中には、ローマの教会で枢機卿という最高位の聖職者になっているものもいるけれども、ハンセン病の病院長に自分はなっている、神父の中でこの病院の院長より下の役はなく、しかし最も下の役になったことが大きな喜びだ、と語ったのです。井深八重は、このような隣人愛に満ちた神父の生き方に深く感化されたのです。井深八重は、この病院に入院して病状の進展がなかったので、その当時の皮膚病の権威の医者で検査をしたところ、ハンセン病であることが誤診であったことが判明したのです。この病院を出て、長崎の女学校の教師として復職することができたのですが、レゼー神父の「命をかけて仕えている神父を残して、ここを出ることはできない、と思い、「もし許されるならばここに止まって働きたい」とレゼー神父に申し出たのです。そして看護婦の資格を取るために、半蔵門にある日本看護婦学校促成科に入学し、卒業して、神山復生病院に戻り、55年に渡って、その生涯を患者のために献げたのです。

 主イエスは敵を愛しなさい、自分の罪、過ちがどんなに大きく、重いか、よく認識し、相手の小さな罪を赦しなさい、と語られています。それは、岩のような、揺るぐこともなく、変わることもない、神の愛を信じ、愛されているのですから、与えられた愛によって、隣人に対する愛を実践することを勧めているのです。私たちには、最後の審判の時に神から問われるのです。あなたは、好きな人や自分に報いてくれる人だけを愛することなく、敵を愛し、侮辱する人を愛し、自分が損をしても隣人を愛してきましたか、と神から問われるのです。最後の審判で神に問われることは、敵を愛し、自分を憎む人を愛し、隣人の罪を赦してきましたか、ということなのです。神を畏れつつ、神の愛に応えるものでありたいのです。

20200308  主日礼拝説教   「裁かないで生活する幸い」   山ノ下恭二
(アモス書5章14−15節、ルカによる福音書6章37−42節)


 北海道の遠軽というところに北海道家庭学校があります。非行を犯した少年たちを更正させる施設です。この学校の校長の谷昌恒氏が「教育力の原点」−家庭学校と少年たち−という本の中で、次のように書いています。家庭学校を訪れる人から、また別の機会に、よく聞かれることがあると言うのです。家庭学校について、どういう少年がいるんですか、とよく聞かれると言うのです。その時に、谷校長は「不良少年がいる」とは言わない、また「不幸な子どもたち」とも言わない、それでは何と言うのか、「不幸に負けた子どもたち」と言うのだそうです。しかし、この表現もきちんと説明をしないといけない、と言うのです。不幸に負けた子どもたち、と言うのは、谷校長が、少年たちが罪を犯したことが原因で不幸になり、不幸に負けた少年たちであると軽蔑して言っているのではなくて、深く同情して言っているのだ、とこの本に書いています。
 それは、自分が20幾歳まで親のすねをかじっていて、少年たちのように早くから世の中に出て苦労していたわけではないので、少年たちを責めたり、叱ったりする資格はない、と語っています。非行を犯した、不良の少年たちなので、良い人間にするために、少年たちを指導しなければならない、と考えているわけではない、と言うのです。過ちを犯した、ということで、少年たちを犯罪者として扱うことはしない、と語っているのです。

 谷昌恒さんは岩波ブックレット「教育の心を問い続けて」で、次のように書いています。一月に一度、日曜日の礼拝の前に朗読会をしていて、少年が自分の作文を読んで、校長がその作文について講評するのです。ある時、「牛のお産に立ち会って」という作文が読まれたのです。親牛が子牛を産むときに、とても苦しんで産んでいる場面に立ち会って、この少年は、母親が自分を苦しんで出産したことを知り、自分が母親に暴力を振るったりしてきたことを深く反省するという作文であったのです。自分が悪いことをしてきたことに気付いた少年を褒め、力づけるのです。

 主イエスは「人を裁くな」と私たちに語りかけています。「人を裁くな」と主イエスが語られるのは、私たちがいつも人を裁いているからです。私たちの一日の生活、それは朝起きて、夜眠るまでどのような言葉で語っているか、スマトフォンで録音して聴いてみるとよく分かると思います。

 こういう経験をもっている人が多いと思います。たとえば、ある人と会話していて、自分の話がどうも相手に理解されていないと思う時があります。相手が分かっているのかな、と思う時があります。すぐに分かる人と分からない人があり、自分が関心をもっている話でも相手にとっては興味のない話があり、相手が急いでいて用事があり、余裕がなく、自分の話を聞く態勢になっていない時があるのですが、相手に話していて、相手がよく分からないというシグナルが出ている時に、自分の心の中に浮かぶことがあるのです。それは、この人は余り理解力のない人だ、頭の回転が遅い人だ、鈍い人だ、と決めつけてしまうことがあるのです。相手のことを問題にしている時には、自分のことは問題にしないのです。自分の話の要領が悪いので相手に通じないとは思わないのです。また、話し方が悪いので相手が理解できない、とは全く思わないのです。相手に対する同情や思いやりがなくて、自分の話を理解できない、愚かな人だと思ってしまうのです。たった一つの出来事で相手の人格や存在を評価してしまうのです。人を裁いている時には、自分の側の至らなさや欠点、落ち度などはすっかり忘れて、自分が完全で欠点がなく、悪いところがないと思って、相手を裁くのです。相手に落ち度や過ちがあるとレッテルを張るのです。

 ルカによる福音書6章41節に「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」と主イエスは語られています。丸太とおが屑というのは対照的です。丸太は大きいのですが、おが屑は、捜さないと見つからないほどほんとうに小さいのです。私たちはいつも相手の言動を観察しています。相手はよく見えるのです。自分の姿は観察できないし、見えないし、見ていないのです。相手の洋服にごみがついていることにすぐ気がつくのです。しかし、自分が着ている洋服が破れていることに気がつかないのです。そして、私たちには相手がよく見えるし、小さなおが屑のようなものでも、丸太のように大きなものと思ってしまうのです。相手の過ちは、丸太のよう大きく見え、自分の過ちは、おが屑のように小さなもので取るに足りないと過小評価しているのです。しかし、主イエスは、人を裁いている自分の目の中に丸太があることに気がつかないのか、気がつきなさい、と語っています。

 「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中の丸太に気づかないのか。」この主イエス・キリストの言葉は分かりやすいのです。しかし、この主イエスの言葉の本来の重みを受けとめていないことがあるのです。 どのような分かり方をするのか、と言うと、教訓のように理解するのです。人間というものは互いに不完全であるから、人の欠点ばかり言ってはいけない、自分にも他の人にも欠点があるのだから、人に対して寛容な心で接しなさいという教訓が書かれている、と理解するのです。人の悪口ばかり言ってはいけない、あなたにも悪いところもあるのだから、とこの言葉を人生の知恵、道徳として受けとめるのです。しかし、そのレベルでこの言葉を受けとめると、その人の生き方や言葉は一向に変わらないのです。これを教訓や自分の肝に命じる言葉として忘れないように努めて、人に対する裁きの言葉は少なくなるかも知れないですが、他の人から自分の欠点や過ちを指摘された時に、カーッとなって、相手に言い返すことが起こるのです。相手から自分の欠点や過ちを指摘されて、あなたがそんなことを言うけれども、過去にこういう誤りがあるだろう、あなたに比べれば、私の誤りはずぅっと小さいと反論するに違いないのです

 おが屑と丸太と訳されていますが、口語訳聖書には梁とちりと訳しています。最近、翻訳された聖書協会共同訳では、おが屑と梁と訳されています。口語訳では、「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」と訳されています。梁とは家を支える、ほんとうに太い頑丈なものです。「丸太」も分かりやすいですが「梁」の方が大きく、太いのです。
 
 主イエスはここで相手の過ちよりも、自分の方の過ちの方が大きいことを、この譬えで語っているのです。互いに同じような欠点がある、ということでなくて、相手の過ちはおが屑のように小さい、しかし、自分の欠点は丸太のように、梁のように大きいと言うのです。そのことは私たちには受け容れがたいのです。もし、主イエスが「なぜ兄弟の目にある丸太は見えるのに、自分の目にあるおが屑に気がつかないのか」と語られたならば、私たちは受け容れるのです。なぜ、受け容れるのか。それは、わたしたちは自分の過ちは小さく、相手の過ちは大きいといつも思っているからです。人の悪口や陰口が止まないのは、そのせいなのです。相手が自分よりも悪いと思っているから平気で悪口や陰口が出てくるのです。しかし、主イエスは、他の人より自分の過ちがはるかに大きいと語られているのです。この言葉を私たちは受け入れることは難しいのではないでしょうか。

 私たちは人と比較して、自分の過ちがはるかに大きいと気づいても、それを認めたくないという思いがあります。しかし、主イエスは私たちの思いに逆らって、他の人はおが屑のような小さな誤りがあるけれども、あなたは丸太のように大きな誤りがあり、そこで人を裁く資格はあるのか、と問われているのです。私たちがこのことを受け容れないならば、神の御心を受け容れたことにはならないのです。

 2月に、説教塾読書会があり、加藤常昭先生の「説教論」を少しずつ読んでいて、加藤先生が印象深いことを話されたのです。本を読んでいる時に、著者が言おうとしていることをただ理解しているだけでは、読んだことにはならない、その著者と同じ考え方にならないと読んだことにはならない、と言われたのです。聖書の言葉を読んで、その意味が分かるだけでは、聖書を読んだことにはならないのです。相手よりも、自分のほうが過ちは大きい、そう言っているけれども、それは私は受け容れられない、というのではなくて、主イエスが語っていることは、本当だ、主イエスの考え方に自分が従う、聖書が考えているように自分が考え、そのように生きるということなのです。

 主イエスが「人を裁くな」と語り始められた、この部分では、神について特別に語ってはいません。神はどこにも姿を現しておられないように思われます。しかし、ここで神を自分の中に入れ、神こそ真実に裁きうる方あることを受け容れないと、主イエスの言葉は分からなくなるのです。神こそ裁きうる方で、人間の中には真実に他人を裁きうる者はいないのです。

 私たちが誰かと二人だけでいる時に、私たちは自分たち二人だけしかいないと考えるのです。あるいは、自分が一人である時に、自分ひとりになったと思うのです。しかし、実は、そこに神がおられる、そして、私たちの言葉を聴いておられるのです。神は私たちの会話の聴き手であるのです。そのことがよく分からないと、この6章の「裁き」についての御言葉は分からないのです。 
 「裁く」という言葉は「分ける」「区別する」「見分ける」と翻訳される言葉です。人や物について善し悪しを判断する、価値があるかどうか決定するという意味の言葉です。そこから批評、批判、裁判、を意味する言葉にもつながっているのです。批評、批判、裁判がいけないということではありません。
 神が私たちを裁きうる方であり、神を畏れて、生きる時に、自分がどのような存在であり、どのような生き方をするのか、よく吟味することが大切なのです。
 
 夜、寝るときには電気を消して寝ますが、自分の姿は分かりません。しかし、電気をつけていれば自分の姿がよく分かるのです。神の光に照らされなければ、自分の罪がどんなに大きく、重いものであるかは分かりません。神の光によって照らされないと、自分の罪の大きさ、悲惨は分からないのです。

 旧約聖書のサムエル記下12章には、ダビデが大きな罪を犯した物語があります。ダビデが自分の部下ウリヤの妻バト・シェバを自分のものとして、誘惑し姦淫の罪を犯し、そのことが発覚することを恐れて、ウリヤを戦場に送りだして戦死させてしまうのです。このことは信仰者として赦されないことです。そこで神は預言者ナタンをダビデのところに派遣して、ダビデにひとつの譬え話を語ったのです。一匹の羊しか持っていない貧しい男から羊を奪って、殺してしまった金持ちの男の話をするのです。この話を聞いたダビデは怒って、この男は死罪に値するとナタンに語るのです。それに対してナタンは、このことをしたのはあなただとその過ちを厳しく問い責めるのです。ダビデは自分がしたことは悪いことだ、とうすうす思っていたけれども、そんなに悪くはないと自分の罪を認めていなかったのです。しかし、預言者ナタンの言葉によって、自分がいかに深い罪を犯したか、をダビデは悟ったのです。預言者ナタンの言葉によってダビデは自分の罪が責められ、その責任が問われたのです。

 私たちは、過ちを犯しても、誰もその過ちを指摘することがないので、少し悪いことをしたと思っても、そのままにしていることが多いのです。神を畏れず、神の御前で自分の生き方、あり方を問われない生活を過ごしているのです。私たちが自分の罪がどんなに深く、重く、大きいものであることに気づかない限り、他の人の小さな過ちを指摘し続けるのです。神の前に自分の罪が問われないならば、自分の罪を認めず、他の人を裁くことを止めないのです。私たちは神の御前に出て、初めて、自分に大きな罪があることを知らされ、とんでもない罪人であると認識し、その罪を取り除かれるように願うのです。詩編51編は、ダビデが罪を犯したことを認めた後に、涙を流しながら、罪を告白し、悔い改めているのです。

 主イエスは、私たちに、ただ裁くな、と言われただけでなく、私たちの目にある丸太に気づけと言われました。人を観察している目です。その小さな過ち、おが屑に等しい小さな罪にも気づく目、裁いてばかりいる、めざとい目を問われます。そこにある、あなたの目にある丸太、一目瞭然の罪に気づけ、と言われます。

 自分の目には、おが屑しかないと思っていたら、実は自分の目には丸太があったことが分かった、つまり、自分が本当に自分中心で、人を愛することができない、とんでもない罪人であることが分かったのです。この罪が取り除かれなければ、自分は生きることができないのです。
 この丸太を取り除いてくださる方がいるのです。つまり、深い罪を赦してくださる方がおられるのです。私たちの罪を自分のものとして引き受け、その裁きを引き受けて十字架で死んでくださり、私たちがすでに罪ある者としてではなく、罪なき者として、正しい者として、神の前に立つことができるようにしてくださっているのです。
 丸太を取り除いてくださった、自分の深い罪をイエス・キリストによって赦して下さった、そこからすべてが始まるのです。
 神は、私たちを裁く方ですが、イエス・キリストによって裁かれた者となるのです。裁くべき方である神が裁かれた者となる、それが、イエス・キリストの十字架の意味なのです。神の裁きが、愛となり、赦しとなるのです。
 
 ルカによる福音書6章42節後半に「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」自分の目の丸太に気付くだけではなくて、それは取り除かれねばならないのです。それは自分の罪に気づき、罪が取り除かれるためにキリストの十字架の贖いを信じ、受け容れ、アーメンとすることが必要なのです。その丸太が取り除かれた、きれいな目で他の人の目にあるおが屑を正しく見て、取り除くことができるのです。私たちは相手を裁くときに、自分は正しいと思って裁きの言葉を語ってしまいます。しかし、そうではないのです。 
 自分こそ深い罪の中にあり、キリストにより赦されて、裁かれることなく、今、キリストにあって生かされ、神の御前に生きることができるのです。私たちは神に裁かれる者でありながら、赦された者となった、その赦しの中で過ごすのです。

20200301  主日礼拝説教  「愛の内容」  山ノ下恭二
(ホセア書11章1−9節、ルカによる福音書6章27−36節)

 
 日本では「愛」という言葉は元々、男女の愛を指す言葉でしたが、阪神大震災や東日本大震災でのボランティア活動の広がりによって、愛ということが、男女の間の愛ということに限定されないで、隣人を愛する、無償で困った人を助ける、という意味で使われるようになったことはとても良いことであったと思います。それでは、聖書では「愛」ということはどのような内容をもった言葉として語られているでしょうか。

 本日の礼拝でルカによる福音書6章27−36節のみ言葉を読みました。主イエスは、「敵を愛しなさい」と語っています。しかも、27節と35節とで二度も「敵を愛しなさい」と語っているのです。このところで語られている敵というのは、自分を憎む者、悪口を言う者、侮辱する者、頬を打つ者と具体的に示されています。そのような敵を愛しなさい、と言われているのですが、皆さんは、この言葉を聴いてどのように思うでしょうか。敵を愛することは難しいことであり、困難であると、思うのではないでしょうか。
 自分の存在を認め、自分を褒め、自分を肯定する者に対しては、その人のために何か良いことをしたい、助けたいと思いますが、逆に自分に対して傷つけるようなことを言い、侮辱し、暴力をもって平手打ちをする者を愛することは難しいし、困難であると思うのです。

 ギリシャ語では「愛」という言葉に相当する言葉が4つあります。一つには、親が子を愛する、子が親を愛する、愛着を意味する言葉があります。そして皆さんが知っている言葉ですが、エロ−スと言う言葉があります。男女間の恋愛などで用いられる言葉です。相手に魅力があり、一緒にいると楽しく、利益になる、そういう時に用いる言葉です。相手を愛すると価値がある、得をするので愛する、という意味で用います。そして皆さんは聞いたことがあると思いますが、聖書に一番、多く出て来る「愛」という言葉は、アガペ、と言う言葉です。この言葉は、相手を愛するのに利益がなく、得にならなくても愛する、相手を愛しても損をして、見返りがなくても愛する愛です。そして、フィリアと言う言葉があります。この言葉も新約聖書に出て来ますが、元々、このフィリアという言葉は、学問への愛、美術や音楽などの美しいものへの愛や、友情を表す言葉ですが、新約聖書では、アガペと同じ意味で使われています。
 
 新約聖書では、アガペという言葉が一番多く使われており、私たちはこの言葉が無私の愛という、自分が損をしても、相手のためにだけ愛する愛であることも知っているのです。そのことはよく分かっているつもりでも、私たちは、敵を愛することに困難を覚えるのです。なぜ、困難を覚えるのでしょうか。敵を愛することになぜ困難を覚えるのでしょうか。

 それは私たちが愛であると思っていることが、実は愛ではないことに気がついていないからです。自分は相手を愛している、と思っているけれども、それは、実は愛ではないということなのです。そのことは、ルカによる福音書6章32節で主イエスが語られています。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人によいことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。」ここで主イエスが語っておられるのは、注釈抜きでよく分かる言葉です。自分によくしてくれる人によくしてあげる、自分に何かよいことをしてくれた人にお返しをしてあげる、そういう関係に私たちは、生きているのです。それが愛だ、と思っているのです。あの人は私によくしてくれる、私をあの人は愛してくれる、私もあの人によくしよう、そのように愛そうとするのです。そのような人とのつきあいを好き嫌いで判断するのです。ここで主イエスが言うのは、それが愛と言えますか、と私たちに問いかけているのです。互いにやりとりをして、互いに利益がある、そのようなことは愛なのですか、と主イエスは私たちに問いかけているのです。

 私たちはこの言葉を読むと、教会の外の世界を見て、世間のやり方はみなそうで、互いに利益を求め、利己的な関係に終始しており、打算によって人間がつながっているような愛し方しかしていないと思うのです。しかし、自分はそうしてはいないと胸をはって言えるでしょうか。主イエスが指摘している、愛してくれるから愛する、よくしてくれるからよくする、というのは、教会以外の人々のことを言っているとは言えないのです。私たち教会に属している者にもあるのです。自分によくしてくれる人にしか、よくしないと言うのは、私たちキリスト者に確かにあるのです。
 私によくしてくれる、この「よい」と言うのは、自分にとってよいということです。いつも、自分と結びついているのです。あの人はよい人だ、というのは、自分に対して親切、好意をもっているということです。自分によくしてくれる人がよい人なのです。

 私たちは、この人は自分に好意をもっているか、自分を良いと思っているか、ということが気になるのです。教会もそういう気持ちをもっている人が多いのではないか、と思うのです。教会においても相手によくしないと、愛がない、冷たいと言うのです。
 東大宮教会で、他の教会から転入会をしてしばらく経過してお訪ねしたところ、その人は、最近、誰も声を掛けてくれない、冷たい教会だと思っている、と言ったのを覚えています。私たちが愛を語る時に、いつも心にかけるのは、自分が愛されること、愛のサ−ビスを受けること、もてなしを受け、自分をよくしてくれることを求めているのです。その期待に応えて良くしてあげれば、この教会は愛がある、暖かい、愛のある教会だと言い、自分の期待に沿わないと、冷たい、相談にのってくれない、愛のない教会だ、と言うのです。主イエスは、それが愛なのですか、と問うのです。自分が、愛のサ−ビスを受けて、そのことを返すのが愛なのですか、と主イエスは私たちに問い返しています。

 聖書の中で、愛について詳しく語っているのは、コリントの信徒への手紙一 13章です。お読みになった方も多いと思います。この13章は愛はこういうものではないと言う言い方で愛を語っているのです。よく考えてみると、この当時の教会の中で、愛とはこういうものだ、と考え、そのことを実際に行っていたのをパウロが観察して、そういうのは愛ではないと語っているのです。自分が愛だと思い、愛している、と思い込んでいることが、実は愛とは言えないとパウロは語るのです。13章4節後半から6節まで、どのように語られているでしょうか。「ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」この中で、愛は「ねたまない」と書いてあります。仲が良く、親しい間柄であったのに、一方が人気が出たり、みんなから認められたりするとイライラして、面白くない、相手に対して持っていた親しい感情がねたみに変わるのです。
 そして、愛は「礼を失せず」とありますが、親しくなると礼儀をわきまえることがなくなり、近い関係になったと思い込んで、人の心の中に踏み込んで、失礼なことを言ったり、言葉がぞんざいになり、言い方もため口になったり、するのです。パウロはそれは愛とは言えないと語るのです。
 
 13章5節には「自分の利益を求めず」と語られています。私たちは自分のことから離れられないで、自分の利益、得になることしか求めていないのです。人との関係でも、そうです。私たちの愛は、その範囲の中でしか、行われていないのです。愛の実践をしていると思い込んでいるけれども、愛の名を借りた偽りの愛のわざでしかないのです。愛だと思い込んでいるけれども、実は愛でもなんでも無いことをしているのです。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人によいことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。」

 主イエスは、自分からやったり、相手から貰ったり、与えたら何かの形で戻って来る、そういう愛を突き破ったところに本来の愛があることを知って欲しい、と願っているのです。やったり、貰ったり、互いに利益をもたらす、それは愛の本来の姿なのではないと語るのです。私たちは、他の人から好意で品物を戴くけれども、きちんとお礼をしないと、その後の関係がうまくいかないのです。そのことを怠ると、関係が切れてしまい、あの人にずいぶん尽くしたのに、と思われてしまうと思うのです。主イエスは、そういう関係が愛の関係ですか、と問うているのです。人にあげたり、貰ったり、互いにお礼をしあう関係、それを愛と考えて、実践しているところを突き抜けたところで、報いを求めず、報いを当てにしないで、与え続ける、愛があるのではないか、と主イエスは語るのです。

 親子、夫婦、友人、教会においても、与えたら直ぐに取り戻そうとするのです。そのような私たち自身が愛と呼ぶ世界に生きているのです。その私たちに、そうではない、敵を愛しなさい、という、主イエスの言葉にたじろぐし、困難を覚えるのです。難しいと思うのは、まことの愛に生きていないことを暴露するのです。
 そこに表れているのは、私たちの罪の姿なのです。私たちは、愛ということを、好き嫌いで考えます。気に入った、気に入らない、そういうところで捉えているのです。自分の気持ちに素直に従うならば、好きな人を愛するのであり、嫌いな人は愛さないことになります。自分の気持ちに正直に生きることが誠実な生き方であると考えているのです。

 しかし、そのような者に対して、主イエスはその私たちの心に逆らわなければ、敵を愛することはできないと語るのです。愛するということは、自分の心に逆らわなければ、愛することはできないのです。自分の気持ちに従っては、ほんとうの意味で、愛することはできないのです。自分の心に逆らわなければ、主イエスが願っている愛は生まれないのではないか、と語るのです。憎む者を愛するというのは、自分を愛してもいない者を愛するということです。それは、自分の気持ちに素直に従っているならば、とうてい出て来ないものです。それは自分の心に逆らわなければ、生まれてこない愛の世界なのです。

 愛は、好き嫌いの感情ではないのです。むしろ、意志です。ルカによる福音書の研究者に、弘前学院大学の教授でカトリック教会の信徒ですが、三好迪、という人がいます。一度、この方の、ルカによる福音書についての講演を聴いたことがあります。その講演で、ルカによる福音書14章15−24節の、主イエスの譬え話を話されたのです。ある家の主人が、多くの人を宴会に招き、その当日、招かれた人々のところにわざわざ出向いて行ったが、それぞれ用事があると言って、急に欠席ということになり、招かれた人が宴会に来なかったのです。そこで、全く関係のない人々、招く予定のない人々、貧しい人々、体の不自由な人々、目の不自由な人々を連れて来て、宴会をしたという話です。この当時の習慣では、招かれたら同じ規模で、同じ費用を使って宴会を返礼として、しなければならなかったのです。最初に招待した人たちは、お返しのできるだけの資産をもっていた、しかし、その人たちが来ないので、次に招いた人たちはお返しができない人たちなのです。招かれて、食事をしたけれども、お礼に同じような宴会を催すことができないことをよく承知して、招いているのです。
 
 この譬え話によって、主イエスは、神の慈しみ、愛に応えて、お礼ができない者を愛していることを知らせようとしているのです。神の愛は相手によくしたので、その報いを求める、そういう私たちが考えている愛の常識を打ち破り、突き抜けて、報いを求めないで、相手からのお礼を求めない、ただひたすら与え続ける、恵みと慈しみを与え続ける愛なのです。

 ルカによる福音書6章34節「返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。」
 人間同士の横の関係ではなくて、神と私たちとの関係を考えるのです。考えてみなさい。私たちは、神にとって敵であったのです。神にいのちを創造されながら、感謝もなく、神の御心に従って生きようとせず、神に背を向けて、神から離れ、神を礼拝せず、隣人を愛することなく、自分のことばかり追い求め、自分中心に生きているのです。私たちは、神に敵対しているのです。
 多くの人々は、神を無視し、神などいなくても生きていける、自分の力で生きることができると思っているのです。そのような神の敵である者に対して、神は、憎み、呪い、いなくなれば良いと思ったでしょうか。神を忘れて生きている者の罪を責め、その責任を問い、こんなに愛しているのに、感謝もお礼をしないと言って責めてはいないのです。神に敵対している、その罪を御自分のものとして引き受け、罪を贖ってくださるのです。敵である私たちのために、神はイエス・キリストによって、その命を献げてくださるのです。

 新約聖書・ロ−マの信徒への手紙5章8節には「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」5章10節には「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」
 私たちの愛の源、愛の根拠は、イエス・キリストにおける神の愛にあります。愛は自分の気持ちに沿うものではないのです。むしろ、自分の気持ちに逆らうものです。それは、赦すことができない者をあえて赦すのですから、それは痛みと苦しみを伴うのです。
 
 ルカによる福音書6章36節「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
 憐れみ深いと訳されている元々のギリシャ語は「はらわたが痛む」と言う言葉です。それはまさしく、私たちの罪を取り除くために十字架で苦しみ、死んだ主イエス・キリストの愛のことです。愛するということは、主イエス・キリストの十字架のように、痛みを伴うものです。自分の心に、気持ちに逆らうことです。自分の気持ちに逆らっても、自分の心に反しても、敵を愛せ、ということです。

 カトリック教会の修道女で、岡山のノ−トルダム清心女子大学の学長を務めた、渡辺和子さんが、著作集で「蝉の声」という文章を書いています。この文章を読んで衝撃を受けました。1936年頃の話ですが、渡辺和子さんの父親、渡辺錠太カ氏は、教育総監であったのですが、1936年2月26日から29日にかけて、陸軍の皇道派の影響を受けた陸軍青年将校たちによって、銃殺されたのです。
 渡辺和子さんは、澤地久枝という作家が書いた「妻たちの2・26事件」という本を読み、澤地さんから、反乱軍側の遺族で結成している「仏心会」が、毎年、2回、事件当日の2月26日と、青年将校15名が処刑された7月12日に、麻布の寺で法要が営まれており、二月の時には、父たち、殺された側の名も読み上げられて法要が行われていることを知ったのです。
 澤地さんから「一度、出ておあげになったら。あちらの方たちも、あなたのことを気にしていらっしゃいますよ」と促された、と書かれています。事件の目撃者は渡辺さんだけであり、かなり、迷ったそうです。「父を殺した側を主催者とする法要に出ていいものだろうかというためらいもあった。」「殺した側の遺族と、殺された側の遺族が一堂に会してわだかまりのない筈がない。出ない方がいいのではないかという気持ちと、いや、相手方も軍法会議の結果、事件の六ヶ月後に刑務所内で銃殺に処せられている。心ならずも愛する肉親を失ったという点で、同じ遺族であり、犠牲者なのだと自分に言い聞かせる理性もあった。そして7月、出席の決心ができた。正直に言って、私の心の中には、キリスト教的な『敵を赦す』という殊勝な心がけよりも、父が生きていたら出席を望むのではなかろうかという思いの方が強かった。」そして当日、青年将校側の遺族と面会するのです。遺族の方々が挨拶に来られる、「50年前のあの日、荻窪の家を襲撃するために30数名を指揮してトラックで乗り付け、寝室に踏み込み、すでに43発の弾丸を受けていた父に、とどめの一突きをした高橋少尉のご令息」が「無言で頭を下げてくださる。」
 法要の間、戸惑うこともあったが、殺した側の遺族も苦しんで来たことを知り、来て良かったと思った、と書いています。
 
 私は、自分の父親を殺した遺族のところにお参りに行くこと自体、大変なことであると思いますが、渡辺和子さんがこうした行動ができたのは、主イエスの「敵を愛する」という御言葉を聴いていたからだと思います。

 主イエスは、ここで二度も敵を愛しなさい、と語っています。イエス・キリストが敵である私たちを愛すのです。この愛には痛みと苦しみを伴うのです。敵を愛することは、容易なことではありません。それは自分の気持ちや心に逆らうことになるからです。しかし、主イエス・キリストが敵である私たちを愛して下さったことを信仰をもって受けとめながら、愛する者とならせて下さいと祈っていきたいと願います。

20200216  主日礼拝説教  「幸いに生きよう」  山ノ下恭二
(詩編126編1−6節、 ルカによる福音書6章20−26節)

 
 聖書には、読んでいて意味が分からない言葉があります。その言葉の意味がどのような意味なのか、把握することが難しい言葉があるのです。その言葉の中の一つにルカによる福音書6章20−21節の言葉があります。そこには次のように語られています。「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは、満たされる。今、泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる。』」
 この言葉を読んで、私たちの常識とは異なったことが書かれていると思うのです。すぐに理解し、受け容れる人はほとんどいないのではないか、と思います。この言葉を読んで、むしろ逆なのではないか、と思うのです。
 
 貧しい人々は不幸である、飢えている人々は不幸である、泣いている人々は不幸である、そのように言うならば、よく分かるし、受け容れることができるのです。なぜ、貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々が幸いなのか、さっぱり分からないと思うのです。お金をたくさん持ち、食べるものもたくさん蓄えていて、いつでもおいしいものを食べることができ、悲しくて泣くばかりの日々が続くよりは、喜ぶことがたくさんあって、笑う時が多い、そのほうが幸いだ、と思うのです。
 そして、6章24−25節の言葉にも不思議で、意外な言葉が記されています。「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。」「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である。」「今笑っている人々は、不幸である。」私たちは、この言葉に反論したい気持ちになるのです。それは富んでいるのは、幸いであると思うからです。満腹しているのは、幸いであると思うからです。今笑っているのは、幸いであると思うからです。

 特に、お金持ちと貧乏人とを比較して、この世の中で、どちらが幸いか、それははっきりしていると思うのです。ある書物にとても興味深いことが書かれています。「金持ちがよろめくと、友人が支えてくれる。身分の卑しい人が倒れると、友人でさえ突き放す。金持ちがしくじると、多くの人が助けてくれ、言語道断なことを口にしても、かばってくれる。身分の卑しい者がしくじると、人々は非難し、道理に合ったことを話しても、相手にしない。金持ちが話すと、皆静かになり、その話したことを雲の上まで持ち上げる。貧乏人が話すと、「こいつは何者だ」と言い、彼がつまずけば、これ幸いと引き倒す。」この世の中では、貧乏人よりも、金持ちのほうがみんなから、大切にされることは当たり前だと思うのです。

 本日は特に「貧しい人々は幸いである」という言葉に注目して学びたいと思います。
ここでは特別な人や自分以外の人のことを言っているのではないのです。「貧しい人々は、幸いである。」とあるのですが、他の訳では「あなたがた貧しい者は幸いである」「貧しいあなたがたは幸いである」とあり、「あなたがた」という言葉が入っているのです。主イエスの言葉を聴いている聴衆は、貧しい者も富める者も、飢えている者も満腹している者も、泣いている者も、笑っている者もいたのですが、主イエスは、「貧しい者」が幸いであると語るのです。

 なぜ、貧しい人々が幸いなのでしょうか。その理由は、神と私たちとの関わりを考える時に分かるのです。私たちが神との関わりに生きる時に、この言葉の意味が分かるのです。私たちの常識やこの世界の価値観によってはではなく、神が私たちの生活に介在する時に意味を持つのです。

 ルカによる福音書に記されている、この説教は、平地の説教と呼ばれています。それは、マタイによる福音書5章から始まる、山上の説教と比較して、平地の説教を呼ばれるのです。
 マタイによる福音書に記されている山上の説教は、5章3節から始まります。5章3節には「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」とあります。マタイによる福音書では「心の貧しい人々」という言葉です。この言葉は、原文では「貧しい人々、霊との関わりにおいて」と翻訳することができます。貧しさ、それは霊との関わりにおいて、と言うことです。つまり神との関係において、神との関わりにおいて、と言い換えて善いのです。「霊との関わりにおいて、貧しい」つまり、「神との関わりにおいて貧しい」ということです。
 
 ルカによる福音書は「貧しい人々」と書かれています。私たちが心に留めることは、「貧しさ」という言葉はどのような意味なのか、と言うことです。ウイリアム・バークレイというスコットランドの新約学者が書いた「山上の説教に学ぶ」という本の中で、この「貧しい」と言う言葉を詳しく解説しています。どのようにこの「貧しい」という言葉が用いられてきたか、この「貧しい」と言う言葉は、ギリシャ語では、「プトーコス」と言う語ですが、この言葉は「乞食の叫び」を意味する語なのです。王様が自分の王国を失い、その他のすべてを失い、流浪の人、乞食になり、困り果てることを指す言葉なのです。以前は金持ちでしたが、落ちぶれて、残飯を人々に乞うまでになった、そのことを指す言葉です。「貧しさ」というのは程度があります。乞食をするほどの貧しさではなく、食べることはできるけれども、食べることで精一杯で、余分な物を買うお金がないという程度の貧しさがあります。働かないで食べていけるほど、豊かではない、という程度の貧しさもあります。

 この「貧しい」と言う言葉は、食べていけるけれども貧しい、という程度の貧しさではなく、もっと徹底した貧しさを指す言葉です。バークレイは「『貧しい』ことを表す『プトーコス』は、全く何もない人のことです。」と解説し、「自分のものを全く持っていない人、一枚の貨幣(日本で言えば、一円」さえ持っていない人だけが、乞食(プトーコス)です。」と解説しています。もの乞いをして歩くような貧しさです。全くの欠乏を意味し、少し働いた位では、どうにもならないのです。どうしても他者の豊かさに頼り、助けてもらわないといけない、そういう貧しさであります。

 東大宮教会におりました時に、東大宮駅から近くにあり、駅から歩いて2分位で、電車から教会が見えるので、よく教会に尋ねて来る人がいました。とても困っているので、お金をくれないか、電車賃を欲しい、という人がよく尋ねてきました。お金は上げないで、お昼を食べていない時には、おにぎりやパンをあげたことがあります。食べることにも困っている、誰かが助けないと生きていけないことがあります。

 「貧しい人々は幸いである。」と主イエスが語るのは、これらの人々は自分ではどうすることもできないし、他の者に助けてもらわなくては生きていけないのです。ここでは神が助けてくださるから幸いなのです。神が憐れみを注いでくださるので幸いなのです。食べていけないので、人に食べるものを乞う、生活するための最低限度のものをお願いすることは、落ちるところまで落ちた、恥ずかしいことだ、不幸だと考えるのです。しかし、ここでは、神が助けてくれる、神が憐れんでくれる、それは幸いなことだと言うのです。
 
 「幸い」と言う言葉は、この世の価値観からは全く異なった言葉なのです。幸い、マカリオスは、神との関わりで語る言葉です。私たちは神と共にいることが幸いであると信じているのです。幸いとは、神との関わりで言うことのできるものです。神がみて幸いである、その幸いとは、貧しいことだ、それは神から憐れみをいただけるから、神があなたを深く愛してくださるからです。自分で事業を興して大きな会社にして、富める者となった、サクセスストーリー、成功者の物語を聞くことがあります。こういう人は神の愛や憐れみは必要がないし、自分で生きていけるのです。しかし、貧しくて、神に頼らないと生きていけない人に神は多くの憐れみを注ぐのです。

 ルカによる福音書を読んでいくと、マタイ、マルコによる福音書と比較して、特徴があります。ルカによる福音書を編集した記者であるルカは、あることに関心を持っているのです。お金や財産に関心があるのです。お金を持つことや財産を持つ、所有することに関心があります。ルカ福音書7章で主イエスの足に高価な香油を塗った女性を咎めた者に対して、主イエスは具体的な金額を言いながら、お金を借りる譬えを話しています。12章で、父親の遺産を巡って、ある人が、自分のほうに多く遺産が入るように主イエスにお願いをして、主イエスは金持ちの農夫の譬え話をするのです。そして、15章で、銀貨を無くした女性が銀貨を必死に捜す譬え話をするのです。16章には、会計担当者がお金を使い込んで困り、知恵を働かせて、その危機を脱する譬え話が語られています。そのように、お金を巡っての話が多く語られます。

 ルカによる福音書の譬話には、解釈することが難しいと思われる譬話があります。ルカによる福音書16章19−31節に「金持ちとラザロ」の譬話が語られています。金持ちは、毎日、贅沢な食事をし、酒を飲んで、優雅な生活をしているのです。この金持ちが食事のテ−ブルで汚れたところを拭いて投げたパンくずを食べていたのが、ラザロであるのです。金持ちは死ぬまで何不自由なく、暮らしていて、ラザロは汚れたパンくずを食べて、飢えをしのいでいたのです。二人とも死ぬと、ラザロはアブラハムの膝もとで憩い、金持ちは地獄で苦しんでいるのです。この譬話のポイントは、「ラザロ」と言う名前にあるのです。「ラザロ」という名前は「憐れみを受ける者」と言う意味です。金持ちは、自分で自立して生活ができ、神の憐れみを必要としなかったのです。しかし、ラザロは、自分には何も持つものがなく、ただ神の憐れみを受けるだけなのです。神の愛がなくては生きていけない存在であるのです。

 神にとって価値があるのは、神が愛を注ぐのは、自分で自立し、自分の力で生活ができる者ではなく、自分の中に何もなく、神にしか頼ることができない者で、神が豊かに憐れみを注ぐ者なのです。神の愛の対象は、その人が何もない者なのです。ほんとうに貧しい者が神の愛の対象なのです。
 主イエスは、この世で十分に生きることのできる者、健康な者、に愛を注いだのではないのです。むしろ、この世で生きていけない者、病気の者、苦しんでいる者に愛を注ぎ、癒したのです。

 主イエスは、旧約聖書をよく読み、深く理解していました。旧約聖書では、「貧しい」と言う言葉は、ヘブライ語で「アナウイム」「ア二ー」と言う言葉です。この言葉は、日本語では、「虐げられた者」「あわれな者」「へりくだる者」と翻訳されています。この言葉は、イザヤ書40章から54章にかけて多く用いられています。ユダヤの国がバビロニアに滅ぼされて、国土は焦土となり、焼け野が原となり、エルサレム神殿もなくなり、心の支えもない空虚な心をもって生きている、そのような精神的にも肉体的にも何もなくなってしまった状態を指す言葉なのです。自分が持っていたものをすべて失う、そのような貧しさなのです。

 主イエスがガリラヤで伝道したのは、自分の力では生きていけない人々を相手にしています。重い病を抱えて、治らない人々のところに行って病を癒すのです。誰も自分を相手にせず、人々から軽蔑されている、孤独な人々のところに行って、共に食事をするのです。相手と付き合うと良いことがある、見返りがあるからそうするのではないのです。自分がもっているすべてを相手に惜しみなくささげるのです。見返りを求めることはないのです。ただ相手が、神が愛していることを知るならば、それで満足なのです。そのために相手を愛し続けるのです。自分には何もない、そう自覚し、助けて欲しいと思っている者を主イエスは相手にするのです。

 私たちは自分が貧しい者であることを感じているのです。皆さんは自分を犠牲にするほど、相手を愛していますか。皆さんは、自分を犠牲にするほど、財産を献げていますか。そうはしていないのです。愛において貧しいのです。自分は食べて満足しているけれども、困っている人を助けることをしていないのです。そのような貧しい者なのです。そういう貧しい者が幸いである、と語ります。それはそのような者を神は愛するのです。欠けがある者、罪深い者に神は愛を注ぐのです。「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である」と主イエスは言われました。主イエスが愛してくれなければ、生きることができません。罪ある者の罪を赦してくださらなければ、生きることはできないのです。愛において貧しく、そして神の憐れみがなければ、生きていけないのです。隣人を愛する豊かな心を持っているとは言えないのです。自分のことばかり考えている、心の貧しい者なのです。しかし、そのものが幸いだ、と言うのです。

 宗教改革者マルティン・ルターを研究している徳善義和牧師が、「神の乞食-ルター・その生涯と信仰」という本を書いています。ルターは1546年、62歳でドイツのアイスレーベンという町で死ぬのです。次のように書いています。「マルティン・ルターは、旅先で死にます。その泊まっていた家の机の上に、死の二日前に書いたラテン語の紙切れが残されていました。私たちはそれをルターの遺言というふうに呼んでいます。そのことばの中に、『わたしたちは神の乞食である。それは、ほんとうだ』という一行があります。結びのことばです。『わたしたちは神の乞食だ』というのは、ちょうどルターの生涯をよくあらわしている結びの言葉であったように思います。神様からすべてのものをいただくことによってだけ、私たちは生きることができる。ルターは自分の生涯を、神さまのことばをただ求めて、神様の賜物をただひたすら求めつづけて生きていったというふうに言うことができる。」

 ルターは、自分が神との関わりにおいて、自分の貧しさを知っていたのです。自分が欠けが多く、何もないことを知って、ただ神の憐れみを乞う者でしかなかったのです。自分は神のことを何でも知っている、聖書の言葉を全部覚えていてそのことを誇っていたのではないのです。ただ、神の憐れみを乞い、神のみことばを求めたのです。その意味で、ルターは「貧しい人々は幸いである」という、主イエスの言葉にふさわしい生涯であったのです。

 私たちは、自分の貧しさをよく知っているのです。神がおられるとは思えない、神などいなくても生活ができるのではないか、と思ってしまうのです。それは、貧しさと言うよりも、不信仰であり、実は、私たち誰もが持っている、罪の悲惨なのです。「ハイデルベルク信仰問答」には、人間の悲惨を説くのです。人間は悲惨である、それは何故か、それは生まれながら神を愛することができない、隣人を愛することができない、からだと記されているのです。

 愛に生きようと思って実行しようとしても、自分の愛がいかに相手から報いを求めていることに気付きます。私たちは、悩みを抱えている人を何とかしてあげたい、と思いますが、その悩みを共に悩むことがなかなかできないのです。親子、兄弟、夫婦、そのような近い関係にある者でさえ、相手の痛みや苦しみを分かち合うことは難しいことなのです。自分が愛など持っていない者であることを痛感するのです。

 そのように愛に貧しく、愛に欠けている者に対して、「神の国はあなたがたのものである。」と語りかけているのです。自分が愛に欠け、隣人に対する思いやりがない、と思っている者を、心から愛する神がいる、神がそのようなあなたがたを愛している、と語るのです。貧しい人々は幸いである、と語られた主イエスが、私たちの貧しさを豊かに憐れんでくださり、富める者にされるのです。
 
 富める者に対して神は何もしなくても良いのです。しかし、貧しい者には神が働くところが多くあるのです。地震や水害があっても、被災しなかったところには、ボランティアとして現地に行って助ける必要はありませんが、被災して被害が甚大で困っているところには、多くの人々の助けが必要なのと同じように、貧しい人々には神の愛と憐れみが必要なのです。自分には愛がない、愛が貧しい、そのような者に対して、神は豊かな愛を注いでくださるのです。それによって、神の愛が私たちに行き渡るのです。神が私たちを愛してくださることを信頼して歩むことが、幸いなのです。

20200209  主日礼拝説教  「主イエスの願い」  山ノ下恭二
(エゼキエル書33章10−16節、ルカによる福音書6章12−19節)

 
 2月6日(木)−7日(金)に聖学院大学・冬のリトリートに参加して来ました。リトリートと言う言葉は「退く」と言う意味の言葉です。退修会と呼ぶこともあります。あわただしい毎日の生活から退いて、一人一人が神の前に単独で立ち、自分のあり方を振り返り、自分がこれからどのように生きていけばよいのかを、みことばから聞いて行くのです。仕事中心の生活から退いて、神の前に出て、聖書の言葉に聞き、自分の生活を点検して、日常生活に戻る、そのことはとても大切なのではないか、と思います。「リトリート」の「リ」と言う言葉は、「再び」と言う意味ですが、「トリート」という言葉は「扱う」と言う言葉で、リトリートとは「再びよく扱う」と言う意味の言葉になります。この言葉を、信仰的に、その意味を深めて「神が自分をよく扱ってくださることを改めて知り、これからの生き方を考える機会とする」と言う言葉として使っています。
 1月に説教塾リトリートがあり、富士山の麓の不二聖心・裾野修道院・黙想の家で行われましたが、個室で、祈りをし、礼拝堂でみことばを中心として黙想をすること目的にしています。朝食は沈黙で行いました。私たちも、慌ただしい生活から退いて、神の前に一人で祈り、聖書からみことばを聞いて行く機会が必要です。

 主イエスは、たびたび祈るために山に行ったのです。忙しい生活から、退いて、山に登り、神に祈る時をもったのです。ルカによる福音書6章12節には、「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」と記されています。このところを口語訳聖書は、「このころ、イエスは祈るために山に行き、夜を徹して神に祈られた。」と「夜を徹して」という言葉を用いているのです。主イエスはひたすら祈りに打ち込んで夜が明けるに及んだ、それほど深い祈りを主イエスはなさったのです。この主イエスは、御自身のことばかりでなく、私たちの救いのために祈ってくださったのです。
 
 私たちが忙しい生活からいったん離れ、退いて、自分が何のために生きて行くのか、自分の生き方を改めて聖書から思いを深め、神のみこころを尋ねることは大切なことです。主イエスは御自身のことだけを祈っただけではなく、私たちのために祈ったのです。主イエスは私たちのために執り成してくださるのです。ヘブライ人への手紙では、「大祭司イエス」と言う言葉で呼んでいます。 昔のエルサレム神殿で、民のために年に一度、特別な祈りをした大祭司のことを思い起こしながら、この大祭司なるイエスは、私たちのために執り成しの祈りをしてくださったのです。ヘブライ人への手紙7章24−25節には「イエスは永遠に生きているので変わることのない祭司職をもっておられるのです。それでまた、この方は生きていて、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」と記されています。主イエスは大祭司として、私たちのために執り成しをしてくださったのです。

 ルカによる福音書が、主イエスが「神に祈って夜を明かされた。」と書いてあるのはここと、ゲツセマネの祈りだけです。そこには、明らかに、眠らずに祈りをなさったと受け取ることができるのです。主イエスの御生涯において、主イエスが眠らずに祈りをなさったのは、この時とゲツセマネの祈りの時です。ゲツセマネの祈りは、主イエスが逮捕される前に「御心のままに行ってください」と祈った祈りです。この祈りは主イエスの御生涯において、一つの大きな転機となった祈りなのです。この時、主イエスにとっては大きな危機・クライシス、分かれ道に立っていたのです。あのゲツセマネの祈りが、主イエスの御生涯において決定的な時の祈りであったように、この時にも主イエスの歩みにおいて、祈らざるをえない転機が来ていたのです。
 私たちの生活にも祈らざるを得ないような大きな転機があります。私たちの生活はなかなか自分の思い通りにはいかないものです。自分がしていることを受け入れて喜んでいる人もいるけれども、全く受け入れないで、自分を敵だと思っている人もいるのです。常に反対し、批判する人もいるのです。
 
 このルカによる福音書では、主イエスが、ガリラヤを中心にして説教をなし、人々の悩みに答え、伝道されたのです。本日読んだ前のテキストには、安息日に右手の萎えた人を癒やしたところ、その場にいた人々が、安息日の規定に反したことをしたと言って、主イエスを殺そうと思ったことが記されています。 主イエスの伝道は一方では多くの人々を慰め、癒したけれども、他方では主イエスを憎み殺意を抱くようになったのです。すべての人が主イエスを受け入れなかったのです。主イエスに好意をもった人々もいるけれども、主イエスの存在そのものが問題だ、いないほうが良いと考えた人もいたのです。主イエスは人の心のうちにあることをよく知っていたのです。

 主イエス御自身は、これからどのように生きるのか、神のみこころを問い、御自身の使命を問い、そのことをも含めて山に登られたのです。ゲツセマネの祈りでは、死を直前にして主イエスは、わたしの心ではなく、あなたの御心を知りたいと神に尋ねられたのです。主イエスはこの時、御自分の使命を確認し、何をしなければならないか、御心を問い、人々のために祈られたのです。
 自分が何のために生きるのか、生きる目的を考え、自分の使命は何なのか、改めて考え、神の前に確認することは必要なことです。

 礼拝において、いつも旧約聖書を新約聖書と共に読みますが、説教は旧約聖書のテキストよりも、新約聖書のテキストを中心に説教しています。本日は、旧約聖書のエゼキエル書33章10−16節を読みました。ここを特に選んだのは、理由があるのです。それは、主イエスの使命の意味がはっきり書かれているからです。33章11節に「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない」と語られています。罪人の死を喜ばない、わたしは人が死ぬことを喜ばない神だ、罪を犯したからと言って、ただちにその人が滅びることを求めない、人の悪、人の罪は深い、しかし、主なる神は、悪人の死を欲してはいない、必ず生きると言われるのです。主イエスは、神から離れて、悪を行っている者が救われることだけを願っておられました。このことは主イエスがルカによる福音書19章10節で、徴税人ザアカイの家を訪ねた時に語っているのです。「人の子は、うしなわれたものを捜し出して救うためである。」ここに、主イエスの願いがはっきりと示されています。

 主イエスは神の御心を尋ね求め、すべての人々のために祈ったのです。そして6章13節以下によると、神が命じられたことをすぐに実行したのです。「朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」十二使徒が選ばれたのです。たくさんの弟子がいましたが、その中から12人が選ばれたのです。どうして12と言う数になるのでしょうか。旧約聖書を読んでいる人はユダヤ民族が12部族であることを知っていて、そこから12という数が出て来るということを思うのです。これはモ−セがユダヤの人々をエジプトの地から引き出してカナン(今のパレスチナ)まで長い旅をしたのですが、この旅の半ばにシナイの山に登り、十の戒めをいただき、この十の戒めに従って生きる神の民を作るべく、12部族を整えたのです。12という数は完全数であり、3が天の数字、4が大地の数字、3と4とを足すと7になり、3と4を掛けると12になるといわれています。神の民として、12という完全な部族という理由で主イエスは、神に仕える者として弟子たちの中から、12使徒を選んだのです。
 
 主イエスは弟子たちを集め、そして使徒を選び、そしてこの世界に遣わしたのです。使徒という言葉はアポストロスという言葉で、「遣わされた者」「派遣された者」という意味の言葉です。教会はエクレシアと言い、集められた者、呼びかけれられたもの、と言う意味の言葉です。教会は神によって集められた者の集いです。礼拝の初めに、招きの言葉がある、神が人々を招いて呼び集める、そして礼拝の終わりに、神の祝福を受けて、この世界に遣わされる、派遣されるのです。礼拝は寄り合いの集会で人々の交わりのためにあるのではないのです。人に遭うために来るものではないのです。一般の集会のような集会ではないのです。神を礼拝するために集まっているのであって、社交場ではないのです。自分の家から、教会に来て、また家に帰るということではなくて、この世界から集められ、礼拝をしてこの世界に派遣されるのです。私たちには使命があるのです。主イエス・キリストの福音を伝える、そういう使命が託されているのです。

 12人の顔ぶれは、どのようなものであったのでしょうか。よく知っている名前もあります。また余りなじみのない名前もあるのです。皆さんがよく知っている名前は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、マタイ、トマスです。原文では、マタイとトマスが組になっています。この二人は正反対です。マタイは徴税人であり、徴税所にいたときに、主イエスについてきなさいと言われてついて来たのです。トマスは反対で、主がよみがえられた後で、そのよみがえりをなかなか信じなかったのです。性格や生き方が違っている者たちを、弟子としたのです。そして誰もが優れた能力があったのではないのです。弟子としてのテストに合格して、体力にも知力にも優れ、主イエスを信じる信仰を持っていたと言うのでもないのです。主イエスの心の中にある思い、志、を全く分からない者たちであったのです。これらの人たちを教会の柱になるべきものとして、この12人の者を使徒として立てたのです。

 主イエスが使徒として選んだ人々は、この世の基準において優れている人々ではなかったのです。神によって集められた教会の私たちも、特別に優れているわけではないのです。性格も異なり、年齢も違い、体力も、能力も異なるのです。しかし、そのような私たちを立てて、キリストの証人として立てて下さったのです。私たちはキリストの証人であるのです。自分がキリスト者であることを公にし、日曜日に教会に行っていることを出会った人に話している、そのことが大切なのです。ただ、私たちは神の憐れみにより、選ばれた者なのです。
 
 パウロはコリントの信徒への手紙一 1章26−28節で、神の選びについて語っています。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵ある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。」
 
 弟子たちの性格が、種々雑多で異なっているだけではないのです。このルカによる福音書にはっきりと記されているのですが「裏切り者となったイスカリオテのユダ」と書いています。裏切り者まで含み12人の使徒たちをここで選んでおられるのです。主イエスを銀貨30枚で売り渡したユダが使徒たちの中に入っているのです。ユダが排除されていないのです。そしてペトロも排除されていないのです。主イエスにどのような時にも従っていきますと言ったペトロはいざとなれば、主イエスとの関わりを否定してしまうのです。そのようなペトロも排除されていないのです。優れた知識と能力、しっかりした信仰がある人々だけが選ばれていたとすれば、私たちはこの教会にはいられない。私たちは選ばれていながら、自分の弱さと罪、不完全さによって、主イエスにしたがってくことができないのです。
 
 ここでは「弟子」と呼ばれていないのです。「使徒」アポストロス、派遣された者です。使徒という名称は、キリストの証人と言うことです。この使徒は、キリストがよみがえられたことを証しする使命を委ねられたのです。キリストの死は、私たちの救いのためであることを証しすることです。キリストの復活の証人である使徒たちは、十字架を宣べ伝えるのです。キリストのよみがえりは、私たちのためと、命をかけた証人として、これらの人々が立てられたのです。
 
 旧約聖書のエゼキエル書33章11節に「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない」
と書かれています。普通は悪人は悪いことをしたのだから、報いを受けて死と言う罰を受けて、いなければ良いと考えます。しかし、そうではないのです。「むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」と語ります。罪を犯したからと言って、ただちにその人が滅びることをわたしは求めない、と言うのです。
 私たちは、主イエス・キリストの十字架の死と復活が、私たちの罪を贖い、救いの神のわざであると信じ、この福音を携えて、この世界に派遣されて、人々にこのうれしい知らせを伝えるように派遣されているのです。この福音を託されているのです。礼拝をして聖書の話を聞いて、自分の家に帰るというのではないのです。私たちは集められて、派遣される存在なのです。

 ルカによる福音書6章17節以下に「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らかな所にお立ちになった。」と語られています。そして、大勢の弟子たち、おびただしい民衆が「イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために」そこに来て待っていたのです。待っていた人たちの中に、主イエスは一人ではなく、この使徒たちと共に下りてこられたのです。人々の悩みの中にもう一度、戻って来られたのです。主イエスは、使徒たちの中にいたのです。今で言うならば、教会の私たちの中にいて、一緒に、救いの業のために働いてくださるのです。

 主イエス・キリストが12人を使徒として、主イエスと共に、神の福音を伝えるために選び、各地に派遣したのです。ここに教会の原型があります。私たちは、キリストの使徒なのです。その自覚をもって、福音を伝えることに専心していきたいのです。

20200202 主日礼拝説教  「安息を与えられて」  山ノ下恭二
(出エジプト記23章12−13節、ルカによる福音書6章1−11節)


 2月6日から7日まで、聖学院大学の学生修養会がありますが、今年の主題は「働きアリの限界−その時に気付くキリギリスの大切さ」と言う題です。この主題は、実行委員の学生たちが話し合って決めた題ですが、今の時代をよく反映していると思いました。電通の女子社員が長時間の残業のために過労自殺をしてしまった、そのようなことがよく起こってきていて、政府も無視できず、やっと重い腰をあげて、働き方改革と言うようになったのです。朝早く家を出て会社に行き、帰りは終電に間に合えば良い、睡眠時間が少なくて、次第に心身共に疲れてくる、会社では上司からノルマを達成するように厳しく言われ、次第にうつになって自殺をする、そのようなケ−スが後を絶たないのです。
 「働くアリの限界−その時気付くキリギリスの大切さ」と言う主題をなぜ、この修養会で設定したのでしょうか。学生たちは、労働と休息の主題をなぜ選んだのでしょうか。学生に差し迫っていることがあるからです。それは就職して仕事場を捜すからです。大学3年生になると就職活動をするようになり、エントリーシートを書いて就職希望先に出さなければならないのです。ただ使い捨てにするような就職先ではなくて、福利厚生がしっかり備わっていて、自分が働きたい仕事をして、快適に休むことができる仕事先を捜そうとしている時なのです。そのような中で、働くことと休み楽しむことのバランスが取れていることを希望しているのです。会社のために貢献するということではなくて、自分の存在が認められて、自分の働きが社会に自分に役に立っている仕事場を求めるのです。生活のためにただ働くことに価値を置くのではなくて、自分の人生をより豊かな、意味あるものとするために、休むことにも視野に入れて就職活動をしたいのではないかと思いました。ここで問題なのは、休むということはどのような意味があるのか、休息とはどのような内容なのか、と言うことです。
 
 本日、旧約聖書の出エジプト記23章12−13節を読みました。23章12節には「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめなければならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」とあります。この「仕事をやめなければならない。」とある「やめる」と言う言葉が「安息」と言う言葉です。仕事を「中断する」それが、「安息」と言う言葉の元々の言葉です。仕事をやめて、仕事を中断する、休む、ということです。

 現代は、月曜日から金曜日(土曜日に)仕事をし、土曜日・日曜日(日曜日だけ)休息する、休む、というリズムの中で過ごすと言う意識をもっている人が多いのです。働くことと休み楽しむことがバランスが取れていることが良いと考えているのです。休みなく働いて、過労死することは良いことではないと考えています。 確かに、仕事を継続していくことではなくて、仕事を止めて、働きを中断して、休むことは必要です。ただ問題は休息とは何か、どうしたら休みになるのか、と言うことです。

 キリスト者は日曜日を一週間の生活の始まり、起点にして生活を始めます。礼拝で神の言葉を聞いて、礼拝を一週間の生活のあり方の基本としているのです。一般的には、月曜日から一週間が始まり、土曜日と日曜日に労働の疲れを癒すために気分転換したり、買い物や旅行をしてその時を過ごし、次の月曜日に労働を始める、そのように過ごします。私たちキリスト者と一般的な人々とは生活の仕方が異なるのです。それは、日曜日に礼拝をすることによって相当、変わってきます。
 日曜日の礼拝を教会によって聖日礼拝と呼んだり、主日礼拝と呼んだりしていますが、主の日と日曜日と呼ぶほうが、聖日と呼ぶ呼び方よりも古いようです。主の日という呼び方はどこから生まれたのでしょうか。それは主イエスがよみがえられた日を主の日としたのです。この当時、安息日は一週間の終わりの日、金曜日の夕方から土曜日の夕方です。しかし、主イエス・キリストは日曜日の朝によみがえられたので、この日をわたしたちのいのちの始まりの日として、安息の日としたのです。

 ユダヤの人々は、安息日を非常に重要だと考えて実践してきました。なぜ安息日を大切にするようになったのか、私たちはよく考える必要があります。この「安息」という言葉は「中断する」「止める」と言う言葉です。仕事を止める、仕事から離れる、という意味があります。六日間、一所懸命働いて来て、今、仕事を終える、そこから離れるのです。それは、旧約聖書の創世記1章、2章が伝える神の安息に対応しているのです。主なる神が六日間、働いて、天地を創造された、この世界を見て満足し、この世界を祝福し、神が深い満足をして安息されたのです。私たちの人間の安息とは、そのような神の安息の中に身を置くことです。神と共に休む、神と共に憩うのです。一所懸命働いてきた、その働きを止めて、中断して、神を仰ぎ、憩うのです。そして、神を賛美し、神の言葉を聴くことによる喜びを味わう日なのです。
 ところが、ユダヤの人々は、神が休まれたから自分たちも安息日を完璧に守らなければならないと、細かい規定を作ったのです。出エジプト記20章8−10Aには「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」とあります。十戒の第四の戒めです。この安息日の規定には、安息日には「いかなる仕事もしてはならない」とあるので、仕事をしないとは実際、どのようなことかを考えたのです。休むとは生活の中でどのようなことかを問い始めたのです。安息日には、家事、料理、洗濯もしてはいけない、何歩、歩いたら、働いたことになるのか、と考え始めたのです

 ルカによる福音書6章には、主イエスと弟子たちが麦畑を歩いていたとき、弟子たちが麦の穂を「摘んだ」のです。しかも「手でもんで食べた」のです。「摘む」というのは刈り入れを意味します。「手でもむ」というのは、脱穀を意味します。つまり弟子たちは農作業をしたことになり、これは立派な労働になると考えたのです。また別の安息日に主イエスが会堂に入って説教をしていた時に、右手の萎えた人がいて、その人を主イエスが癒したのです。これは医師の仕事・医療行為をしたことになるのです。これは、安息日にしてはならないこととして、禁じられていたのです。この二つとも、この当時の安息日の規定に反しているのです。神が安息したのだから、自分たちも安息する、それは仕事を止めて、中断して、神を中心に神に心を向けて、能動的な、自分から働くことをしない日だとするのは間違っていないのです。
 しかし、働かないとはどのようなことか、どういう形をとれば休むことになるのか、形がひとり歩きすることになると、問題であるのです。料理をしなかったので、安息日を守ったと思う、洗濯をしなかったので、神の求めるような、安息日にふさわしい過ごし方をしたと思う、ということになるのです。
 安息日にユダヤ人たちは、何に気を使ったのでしょうか。それは働かないようにするために、気を使ったのです。
 
 安息日が設けられた、最初の目的は、自分を主体にして能動的に働いていた者が、その仕事を中断して、自分のことを止めて、神に心を向けて、神に明け渡して、神の言葉を聞いて、安らぐことが、安息日が作られた目的なのです。 しかし、この当時のファリサイ派の人々は、その目的から離れて、どのようにしたら、労働にならないか、ばかりに気を取られて、それを守らない人を告発していたのです。主イエスの弟子たちが、麦畑で、麦を摘み、手でもんだ、それは安息日の規定に違反していることをファリサイ派の人々は、主イエスに指摘したのです。これに対して、主イエスは、ダビデのことを話したのです。

 ダビデの話はこういうことです。ダビデはサウルに追われて逃亡の旅をしていて、追い詰められて、自分と家来たちがしばらく飢えをしのぐために、たった五つのパンを、しかも既に聖められて神様にささげられていたパンを、祭司から無理やりに取り上げて、自分たちのものにしてパンを食べたのです。主イエスはダビデがしたことを例にあげて、してはならないと決められている法をも超える自由があることを語ろうとしたのです。
 
 主イエスは、ダビデが、自分や家来たちの飢えを防ぐために、法を破ったではないか、と語って、安息日の掟を乗り越えることは許されている、と語るのです。ここで注目したいことは、ダビデと家来たちが飢えていたことです。空腹ということはとても辛いことです。またルカによる福音書と同じ物語である、マタイによる福音書12章1節には「弟子たちは空腹になったので、麦の穂を食べ始めた。」とあります。食べることは人間のいのちを支えるために必要であるのです。

 6章6節からは主イエスが安息日に説教をしながら、気がついたことがあったのです。あっ、あそこに右手の萎えた男がいる、右手が萎えて、不自由で、労働するのも難しい、この男の心の中にある悲しみに、主イエスは深く同情されたのです。そのような時にも、安息日の掟を守り、縛られなければならないのか、と主イエスは問われたのです。ルカによる福音書6章9節以下で「そこで、イエスは言われた。『あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか』」
 主イエスは、善を行うのか、悪を行うのか、どちらかである、と言うのです。道を通っていて、怪我をして倒れていた、そのことを知りながら何もしなかったら悪を行うことになる、逆にその人を助けるために救急車を呼んで助けようとするならば、それは善を行うことになるのです。それは人のいのちを救うことであり、ここではこの男を救うことになるのです。この男を癒さなければ、それは悪いことをすることになるのです。悪いこと、それはいのちを奪うこと、殺すことになるのだ、それが分かるか、と言われたのです。人のいのちを生かすことこそ、それは善であると言われたのです。

 ユダヤの人々は、安息日は神のものとして過ごす日であるから、何の労働もしてはならないので、完璧に何もしないほうが良いと考えて実践しようと心がけていたのです。しかし、主イエスは、それが安息日の本来の目的であるか、と問うのです。

 出エジプト記23章12節には「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめなければならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」この言葉によく気をつけて読みたいのです。「七日目には仕事をやめなければならない。」と書いてあるところで、ただ、あなたの肉体を休ませなさい、とは書いていないのです。自分のからだを休ませることではなく、六日のあいだ、自分のためにせっせと働いてくれたものたちを休ませることを何よりも大切にしなさい、と書いてあるのです。自分が休んで、自分のために働いてくれているものたちに、働いていることを当然だ、と思うのではなくて、休ませるのです。
 会社で、働き方改革で残業をしないで早く帰るように言われていても、会社の上司が残業をしてなかなか帰ろうとしない中で、部下である自分が、帰ります、お疲れ様と席を立つことはできないように、自分が休むのは、自分のためではなく、牛、ろば、更に女奴隷の子を休ませるためだ、と言うのです。自分が休むことを優先するのではなく、自分よりも弱い立場にある人たち、動物を休ませるのです。
 しかも「女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」と書いてあるのです。寄留者と言うのは他国民であり、最も立場の弱い人々です。これらの言葉は、私たちが心に刻む安息の姿です。安息、休息、というと、私たちは何よりも自分が休めるか、休めないか、ということにこだわるのです。そして、ほかの人、ほかのものを休ませることに心を使うことが少ないのではないでしょうか。

 出エジプト記23章4節−5節には、ほかの人のことだけではなくて、他の人が持っているものをほんとうに大切にして、そのことに心を配るようにと戒められているのです。自分の敵、自分がよく思わない者の牛、ろばが迷っている、あるいは荷物の下に倒れているのを見るときは、見捨てないで助けるようにと書かれているのです。「あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。もし、あなたを憎む者のロバが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。」このような相手の存在、その所有物である牛、ろばに対する生命の尊重、心配りが戒められているのです。
 
 主イエスは安息日の規定を守ることよりも、生活している人々に対する深い思いやりをもって隣人を愛することを優先しているのです。それは同胞のユダヤの人々だけに限らず、その範囲を広げて寄留者をも相手にしているのです。23章9節に、次のように書かれています。「あなたたちは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは、エジプトの国の寄留者であったからである。」あなたがたもついこの間、エジプトの国に寄留者として、異邦人として生きて、その悲しみ、孤独を知ってるはずだ、故郷を離れて、他の国の人々のあいだに生きるみじめさ、苦しさを知っているはずだ、その者たちの悲しみを分かち合うことができないのか、と書いてあるのです。

 出エジプト記22章20節から26節までには「人道的律法」が印されていて、他の人をほんとうに大切にするように心を配るように戒められています。22章20節20節には「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」と書かれています。「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」と戒められていますし、「高利貸しのようになってはならない」と戒められているのです。このように隣人を愛する、それも自分の身の回りにいる人たちだけではなくて、この社会で苦しんでいる多くの人たちを覚えて、心を配ることを戒めているのです。

 安息日とは神に造られた者が、神の祝福を受け、心から憩う時です。そのような時に、神の祝福、憩いから洩れている人がいるのに、その人たちを無視し、自分たちだけが安息を守っていると誇ることはできないと語られているのです。

 私たちは日曜日を労働の疲れを取る休息する日ではなくて、神によってまことの安息を与えられる日と理解しています。日曜日を礼拝を守る日として実践しています。このことの意義は大きいのです。私たちは、生活をしていくうちにだんだん自分が誰であるか、わからなくなってきます。さまざまな言葉を聴いて混乱し、複雑な人間関係を持ち、悩みを抱え、失敗したり、苦しんだり、しています。そのような時に、日曜日の礼拝でみことばを受け、自分は神に愛されている大切な存在であり、神のものだ、ということを知らされるのです。 日曜日の礼拝に出席して、自分が神に愛されている存在であることを確認することができるのです。自分が神に愛されている存在であることを自覚するだけではなく、その愛が隣り人への愛へとつながっていくのです。
 労働と休息のバランスをどう取るのか、どのように休めば、仕事が続くのか、どのような仕事をすれば快適に過ごすことができるのか、そのことだけを考えるのではなくて、日曜日に礼拝に出席して、神が与える安息にあずかることが大切なのです。

20200126 主日礼拝説教  「新しいぶどう酒は新しい革袋に」  山ノ下恭
(エレミヤ書31章1−14節、ルカによる福音書5章33−39節)


 私は、聖書の中でとても重要な言葉ですけれども、長い間、誤解してきた言葉があることに気がついたのです。それは私だけではなくて、多くの人が誤解している聖書の言葉であると思います。その言葉は「悔い改め」と言う言葉です。「悔い改め」と言う言葉は聖書特有の言葉ですが、「悔い改め」と言う言葉に「悔い」と言う言葉があるので、誤解するのではないか、と思います。「悔い」と言う言葉を私たちはよく使います。「悔いが残る」「後悔する」と言う言葉をよく使います。今から考えるとあの時、そうしなければ良かったと「悔いる」、「後悔する」と言うことがあります。過去にした失敗や過ちを思い返して、そうしなければ良かったと「悔いる」「後悔する」という言い方をします。
 私たちの経験から、過去に自分が何か失敗したり、過ちをして、親や学校の教師から「反省しなさい」と言われて、反省することがあります。「悔い改める」という言葉は「悔い」と、「改める」と二つに分けられる言葉だ、と理解して、「悔い改める」ことは「悔い」て「改める」と言う、自分の心の動きのことだと理解するのです。「悔い改め」とは、過去に自分がした過ちを悔いて、二度とそのようなことはしないと決心することと理解する人も多いのではないか、と思うのです。
 
 「悔い改め」と言う言葉は、聖書の言葉で、特別の意味があるのですが、今までの自分の経験の中で理解してきた、その中で聖書の言葉を理解するので、誤解することになるのです。過去に自分が過ちを犯し、失敗したことを深く反省して、そのようなことを二度としないと決心するという意味で理解している人も多いのです。そうすると、「悔い改め」とは私たち自身の側の行為になります。

 しかし、「悔い改め」と言う言葉は神のところに「帰る」ことです。預言者がイスラエルの民に「帰れ」と説教しているのです。悔い改めとは神のもとに帰ることであり、Uターンすることです。自分が間違ったことをしていることに気づいて、神のところに帰ることです。神のもとに帰った者を神が受け入れてくださる、そのことが「悔い改め」と言うのです。神が罪を犯した者を無条件で受け入れることなのです。どろんこ遊びをして体も服も汚れて、家に帰って来た子どもを、親は無条件で受け入れるものです。子どもに、自分で体と服を洗って綺麗にしたら、家に入れてやる、という親はいないはずです。いつでも帰って来た子どもを親は受け入れるのではないでしょうか。

 この朝、私たちに与えられている聖書の言葉は、ルカによる福音書5章33節から39節までです。33節以下に主イエスの御言葉が記されていますが、これが語られていたのは、一つの具体的な出来事がきっかけで語ることになります。先週の礼拝で学んだ27節から32節までに記されていることです。本日の説教と深く関わるので、改めてこのところをもう一度、考えたいと思います。
 レビという名の徴税人がいて、ユダヤ人でしたが、この当時のユダヤの社会を支配していた、まことの神を拝まないローマ帝国のために働いている人です。当時の権力者に仕えて、人々からたくさんの税金を取り、自分の立場を利用して金儲けをやっていたのです。そのレビが、私について来いと言われた主イエスの弟子になったのです。そのレビが主イエスを自分の家にお連れして、主の弟子たち、レビ自身の仲間、皆を集めて、主イエスのために盛大な宴会を催したのです。ところがその席にファイサイ派の人々や律法学者もいたようです。徴税人というのは、人々から一人前に扱われない「おちこぼれ」です。それに対してファリサイ派の人々や律法学者たちは模範生です。その当時の社会において、人々が信仰においても、道徳の生活においても崩れていく中で、自分たちだけは信仰の筋道を整えようと一所懸命に励んでいた優等生でした。その優等生と落第生とが、ここでは同じ場所にいるのです。

 同じところにいて特に優等生の方が、なぜ主イエスがこの人々と一緒にいるのか、同じ食卓にいるのかと呟いたのです。そこで、まず主イエスの弟子たちを責めたのです。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」なぜ、これらの人々と同じ食卓につくことができるのか、汚れている人々と同じ食事をするのは、罪人の仲間ではないか、このように弟子たちに問うたのです。これらの問いに答えられたのは、弟子たちではなかったのです。主イエス御自身であったのです。この食事が成り立ったのは、主イエスがそこにおられるからでした。優等生と劣等生だけでは、この食事が成り立ちようもなかったのです。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」主イエスは、わたしには優等生も落ちこぼれも、そのような区別は成り立たないと言いたかったのです。そこで区別があるとすれば、むしろ徴税人、罪人たちこそ、わたしが一緒に食事をしたい仲間である、と言おうとしています。わたしが、その人々を招いている、と主イエスは語られているのです。

 ここでとても大切なことを主イエスは語っています。「罪人を招いて悔い改めさせるために。」と言う言葉です。「悔い改める」とは、元のところに帰って来る、という意味の言葉です。悪い道を歩み続けていた者が戻って来る、という言葉なのです。ただ、帰って来て、「ただいま」というだけではすまないのです。「どうも申し訳けありません」とお詫びするのは当然ですし、生き方を根本的に改めることです。このルカによる福音書には、「ザアカイ」の物語があります。やはり徴税人でたくさんお金を持っていた、主イエスと出会って悔い改め、回心して、今まで持っていた財産を献げることをするのです。「悔い改める」と言うことは、「悪いことをしたと反省した」「悪いと思った」という心の動きで終わるものではなく、主イエス・キリストによって与えられた罪の赦しの恵みを感謝して、献げる、その生き方に転換することになるのです。ここで大切なことは、自分の罪を認めることです。自分のこれまでの生き方に染みついているような罪を認め、悔い改めることです。

 「ファリサイ派の人々や律法学者たち」は、30節に続いて二番目の質問をしたのです。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」断食については、ファリサイ派の人々や律法学者たちが以前から気になっていたことがありました。それは主イエスも弟子たちも、あまり断食をなさらなかったらしいのです。しかし、主が断食を重んじる心を知ってはいるのです。一定期間、食を断ち、祈りに専念するのです。ご馳走を食べお腹一杯になりながら神に祈るのではなくて、むしろ飢餓感に耐えて、祈りに徹するのです。時に洗礼者ヨハネはいなごを食べ物にしていたというので、ヨハネのその弟子たちの生活も断食を特色としていたようです。粗食、断食を重んじていたのです。ファリサイ派の人々はこれを高く評価していたのです。ファリサイ派の人々自身、一週間に二日、必ず断食をして祈りをしていたのです。これはなかなかたいへんなことです。日曜日から土曜日までの二日間、ものを食べないで過ごすのです。その間、一所懸命にお祈りをするのです。なぜ、そのようなことをしたのでしょうか。

 旧約聖書を初めから読んでみると、その信仰の歴史の最初からユダヤの人々が熱心に断食をしたとは書いていません。もちろん、大切なときには断食をしたのです。たとえば、モーセが神にお目にかかるときは、断食をしています。しかし、断食が日常生活で行われる、一週間に二日、断食をするようなことは、ずっと後の時代に行われるようになったのです。ユダヤの人々の国がバビロンに破れ、エルサレムの都も陥落し、支配される、その頃から断食が日常生活で行われるようになったのです。国が破れ、エルサレム神殿が徹底的に破壊されたこと、このことを悲しみ、しかもこの悲しみの現実が続く、その悲しみの底にあるのは、神が自分たちを捨ててしまった、なぜ、神が自分たちを捨ててしまったのか、それは、自分たちが罪を犯したからである、と思っていたからです。自分たちが神に背を向け、律法を守らず、契約を破ってしまったからだと考えたのです。その罪を嘆き、悔い改め、悲しむとき、ご馳走など食べていられないのです。これは私たちも知っていることです。悲しみのあまり、食物も喉に通らないことはよくあります。悲しい、悲しい、と涙を流しながら、目の前に出されたご馳走をぱくぱく食べていたら、この人はほんとうに悲しんでいるのか、と疑うと思います。

 このところは、自然の心の動きのこととして、罪を悲しみ、食事もできないということだけではなくて、もっと積極的に考えているのです。自分の罪を悲しむ、その悲しみを断食は表現していると考えたのです。誠実な生き方をする人は、誠実のしるしにも断食するのです。信仰に熱心なものは、食べ物を断つことが当然であると考えていたのです。ここのところが、このファリサイ派の人々のいちばん大事な質問の要点なのです。

 このファリサイ派の人々の質問を、その気持ちで表現するとこうなります。あなたとあなたのお弟子さんたちは、今、レビの家で宴会をして、たらふく食べたり、飲んだりしている、それこそ、愉快にやっていた、しかし、考えて下さい、あの徴税人たちは悔い改めていますか。今までのことが悪かったとお詫びしていますか。今までのことが悪かったと一日、断食したら良いのではないか、レビが断食をする気がないならば、イエス様、あなたやあなたの弟子たちが勧めて、罪を悔いることは、食を断つことだ、と教えるのがほんとうではないですか。断食して、神様、私は悪かったとお詫びの祈りをさせるのがあなたの務めではないのですか。愉快に飲み食いをしているのは、罪を認めていることと矛盾しているのではないでしょうか。ファリサイ派の人々は、主イエスにそのように言ったのです。

 このようなファリサイ派の人々と律法学者の考え方は、私たちと無縁なものではありません。私たちの教会に、私たちの生活の中に同じような考え方があり、対立するのです。今のキリスト者は堕落している、もっと誠実に生きるべきである、と思っているのです。礼拝にはよく休むし、献金もわずかしかしない、と思うのです。逆に全く別の考え方をしている人もいるのです。教会はまじめすぎる、酒を飲んでどこが悪いのか、主イエスは酒も飲み、飲食を楽しんだではないか、だから大いに飲もうではないか、酒を飲めば、本音でつきあえるし、互いに仲良くできるではないか、と。ただ飲食を楽しめば、それで主イエスに近くなったということではありません。いちばん大切なことは、あくまでも罪を悔い改めることです。罪を悔い改めるということは何か、真実に悔い改めているということはどういうことか、ということです。

 主イエスは、人々の問いに対して、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。」そう言われたのです。この花婿は主イエス御自身です。わたしがここにいる、わたしがここにいるということは、わたしと一緒にいる人々にとっては、婚礼が、結婚の喜びがここに飛び込んできたようなものだ、と語るのです。

ただ悔い改めるという行為が喜びを作るわけではないのです。過去の自分の罪を思い返して、自分を責める、それが喜びになるわけではないのです。自分の罪の思いを捨てて、神のもとに帰ろうとする、そのような悔い改めを主イエスが受けとめてくださるのです。悔い改めを求め、それを求める主がここにおられるのです。その主イエスが、徴税人レビの罪を赦しておられるのです。その徴税人が今すでに、主イエスの弟子になっているのです。花婿イエスが来られることによって、そのような喜びの現実がもたらされているのです。

 この花婿の言葉に続いて、36節以下では主イエスは新しい着物と古い着物、新しいぶどう酒と古い革袋という譬えを用いて更に教えておられるのです。これは、主イエスがここで初めてお語りになったというのではなくて、当時の社会において新しいものと古いものとを、そう簡単にくっつけるなという教訓を含んだ諺があったと思われます。
 この諺を付け加えて、主イエスは何を教えようとされたのでしょうか。主イエスがおられるということは、決定的に新しいことだということです。主イエスと共に生きることは、全く新しいことだ、と言いたいのです。古いものとは断絶した新しさを持つのです。これまでの古いものを捨てず、それに新しいものをちょこっとくっつけるわけにはいかないのです。古いものは捨てきれないけれども、新しいものもよさそうだからと言って、古いものに新しいものをくっつけて成り立つ信仰生活はないと言うのです。

 38節に「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』というのである。」と主イエスの言葉が記されています。実は、この花婿の譬、ぶどう酒や着物の譬は、マタイ9章、マルコ2章にも同じように伝えられています。この39節の言葉だけは、ルカによる福音書だけが伝えている、主イエスの言葉なのです。
 古い酒を飲んでみる、古い酒は飲んでいて口当たりが良い、と言われています。この『古いものの方がよい』と書いてある言葉は、お酒の味としてはまろやかであり、口当たりが良い、飲みやすいと感じる、それに反して、新しい酒はなじまない、口に含んだ時に、拒否したくなるのです。だから、古いものに慣れている人間は、なかなか新しいものを受け入れることができない、そのような意味で語られているのです。

 お酒の話でかなり意味がわかるのですが、ここでの話は、悔い改めの話です。悔い改めは、喜びの中で起こるのか、あるいは悲しみになるのか、と言うことです。ファリサイ派の人々や洗礼者ヨハネの仲間は、悔い改めるということは、嘆くこと、お詫びをすること、厳しく自分を責めることと考えていたので、悔い改めは、悲しみになると考えていたのです。古い酒を飲み、まろやかな舌触りのよい酒を飲むほうが良いように、悔い改めの悲しみにあって、自分を責めているほうが居心地がよい、そのようにいつまでも、自分にこだわり、自分のしたことから解放されないのです。そういう古い酒を楽しむ、古いものがよいとそこに安住してしまうのです。

 しかし、そうではないのです。新しいぶどう酒がそこにあるのだから、飲まないということはあり得ないのです。いつまでも、自分のしたことにこだわり、過去の罪から解放されないのは、古い酒を飲んでいるようなものです。罪ある者の代わりに主イエス・キリストがその罪を贖ったのであるから、自分の罪はないし、自分を責めることは必要がないのです。主イエスが私たちの罪のために死なれて、それで終わりではなくて、甦られる、罪に勝利したのだから、いつまでも自分を責めることはないのです。甦った主イエスはガリラヤの湖辺で弟子たちと一緒に喜びの食事をなさったのです。

 悔い改める、と言うことは、自分の罪を責める、ということではないのです。
本来、自分がいるべきところに帰って行くことです。私たちが神のもとに帰って行く時に、神は主イエス・キリストによって私たちの罪を赦し、受け入れ、私たちがそこにいることです。悔い改めることは、喜びなのです。自分が悔い改めている、そのことを表現するために、断食をし、罪に悲しむ姿を見て、神は受け入れるのではないのです。神から離れている者が、神のもとに帰って来る、それを神が受けとめ、自分を愛していることを知って、悔い改めるのです。キリストの赦しがここに、キリストにある喜びがここにあるのです。

20200119 主日礼拝説教  「あなたは神に招かれている」  山ノ下恭二
(イザヤ書42章1−9節、ルカによる福音書5章27−32節)


 この礼拝でルカによる福音書を学んでいます。マタイ、マルコ、ルカ、の福音書は、同じ物語があるので、この三つの福音書を共観福音書と呼んでおりますが、この三つの福音書にもそれぞれ特徴があります。マタイ、マルコの福音書には余り使われていない言葉が、ルカによる福音書では多く用いられています。その言葉は「悔い改め」と言う言葉です。「悔い改め」と言う言葉は「自分のしたことを反省する」「悪かったと思う」という意味で捉えている人も多いのですが、この言葉は「方向転換する」、車の運転で言えば「Uタ−ンする」と言う言葉です。本来、あるべきところに帰っていく、今までの生き方を止めて、本来あるべき生き方を取り戻すことです。神のもとに帰って、本来の生き方をする、ということです。

 本日の礼拝で私たちに与えられた聖書の言葉は、ルカによる福音書5章27節から32節までのみことばです。ここは三つの部分からなっています。一つは、徴税人レビが主イエスの弟子になったことです。そしてその家で宴会が主イエスとレビとレビの仲間たちによってなされたこと、そして最後に、この宴会をきっかけにファリサイ派の人が質問したことに対して、主イエスがわたしが来たのは罪人を招くためだと明瞭におっしゃったことから成っています

 この物語は、マタイ、マルコ福音書にも記されています。しかし、このルカによる福音書は、マタイ、マルコ福音書と異なった書き方をしています。ルカ福音書のこのところを読んでいて余り気がつかないかも知れませんが、マルコ福音書と比較すると違うところがあるのです。5章30節には「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」とあります。この書き方はルカ特有な、独特な書き方です。たとえば、マルコ福音書とどこが違うのか、と言うと、マルコ福音書2章16節(p64)にはファリサイ派の人が弟子たちに対して「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか
」と問うているのです。マルコ福音書では、弟子たちに、主イエスの行為をなじっているのです。しかし、ルカによる福音書では、弟子たちそのものの行為が問われているのです。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり、食べたりするのか。」

 マルコ福音書では、主イエスの行為が非難されていますが、ルカによる福音書では、弟子たち、「あなたたち」が非難されているのです。このことは、ルカによる福音書を生んだ、その頃の教会の問題が投影されている、映し出されているのです。ルカ福音書を編集したルカはパウロの仲間でした。使徒パウロはユダヤ人だけに伝道していてはいけないと考えていました。異邦人、ユダヤ人以外の人々に主イエス・キリストの福音を伝えたのです。このパウロがしていることに反対していた人々がたくさんいるのです。異邦人にイエス・キリストの愛を伝えることなどもってのほかであると考えていた人たちがいたのです。神が選んだユダヤ人だけが神の愛の対象であると考えていたのです。

 ルカのいる教会には異邦人がたくさんいたのです。異邦人だけではないのです。他の人々もいたのです。パウロの手紙を読んでみると、当時の教会で同じ人間として扱われなかった奴隷が教会員として他の人々と並んで生活をしていたのです。この当時の教会の人々はよく食事を共にしていたようです。夕食の食卓を囲んで、食べ、飲んでいたのです。そこにユダヤ人も、異邦人もいたのです。ギリシャの人も、ローマの人も、アフリカの人も、奴隷もいたのです。あるいは、前科者がいたのです。この当時の社会の常識からすれば、神を信じてキリスト者である人々の中に、いるにはふさわしくないと思われた人々がいたのです。そのことに対する批判があったのです。一緒に食事をしている人々は、いったい、いかなる者なのか、どうして、異邦人が、奴隷が、前科者が、教会にいて一緒に食事をするのか、と問われたのです。それに対して、教会にいる人々が、人間は平等だ、差別は良くない、と説明をしたわけではないのです。質問に答えて、それは、主イエスがなさったから、主イエス・キリストがその問いに答えておられる、と確信していたのです。主イエス御自身の答えの中に、自分たちがしていることの根拠を見出していたのです。主イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と語られるのです。主イエスが来られたこと、主イエスがなさったことによって、今、異邦人、奴隷、前科のある者を教会に招き、共に食事をすることができている、と教会が答えることができるのです。

 最初の教会の時から、奴隷も、ユダヤ人も、異邦人も、肌の違う人も、犯罪を犯した人も、教会において共に生きていた、共に食事をし、誰とでも付き合い、誰とでも一緒に喜んで座っていたのです。このルカによる福音書では、ファリサイ派の人々や律法学者の人々は、徴税人などの汚れた人々と主イエスをはじめ弟子たちが食事をすることを批判したのです。この人たちは悪い人々かというと、そうではないのです。善良な人々なのです。信心深く、貧しさに耐え、神の前に正しく生きようとしていた人々だったのです。まじめな人々であったのです。しかし、そのまじめさが自分と他の人々を区別する、差別することになります。まじめに生きようとし、自分もまじめであると、まじめでない人を批判するようになるのです。神に喜ばれるように努めるほどに信仰が深いと差別を作っていくのです。そして、自分たちはあの連中とは違うのだということを自分の中で確かめるのです。そのような差別の心は、私たちの心の中に深く根を降ろしているのです。
 自分が他の人と違っていて、自分は正しさの中に生きている、まじめに生きている、そういう思いが差別を生むのです。しかし、教会はそのようなことから解放されて、自由になって、どのような人をも招いているのです。

 この福音書を書いたルカが他の福音書と違った書き方をしているところが、まだあるのです。たとえば、初めのほうに戻ってみると、28節に「彼は何もかも捨てて」と書いてあるのは、ルカだけです。主イエスの招きに応じて何もかも捨てて立ち上がったレビが、自分の仕事場である収税所を出て、自分の家に主イエスをお招きしたのです。この29節には、この宴会、食事の主人公がレビであったことをはっきり書いてあるのもルカだけです。さらに、それが盛大な宴会であったいうことを書いているのもルカだけです。このことは、私たちの心に留めてよいことです。
 そして5章32節には「罪人を招いて悔い改めさせるため」とあります。他の福音書にも「罪人を招いて」と言う言葉はあります。しかし、ルカのように「悔い改めさせるため」という言葉はルカ福音書にのみあります。ルカは「悔い改める」と言う言葉を頻繁に用いるのです。「見失った羊のたとえ」では、「悔い改める一人の罪人」と言う表現をしていますし、「無くした銀貨のたとえ」では、「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」と語られています。レビは今までの生き方、生きる構えを捨てて、新しい生き方に大きく転換したのです。

 ルカ福音書5章28、29節にレビが何もかも捨てて盛大な宴会を主催したと書かれています。何もかも捨てたと言うことと盛大な宴会を催したとうことは、レビが大きな人生の転換をしたことを表しています。自分を招いてくださった主イエスのためにだけ盛大な宴会をしたというのではなくて、自分の仲間、徴税人たちも、他の人たちもすべてを招いて喜びの宴会を作ったのです。主イエスの譬え話に、招いた人たちが招きに応じなかったので、全く関係のない人たち、お礼も返礼もできない人たちをたくさん招いたという話があります。レビの家の前を通った知らない人も招かれ、たくさんの人が食事に招かれたのです。この宴会のために、持てる力、お金をささげたのです。

 レビが持てる財産をすべて使って宴会をしたことは、レビを知っている人は、とても驚いたのです。なぜならば、レビは自分の利益だけを考え、自分のもっているお金だけを頼りにしていたからです。収税所に座っていつもレビが考えていたことは、税金をどうやってたくさん取立て、それによっていかに効率よく自分の利益を増やすことができるかということに集中していたのです。ローマ帝国、異邦人、異教徒の外国人の手先であると人々に嫌われ、軽蔑されていたこともよく承知していたのです。レビという神殿に仕える聖なる家系であるのに、税金を取って私腹を肥やしている、堕落した人だ、そのような悪口がレビの耳に入っていたのです。しかし、それでもレビはお金をもっていること、お金を増やし、そこに基盤をおいて贅沢な暮らしができることに喜びを感じていたのです。人々に軽蔑されればされる程、それだけ金を儲けて見返すだけだと考えていたのです。そしてローマ帝国の権力を後ろ盾にして、その権力を使って人々から財産を奪う喜びに生きていたのです。そのような生き方をしているときに、同じ徴税人の仲間を招き、心を開いて盛大な宴会をする余裕など少しもなかったし、考えもしなかったのです。宴会をすると自分の財産が減るので、しなかったのです。

 しかし、今、主イエスをレビが迎えたことで、その歩みが大きく変わったのです。自分の新しい主人である主イエスのために自分の家を開放すると共に、人々のためにも家の扉を大きく開いたのです。レビの心は大きく開かれたのです。レビの財産を主イエスと共にある食卓のために惜しまなかったのです。皆さん、レビという名前に注目してください。レビは祭司の家系でした。祭司とは、神と人とを結び付ける役割をもっていたのです。神と人のために執り成しをする務めをするのが、祭司の務めです。主イエスを新しい、自分の主人として迎え入れ、もてなし、徴税人の仲間、その他の人々と共に食事をする、そこで一つとなっているのです。レビは祭司として、神に仕え、隣人に仕える、そして自分の財産を用いられ、自分の家が用いられるのです。

 レビが祭司の家系であり、レビがここで主イエスという神と徴税人という罪人たちとをつないで、そのつなぎめに自分が立たせられているのです。本人が思いがけない仕方で、祭司の役割を果たしているのです。

 なぜ、そのようなことができたのでしょうか。それは、主イエスに呼ばれたからです。まず、主イエスに招かれたからです。5章27節の言葉に注目したいのです。「レビという徴税人が収税所に座っているのを見て」という言葉です。この「見る」という言葉は、ギリシャ語ではいくつもあります。相手を「見る」まなざしはその時によって違います。ここに出てくる「見て」という言葉は鍵となる言葉なのです。この「見て」という言葉は、他の福音書が使っている言葉とは違った言葉です。他の翻訳では、「目をとどめて」「見て取って」と訳されているのです。

 私たちは他の人が自分をどのように見ているのか、を気にしているのです。その人の目、目つきを見ればどう思っているのか分かるのです。顔は笑っていても、少しも心では笑っていないような目をしていると思う時があります。他の人の視線、まなざしに私たちは恐れをかんじる、戸惑いを感じるのです。人の目を見ることができない、恐ろしくて人の目を見ることができない、そのことで苦しんでいる人もいるのです。視線恐怖という病を持っている人がいます。
人の目は、人の心をよく表すのです。さげすみの目は軽蔑の心を表すのです。裁きの心は裁きの目を洗わすのです。上から目線のように、自分が人の上に立っていると考えると見下した、傲慢を宿した目になるのです。人を批判し咎める心は、睨みつけるような目を作るのです。私たちは自分をも含めて、罪からくる人々のまなざしにさらされているのです。レビは自分に向けられている人々のまなざしが、決して暖かいものではなかったことをよく知っていたのです。その人の目や目つきを見れば、心がわかります。しかし、自分に向けられた目、目つきに打ちのめされる経験をしていたレビが、これまで経験したことのない、全く違うまなざしが主イエスによって、レビに向けられたのです。主イエスを見たのです。主イエスはレビにまなざしを向けたのです。

 ルカによる福音書をよく読んでみると、ルカは主イエスのまなざしに心ひかれた人です。ルカによる福音書の中で、私が特に印象を持っているところは、弟子ペトロが主イエスを三度、主イエスのことを知らないと否定した時に鶏が鳴き、主イエスは「振り向いてペトロを見つめられた」(ルカ22章61節)と記されています。裏切ったペトロを振り返って見つめられた、主イエスのまなざしがここで語られています。

 レビはおそらくこれまで誰からも見られたことのないまなざしで、自分が見つめられる初めての経験をしたのです。裁きの目ではなく、咎めるような鋭いまなざしでも、軽蔑の、人をあざ笑うようなさげすみの目ではない、そのどの目でもないのです。自分を真実に慈しみ、自分を生かす、この世で出会ったことのない目で見られる体験をしたのです。
 主イエスが、神の愛の溢れるまなざしで、ほんとうに暖かい目で、罪を赦し、その存在を抱きしめるような、広い、暖かいまなざしで見つめられたのです。レビは、神の愛の溢れる、暖かいまなざしを初めて、全く初めて経験をしたのです。この経験によって、自分が病んでいた、罪に病んでいた、それをこの主イエスの目が癒してくださったことが分かったのです。この主イエスが私を癒してくださったことが分かったのです。

 主イエスが、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くことではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」そのように告げられたのです。この言葉を聞いたとき、レビはその通りだと思ったに違いないのです。そうだ、自分は罪に病んでいた、しかし、主イエスのまなざしが私を癒してくださった、主イエスが医者として、自分の方にやって来て、罪と言う病から解放してくださったのだ、と深く受けとめることができたのです。自分だけを愛し、神に背を向け、隣人を愛さない、その罪から主イエスは解放してくださったことが分かったのです。そして、今まで持ったことのないまなざしをもって、新しい目をもって、神と人とを見ることができたのです。

 私たちは、主イエス・キリストの愛を与えられて、新しい目で、この世界を見直すことができるのです。今までは、他の人を、自分にとって利益になるか、どうか、という視点で見ていましたが、そうではなく、神が大切な存在として創造された、かけがえのない大切な存在であると見ることができるようになったのです。
 レビは、罪の心が愛の心に変えられ、主イエスに自分が招かれたように、自分の仲間を招き、人々を招くことができたのです。相手にもしていなかった人々を主イエスが罪を赦して招いたように、愛の心をもって招いたのです。

 主イエスがレビという一人の人を見つめられ、招かれ、レビは新しい神の世界に入ることができ、大きく転換をしたのです。そして自分の持てる財産を献げて、主イエスを新しい主人として迎え入れ、また、多くの人々を招いて、喜びの食卓を囲むことができたのです。にぎやかな楽しい食卓であったに違いないのです。喜びの食卓であったに違いないのです。この物語の最後に主イエスは語られたのです。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(5章32節)

20200112 主日礼拝説教  「ひとりをみんなで担っていく信仰」  山ノ下恭二 
(イザヤ書63章7−10節、ルカによる福音書5章12−26節)


 牛込払方町教会では、教会員の誕生日を覚えて、来週の日曜日から土曜日に誕生日を迎えた会員に寄せ書きのカ−ドを送っています。教会員の誕生日を覚えて、寄せ書きのカ−ドを送っている教会は多いのです。誕生日のカ−ドを送ることによって、一人の教会員が他の教会員に覚えられて、祈られ、教会の仲間であることを実感することができるのです。自分はひとりではなくて、教会と言う交わりの中のひとりであることを知ることはとても大切なことなのです。自分が、教会と言う信仰共同体のひとりであるのです。

 本日の礼拝でルカによる福音書5章12−26節のみことばを読みました。主イエスは福音を宣べ伝え始められたのですが、福音の説教をお語りになっただけではなくて、病いに苦しむ人々を癒されたのです。本日の礼拝で読んだところは、重い皮膚病の人を癒やされたことが記されています。そして主イエスが皮膚病の人を癒やされたことを知った人々が、主イエスのもとに集まって来たと記されています。主イエスが病いに苦しむ人々と深い関わりを持たれたのです。これは、主イエスが心の暖かい、優しい性格の人だということを伝えるためではなく、主イエスの行動、振る舞いを通して、神がどのような神なのかということを明らかにするためです。神が慈しみ深く、憐れみに富み、心を配り、私たちの生命を守るために働き、何処までも、何時までも、愛する神であることをはっきり示そうとされるために、主イエスは病いに苦しむ人々と深く関わられたのです。

 病いと言うのは、健やかに生きることを妨げるものです。病が重くなれば、死ぬことになります。生きることを妨げる病から解放し、健やかに生きる、元気になることによって、神がこんなに自分のために労苦し、関わり、愛してくださっていることを実感させるために、主イエス・キリストは病に苦しむ人々と深く関わられたのです。この人を癒やしたい、救いたい、という一心で、自分のことを省みず、触って、癒されたのです。

 ルカによる福音書5章17節からは、主イエスが中風を患っていた人を癒されたことが記されています。しかし、この物語は、他の癒やしの物語と異なったところがあります。それは、この中風の人自身が、主イエスのもとに来て、癒されたというのではなく、友人たちに連れられて、主イエスのもとに運ばれてきたと言うことです。この友人たちは、主イエスによって中風の人が癒やされると良いと強く願っていたし、主イエスには癒す神の力が働いているという信仰を持っていたのです。この友人たちが主イエスを深く信頼していたので、主イエスのもとに運ぼうとして家の前まで来たのです。
 ところが群衆に遮られてしまったのです。しかし、諦めずに彼らは病人を屋上に運び、瓦に剥がして、病人をマットに乗せたままで吊り降ろしたのです。そのような手段を用いても、どうしても、主イエスに癒して欲しいと願ったのです。屋根の瓦を剥がして、上から吊り降ろすという大胆な、思い切った行動は、彼ら友人たちが主イエスであれば、必ず癒してくれるし、このひとりの病いに苦しむ人を癒やしてやりたいと言う熱心さをよく表しています。群衆に妨げられても、どうしても主イエスのもとに運んで、この中風の人を癒やしたいと、困難に遭っても挫けないで行動する信仰に、主イエスは感心したに違いないのです。他の癒やしの物語では、本人が病を癒してほしいと強く願って、主イエスのもとを訪ねるのですが、この物語では友人たちが主イエスの癒やしを信じて、この中風の人を運んで来るのです。

 ルカによる福音書5章20節に注目すべき言葉が記されています。「イエスはその人たちの信仰を見て『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」
 この御言葉を読んで、すぐに気がつくことがあります。それは、中風の人の信仰を見て、と書いていないことです。主イエスは、その人たち、つまり、中風の人を運んで来た人々を見て、この一人の人に「あなたの罪は赦された」と言われたのです。中風の人が信仰があった、この人が癒やしを求めていた、信じる心があったとは、全く書かれていないのです。中風の人の信仰は書かれていないのです。この中風の男を運んで来た複数の人々の信仰です。この信仰によって、このひとりの人の罪が赦されるのです。

 このことは、私たちに大切なことを教えるのです。皆さんは、自分の意志で教会に行き、自分が聖書を読み、キリストの恵みを知って、キリスト者となることを自分が決心して洗礼を受けていると思っていると思います。主体的に自分が深く関わって、キリスト者となっていると考えています。しかし、この物語は、中風の人が癒やされたいと願って自分から主イエスのもとに行った、その熱意のある信仰によって、罪が赦され、癒されたのではないのです。

 私たちのプロテスタント教会のサクラメントは洗礼と聖餐ですが、もう一つ小児洗礼があります。この小児洗礼はサクラメントです。小児洗礼を受けた者は、私たちの教会の会員です。小児会員です。信仰告白式を終えれば、現住陪餐会員になります。
 
 私たちの教会は小児洗礼を行います。今日の聖書のテキストがこの小児洗礼をする根拠になっています。小児洗礼の聖書的な根拠とされるのは、もう一つ
あります。それは、パウロが伝道していた時に、家族の全員が洗礼を受けているテキストがあり、その中には、嬰児、幼児もその場にいただろうと考えたのです。嬰児、幼児は自分で聖書を読んだり、自発的に主イエス・キリストを救い主と告白することができないのです。自分で聖書を読み、信仰に目覚め、自分で決断してキリスト者となる、ということができないのです。主体的ではないのです。

 小児洗礼をしないキリスト教の教派があります。バプテスト教会です。日本キリスト教団の中でもバプテスト教会の伝統の教会があり、この伝統を持つ教会は、小児洗礼をしません。成人洗礼でしかも、全浸礼しか、認めません。もし、バプテスト教会に転会することになると、教会によっては、再洗礼を受けなければならないと言うことになります。洗礼槽の中に身を沈める、全浸礼を受けることを条件に転会を認めることになります。私たちの教会の滴礼は認めないのです。

 そして教会に対する理解が異なります。それはひとりひとり個人が集まって、教会を構成しているという理解です。ひとりひとり自立している人が集まっている、その人たちの話し合いで教会のことを決めていくという教会の理解です。 福岡地区・北九州地区はアメリカ・南部バプテスト教会が明治の初め、早く伝道した地域で、日本バプテスト連盟の教会がたくさんあります。私たちの教会は、洗礼を受ける時に、その基準は、教団の信仰告白を受け入れますか、と聞いて、受け入れます、と言うと洗礼が許可されます。しかし、バプテスト教会は、会員が集まって総会の時に、まず洗礼を志願した人が、自分がどうして洗礼を受けたのか、その文章を読みます。そして、洗礼を志願した人に会員が次次と質問して、洗礼志願者が答え、最後に、挙手によりバプテスマを許可するかどうか、採決するのです。過半数に足りない場合は、不許可になるそうです。

 教会は、ひとりひとりが、主体的な信仰をもった人たちが集まっている集団
であると理解しているのです。信仰の理解もそうです。信仰とは主体的なものであり、自分が信じることによって信仰が成立していると考えています。嬰児、幼児は、主体的、自覚的な信仰をもつことがないので、教会に入会することはできないという立場を取ります。
 私たちも、信仰と言うと、自分がどのように神を信じ、自分がどのように聖書を理解するか、主体的な信仰を考えます。自分が神を信じ、信仰を持つ、それが信仰である、と考えるのです。そして、主体的、自覚的な信仰を持った人々が集まった群れが教会である、と考えます。

 しかし、聖書を読むことができない人、理解できない人、自分の口でイエスは主であり、救い主であると告白できない人は、洗礼を受けることができないのか、罪の赦しが与えられないのか、と言う問いになるのです。
 私たちも老齢になって、認知症になり、自分で聖書を読んでも理解できていない、説教も理解できない、ということになる可能性はあります。長電話で用件も忘れ、二階に上がっても何を取りにきたのかも忘れ、テレビに出てくるタレントの名前も忘れ、教会で忘れ物をしたことも忘れ、牧師の名前も分からなくなり、自分は誰、ここは何処、というようになったら、信仰者ではない、と言うことになるのか、と言うことなのです。

 既に亡くなりましたが、東京神学大学教授であった熊沢義宣教授が毎年、出している神学雑誌「神学」で、「いと小さき者の信仰告白−教会の祭司的役割の問題をめぐって−」という論文を書きました。この論文は自覚的な信仰告白に至り難い者に対して、教会がどのように受け入れ、加えて、神の家族の一員として共に生きるか、と言うことが書かれていて、とても重要な論文であると思います。

 この論文は、静岡の榛原教会で経験されたことが背景になっています。榛原教会には、やまばと学園の障がいをもった人たちが礼拝に来ているのです。その人たちは、自覚的な信仰告白をすることは望めないのです。洗礼を受けていないから、聖餐にあずかれないのです。毎日曜日、礼拝に来ていながら、聖餐にあずかれない、教会の交わりに入れないのは、問題ではないか、と熊沢教授は考えたのです。このようなことをきっかけにして、自覚的な信仰告白を持ち得ない人々が、教会の信仰告白によって、罪の赦しを受けて、教会の群れの中に加えられることが、本来の教会の姿であると考え、この論文を書いたのです。

 この論文によって、熊沢教授は、自分の口で、主イエスを救い主であると告白することができない者でも、教会の信仰告白によって、成人洗礼を受ける道があることを明確にしたのです。自覚的な信仰を持ち得ない、それは、嬰児、幼児、障がいをもっている人々、自分の意志で聖書を読んだり、理解できない、信仰告白をすることができない人々を教会に迎え入れ、共に生活することが教会の本来の姿ではないか、と提言しているのです。

 横浜の蒔田教会の今橋朗牧師が、「成人洗礼と言っても、聖書のことや、説教が全部、分かって洗礼を受けた人はいない、その意味で、成人洗礼は、年を取った、遅れた、小児洗礼である」と言ったのを聞いたことがあります。
 成人は、嬰児や幼児よりも聖書を読んで理解し、自覚的にイエスを主と告白することは出来るかも知れませんが、それは程度の問題です。よく聞くことですが、何にも分からないで洗礼を受けたと言う人がいます。牧師や長老から洗礼を受けなさいと言われて何も分からなかったけれども、洗礼を受けた、と言う人もいるのです。成人洗礼を受けた人が、キリストの贖いをほんとうに信じて理解して洗礼を受けているのか、と言うとそうでもないのです。

 主イエスは、中風の人を運んで来た人たちにではなく、自覚的な信仰を持っていないこの中風の人に「あなたの罪が赦された」と言われています。これは、中風の人に自覚的な信仰を第一に求められたのではないのです。むしろ、自覚的な信仰を持ち得ない人に、罪の赦しが必要であると言うことです。中風の人に必要なのは、中風が癒されることではなくて、罪が赦されるということなのです。中風を治すために治療をされたのではなく、神から与えられる、罪の赦しを宣言されたのです。
 主イエスは、神との関わりが正常に、良い関わりの中で生きることが、私たちにとって最良の、最善のあり方であると確信していたのです。

 この中風の人は、罪の赦しを求めていたわけではないのです。しかし、主イエスは、この人にとって最も必要なことは、罪が赦されて、神と共に生きる、神の愛の中に生きることであると強く願っていたのです。
 罪の赦しは、私たちの心に深い平安を与えるのです。他の人を憎んだり、妬んだり、他の人を責めたりする、そのような心を持っていることは幸いなことではないのです。自分と和解できないで、折り合うことができないことも不幸なことです。自分を責めることも良いことではないのです。
 
 神に赦されている、肯定されている、受け入れられている、愛されている、
そのことを信じることが最も大切なことです。この平安が、私たちの存在全体に良い影響を及ぼすのです。この中風の人に罪の赦しを宣言された、主イエスは、この人に、神に愛されているという喜びに生きて欲しい、と願ったのです。

 キリスト教会は、神の家族です。嬰児から高齢者まで、いろいろな世代の人たちが集っています。主体的な、自覚的な信仰をもっている人だけが教会員なのではないのです。自覚的、主体的な信仰を持っていない人たちは教会の仲間ではないと言うことは、その人たちを切り捨てることになります。
 私が子どもの時、教会学校の教師たちは一所懸命に準備して説教を語ったと思いますが、説教はよく分からなかったのです。高校生になって、鹿沼教会の10時からの礼拝に出席して説教を聴いても、理解することが困難でした。自覚的な、主体的な信仰を持っていたとは言えなかったのです。しかし、教会の仲間として自分がその交わりに与っていたし、教会員の祈りによって、教会の交わりにあることを知ることができ、力づけられてきたのです。

 自分のためではなく、他の人々のために、執り成しの祈りをすることが大切なのです。教会員で病いと戦っている兄弟姉妹、礼拝にいろいろな都合で来ることができない兄弟姉妹を覚えて祈ることは私たちの教会の大切な務めであるのです。

 中風の人を仲間の者が主イエス・キリストのもとに担って運び、中風の人が罪の赦しを得て、神を賛美して行ったのです。私たちも、教会の人々だけでなく、多くの人々の救いを願って祈り、イエス・キリストのところに運んで行く、キリストの赦しの恵みに共にあずかる者でありたいのです。

20200105 主日礼拝説教 「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」  山ノ下恭二
(イザヤ書52章7−10節、ルカによる福音書5章1−11節) 

                     
 2020年の新しい年を迎えることができました。この新しい年も、皆さんの上に神の祝福が豊かに注がれ、神の愛の中に歩むことができますように祈ります。
 
 主イエス・キリストには、12人の弟子がいましたが、その弟子のひとりにペトロと言う弟子がいました。ペトロは主イエスの弟子になる前は漁師でした。漁師の生活をしていたのです。ある日の明け方でしょうか。主イエスはペトロの舟に乗り込んで、ペトロに指示したのです。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。この主イエスの指示にペトロは戸惑ったと思います。この人は今の自分の気持ちや状況を全く理解していない人だ、と思ったからです。なぜそのように思ったのでしょうか。それは、ちょうど、その朝に、漁をして魚を一匹も取れなかったからです。それでペトロは空しく帰って来たところだからです。その湖に漕ぎ出せと言うのです。

 漁をするのに最適な時間は夜であるのです。その最善の時に一匹も取れないのですから、昼間には魚は全く捕れないことは当たり前であるのです。夜から明け方まで、漁をして全く捕れないのに、同じ湖に行って、漁をしなさいと指示しているのは、無謀ではないか、と思うのは当然です。世界中の誰がそのようなことを要求するでしょうか。この指示を出すのは、ラビ・教師であるのです。宗教人です。漁をしたことのない、そのような人が漁のことを分かっているとは思えません。ペトロは漁に関しては、漁師としての経験があり、毎日、漁をしているので、熟練しているのです。ラビ・教師は漁の何が分かっていると言うのでしょう。「沖に漕ぎ出し、網を降ろし、漁をしなさい」と言う言葉を聞いて、ペトロがこう答えたとしても、誰も不思議には思わなかったと思います。「ラビ、あなたが知恵を持っていることは知っています。しかし、漁のことは、私のほうがよく分かっています。私は疲れています。働いてきたばかりです。言っていることが私には分かりません。そのような無意味なことをなぜ言うのですか」そのように言うこともできたのです。
 
 これまで語って来たことは、私がペトロの心のありか、心の動きを考えて述べたのですが、ペトロは、今言ったことは全く語ってはいません。しかし、いずれにせよ、自分がどういう状態であるかをはっきりと語っています。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と語っているのです。岩波訳(佐藤研訳)では「師よ、私どもは夜もすがら労しても、何も捕れませんでした。」と訳しています。ペトロは、一晩中、漁をして、既に網を洗っており、漁を終えて、家に帰ろうとしているところでした。網は空っぽ、魚を入れる篭も空っぽです。魚を売って、お金にしようという企ても無くなったのです。全くやる気を失っているのです。ペトロが、黙っていることができず、ラビ・イエスに語った言葉には、ペトロのすべての思いが語られているのです。夜通し働きました、十分に労苦しました、たっぷり汗をかきました、でも何も捕れなかったのです。これはペトロの正直な思いであったのです。ところが、この事実確認の言葉は、最終的な言葉ではなくて、前置きでしかありませんでした。
 
 驚くべき言葉がペトロの口から語られたのです。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」この言葉を語った時、ペトロの置かれている世界が大きく転換したのです。今までペトロの前に広がっていた湖は自分ではどうすることもできない暗い湖であったのです。「しかし、お言葉ですから」と主イエスの指示に答えた時に、目の前にある湖は、太陽の輝きのある湖に映ったのです。自分の今までの経験によってこれからのことを決めるのではなくて、主イエスの言葉に聞いて従う、そのような冒険をしようということなのです。今まで親しんできたこと、経験から学んできたことを投げ捨てて、主イエスの言葉に賭けたのです。今までの経験を踏まえて、これからのことを推し進めようというのではないのです。過去を踏まえて、将来を考えようというのではないのです。しかし、お言葉ですから、と一歩、踏み出すのです。冒険をするのです。チャレンジするのです。再び、漁をするために舟を出しても、網も空で帰って来ることになるかも知れません。徒労に終わるかも知れません。しかし、お言葉ですから、と漕ぎ出すのです。

 私たちは、会社でも、家庭でも、学校でも自分なりに一所懸命、働き、学んでも、報われないことを経験して、とても疲れを覚えることがあります。勉強を一所懸命しているけれども、成績がよくならないので悩み、勉強を止めようかと思っている生徒がいます。大学3年、4年生であれば、就職活動でエントリーシートを何十枚も出しても会社から応答もなく、面接までこぎ着くことができても落とされる、そのような経験をしている学生も少なくないのです。子育てで悩み、どうして子どもが自分の思うように育たないのか、子育てで悩んでいる若い母親がいます。失業中で路頭に迷い、就職ができないでいる、失意にある人も多いのです。それぞれ、心の深いところで、ペトロと同じ思いで立ちすくんでいるのです。

 ペトロは、疲れを覚えている中で、「しかし、お言葉ですから」と主イエスの無謀とも言える言葉に答えているのです。自分のこれまでの経験から、無理だと思っていたことを振り払って、主イエスの言葉に心を開くのです。心を開いて、そのお言葉に従うのです。

 私たちは毎日、様々な情報を耳にして暮らしています。私が朝、起きた時に、ラジオを聞きます。今日の天気予報、そしてニュース、そしてしばらくしてパソコンのメ−ルを開きます。テレビのニュースを見ます。そして新聞を読みます。情報過多です。そしてどれが真実でどれがフェイクか分からないほど、情報を見たり、聞いたりしています。このように情報が溢れているとどの言葉を信じて良いのか、分からなくなるのです。聖書の言葉も溢れている言葉の情報の一つのように考えてしまうのです。

 ペトロは、主イエスをラビ・教師、宗教人と考えていました。しかし、主イエスが、「沖に漕ぎ出し網を降ろし、漁をしなさい」と言われた時に、この言葉を神の言葉であると信じることができたのです。主イエスがラビ・教師であるよりも、神から遣わされた神と同じ方であると信じ、この言葉を受け入れることができたのです。くじけそうになった時に先生が「大変でもがんばったら」と励ましてくれたので勉強を続けることができた、という話を聞きますが、そのような人間のレベルの言葉ではなく、ペトロは、自分が聞くべき神の言葉として聞いたのです。私たちは、私たちが聞くべき神の言葉を聞かないでいることがあります。この地上の人間の言葉と同じように、聖書の言葉を聞くのです。
 
 キリスト教に関する本が書店の棚に並べられていますが、棚に多くあるのは、「自分にとって役に立つ聖書の知識、言葉」と言う内容の本が多いのです。自分に役に立てば良いというレベルで書いてあるのです。これを読むと元気になる、よい話が書いてある、というレベルで書いてあるのです。聖書が一般の啓発本と変わりがないのです。しかし、ペトロは主イエスが言うのも悪くないから、沖に漕ぎ出したのではないのです。主イエスが自分の生活を心配して、自分に良いことを言ってくれたから、行動に移したのではないのです。
 私たちは、自分にとって役に立つから、心を和ませるから、元気になるから、御言葉に耳を傾けるのではないのです。どのような状況にあっても、御言葉に聞き、従うのです。それは、神の言葉であるからです。

 先日、教会に、2月に上映される映画の案内のチラシが届きました。「名もなき生涯」という映画です。第二次世界大戦で、ドイツでナチスと戦った、ほとんど知られていないキリスト者の家族をモデルにした作品です。ナチスのヒットラーとドイツで戦ったのは、ドイツ告白教会ですが、このドイツ告白教会が出した、「バルメン宣言」の第一条項には次のように告白されています。
 「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべく、また生きているときにも、信頼し、服従すべき、唯一の神の言葉である。教会が、この唯一の神の言葉以外に、またそれと並んで、別の出来事、さまざまな力、人物、諸真理をも神の啓示として承認し、宣教の源泉とすることができるし、そうしなければならないと教える過った教えを、われわれは却ける。」
 この宣言の言葉は、ナチスが、聖書の言葉とは全く異質な、暴虐な政治をしていることに抵抗し、神の言葉に基づかないナチスを鋭く批判しているのです。 このような宣言を出すこと自体が命に関わることになるのです。この宣言を出した牧師の中で、迫害を受け、殺された牧師も多いのです。
 ナチスは、近隣諸国への侵攻、ヒットラーへの崇拝、ユダヤ人への迫害と大量虐殺、障害者の虐殺、など非人道的な政策を取ったのです。ドイツ告白教会は、この時代に、神の言葉以外の言葉には聞くことがないし、従わない、と宣言しているのです。神の言葉こそが、キリスト者の聞くべき、従うべき言葉なのです。この宣言の第一条項の中で「教会が、この唯一の神の言葉以外に、それと並んで、別の出来事、さまざまな力、人物、諸心理」とあります。他の人間の言葉と並列して、同じように神の言葉があるのではないのです。私たちが聞くべき、従うべき言葉は神の言葉しかないのです。神の言葉とは、聖書、説教、キリストのことです。

 左近淑という旧約聖書学者が「混沌への光」という本で「聖書への沈潜」という短い文章を書いています。「教会で沈黙しているものがある。年毎に沈黙の度が深まっているものがある。J・D・スマートは数年前『教会における聖書の奇妙な沈黙』という書物を出した。そこには米国の教会員の95パーセントは聖書に無関心である、とある。聖書の沈黙した教会、聖書を読まなくなった教会とは何であろう。」「教会が聖書を読まなくなった、というのは、単なる現象とか風俗ではない。『死に至る病』である。」
 私たちも、礼拝の時にしか、聖書を開いて読まない人が多いのではないか、と思うのです。これはまさしく「死に至る病」、かなり重病であるのです。
 御言葉を聞いて従う、これが私たちキリスト者の基本であります。まずみことばを聞いていく、みことばに耳を傾けていくのです。

 私たちは、自分の気持ちには従うのですが、神の言葉には従わないのです。今日は疲れたので、聖書を読むのを止そう、日曜日には用事があるので、礼拝は休もう、そのようにしてしまうことが多いのです。しかし、自分の気持ちに逆らっても、「お言葉ですから」と御言葉に従うのです。

 この物語は、ペトロが弟子として召された物語です。ヨハネによる福音書21章では、主イエスを裏切って自分のふるさとに帰って漁をしているペトロのところに復活された主イエスが近づいて、再び、ペトロを使徒として、召す物語が記されています。ペトロは最初の教会の創立に関わり、そして福音を伝える使徒としての働きをしているのです。
 
 この5章の物語は、伝統的に、キリストの福音を伝えることを励ます物語として考えられてきました。ルカによる福音書5章10節には「シモンの仲間、ゼベタイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』」と語られています。人間をとる漁師になる、それはキリストの福音を伝える者となる、と言うことです。

 キリストの福音を伝える、このことが教会の務めです。それは、礼拝や集会を通して伝えるのです。この礼拝後、合同部会をして、クリスマスの行事について反省をし、評価をする時を持ちます。伝道・教育部ではクリスマスコンサートについて話し合い、準備、実施をしてきましたが、このコンサートは、音楽会を開催することにあるのではなく、目的は日曜日の礼拝につなげること、にあり、伝道が目的です。伝道は、一所懸命しても報われないものです。成果を見ることはまれです。コンサートには来ますが、礼拝には来ることはないので、無駄ではないか、と思うこともありましたが、地域の人々が教会に入るということが意味があるので、続けても良いのか、と思いました。
 今年のクリスマス礼拝にコンサートに来た人が2名、出席したことは私たちにとってとても励みになりました。伝道の催しをしても、成果がないと失望してしまうのではなく、地道に伝道を続けていくことが大切であることを今日の聖書から教えられるのです。

 ペトロが網を降ろしたら、魚が一杯とれたことが記されています。一晩中、漁をしても一匹も捕れない、その挫折の中で、ペトロが「しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と主イエスの言葉に聞き従ったのです。
 湖には、魚が一杯いたのです。たまたま捕れなかったのです。しかし、主イエスの言葉に従って網を降ろしたら、たくさん捕れたのです。
 今までの自分の経験によってこれからのことを決めるのではなく、お言葉に従って、チャレンジするのです。

 最近、大日本印刷のビルに近い、加賀町付近を散歩していましたら、とても広い土地に大規模マンションの建設工事が始まっていました。新聞の折り込みにこのマンションの広告チラシが入っていたのですが、そのチラシには、228戸の大規模レジデンス受付開始とありました。家族が3人としても、684人、4人であれば、912人になるのです。この地域に多くの人々が住んでいるのです。福音を伝える人はたくさんいるのです。ガリラヤ湖に魚がたくさんいるように、この地域に、伝道する相手がたくさん生きて生活をしているのです。
 
 神は、すでに聖霊によって、この人たちを導いてくださっているのです。私たちの予想や経験によるのではなく、神が人々の心の扉を開いてくださっているのです。
 「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」主イエス・キリストの指示、命令に従いましょう。伝道しても報いがない、成果がない、そのような気持ちを捨てて、御言葉に聞き従い、新しくチャレンジをすることをこの物語は勧めているのです。


20191229 主日礼拝説教  「あなたは何を見ていますか」  山ノ下恭二
(創世記13章1−18節、コリントの信徒への手紙二 4章18節) 


 教会の礼拝や集会などで、祈りをした後や讃美歌を歌い終わった時に、私たちは、アーメンと告白しています。いつもアーメンを告白しているので、この言葉の意味をあまり考えないかも知れません。しかし、このアーメンと言う言葉は、わたしたちの信仰をよく言い表している言葉です。この「アーメン」という言葉は、エメトというヘブライ語が語源です。このエメトという語は「岩」「堅い」「確かな」「真実」と言う意味の言葉です。このアーメンという言葉は、新約聖書のヨハネによる福音書で、主イエス・キリストが頻繁に語っている言葉です。「はっきり言っておく」の「はっきり」と言う語は、アーメンという言葉です。文語聖書では「まことに」と訳しているのです。「アーメン」「はっきり」「まことに」と主イエス・キリストが語るのは、主イエス・キリストご自身が神と同じ方として厳かに語る時に用いる言葉です。
 アーメンという言葉はどういう意味ですか、と問われると、それは真実です、本当のことです、と言う意味であると答えますが、より正確に言うと、神がなさることは確かなことです、神の語ることは信頼できることです、と言う意味になるのです。
 
 アーメンというのは、私たちの信仰の原点です。それは、わたしたちの信仰の原点は、神の真実に依り頼む、神の真実に信頼することであるからです。自分が持っている信仰と言うよりも、神の側にある真実に信頼することなのです。私たちにとって、神の真実に信頼することが、信仰なのです。それは私たちの側に確かなものがあるのではなくて、神の側に確かなものがあり、そのことが私たちの歩みを確かなものにするのです。そのあり方は、この地上で私たちが歩む時に、別のまなざしをもってものを見ることができるのです。

 私たちは目に見えるもので判断し行動しているのですが、目には見えませんが、神がわたしたちを愛してくださる、この神の真実を見て判断し、行動しているのです。
 わたしたちはこの地上で様々な問題に遭遇し、何を判断の基準として解決していくのかで悩むことがあるのです。どうしても目に見えるもので判断してしまいます。しかし、神が一切をわたしたちのために配慮してくださる、その信仰において行動していくのです。私たちは、神のみわざを見る、そのまなざしを見て行動していくのです。

 旧約聖書の創世記12章からアブラハムの物語が始まっています。アブハラムはイスラエルの民の信仰の父です。創世記12章では、アブラハムが飢饉に遭って、食べることができないと言う危機に直面して、すぐにエジプトに行き、そこで嘘をついて、たくさんの財産を得ることができたのです。アブラハムのしていることは、自分の生活を第一にし、自分の暮らしを優先するあり方であったのです。嘘をついてまで自分が生きのびようとしたのです。このアブラハムの振る舞いは、神を信仰している姿であるとは言い難いのです。現在、アブラハムはたくさんの財産を得て生活は安定しているのです。
 
 現在、多くの人々は自分が豊かな財産を持ちたいと願っています。自分が財産やお金をたくさん持っていないと豊かで安定した生活をすることができない、とほとんどの人が考えていることは確かです。
 
 この13章では、アブラハムと甥ロトは、二人とも多くの家畜と男女の僕を持ち、それに見合うだけの財産を所有していたと書かれています。しかし、彼らは遊牧民で寄留者であるから、その土地に定住する農民が収穫を終えた後で、羊たちを飼うことをするのです。二人とも家畜を多く持ちすぎていたため、狭いところで一緒にいることは難しくなったのです。牧草は水場にしか生えないのです。二人の僕たち、羊飼いたちの間で、水場をめぐる争いが起きてしまったのです。自分たちがこの水場を確保したい、とアブラハムとロトの羊飼いの間で争いが起こったのです。
 
 現在、日本と他の国とで東シナ海の一つの島の領有権をめぐって争いが続いています。この島を自分の領土とすれば、豊かな漁場、海底資源を確保できるからです。
 しかし、この物語は、この地上の国々でしばしば起こる、領有権の争い、土地を巡っての紛争の次元でこの世の考え方で解決してはいないのです。起こっていることは土地の問題、具体的な生活の問題ですが、その解決に至る運び方は、たいへん信仰的であるのです。私たちは、お金や財産などの経済的な問題、食べることの問題に追われていますが、この物語は、もう一つの別の次元のことを取り扱っているのです。もう一つの別の次元とは、信仰の次元と言うことです。神を信頼していく、その信仰の次元で解決していると言うことなのです。
 
 アブラハムとロト、二人は今まで、一緒に行動を共にしてきました。アブラハムが故郷を出ると、ロトもその後をついてずぅっと一緒であったのです。一緒に暮らして来たが、実は二人は、初めから違う道を歩んでいたのです。
 ロトは、自分だけの判断で自分の道を選択して歩む人です。しかし、アブラムは違うのです。彼は神の言葉に信頼して歩もうと願ってきた人なのです。そのことが、この土地をめぐる問題から、明らかになってきたのです。
 
 この土地の水場を確保するための争いが起こり、発生して、この問題をいつまでも放っておくことは、大変、危険になります。初めは羊を飼う僕の争いであっても、それがいつの間にか、主人同士の争いに発展することになるのです。そうならない前に、適当に手を打たなければならないのです。年長者であるアブラムから、先に口火を切ったのです。
 8節には「アブラムはロトに言った。『わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。』」と書かれています。「わたしたちは親類どうしだ」と言う言葉は、「私たちは何と言っても兄弟ではないか」と言う言葉です。このアブラムの言葉は、血でつながっているからという情実が入った意味ではなくて、一定の土地には少ない数の生活しか支えることができないので、一緒にその土地にいると争いがこれからも起こるし、それはこれから互いに仲違いをすることは良いことではないと、相手の理性に訴えているのです。そして9節「あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。」とロトに提案しているのです。
 
 アブラハムは、年長者だからと言って、相手を自分の考えに従わせようとしたり、相手に自分の考えを押しつけたり、無理強いしているのではないのです。それはロトが後で、敵の捕虜になって捕らえられた時に、命がけで助けに行ったことからも明らかなのです。
 アブラハムは相手も生かされ、自分も生かされる道を理性的に一緒に話し合って行こうではないか、という意味です。権力や武力に訴えるのではなく、お互いに話し合って解決しようと呼びかけているのです。 
 私たちの現実は、このような問題が理性や話し合いですべてが解決するわけでもないのです。自分のところに資源がないので、相手のところにあるものを奪いたい、足りないので欲しい、と考え、それが争いになり、戦争に発展するのです。
 
 アブラハムが言いたかったことは、9節に以下にあります。「あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」アブラハムは年長者であるにもかかわらず、ロトに選択権を譲ったのです。これは、愛の原理から発した発言なのです。理性の原理では、お互いにこの土地を自分が欲しい、互いに折半しようと提案するのです。理性の原理であるならば、どちらが年上か、この土地を利用するのにどちらが能力があるか、と言った原理が優先します。分け前を巡って、どん欲になるのです。愛の原理はそれとは違うのです。相手のことを優先しながら、自分も生きる道を求めて決めるのです。よい方の土地を選ばなかったアブラムは自分が貧乏くじを引くことは、初めから覚悟しています。ロトはこの土地を確保することによって豊かになると確信したのです。それは自分のこの目で見たからです。ロトは自分が見ている自分の目だけを信頼して選択をしたのです。ロトが目を上げて眺めると、見渡す限り、エデンの園のように麗しく、食糧の宝庫のように緑があり、よく潤っていたのです。ロトは自分の目で見たところに信頼し、自分の条件に合うと自分が考えて判断して、この土地を選んだのです。ロトはその土地を選び、アブラハムの許を去って行き、更に欲を出して、ソドムの町にまで天幕を移してしまうのです。しかし、それが、良い選択ではなかったことを、後で知ることになります。
 
 アブラハムは、ロトのような生き方をしなかったのです。それは、自分の目で見たところで判断したのではなく、神との関わりの中で判断したからなのです。自分がこの目で見たこと、自分が良いと考えたことで判断をしなかったのです。目の前に広がっている土地、それの土地は、潤っていて、自分の家畜も増えて豊かになると言うことで判断してはいないのです。別のところを見ていました。目には見えないけれども、神の言葉を聞いて自分の生き方を決めるのです。

 私たちはいつもテレビのCMやネットの広告を見ています。目に見えるもの、物質的な価値観で、生活の豊かさを計っているのです。自分はこれを持っていない、これを買わないと幸せにはなれない、これを持たないと幸福にはなれないと思い込まされているのです。いつも幸福の虚像を見せられているのです。
 アブラハムは、神に属している者です。神の言葉を聞いているだけで、十分、満ち足りているのです。神が自分を選び、見捨てず、深く愛し、深い罪を赦してくださる、その神の愛の中にいるので、それだけで満足しているのです。
 12章で神はアブラハムを祝福の源とされたのです。アブラハムにおいて、全地が祝福される、と言う約束を受けています。この祝福の約束の言葉に深く信頼しているのです。どんな時にも、自分は神の言葉によって導かれよう、と願っているのです。
 
 詩編23編に「主は羊飼い、私には何も欠けることがない」と歌っています。口語訳では「主は私の牧者であって、私には乏しいことがない」です。「欠けたところがない」「乏しいことがない」というのは、物質的に恵まれているから、「欠けていない、乏しくない、貧しくない」と言っているのではないのです。物質的に恵まれているか、いないかに関わりなく、主である神が自分の羊飼いであり、羊である自分が守られ、愛されているので、自分はいつも豊かであると告白しているのです。
 
 皆さんは、自分は今、神によって恵まれていると思っているでしょうか。いや、自分には、足りないものがあり、不十分でこれが欲しいと思っているのでしょうか。自分は神によって恵まれており、これからの生活について願っていることはこれだけだと祈っている祈りを紹介したいのです。
 
 箴言30章7−8節です。新共同訳(p1030)ではなくて、口語訳で読みます。「わたしは二つのことをあなたに求めます。わたしの死なない内に、これをかなえてください。うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富もせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないと言い、『主はだれか』と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。」

 主なる神によって満たされる生活、この箴言の作者は、自分が神によって満たされていると喜んでこのように神に祈ったのです。アブラハムはロトと違って、この地上の豊かさを優先することよりも、いつも、神のみことばに導かれたいと願いながら過ごしていたのです。それはやせ我慢ではなくて、神のみことばに信頼していたので、心豊かに過ごしていたのです。この世では、事業を拡大し、生活が豊かになり、安定した生活をしていく者が成功者であると判定されています。しかし、聖書が示している成功者とは、みことばに導かれて生きる者が成功者なのです。
 
 ロトが別れて去った後に、神はアブラハムに14節で語っているのです。目を上げて、見渡し、見える限りの土地をすべて永久に与える、と約束しているのです。人間が見ているところでは、潤って、豊かな土地はロトのものとなっています。しかし、そのようなアブラハムに神は「さあ、目を上げて見なさい」と語られたのです。豊かで潤っている、何もかも良い条件を備えた土地ではなく、アブラハムが見るべきものは、別のところです。それは前方から遙か遠くに広がる広大な土地を見なさいと語るのです。この土地は神が祝福する土地です。その祝福に満ちた土地を見なさい、と語るのです。
 
 コリントの信徒への手紙二 4章18節(p330)には次のように記されているのです。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
 
 私たちが見るべきものはこの目では見えないものなのです。この目では見えないけれども、私たちを愛をもって支配してくださっている神を信仰のまなざしをもって見るのです。信仰のまなざしをもって神を見るのです。信仰の次元で私たちは神の働き、神の配慮を信頼していくのです。アブラハムがそのように目に見えない神の言葉に導かれて進んでいくことができたのは、アブラハムが行く先々で、すぐに、祭壇を築いて、主の名を呼んだからです。神を神とする、神の言葉をまず聞いてきたからです。アブラハムの生活は常に神を仰ぐ、礼拝の生活であったのです。

 この一年も初めから終わりまで、神に愛され、守られて来たことを感謝し
、神を仰ぎつつ、2020年を迎えたいと願います。

20191222 クリスマス礼拝説教  「私たちに与えられる大きな喜び」  山ノ下恭二
(イザヤ書11章1−9節、ルカによる福音書2章8−20節)


 主イエス・キリストの御降誕を祝い、皆さんと共に礼拝することができることを心から感謝致します。
 
 この礼拝でルカによる福音書2章8−20節のみことばを聞きました。ここには主イエス・キリストの誕生の物語が記されています。主イエスの誕生を知って駆けつけたのは羊飼いたちであったと記されています。この夜、地上の多くの人々は眠っており、羊飼いたちぐらいしか起きていなかったのです。ベツレヘムの家畜小屋で神の子、神と同じ方が誕生されたことは、ほとんどの人が知りませんでした。神が、その御業をなさっていた時に、地上の人々はそのことに気づくことはなかったのです。羊飼いたちに主イエスの誕生の知らせがもたらされ、羊飼いたちだけが主イエスの誕生の場所に駆けつけたのです。

 羊飼いたちに一番先に知らされたのは、羊飼いたちがいつもうれしい知らせを聞くことがなかったからです。羊飼いという職業は、農業と比較して、安定していない仕事であったのです。定住する家と土地を持たない、他のところに移動すると、その土地の人々が迷惑なので、ここに住むなと言われ、追い出されてしまうのです。羊たちが伝染病に罹ると羊たちはたちまち死んでしまい、収入がなくなり、貧しくなってしまうことがあったのです。このようにいつも不安に怯えている羊飼いたちに良い知らせがもたらされ、喜びがもたらされるのです。
 先週、NHK教育テレビで、日本の一人のヴァイオリニストが、ルーマニア、ブルガリアにいるロマ人(ジプシー)のある村を訪ねて、一緒にロマ人たちと演奏している場面を見ました。ロマ人は今でも定住しないで、テントの生活をしている人たちが多いと言うのです。各地を転々と旅をしてさすらっているのです。このヴァイオリニストが訪ねた村はロマ人が昔から伝えてきた歌を演奏している楽団がある村でした。演奏された歌は、迫害に遭い、追い払われ、誰もしたくないような仕事をして、耐えてきた、その深い悲しみを歌った歌でした。深い悲しみの奥底から出て来た歌であったのです。
 羊飼いたちも深い悲しみをもっていたのです。良い知らせなどには全く縁のない羊飼いにイエス・キリスト、救い主の誕生の知らせが、真っ先に知らされたのです。
 羊飼いたちにイエス・キリストの誕生が知らされたのは、深い意味があります。主イエス・キリストが、まことの羊飼いであるということと深く結びついているのです。主イエス・キリストは「わたしは良い羊飼いである」と言われ、「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と語られたのです。羊飼いは、羊のことをいつも心に留め、羊が危険な場面に遭遇した時にはいのちをかけて守ることを主イエス・キリストご自身が語られただけでなく、実際にイエス・キリスト御自身は、私たちが罪から救われるために、御自身の命を罪の犠牲として献げてくださったのです。

 羊飼いたちが、天使の知らせを聞いて、馬や牛のいる家畜小屋の飼い葉桶に寝かせられたままの主イエスの誕生を最初にお祝いしているのです。地上では、羊飼い以外は主イエスの誕生を知らなかったし、羊飼い以外は誰も祝いに来なかったのです。何事もなかったかのように人々は眠っていたのです。
 しかし、天においては主イエスの誕生はたいへん大きい出来事であったのです。神の仕事が始められ、その仕事が行われたのです。神の仕事とは、神の子をこの世に送ることでした。ミルトンの「失楽園」という作品の中で、神が御子をお遣わしになることが発表された時、天がどよめいた、と書いています。神が長く忍耐した後に、御子をお遣わしになり、それによって人間の一切の問題に解決をつけることができる、と確信しておられたのです。

 ルカによる福音書2章11節に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と語られています。救い主がお生まれになった、この救い主の誕生が、私たち自身の大きな喜びであると言うのです。
 「救い主」という言葉は、この当時、珍しいものではなかったのです。人々は救い主を待ち望んでいたのです。いちばん分かりやすい救い主は、政治家であったのです。この当時の皇帝アウグストゥスは、救い主と呼ばれていたのです。皇帝アウグストゥスはローマの平和を作り出し、他の民族がローマに侵入することのない平和な時代を作り出したのです。ギリシャ、トルコを訪ねると、その時代に造られた町の遺跡があり、公衆浴場があり、朝から風呂に入り、野外の円形劇場で剣闘士たちの戦いを見て、楽しんでいたことが分かります。

 人々は政治的な救いを求めているのです。仕事があり、住む家があり、お金もあり、快適で便利な生活を追い求めているのです。そのようなことを実現してくれる政治家の出現に期待し、待ち望むのです。
 しかし、生きるための外側の条件が整備され、整ったとしても、それで満足できるのかと言うとそうではないのです。住む家があり、収入があり、快適な暮らしができる、それで本当に満足できるか、と言うとそうではないのです。
 現代は管理社会で、そのシステムに人々は満足できるか、と言うとそうではないのです。現代の社会に人々は嫌悪感を持っているのです。決まり切ったことをしていることから抜け出したい、自分らしい生き方をしたいと思っているのです。自分の持っているものをもっと生かしたいと願っているのです。閉塞状況から抜け出したいと思っている人が多いのです。自分の生きている手応えを求めているのです。表面的には恵まれているようで、魂の渇き、飢えがあるのです。豪邸に住み、高級な洋服を着て、ブランド品のバックを持ち、高価な料理を食べても、満足できないのです。政治家が国民のために安定した豊かな暮らしをしてもらおうと努力してそれが実現したとしても、それで私たちが満足するかと言うとそうではないのです。孤独で、魂が渇き、飢えているのです。

 私たちの生活には、罪、死、愛する者の別れなどがありますが、そのような問題は、私たちの力では解決できないのですし、この世にあるものでは救い出してはくれないのです。神にしか解決できないのです。神との関係の中でしか解決できないものなのです。

 ルカによる福音書2章10節に「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのための救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と語られています。「あなたがたのために」という言葉が大切です。ただ、ひたすら「あなたがたのために」救い主イエス・キリストを誕生させたと言うのです。神は自分にプラスになるから、得になるから、イエス・キリストを誕生させたのではないのです。神は自由な方なので、神の子をこの地上に送らなくてもよかったのです。しかし「あなたがたのために」ひたすら、そのことだけを思って、イエス・キリストをこの地上に派遣したのです。
 
 金曜日に行われている「聖書を学び、祈る会」でホセア書を学んでいます。
預言者ホセアは、神との契約を破って偶像礼拝しているイスラエルの民に対して、裁きの言葉を語ります。しかし、イスラエルの民は、ホセアの言葉に耳を傾けることなく、豊かな生活をするために、御利益をもたらすバアルの神を拝むのです。このことをホセアは指摘します。「養われて、彼らは腹を満たし、満ち足りると高慢になり、ついには私を忘れた。」(13章6節)そして、悔い改めを迫るのです。「神のもとに帰れ。愛と正義を保ち 常にあなたの神を待ち望め。」(12章7節)神の言葉を聞かないで、地上で豊かな生活をすることを望んで、その時を過ごしている者に、それでもホセアは神の愛を語ります。「わたしは、もはや怒りに燃えることなく エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」(11章9節」
 神との契約に基づいて、契約の条件である戒めを守るようにと契約を結んだのですが、イスラエルの民は、神をまことの神と礼拝せず、隣人を愛することがなかったのです。自分ファースト、自分の生活を最優先する生活であり、神から心が離れ、自分だけを愛する生活をしているのです。
 そのような者に対して、神はなんとか救いたい、神との正常な関係を取り戻したいと強く願っていたのです。しかし、この契約は破綻したのです。
 
 預言者の活動は無駄であったかというとそうではなかったのです。将来、新しい契約を結ぶ時が来ると、預言者エレミヤは、「新しい契約」を語るのです。この新しい契約によって、神とイスラエルの民とが新しい関係をもつ時が来るだろう、と語ります。この新しい契約は、「罪を赦す契約」であると語ります。エレミヤ書31章32節「この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて小さい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪を心を留めることはない。」

 私たちの深い罪を赦すために、神はどのようなことを考えられたのでしょうか。それは、神が、御自分の外に出て、肉体を取り、イエスと言う人間となられたのです。これは、大きな冒険であるのです。遙かに遠い天のかなたから、この地上に来られたのです。自分がどのように扱われるのか、分からない、そのような中で、この地上に来られたのです。このような手段を用いて、私たちが罪から救われ、神と共に生きる道を開いてくださったのです。そのことによって、神と私たちとの関係を回復しようと願ったのです。

 このことをハイデルベルク信仰問答は、問36で次のように質問しています。「キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。
」この問いに対して「この方がわたしたちの仲保者であられ、御自身の無罪性と完全なきよさによって、罪のうちにはらまれたわたしたちのその罪を 神の御顔の前で覆ってくださる、ということです。」と答えています。
 キリストの十字架の贖いによって、私たちの罪を覆ってくださったのだ、と言うのです。自分ファーストで、いつも自分のために生きている、この罪を覆ってくださり、あたかも罪がないかのように取り扱ってくださるのです。イエス・キリストの誕生は、あなたがたのため、わたしたちのため、なのです。

 この救い主は、救い主だと分かるような、光り輝く肉体をもっておられたわけではないのです。飼い葉桶の中に寝かせてある小さな赤ちゃんでしかないのです。神はたいへんな冒険をなさったのです。すべての民に与えられた大きな喜びを、この小さな赤ちゃんの肉体にお委ねになったのです。生まれたばかりの赤ちゃんは大人の手であったら、両手で抱える必要もないほど小さいのです。片手に乗ってしまうほどの、小さな肉体です。その赤ちゃんのからだを誰かが握ってぎゅっと力を入れたら、それでその赤ん坊の息は絶えてしまうのです。そのように弱い、いのちでしかないのです。そのような存在に神の子がなっておられるのです。神は、その赤ちゃんを生まれさせるということに、ご自身の人類を救うことをされたのです。このような方法で、私たちに救いをもたらそうとしたのです。

 神はこのような方法によって、私たちが罪から解放されて、神との正常な関係を造ろうとされたのです。私たちの罪をすべて引き受けて、苦しんでくださるのです。この世の人々はみな眠っていて、羊飼いだけに主イエスの誕生の知らせが告げられ、羊飼いたちは急いで、主イエスのもとに行き、主イエス・キリストの誕生を祝ったのです。主イエスの誕生は、私たちのための誕生であり、私たちへの神の愛のしるしであるのです。

20191215 主日礼拝説教  「苦しむ者はイエス・キリストのもとに」  山ノ下恭二
(イザヤ書57章14−19節、ルカによる福音書4章38−44節)


 私たちは、家族が病気になるととても心配し、治るように祈り、出来るだけのことをします。病のために苦しんでいる本人も大変ですが、看護、介護を担う家族もとても大変です。私の知っている人ですが、この人の妻が数万人にひとりの割合でおこる難病を抱えて、寝たり起きたりの生活をしています。夫は食事、炊事、洗濯などを一手に引き受けていますし、それに加えて、妻の病院への送迎など、毎日、分刻みで動き働いているので、とても大変だ、と私に話したことがあります。病を持った本人ばかりでなく、介護している家族も多くの苦労をしているのです。病人とその家族は大きな重荷を担っているのです。

 本日の礼拝において、ルカによる福音書4章38−44節のみことばを読みました。主イエスは安息日に会堂で説教をなさった後に、シモンの家に来られたのです。このシモンと言うのは、ルカによる福音書5章に出てくるシモン・ペトロのことです。このペトロは主イエスの一番弟子になった人ですけれども、ここでは、まだ弟子になっていたわけではないのです。明らかなのは主イエスの弟子になる前に、シモンは主イエスを知っていたのです、漁師をしていたシモンの家に主イエスがやって来られたのです。食事をしに来られたのです。礼拝のあと、食事に招かれて来られたのです。ペトロは結婚していましたけれども、妻は登場しないで、妻の母が姿を現しているのです。このシモンの姑は、主イエスをもてなすための食卓を用意する責任を担っていたのです。

 この当時、会堂で説教した者をもてなすことは、信徒たちのひとつの大切な務めであったのです。会堂で説教を語った教師を、今度は、自分たちが心を込めて食事を用意してもてなしたのです。
 この日は安息日でしたから、料理をすることは禁じられていましたので、前の日に用意しておかなければならないのです。この日、シモンの姑は高い熱を出していたので、朝からの礼拝に行って主イエスの説教を聴くことができなかったのです。安息日の礼拝に来て、主イエスの説教を聞いた人々がシモンの姑の病、高熱を出して苦しんでいることを大変心配して、主イエスに癒してくださるように熱心に頼んだのです。汚れた霊に取りつかれた人の悪霊を主イエスが追い払って、癒してくださった、その場面を目の当たりに見て、ぜひ、シモンの家に来て、姑の苦しみを取り除いて欲しい、とお願いしたのです。
 このシモンの姑のことを心配して礼拝に集まった人たちが、礼拝の席から主イエスについて来たのです。人々はとにかく、主イエスに彼女を何とかしてやって欲しいとお願いしたのです。

 私は今まで高熱を出して苦しんだことが一度、あります。クリスマスのこの時期のことです。東京神学大学院を修了して、3年間を岡山の蕃山町教会で副牧師をしていましたが、その後、和歌山の田辺教会に主任として赴任しました。この年はいろいろなことが重なりました。4月に田辺教会に赴任し、幼稚園の園長になったのです。幼稚園の園長の仕事は始めてですし、慣れるのに時間がかかりました。5月に岡山の蕃山町教会で結婚式があり、10月に教団の正教師試験があり、12月中旬に大阪教区で按手礼を受けて、クリスマス礼拝には、洗礼式と聖餐式をすることになっていたのです。按手礼を受けなければ、洗礼式や聖餐式はできないので、絶対に按手を受けなければならないということで、大阪に行きました。大阪で行う按手礼式がある前日から、熱が出て、身体の具合が悪くなり、家内に寄りかかりながら、やっとの思いで大阪で按手を受けて帰って来たのです。帰宅してから、40度の高熱が続いたので、入院をして、クリスマス礼拝の時には、病院にいたのです。高熱であごが腫れて、顔がげたのようになってしまいました。疲れのために身体が弱っていたこともあり、幼稚園の子どもからおたふく風邪をもらったようで、12月23日に退院しました。大人になってからのおたふく風邪はきついと言いますが、まさしく高熱が続くことは辛いことを経験しました。

 シモンの姑は高熱を出して苦しんでいるのです。だからシモンの家に行って癒してください、と言う人々の願いを、主イエスはお聞きになったのです。
 主イエスはその願いをお聞きになって、「枕もとに立って」と39節には書かれています。「枕もとに立って」という言葉は、この福音書を書いたルカらしい表現です。ルカは医師です。ルカは医師として多くの病気を治療してきた、その経験から主イエスの癒やしのみ業がどのように行われたかを見たに違いないのです。「枕もとに立って」この姑に身を寄せて、ほんとうに近くで病を自分の病と受けとめながら、この姑の病をご自身のものとしたのです。床に横たわっている人の枕もとに主イエスがお立ちになって、熱が引くように命じられると、その言葉の力でたちまち熱は追い払われたのです。

 39節後半に「熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。」と記されています。「もてなした」と言うのは、主イエスに「お仕えした」ということです。この短い言葉に私たちは余り気に留めないと思いますが、「彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。」と言う言葉は、深い意味があります。私たちは、病気をしたあと、回復するまでには、かなり時間がかかるのです。入院した後、ベットで横になり、歩かなかったために、足が弱り、元気であった時のように歩くことができないことがあります。退院したばかりの人に、夕食を作れ、とは言えないのです。それだけの体力がないのです。二週間、入院したら、元に戻るのに、4週間はかかるのです。長く回復の時を経験してやっと元の元気な生活を取り戻すことができるのです。元気の人でも、十人分の食事を作って用意し、客のお世話をすることは、たいへんな労力とエネルギーが必要です。シモンの姑が、主イエスをもてなした、と言うことは、イエス・キリストによって完全に癒され、完全に元気になったということを表しているのです。39節後半に「すぐに起き上がって一同をもてなした。」とあり、「すぐに」と記されています。立ち上がれなかったのに、主イエス・キリストによって、「すぐに起き上がった。」のです。シモンの姑は、主イエス・キリストによって病が取り去られて、ほんとうに喜びに溢れて、かいがいしく働いて、仕えたのです。
 
 この場面は、シモンの姑が病を癒されて、主イエスをもてなした、ということだけを言っているのではなく、私たちがイエス・キリストの十字架の贖いによって罪が赦された、その大きな恵みに感謝して、イエス・キリストに仕えるようになることを語っています。イエス・キリストを信じて、その恵みに感謝して生きる、それは私たちが奉仕の生活をすることです。自分のために生きる、自分の思い通りに生きる、のではなく、キリストの身体である教会に仕えることを意味しています。

 このシモンの姑が主イエスによって癒された時は、まだ安息日が終わっていない時でした。この時は、午後2時から3時頃であったろうと言われています。少し遅い昼食を摂ったのです。この時は安息日であり、安息日に主イエスはシモンの姑を癒したのです。安息日は金曜日の夕方から土曜日の夕方までです。安息日は、神が与えてくださった休息の時ですが、主イエスが地上におられた時代は、安息日には、労働もしてはならないことを厳格に守ることが神に従うことである、と考えられていたのです。主イエスと弟子たちが麦畑を通った時に、弟子たちが麦の穂を摘んだのですが、安息日に麦の穂を摘むことも労働として考えられていたので、主イエスはファリサイ派の人々に厳しくとがめられたのです。(ルカ6章)ここでも、人の病を癒すことは医療労働と考えられ、堅く禁じられていたのです。

 そのことを主イエスは、よくわきまえていたのです。安息日の戒めを破ることは、自分が刑罰を受けることになることをよく分かっていたのです。しかし、主イエスは、この当時の戒めを破ってでも、しなければならないと人々の緊急な願い、申し出を受けられたのです。
 これは主イエス・キリストの深い同情からくることです。同情と言うことは、「共に苦しむ」という意味の言葉です。同情という言葉は、ギリシャ語で、シンパシーという言葉です。シンは、「共に」です。パシ−は、「苦しむ」という言葉です。相手が苦しんでいることを自分のことのように苦しむ、相手と同じように苦しむのです。

 主イエスがガリラヤで「神の国が来た」と語られています。神の国とは神の支配のことです。この神の国とは、場所ではないのです。時代のことです。日本も支配者が変わっていくのですが、支配する者が変われば、人々の生活も変わるのです。神の国、イエス・キリストによってもたらされる神の支配、それは神が愛していることをイエス・キリストの言葉と行動によって明らかにしたのです。主イエス・キリストは、シモンの姑の病苦に無関心でなく、あえて戒めをも破って、その苦しみを自分のものとして引き受ける、苦しみをもたらす病から解放して自由なものとするのです。この主イエス・キリストのお姿の中に神のお姿があるのです。

 4章40節に「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスは、その一人一人に手を置いていやされた。」本人が病で苦しんでいる、そしてその病人を世話して、関わっている家族、近所の人たち、友人たちが主イエスのもとに連れて来たのです。たくさんの人数です。病気の人も苦しんでいますが、世話をしている人も苦しみ、疲れ、どうにかしてくれと主イエスのもとに来たのです。主イエスのもとに自分の重荷を持ってきたのです。

 私が牧師をしていて、経験したことは、教会に病を抱えて来る人はかなり重い人が来るということです。多くの病院で治療を受けても治らないので、教会に助けを求めてくる場合があるのです。
 私が北九州の若松教会におりました時に、私の前任の牧師が「いのちの電話」に深く関わり、その関係で知り合った人たちが教会に来ていたのですが、ほとんど精神的な病を抱えた人たちでした。私も精神的な病を抱えた家庭を訪問することがあって、精神的な病をもっている人をお世話している家族がとても苦しんでいることを知るようになりました。ある母親から次のような話を聞いたことがあります。自分の子どもが自殺願望で、手を切ったり、ガスを開いて死のうとしたりする、それは自分が育て方を間違ったのではないかと自分を責めていたのです。主イエスのもとに病と言う重荷を持ってきた人たちを、主イエスは拒否せずに受け入れて、主イエスのもとに重荷を降ろすことができたのです。

 この福音書を書いたルカという人は、とても丁寧に主イエスのお姿を描いています。ルカも医師として、心のこもった医療をしていたに違いありません。40節後半に「イエスはその一人一人に手を置いていやされた。」と記されています。「手を置いて」というのは、現在、牧師になるときに按手をしますが、その元の言葉です。手を置いて、按手をして神の祝福を祈り、癒されたのです。しかも、「一人一人」と書いてあるので、一度にみんなに、というのではなくて、続々と主イエスのもとに来た人たちを、丁寧に夜が明けるまで、徹夜でこの癒やしの業をなさったのです。

 「いろいろな病気で苦しむ者」が主イエス・キリストのもとに来たのです。私たちは、イエス・キリストが臨在しているこの教会に来ています。ひとりひとり、抱えている苦しみが違います。仕事での苦しみ、家族のために介護していることで疲れている、孤独の中で人には言えないさびしさを感じている、たくさんの苦しみを抱えているのです。その私たちがここに来ているのです。教会は、イエス・キリストが臨在しているところですから、その私たちをキリストが迎えて、愛してくださっているところなのです。そして手をおいて、祝福してくださるところなのです。

 私自身、中学生の時に長期入院したこともあり、この時の経験をきっかけとして聖書を真剣に読むようになり、信仰を与えられ、幼児洗礼をしていましたので、高校一年生の時に、信仰告白をすることができました。そして、それ以来、私は、教会につながることによって慰められ、励まされてきたのです。教会の兄弟姉妹が熱心に私のために、心配して祈ってくれたのです。

 病を治してほしい、癒して欲しい、という願いをもって主イエスのところに大勢の人たちが押し寄せてきたのですが、主イエスはその人たちに深い同情を寄せていますが、病を癒すことが、本来の目的ではなくて、この癒しによって、癒された者が、神がいかに憐れみに富み、慈しみ深いか、を知って、神を受け入れ、信じる者となってほしいと願って、病に苦しむ人たちのために、癒しの業をなさったのです。
 
 私たちの教会には、病に苦しんでいる兄弟姉妹がたくさんいますし、病気の人を看護、介護している家族がいることを私たちは知っているのです。
 シモンの姑が高熱を出して苦しんでいる、そのことを聞いた人たちが、この病を癒されるように、主イエスにシモンの家に行って欲しいと熱心に頼んだのです。私たちは病気で苦しんでいる、教会の兄弟姉妹が癒されるように行動を起こしているのでしょうか。私たちは兄弟姉妹の病が癒されるように覚えて祈ることが大切なのです。

 加藤常昭先生が「慰めのコイノー二ア−牧師と信徒が共に学ぶ牧会学−」という著書の中で「9日間の祈り」というテーマを書いています。「ある教会の礼拝に招かれ、説教をしたときのことです。礼拝に入ろうとして壁に貼られた紙に気づきました。上段に『ノヴェーネ』と記され、その下に、10人近くの方々たちの名前が書き上げられています。そして、そのひとりひとりの名の右側に、何人もの名前が書き込まれています。明らかに自由に自分の名を書き込んでいるのです。立ち止まらずにはおれませんでした。そして、とても感動しました。」これは、ボーレン先生が、日本に来たときに紹介したことで、日本の教会でも始まったのです。
 「とりなし」という講演で、ボーレン先生が若いときに、オランダの教会にひとりの病人のために9日間祈る習慣があり、それを「ノヴェーネ」と呼んでいることを知って、自分も早速実行に移されたのです。
 「ボーレン牧師は、教会員のなかで誰かが病気になると、数人の教会員に祈りの群れを作ってもらいました。長老がなかに加わります。そして誰かの家に集まり、9日間、病む仲間のために祈り続けます。そして、毎日、誰かが見舞いに行きます。それが教会にとってどれほど恵みの経験となったかを語っておられます。」お見舞いに行ったりすることはできないかも知れません。しかし、病に苦しんでいる兄弟姉妹を覚えて祈ることはできます。

 私たちの教会は、神の家族です。教会は、兄弟姉妹が互いに悩みや苦しみを共有し合う共同体なのです。特に、病で苦しんでいる兄弟姉妹を心に留めて、病が癒されるように心を込めて、執り成しの祈りをしていきたいのです。

20191208 主日礼拝説教   「あなたの苦しみに同情する神」  山ノ下恭二
(イザヤ63章7−10節、ルカによる福音書4章31−37節)


 私が時々、罹っている病院の医師は、とても親切で丁寧に診察してくれます。先日、新宿区のがん検診で胃の内視鏡の検査を受けた時も、どういう手順で、何分ぐらいかけて検査をするのかをよく説明してくれました。
 医療の現場では、科学的な検査の結果を重んじて、パソコンの画面を見ながら、説明する場面が多いのです。医師が画面だけを見て、患者の方を向かないで、説明することが多いのです。検査の数値が画面に出て来て、その数値を見せながら、あなたはコレステロール値が高いから、この薬を飲んでください、心臓カテーテルの検査の結果、血管がかなり細いのですが、しばらく様子を見ましょう、と医師が言うだけで診察が終わることがあります。

 しかし、医療にはもうひとつの大切な側面があるのです。それは、医師が、病をもっている人にどれだけ時間を取り、どのような言葉をかけるのか、と言うことです。患者への、医師の態度や対応のあり方なのです。医療は病気を治すためにあるのですが、医師の対応や言葉というのが、治療に関わる重要なポイントになるのです。医師が、相手に対して情愛をもって語りかけることが大切ですし、検査の結果についての数値をいうだけではなく、「心配しなくても大丈夫ですよ」「前よりも良くなっていて良かったですね」と言う相手に対する感情を込めた、語りかけが医療の本質なのです。検査の数値という証拠によって科学的に治療することだけではなく、相手に語りかける、感情的な触れ合いが医療の現場では大切なのです。病を癒すには、医師の人間性、人格性が大きく影響するのです。

 朝日新聞には、毎週、土曜日に別刷りの特集号があり、その中に「それぞれの最終楽章」というコラムが掲載されています。ホスピス病棟での経験をもっている一人の医師が「看取りの方法」という題で連載していました。ある時のコラムには、医師が死亡診断書を書くときには最大限丁寧に書くことを勧めていた記事がありました。そして次には、患者の家族に死期を告げる時の医師の言葉について書いてあります。「医師も人間です。死期を告げるのは心苦しいのです。だからつい『何が起きてもおかしくありません。』とか『急変の可能性があります』」という遠回しな表現を使ってしまいますが、これでは家族には伝わりません。たとえば、『亡くなる経過をたどり始めています。一週間程度で(数日のうちに)お別れがくると思います。』と言う言い方は伝わりやすいと思います。併せて、死期を伝えるのは、亡くなるまでの時間をより有意義に過ごしてほしいと願ってのことであること、家族がぎりぎりまで患者に出来ることも伝えてください。たとえば、患者の聴覚は最後まで残っていて、好きな音楽をかけたり話しかけたりすると、反応できなくても患者には伝わっている、といったことです。」医師が患者や家族に愛をもって対応することが基本なのです。
 
 本日の礼拝で、ルカによる福音書4章31−37節のみことばを読みました。ここには、主イエスが安息日にカファルナウムの会堂で説教をし、その会堂にいた、汚れた霊に取りつかれた男を癒したことが記されています。
 この日が安息日であったことはそれだけしか書いていないので、あまり注意をしないと思いますが、この日が安息日であったことは、とても重要であるのです。この安息日の戒めがあるのは、神が6日間かけて天地を創造し、その労働を終えて7日目に休まれたことを理由にしています。この日を、労働をしないで安息する日として守っていたのです。安息日は「シャバト」という言葉ですが、この言葉は「中断する」「止める」と言う意味の言葉です。自分の仕事を中断して、神の言葉に耳を傾ける時として過ごす日として、この当時のユダヤの人々は会堂に行って礼拝をしていたのです。

 安息日の規定は十戒の4番目の戒めで、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあり、続いて「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息であるから、いかなる仕事もしてはならない。」と書かれています。この当時、戒めの中でも、この第四の戒めを厳格に守り、労働しないことが神に従うことだと考えていたのです。しかし、この戒めの本来の目的は労働を休むことにあるのではなく、自分の仕事を止めて、神に心を向けてこの日を過ごすことが目的であるのです。仕事を止めて、神の恵みを与えられて、心も身体も回復することに意味があったのです。しかし、戒めを厳格に守ることが信仰生活であると考えていた、律法学者やファリサイ派の人々は安息日の規定を厳しく守ることが最も重要であると考えていました。

 主イエスは、安息日に会堂に行き、説教をされました。聖書のみことばを読み、すぐに説教を始めたのです。この主イエスの説教を聴いていた人々から反応があったのです。それは今までの説教と全く異なっていたからです。4章32節に「人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」この人たちが聴いてきた説教は、律法学者が旧約聖書の字句を詳しく解説した説教であったのです。律法の言葉の一字一句の言葉を解釈していく説教であり、今まで聴いてきた解釈と同じ解釈をするので、聴衆が聴いて心が躍るようなものではなかったのです。

 それに対して主イエスの説教には驚きがあったのです。そこには権威がありました。主イエスの説教には権威があった、神が語るような権威があったので、汚れた霊に取りつかれた男が、主イエスを「神の聖者だ。」と叫んだのです。
 主イエスが語る説教の言葉には、権威があった、それはどのような意味なのでしょうか。ガリラヤでの伝道の第一声の言葉は「神の国が来た、悔い改めて、福音を信じなさい」です。神の愛の支配が来ている、神が一人ひとりをかけがえのない大切な相手として愛してくださる、それは主イエス御自身の言葉と行動によって明らかになるのだ、と語るのです。戒めを守ることが他のものに優先することではなく、戒めを守ることができない、神から離れた者こそ、神の愛の対象であることを語られたのです。主イエスの説教を聴いた人々は、今まで聴いてきた説教と全く異なるので驚き、心が動いたのです。聴いている者の心が動き、神が慈しみ深く、憐れみの神であることを信じるようになったのです。

 主イエスが説教をしている時に「汚れた霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。」のです。「汚れた霊に取りつかれた」とは、どのようなことを語っているのでしょうか。私たちはこの人は「精神的な病をもった男だ」と理解する人が多いのです。そのように解釈すると分かりやすいのです。

 しかし、私は精神的な病をもった人と限定して考えないほうが良いと思います。その人に問題があるという理解ではないのです。私は、児童養護施設の理事を長くしてきました。その児童養護施設の37名の子どもたちが毎週、日曜日の朝、教会学校に通っていて、子どもたちの生活についていろいろ知らされてきました。子どもたちが素因的に精神的な病を元々もっていたと言うよりも、家庭の環境によって心が病んでしまうことが多かったのです。理事会で、子どもたちが一月に何回、どのような病いで病院に行き、薬を服用しているか、のデータの用紙が配られて見てみると、ほとんどの子どもが心療内科、精神科に通って、精神薬を服用しているのです。親の虐待、育児放棄などによって、心も身体も深く傷ついて入所して来た子どもたちです。そして信頼していた親に虐待されて、大人を信頼できない、という不信感を持ってしまうのです。環境によって心が病んでしまうのです。
 子どもたちは、大人がどれだけ、自分を愛しているのか、試すこともするのです。ひどいことを言ってみて、この人が自分を見放すか、どうか、どんなひどいことをしても、自分をどこまでも愛してくれるかを試すのです。
 環境によって心身共に疲れて、心が病んでしまうのです。現代の社会でも、長時間労働や職場でのいじめなどで、過労自殺をしてしまうのです。本人のせいではなくて環境によってもたらす病があるのです。
 
 汚れた霊とは、私たちとは無関係ではなくて、身近にあるのです。ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公のラスコーリニコフは、貧しい人々に高利貸しをしている老婆がしていることを赦すことができませんでした。この老婆は、借金を返済できない貧しい人々を苦しめていたのでした。このようなことをしている老婆を殺して、殺すことは正しいことだと思い込むのです。そして殺人を犯すのです。自分の考えが間違っていないと思い込むこと自体、汚れた霊に取りつかれているのです。
 私たちも自分の思い込みで行動してしまうのです。あの人がしていることは間違っている、そう思うことがよくあります。間違っていることを放置することは正しいことではない、その人の存在をうとましく思う、いなくなれば良い、そのように思い込んでいく、それは汚れた霊に取りつかれるようになっていることです。そして、その思い込みが、行動に出て相手の存在を脅かすものとなるのです。信仰は思い込みではありません。神がいると思い込むことが信仰ではないのです。ただ神に信頼して、神のみことばに従うことなのです。自分の気持ちや自分の思い込みから自由になって、ただ神のみことばに聴いて従っていくことなのです。

 私たちは、様々なことに囚われているのです。自分の感情に囚われている、自分の考えに囚われているのです。様々なメディアに影響を受けて、一つの考え方に縛られているのです。歩きスマホをしている、電車でもほとんどの人がスマホでその画面をみている、日本中、同じ番組を見て、その文化に影響を受けているのです。自分の考えを持たないで、同じような考え方になっていくのです。

 紀元3世紀の、最初の教会では、洗礼を受ける前に、悪魔払いをしていたのです。洗礼を受ける洗礼志願者に、司祭が額に油を塗っていたのです。「油を塗る」ことは「聖霊の油を塗る」ことを意味していました。悪魔の支配から解放されて、聖霊に支配される生活へと転換し、移ることなのです。現在の私たちは、悪魔払いというと、映画の架空の世界のことだと相手にしないかもしれません。私たちは自分たちが汚れた霊によって支配されているとは考えていません。しかし、洗礼を受ける事は、悪魔から、悪霊から解放されることだ、と信じていたのです。最初の教会の人々は実際に悪魔が実在し、汚れた霊が活動して、その悪霊がどんなに大きな力で人間を支配しているのか。その恐ろしさを身近に感じていたのです。

 安息日に礼拝している時に、突然、汚れた霊に取りつかれた男が奇声を発して、何かを叫んでいるのです。この礼拝に出席している人たちは、この人が早く出て行って欲しいと願っていたのです。しかし、主イエスはこの汚れた霊に取りつかれた男をしっかりと受けとめて、まともに相手にしているのです。このような人と関わることを避けたいと思うことが多いのです。しかし、主イエスは、この男を避けたり、関わりを持たないのではないのです。深く関わったのです。この汚れた霊に対して「『黙れ、この人から出て行け』とお叱りになった。」のです。この男を縛っていた汚れた霊を追い出しているのです。主イエスがみことばの説教をしている、その場面で、汚れた霊に取りつかれた男を主イエスは癒したのです。

 主イエスは、説教でみことばを語りました。神の愛の福音を語りました。それだけで終わらず、汚れた霊に取りつかれた男をいやしたのです。ここに大切なメッセ−ジがあるのです。説教で語られた神の愛が、言葉だけで終わらず、実際に、汚れた霊を追い出して、この男を汚れた霊から解放したのです。それは、主イエスが汚れた霊に縛られているこの男の苦しみに深く同情したからです。同情という言葉は「共に苦しむ」という言葉です。この男が汚れた霊でどうしようもなくなって苦しんでいる姿、それは主イエスご自身の苦しみとして受け取り、深く同情されたのです。この主イエスの愛の行動によって、この男は汚れた霊から解放されたのです。

 この日が安息日であったことも私たちが心に留めて良いことです。安息日は、労働が禁止されていましたから、病を癒すことは労働になりますから、律法違反になるのです。しかし、主イエスは、安息日の規定を破ってでも、汚れた霊に取りつかれた男を救いたいと強く願い、この男のために時間を取り、行動に出たのです。このことによって神の愛がこの男に注がれて、愛されていることを実感することができたのです。汚れた霊がこの男から離れると、人々はこの癒やしの奇跡を目の当たりに見て、主イエスにおいて神の恵みと力が実際に働いていることが分かり、主イエスを新しい目で見るようになったのです。この癒しによって人々は神を畏れたのです。
 この時代は、悪霊を追い出して病いを癒すのに、呪文を唱えることによって汚れた霊を追放することをしていたのですが、そのような方法ではなくて、主イエスは言葉をもって汚れた霊を追い出したのです。

 神の霊・聖霊は、汚れた霊にとっては自分の存在を呑み込んでしまうような大きな力をもっているのです。聖霊であるイエスキリストにおののき、汚れた霊は、「神の聖者です」と叫んで、滅びてしまうのです。私たちは聖霊なるイエス・キリストにより、私たちの罪を赦し、愛してくださる主に支配されているのです。

 私たちは他の人の言葉や行動によって傷つけられた経験をもっています。侮辱的な言葉、理不尽な扱い、無視され、見下される、そのような振る舞いによって深く傷つけられるのです。それによって私たちは心が乱れ、混乱し、病を得ることがあります。それは人間がもっている深い罪によることです。
 しかし、主イエス・キリストは私たちと同じように傷つき、共に苦しむ方なのです。この方が、聖霊によって、私たちと共にいてくださり、私たちの心を癒し、支えてくださるので、私たちはしっかりと立ち続けることができるのです。

 私たちは、待降節の時を過ごしています。主イエス・キリストがこの地上に来てくださったのは、私たちが汚れた霊から、解放されるためなのです。聖霊によって生きるためです。

 長くアフガニスタンで医療活動をしていた、中村哲という医師が、先日、アフガニスタンで銃殺されました。アフガンの人々のために、医療活動をしていましたが、現地の人々のためには、緑豊かな土地で食料がないと生活できないことを認識し、水路を造ることを始め、緑豊かな土地に変貌しています。この人は北九州の若松の出身で、キリスト者です。私が若松教会にいた頃、中村医師の講演会に参加して、ペシャワール会を知りました。

 聖霊を受けて生活をするというのは、神を礼拝し、自分が神に愛されるように隣人を愛することであることなのです。主イエスが来られたのは、私たちが神を愛し、隣人を愛する生活をするためなのです。

20191201 主日礼拝説教   「私たちの魂を支える言葉がある」  山ノ下恭二 
(イザヤ書61章1−3節、ルカによる福音書4章14−30節)


 本日から待降節(アドベント)に入りました。この待降節に主イエス・キリストのご降誕の意味を心に留めながら、この時を過ごしたいと思います。
 
 主イエス・キリストの御生涯について考えると、特に公生涯と呼ばれている伝道の生活をなさった時のことを考えて、前半はとても明るく、楽しい伝道生活であったと考える人が多いのです。主イエスについて伝記を書いたある人は「ガリラヤの春」と呼んでいるのです。ガリラヤ湖の美しい春の景色になぞらえるような穏やかで楽しい伝道をされていたのではないか、と書かれています。みんなが主イエスを喜んで歓迎したと考えるのです。ところが、だんだん主イエスを巡って周りの人々の間に亀裂が生じて、十字架につくことになります。つまり、初めは伝道者として成功しておられたけれども、道半ばして挫折して、遂に殺されてしまった、そのように考えるのです。多くの人々が主イエスの伝記を書きましたが、主イエスの伝道の前半は順調で皆が主イエスを受け入れたけれども、後半になって受け入れられず、十字架につけられ殺されてしまった、そのように書いている伝記も多いのです。

 しかし、福音書そのものは、それほど単純ではないのです。特にこのルカによる福音書は、この点においては明瞭です。ルカによる福音書4章14節から主イエスの最初の礼拝、説教を記録していますが、この結末は何であったかと言うと、これを聞いた人々が憤ったのです。そして遂に主イエスを殺そうとするまでになり、主イエスはその憤りの中を通り抜けて去られたと書いてあるのです。それが28節以下の伝えるところです。「ガリラヤの春」と呼ばれるような穏やかで、のどかな雰囲気はないのです。

 皆さんは教会の礼拝に出席し、説教を聞いて、退屈に思ったり、自分の意見や考えと違う言葉を聞かされて反発し、これを無視したくなる、そういう経験がないわけでもないと思います。しかし、説教者本人に自分の気持ちを話すことはしないと思いますし、そのことを他の人に言うことでそれでお終いにするのです。礼拝が終わった後に、説教者に直接、「先生の話に同意できません」「先生の話は心に響きません」などと言うと、説教者にとっては心外に思うだろうし、失礼に当たるので、話すことはないと思います。
 
 しかし、ここでは主イエスの最初の礼拝において激しい反発があったのです。説教者イエスが実際に殺されそうになったのです。説教者としていちばんみじめな体験をしたということです。いくらひどい説教をしたとしても、実際にそこに集まっている人たちが総立ちになって憤りに満ち、説教者を罵倒し、ひっぱたいたり、教会から追い出したりということは起こりえないのです。ところがここではそうではなくて、主イエスを殺そうと「総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。」のです。これが礼拝の結末であったのです。

 ナザレで主イエスが礼拝説教をなさったことは、マタイ、マルコによる福音書に記されています。そこには、主イエスがナザレの人々の不信仰に驚かれたという言葉で終わっているのです。このルカによる福音書には、主イエスを殺そうと山の崖まで連れて行き、突き落とそうとしたと書かれています。なぜ、このようなことをルカによる福音書は書かなければならなかったのでしょうか。これは事実であったから書かないわけにはいかなかったのです。ルカという人は医者であり、相手の痛みが分かる心やさしい人であったに違いないのです。このルカにとって、このような主イエスの最初の礼拝を書き記さなければならなかったことは、とても辛いことであったのです。
 なぜ、このようなことになったのでしょうか。それは、主イエス御自身が語られた説教が原因であったのです。それは主イエスが人々の気に入るような説教をなさらなかったからです。人々が気に入るような礼拝をなさらなかったからです。

 4章19節に、主イエスがこの日の説教のために読まれたイザヤ書61章の最初の言葉が記されています。「主の恵みの年」の「恵み」と訳されている言葉と、24節に「自分の故郷では歓迎されないものだ」という言葉の中の「歓迎される」という言葉とは同じ言葉です。元のギリシャ語では、ディクトスという言葉が用いられています。このデイクトスという言葉は「受け入れられる」「気に入られる」と言う言葉です。

 ルカによる福音書4章19節にある「主の恵みの年を告げるためである。」と書かれている「主の恵みの年」と言うのは、ヨベルの年のことです。律法によれば「ヨベルの年」と言うのは、50年ごとに来るのです。ヨベルの笛が吹き鳴らされて、それまでに自分の借金のかたのために奴隷となっていた者は自由人になり、借金は帳消しになり、と様々な重荷が取り去られる、そのような時が来た、と言うことです。囚われた者に解放が告げられ、目が不自由で見えない者の目が開かれる、喜びの時が来る、人々の救いの時が来る、今、来ていると主イエスは説教されたのです。しかし、救いの時が主イエスにおいて実現する、私において実現するということを聞いて、人々は「この人はヨセフの子であり、特別な人ではないのに、どうしてそのようなことを言うのか」と反発しだしたのです。

 主イエスの誕生を祝うクリスマスを待ち望むアドベントの時に入りましたが、なぜ主イエスの誕生を祝うのか、それは、神の子が誕生されたからです。このことを初めて聞いた人は、イエスが神と同じ存在であると言うのは、そんなことがあるのか、と反発すると思います。
 24節では、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と主イエスは語っています。ここで主イエスは何を言っているのでしょうか。自分は、自分の故郷ナザレの人々には、気に入らない存在である、あなたがたの気に入らない存在として、今ここにいるのだ、と主イエスははっきり語るのです。

 気に入るとか、気に入らないとか言うことは、とてもわがままなことです。しかし、このナザレの人々と私たちのあいだにどれだけの距離があるのか、考える必要があるのです。皆さんは、ナザレの人々が、主イエスの説教を気に入らないなんて、ずいぶんわがままだなぁと思うかも知れません。しかし、皆さんも同じなのです。私たちは様々な基準を持っている、物差しを持っているのです。その中で最も重要な基準、大手(おおで)を振ってまかり通っているのは、「気に入る」「気に入らない」と言うことです。あの人を私は気に入っている、この人は気に入らない、と言うことです。私は部長に気に入られていない、あの人は部長に気に入られているから良い、そのように言うことがあるのです。あの人に気に入られるようにしようと努めることがあるのです。気に入る、気に入らない、という判断から自由な人がどれだけいるのでしょうか。私たちの生活の場面でも、「すべて気に入ることはないのだから、我慢しないといけないよ」ということがあるのです。職場でも自分の気に入らない上司がいる、一度、はっきり言いたいけれども、会社はやめたくないから我慢していると言う人もいるのです。家庭でも気に入る、気に入らないだけではやっていけないから、我慢している、ということがあるのです。

 ナザレの人々は、神からの救いについての主イエスの説教について、気に入らないと思い始めたのです。それに対して、主イエスはあなたがたの心は拒否している、あなたがたにとって、私は気に入る存在になっていない、そのように語られたのです。だからと言って、主イエスは人々が気に入るような言葉を語り直したわけではないのです。聴衆の反応がよくないので説明を変え、語り口を変えたわけではないのです。気に入られるように工夫をしたわけではないのです。一所懸命、伝道している苦労をしている人は分かると思いますが、教会につなぎとめたい、新しい人が多く来て欲しい、そのために少しでも気に入られるように努力をするのです。どうしたら相手が喜ぶか、その人が気に入らなくなったら、大変だと、ご機嫌を取ることに努め、心を砕くのです。しかし、そのようなことをすることによって、人々に気に入る救いだけを提供することになったら、本末転倒になるのです。相手が聞きたい、慰めの言葉を語ろうとか、相手が喜ぶような、受け入れやすい言葉を語るようになるとそれは、まことの福音ではなくなってしまうのです。

 主イエスの説教に対して、また主イエスに対して、ナザレの人々は受け入れず、気に入らなかったのです。そして、この気に入らない思いは、主イエスを殺すほどの思いであったのです。十字架につけずにおれないほどの思いであったのです。人間の心の中にあるものは、ほんとうに恐ろしいものです。気に入らないと思い続けて、人を殺してしまうほどの思いを私たちはもっているのです。

 主イエスの故郷であるナザレでの礼拝が、どうしてこのような礼拝になってしまったでしょうか。どうしてこのような結末を招いたのでしょうか。初めは明るい救いを告げる説教で、主イエスの説教に人々は心を打ち、喜んで聞いていたのです。22節に「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』」ここで「ほめる」と訳されている言葉は「証しをする」という言葉です。ある人について証言する、裁判所である人が裁かれるとき、その人について、その人がした行いについて証人が証言するのです。裁判所でなくても、私たちがいつもしていることです。あの人はどういう人ですか、と問われて、あの人は親切な人だ、心温かな人だ、と証言することがあります。その逆で、あの人はどういう人ですか、と問われて、少し意地悪なところがあると証言するとそれはけなす言葉になるのです。「イエスをほめ」という言葉は、「ほめる」と訳されていますが、「イエスをけなし」「イエスを非難し」と訳したほうがよいと考える人たちもいます。そして「驚く」と言う言葉も両方あります。一方では、あの人は実は立派な人だ、相手に対する賞賛に変わっていく驚きもありますし、逆に、あの人には驚いた、あんな人とは知らなかった、がっかりした、そういう驚きもあるのです。同じ言葉でも理解が二つに分かれるのです。主イエスの救いの言葉に人々は驚いたのですが、気に入らなかったのです。一方では感嘆し、感心したのかもしれません。しかし、私たち人間の心は複雑です。単純に感心するだけではなく、感心する心の裏にある思いがあるのです。それは22節の言葉にあります。「この人はヨセフの子ではないか。」恵みの話はよい、しかし、問題はこの男だ、この男は、大工のヨセフの子ではないか、ベツレヘムから帰って来て、我々の村で育ったイエスはないか、我々は、このイエスも、その家のこともよく知っている、大工の子が、なぜ神の恵みの言葉を語ることができるのか、なぜ今、そのような権威をもって神の救いを語るのか、全く分からないし、自分たちには気に入らないことだ、を言うのです。

 私たちは、自分がよく知っている人について、自分が知らない側面を見ることがあるのです。自分がよく知っていると思っていた相手が違った姿を取り始めると、気に入らないのです。私たちは自分が愛していると思っている相手に対して、その相手が自分の知らない側面を見せたり、自分の知らない生活を持っていたりすることがわかると腹を立てる、気に入らないのです。私にとってこの人はこういう人だ思い込んでいたときに、そういう人でなくなる時に、相手に対して失望するのです。自分が気に入った姿で無いとがっかりするのです。ナザレの人々は自分が知っていたイエスでない、自分が知っていたイエスからはみ出しているイエスを気に入ることがなかったのです。救いの言葉を語ることは受け入れられても、事もあろうに、主イエスご自身が救いをもたらす救い主であると語ったので、我慢できなくなったのです。主イエスはナザレの人々の思いをよく分かっていたのです。

 主イエスは「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と語ったのです。救いは主イエス・キリストにおいてある、主イエス・キリストにおいて救いが実現した、この主イエス・キリストの言葉はナザレの人々にとって、全く意外な、思いもよらない、予想しない異質な言葉なのです。

 ドイツの実践神学者ボーレン先生が書いた「天水桶の深みにて」と言う本があります。御自身の妻が鬱病にかかって、自殺してしまい、病める妻と共に生活した思いを書き、この病を克服するためにどうしたら良いのか、この本には信仰問答の言葉を暗唱することを強く勧めています。信仰の言葉が、私たちの心を立てるのです。このことと関連して、加藤常昭先生が書いた「子どものための説教入門」の中に、こう言うことが書かれています。「信仰を学ぶことはどういうことか。学ぶということが、何故カテキズム(信仰問答)を暗唱することから始まるのか。ボーレン先生は言われる。『救いは外から来る。人間の経験のなかには起こらない。』からである。外から来る。(略)ボーレン先生はそれに従い、信仰の心も私たちの心からは生まれない、外から来る、と理解する。その外から来る信仰によって、恵み、慰めに生きるために、外から与えられた言葉を聞かなければいけない。自分の言葉ではないのだから、まず、それは暗唱する以外はない。暗唱して、この「外からの言葉」が「内なる言葉になるのを待つのです。」(加藤常昭著「子どものための説教入門」p26)

 私たちが聞いている説教は、外から来る言葉です。「外からの言葉」と言うのは、ルターの言葉ですが、自分の経験の中から生み出された、自分の思いから出て来た言葉ではありません。自分の考えや経験からはみ出た異質な予想外の言葉です。私たちはいつも自分の経験や考え、願いに合った言葉であれば歓迎し、受け入れるけれども、そうでないと受け入れないのです。気に入らない
と言って聞かないか、無視するのです。私たちは、自分が聞きたいと思う言葉を聞きたいと思うのです。自分の中から出て来た言葉に共感してくれる、自分の心にすっと入って来る言葉を待っているのです。しかし、神の言葉は、自分が期待している言葉ではないのです。神が語られる、外なる言葉なのです。

 外なる言葉は、私たちの存在を根底から覆す審判の言葉にもなるのです。預言者の言葉はそのような神からの外からの審判の言葉でした。従って、イスラエルの人々は預言者の言葉を聞こうとはせず、無視するだけでなく、迫害したのです。神の言葉は、私たちを審判します。しかし、外なる言葉を聞き、そこで私たちは、砕かれて、自分の思いには反するのだけれども、神の言葉として受け入れ、アーメンと告白するのです。
 いつも自分を中心にして生活をしているので、神の言葉を気に入った、気に入らないと言って受け取ります。しかし、自分から離れて神を信頼し、ゆだねていく、言葉そのままを受け取り、アーメンと告白するのです。主イエスは、この事件のあと、救いの全く及ばない人々のところに出かけて行き、二度とナザレで説教はされなかったのです。

 主イエスは私たちの外、神のところから異郷の地上に来られたのです。私たちの外から来られた救い主です。この救い主は、私たちのために、肉体を取り、イエスという人間となられて私たちのこの地上に降って来たのです。それは、神から離れて、自分本位に生きている、私たちの罪を償うためなのです。
 主イエスのご降誕の意味を心に深く留めながら、このアドベントの時を過ごしたいのです。

20191124  主日礼拝説教  「あなたは誘惑に負けていませんか」  山ノ下恭二
(出エジプト記17章1−7節、ルカによる福音書4章1−13節)


 いつも主日礼拝で主の祈りを祈っています。主イエスが祈れと教えられた祈りが主の祈りです。この祈りに「我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。」という祈りがあります。この「試み」と言う言葉を現在、用いている新共同訳では「誘惑」と翻訳しています。「私たちを誘惑に遭わせず」と翻訳しています。試みとも誘惑ともどちらにも翻訳できる言葉なのです。最近、新しく翻訳された「聖書協会共同訳」は「試み」と翻訳しています。誘惑される、それは私たちの生き方を試みるものになるからです。お金にかかわる誘惑で失敗する人もおりますし、異性とのスキャンダルで仕事を失い、地位を利用してお金を受け取り、逮捕される人もいるのです。誘惑を受ける、それは私たちの生き方を試みるものになるのです。

 本日の礼拝でルカによる福音書4章1−13節を読みました。ここには主イエスが悪魔から誘惑を受けられたことが記されています。この誘惑の記事の前に主イエスが洗礼を受けられて神から神の心に適う者という言葉があり、主イエスが神から使命を与えられたことが語られています。
 
 主イエスが洗礼を受けられたと言うことは、どのようなことなのでしょうか。それは主イエスが、御自身が何のために生き、どのようなことをすれば良いのか、生きる理由と根拠と目標をはっきり神から示されたのです。私たちは自分がどのような生き方をすれば良いのか、分からなくなることがありますが、主イエスは神からはっきりした生き方を求められ、主イエスも神の意志に従って行く決断をしたのです。主イエスは神に従って、神の支配、神の国を宣べ伝えるのです。そのために御自分の命をささげるのです。主イエス御自身が献身される、その献身の道を始められたのです。神から命じられたあり方を貫いていくことは、様々な困難があり、戦いがあるのです。そうさせまいとする力が働く、抵抗する力が働くのです。

 誘惑という言葉は、試みとも翻訳されています。誘惑を受けると言うことは、誘惑されやすい弱さを持っているのか、それとも誘惑をはねつける強さを持っているのか、本人の実力が試されるのです。主体性を確保するか、それとも相手の強さに負けて、主体性を失ってしまうのか、どのくらい実力があるのか、試みられる、テストされるのです。誘惑をされても頑として動じないではねつけるのか、それとも誘惑にひっぱられてしまい自分を失ってしまうか、一人ひとりの実力が試されるのです。
 4章3節に「そこで、悪魔はイエスに言った。『神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。』」とあります。ここで悪魔は主イエスに自分の力で石をパンに変えるようにと誘っているのです。悪魔は主イエスが神から離れて、自分を信頼し、自分の実力で奇跡を起こしたらよいと勧めているのです。ここに大きな誘惑があるのです。

 これは神を信頼して生きることをやめてしまえ、と言っているのです。悪魔は「神の子なら」と言っていますが、この言い方は、主イエスを救い主として崇めているのではなく、主イエスには実力があるのだから、自分の力でできるだろうと、褒めながら、実は主イエスを試しているのです。

 今の社会では、ほとんどの人が自分の力で生きていると思っているのです。神に頼っている人は弱い人だ、という考えをもっている人が多いのです。主イエスに、神に頼るのは止めて、自分がどの位、力があるのか、を試してみたら、と言うのです。神に頼る、信頼することを止めさせようとするのです。
 そして悪魔は石をパンにするようにと誘うのです。パンというのは私たちのいのちを支えるものです。パンを食べなければ生きていけないのです。いつも私たちはパンを必要としているのです。パンは私たちの生命を維持し、支える大切なものです。いつの時代でも政治家にパンを要求するのです。悪魔が主イエスに石をパンにするようにという誘いは、主イエスが人々の求めている生活、経済的に豊かな生活をもたらす救い主になるようにという誘いです。そのほうが、人々に喜ばれるとそそのかしたのです。

 悪魔の誘いに対して、主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と書いてあります。この「人はパンだけで生きるものではない」
という言葉は、どのような意味なのでしょうか。この言葉を皆さんはどのような意味であると思いますか。ある人はこう考えます。確かに人はパンだけで生きるものではない、そうだ、もっと精神的なものが必要だ、食料事情が良くなったけれども、心が貧しくなった、心が豊かでないといけない、そう考える人もいるでしょう。パンを食べているだけでは生きていると言うことにならない、教養や道徳が必要だ、と考えるのです。しかし、そうは言ってもやはりパンがないと死んでしまい、パンがないと困るのではないか、そのように考えるのです。この「人はパンだけで生きるものではない」この言葉は、どのような意味なのでしょうか。

 この主イエスの言葉は、旧約聖書の出エジプトの事件を思い起こすものです。モーセによってユダヤの人々がエジプトから脱出したときに、40年の荒れ野の旅の中で、ユダヤの人々は空腹を経験し、空腹によって信仰が試されたのです。お腹が空いて仕方がない、そのような苦しみを経験していた時に、神は空腹で飢えていたユダヤの人々を神はそのままにすることなく、毎日、取って食べて満腹するだけのマナという食物を与えられたのです。

「人はパンだけで生きるものではない。」この言葉は申命記8章3節の言葉です。実は、この申命記8章の記事は、マナを民に与えておられる神のわざの中で語られた言葉なのです。人々が飢えたときに神が人々に「文句を言うな」、食べられないから、と不平を言うな、と飢えた人々に何も与えないで言った言葉ではないのです。マナをお与えになり、民を実際に養ってくださったのです。その人々の肉体を養いながら、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つひとつの言葉で生きる」と言うみことばを語られたのです。

 マナを受け取りながら、マナを拾いながら、このみことばを思い起こした人々はどんな思いであったのだろうか、と思います。マナを拾い、受け取りながら、これは神様からいただいたものだ、これは神様からいただいて私の肉体を生かすものだと思ったに違いないのです。マナは自分の肉体の飢えを満たし、自分の魂は神の言葉で養われる、というようにバラバラには考えなかったのです。肉体と魂と別々に考えているのではありません。このマナを与えてくださる神が、私たちをほんとうに生かすために言葉を一つひとつ与えてくださるのです。毎日、必要なだけのマナをお与えになるように、毎日、必要な神の言葉を一つひとつ神は語りかけてくださる、それによって生きるのです。

 私たちは、パンを与えると共に神の言葉を与え、私たちの肉体も魂もひっくるめて生かして下さる神に感謝するのです。その神を仰ぐときに、健やかな生活ができるのです。主の祈りに「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈るのは、神が今日、食べるパンを用意して下さる、その信仰を言い表しているのです。主イエスはパンを食べ、食事を楽しむことを心から喜ばれたのです。パンを食べる楽しさを知っていたのです。しかし、神の言葉を無視して生きることはできないことも明らかにされたのです。生きることは神に対して生きることであり、神の言葉をいただいて生きると言うことなのです。

 次に悪魔は世界のすべての国々の権力と繁栄を見せて、悪魔を礼拝するならばすべて与えると主イエスを誘っているのです。アウグスティヌスという古代の神学者は「人間は支配欲によって支配されている」と言っています。この人は若い頃、この世の地位や名誉を求めて生きていましたが、ある時、そのようなことは空しいことであることを痛感して、キリストの福音に出会い、回心したのです。この人の中には、永遠なものを求める気持ちが強かったので、死を超えて生きる永遠の生命とは何かを追及したのです。その観点から考察すると「人間は支配力によって支配されている」と語るのです。「支配力」とは権力欲、名誉欲、のことです。権力に対する意志と言うのは誰でも持っています。自分が中心になりたい、と言う欲求です。自分の命令で人を動かす、人を利用する、そのような権力に対する関心から自由になれないのです。
 
 「繁栄」と言う言葉は「栄光」という言葉で、この世での成功、幸福のことです。幸福になりたい、という欲求をいつも持っています。そしてメディアを通して、幸福とはこういうものだ、と見せられて、その虜になってしまうのです。大きな家があり、高価な洋服を着て、お金があり、何一つ不自由のない暮らしが幸福であるといつも虚像を見せられて、これが幸福だと思い込まされているのです。礼拝をしなくても、礼拝に行かなくても、聖書を読まなくても、祈らなくても、別にどうということもないのです。この世での楽しいことを求めてしまうのです。神から離れつつあることに気づかないで、地上の幸福を求めて行くのです。
 がんになっていることに気づかないで、自分は健康で問題がないと思い込んでいるようなものです。しかし、実はがんなのです。神がなくても、生きていけると思っている、そのあり方が問題なのです。主イエスは申命記の言葉を根拠にして、神を礼拝せよ、と反論するのです。

 次に悪魔は神殿の頂上から飛び降りてみろ、と言うのです。飛び降りても下で天使が守ってくれるというみことばがあると言うのです。なぜ、悪魔はこのようなことを言うのでしょうか。それは、主イエスが神であると言うのなら、神であるという証拠をみせろ、神であることのしるしを人々に見せろ、と要求しているのです。主イエスがあたかも神であるような、目を見張るような、みんなが驚くようなことを目の前でするならば、人々は主イエスを神と認めると言うのです。主イエスが神であることを証明するには、人々が神だと納得できることをしないと神と認めないと言うことです。神として目に見えるしるしを示すならば、信じるということなのです。

 教会のポストに新興宗教の団体のチラシが入っていることがあります。このチラシには、この団体に入ったら病気が治りました、家族が円満になりました、希望する大学に入学できました、という体験記が書かれています。自分の問題を解決できたから、この新興宗教は良い、と言うのは、自分中心で、自分のために信仰するということに過ぎないのです。その宗教を試すことになり、自分の願いを叶えることができれば、信仰するということです。信じて治らないならば、他の宗教団体に行くのです。神を自分のために利用するに過ぎないのです。自分の目に適い、良いものであるならば、神を神と認めてもよい、そのように自分が神をテストすることにほかならないのです。

 このことに対して、主イエスは『あなたの神である主を試してはならない』という申命記6章16節のみことばを引用して、反論しているのです。
 この申命記のことばの背景には、イスラエルの民が荒れ野の旅をしている時の体験があるのです。その体験は出エジプト記17章に記されています。イスラエルの人々が荒れ野の旅をしていて、水がなくなるという時に、人々が信仰を失い、罪が明らかになるのです。自分たちが飲む水がなく、喉が渇くので、このようなことになるのは、神が自分たちをどん底に突き落とすことをしたのだと言い出すのです。水がなくて困っているのに、神は何もしてくれない、このような神は神に値しない、神が生きてここにいるならば、水を供給せよと、不平を言い、つぶやいたのです。「彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けて。イスラエルの人々が『果たして、主は我々の間におられるのかどうか』と言って、モーセと争い、主を試したからである。」(出エジプト記17章7節 p122)と語られています。
 神が共にいるということは、自分の都合のよいように働き、自分の願いを実現させると言うことだと考えるのです。そのように自分に都合のよい神になることを求めるのです。自分にとって良い神とは、自分のために働いてくれる神なのです。自分が中心になって、自分の思い通りになる神を求めるのです。私たちは骨の髄まで自分を神としているのです。自分にサービスしてくれるならば、良い神である、と思うのです。

 このことに対して、主なる神を神とすることを主イエスは求めているのです。自分にとってどうであるか、自分に利益があるかどうか、そういうことから離れて、主なる神をまことの神として礼拝することを求めるのです。

 金曜日の「聖書を学び、祈る会」で旧約聖書のホセア書を読んでいるのですが、ホセアが預言活動している時代と、私たちが生きている時代と変わりません。ホセアが生きていた時代に人々は、まことの神である主なる神を礼拝するよりは、この世で豊かな生活をすることを叶えてくれる、御利益のバアルの神を拝んでいたのです。この御利益の神を拝むことによって、富める者が貧しい者を圧迫し、隣人を愛することをしなかったのです。今の時代も同じです。神を求めて生きることよりも、自分がどのようにしたら、豊かな生活ができるか、を求めているのです。それは既に、悪魔に誘惑されていることになるのです。

 主イエスは権力を志向する道を歩まなかったのです。自分が豊かな生活をすることを目指すことはなく、神に献身して、人々のすべての罪を引き受けて、十字架で死に、贖いの道を選んだのです。主イエスは洗礼を受け、神の国を宣教する前に、このような悪魔の誘惑を受けたのです。このことによって主イエスは、誘惑に負けることなく、神の言葉をもって悪魔を退け、悪魔に勝利したのです。
 主イエスは自分が何のために生き、何のために死ぬのか、自分の生きる根拠、生きる理由、生きる目標を明確に自覚しつつ、神に従って生きるあり方を確保し、いよいよ、神に仕え、人に仕える活動に入るのです。この世の栄光、権力の道ではなく、愛によって身を低くして仕える僕の道を進んでいくのです。

20191117 創立142周年記念礼拝  「あきらめずに種を蒔く人になろう」  山ノ下恭二
(イザヤ書45章20−25節、マタイによる福音書13章1−9節)


 牛込払方町教会は、1877年11月17日に、二十騎町の藤田盡吾宅で教会の設立式を行いましたので、今年、142周年を迎えたのです。発足当時の信徒は33名でした。その一年後、1878年に現在のところに土地を求め、新しい会堂を建てて、本格的に礼拝と伝道が開始されました。初代牧師は、小川義綏であり、二代目の牧師は奥野昌綱です。この二人は、戸田忠厚と共に、日本のプロテスタント教会で最初に按手礼を受けて、正式に牧師になった人たちです。

 初代牧師の小川義綏は、アメリカ長老教会から派遣された宣教師であるヘボン、バラ、タムソンに深い影響を受け、育てられ、洗礼を受け、長老となり、牧師になった人です。二代目の奥野昌綱はアメリカ・オランダ改革派教会宣教師・S・R・ブラウンと深い関係を持ち、日本人の牧師を多く輩出した、ブラウン塾で学んだ牧師です。特に初代牧師の小川義綏は、タムソンから深く影響を受け、タムソンと行動を共にしてきました。小川義綏牧師を導いた、タムソン宣教師とはどのような人であったのでしょうか。

 タムソン宣教師の生涯について書いた本は余り多くないのです。ヘボン、バラ宣教師の生涯を書いた本はありますが、タムソン宣教師の生涯について書いた本がないのは、とても謙遜で自分のことを話さなかったからではないか、と言われています。来日した宣教師たちの生涯を書いた記録は「長老・改革教会来日宣教師事典」です。この中に、タムソン宣教師について短く紹介されています。また昨年10月に、講演に来られた、中島耕二氏が書いた「宣教師デビット・タムソンの生涯」を参考にして紹介したいと思います。

 タムソン宣教師は、27歳の時に、アメリカ長老教会派遣の三人目の宣教師として、1863年に来日し、1915年に、80歳で亡くなるまで、50有余年、日本に滞日し、日本のキリスト教伝道に尽くしたのです。このように50有余年にわたって、日本の伝道のために、長く生涯をささげた宣教師は他にはおりません。

 タムソンは、1862年11月に、単身、ニューヨーク港から喜望峰周りで、6ヶ月余りの航海を経て、1863年5月に横浜に到着し、ヘボンが横浜居留地に移るまで滞在した成仏寺に入居したのです。すでにヘボン、アメリカ・オランダ改革派教会宣教師のブラウン、バラが来日していたのです。タムソンは、早速、ヘボンの紹介で日本語教師を紹介され、日本語を習得することに努めたのです。1864年、神奈川奉行所は幕府の許可を受け、税関の役人の子弟を対象に英語教育を行う、横浜英学所を開校し、その教師として宣教師3人が就任し、25名の生徒を教え始めたのです。タムソンは算術を担当したのです。1865年になると生徒が増え、「算術」の他に「地理学」を教えるようになり、日本の青年たちと接触を深め、日本語の知識を向上させていき、小川義綏を日本語教師に迎えることになったのです。タムソンは、語学が得意で、特にヘブライ語がよくできたようです。タムソンは、小川を助手として旧約のヨブ記をヘブライ語の原本から翻訳作業を始めたのです。

 そして、1866年8月第一日曜日から、バラ宣教師が自宅で礼拝と聖書研究会を始め、その後、タムソンも加わって、日本語と英語の礼拝を行い、この中から、横浜英学所の二名の生徒が受洗を申し出ましたが、この当時は、キリスト教禁教であり、受洗すること自体、難しい時代でした。しかし、受洗の決意は堅く、1868年4月に洗礼を受けたのです。タムソンはバラの自宅である居留地167番とヘボンの自宅である39番で、バラと共に日本語による礼拝を続けていましたが、この礼拝に出席していた人々の中から求道者が現れ、1869年2月にタムソン自身の日本語教師である小川義綏、鈴木甲次郎、鳥屋だいという婦人、3人が洗礼を受けたのです。前年には、長崎浦上で切支丹流罪事件が起きており、キリスト教禁制の状況は続いている中での受洗でした。伝道する側も信仰に入る側もいのちがけであったのです。

 牛込払方町教会創立百年記念誌「雲の柱・火の柱」には、小川義綏について次のように記されています。「1863年の頃、友人の推挙により、神奈川在住のアメリカ人の日本語教師となり、後に宣教師バラの紹介でデビット・タムソンの日本語教師となった。小川義綏はタムソン博士を助けて旧約聖書を翻訳し、ヨブの内容に触れて、西洋にもこのような貴重な書物があるかと心を動かし、日曜日にヘボン博士の施療所で日本人のために開かれていた集会に出席するようになり、バラ、タムソン両博士の説教を聞く常連となる。両博士の真剣かつ熱心な説教に段々感動するようになり、また罪悪、救済、永生の問題で内面的に苦しむようになった。一日バラ博士の熱烈な説教を聞き、またタムソン博士の懇切な説諭を受けて深く悟る所があり、暗雲晴れて白日を眺むの感じ極まって、受洗の希望を申し出た。ところが、タムソン博士はこれを拒絶し、まだキリスト教は国禁の宗教であり、洗礼を受けたことが露顕すれば必ず投獄処罰される。しかも外国人宣教師はこれに容認することはできぬ。それでも受洗の決意は変わらないかと諭され、彼は即答し得なかったが、これより教義の研究に熱中して信仰の基礎を固め、遂に1869年(明治2年)2月、タムソン博士より洗礼を受けた。」
 日本ではまだ、キリスト教が禁制であり、キリスト教の福音を伝える側も信仰を受け入れる側もいのちがけであったのです。そのような時代に小川義綏は、説教を聞き、聖書を熱心に読み、祈る中で、洗礼を受けたのです。

 1869年9月に宣教師たちが、東京に出かけ、首都の視察を行い、宣教師会議で、伝道方針を話し合った結果、東京にも宣教拠点を置くことになり、その後、タムソンは小川義綏夫妻を伴って、横浜から東京築地へ転居しました。
 余り知られていないのですが、タムソンの後にコーンズ宣教師夫妻が来日し、1870年に大学南校の教頭になっていましたが、東京から横浜に向かう蒸気船が突然、爆発し、この宣教師夫妻と息子が犠牲となったため、タムソンが代わって、大学南校に務めることになったのです。その関係で、紀州和歌山藩から、欧米事情を講義して欲しいとの招聘が届き、1871年3月、小川義綏を同道して10日間和歌山に滞在して、欧米の国政、英米の憲法等について講義を行ったのです。

 この時に、長崎浦上の切支丹たちが和歌山に流罪されていて、他の藩よりも扱いが過酷で、重労働をさせていたのですが、その中にあっても、切支丹たちが、忠実に信仰に生きる姿勢を見て深い感銘を受けたのです。しかし、日本ではまだキリスト教を信じる信教の自由が実現されていないことを知り、タムソンは宣教師仲間にそのことを伝え、アメリカ長老教会海外伝道局に対し、日本における信教の自由をアメリカ政府を通じて速やかに要求すべきであるとの長文のアッピールを送付したのです。1872年1月、在留のプロテスタント宣教師及び外国人信徒の参加する万国福音同盟会の新年祈祷会が、バラ宣教師の会堂で行われ、バラのもとで英学、聖書を学んでいた生徒たちが、これに倣って祈祷会をはじめ、2ヶ月経過した後、3月10日、11人の日本人によって、日本で初めてのプロテスタント教会(日本基督公会)が設立されたのです。

 タムソンは、従来から考えていた東京での伝道に努力するため、1873年2月に、小川義綏夫妻を伴い、再び東京築地居留地に転居したのです。そして東京においても教会が必要であることを踏まえて、1873年9に日本基督公会の総会においてタムソンが東京の支会(支部)の開設を求め、小川義綏が応援演説を行い、申請書が了承されたのです。そしてその後、東京築地居留地の外国人教会を借りて、日本基督東京公会(のちの新栄教会)の創立式が行われ、タムソンが仮牧師、小川が長老に選ばれたのです。そしてその後、1874年、築地で11名の信徒によって、カロザース宣教師を仮牧師に東京第一長老教会(現・芝教会、現・巣鴨教会)が設立されたのです。

 それぞれの宣教師は、アメリカ本国のそれぞれ異なった教派の教会の海外伝道局から派遣されており、日本でも本国の教派教会の意向を無視することができず、日本でも教派教会を形成することになるのですが、1877年に、日本基督公会、日本長老公会、アメリカ長老教会ミッション、アメリカ・オランダ改革派教会ミッション、スコットランド一致長老教会ミッションの合同が幾度も協議し、合同することになったのです。
 
 1877年10月3日、横浜海岸教会で会合し、第一回の中会が開催され、議長をタムソンが務め、新たな合同教会は日本基督一致教会と名付けられました。それまで、公会と呼んでいましたが、この当時、新約聖書の翻訳委員会がエクレシアを教会と訳していたので、公会を教会と呼ぶようになったのです。この日、小川義綏、奥野昌綱、戸田忠厚の3人に、日本基督一致教会で共に初めての按手礼が授けられ、正式な牧師となったのです。この3人のうち、小川と戸田は共にタムソンに導かれた求道者であったのです。

 牛込払方町教会の伝道は、1876年に二十騎町で説教所が開設されており、新栄教会の小川義綏長老や会員たちが交代で、説教所で説教をしていたのが発展して設立されたのです。1877年11月17日に牛込払方町教会が設立され、初代牧師に小川義綏牧師が就任したのです。

 その時から、牛込払方町教会は142年の歴史を歩んできました。教会は生きているのです。教会はキリストの身体と聖書に書かれています。キリストがからだの本体で、私たちはそれぞれ肢体として生きているのです。からだですから、元気な時もあり、病んでしまう時もあります。活発な時もありますが、停滞し、活発でない時もあります。教会に集う人が多いときがあり、少ない時もあります。太平洋戦争の戦時中では、国家からの圧力で圧迫された時もありました。その中で、礼拝を休まず、キリストの福音を伝えてきたのです。

 本日はマタイによる福音書13章1−9節の御言葉を読みました。ここには、「種を蒔く人」の譬え話が記されています。農夫が種を蒔く、そのような場面を思い浮かべながら、主イエスはこの譬え話をされたのです。この当時の種の蒔き方は、農夫がわしづかみにして、空中にばら蒔いたのです。風に乗った種は、様々な場所に飛ばされたのです。ある種は道端に落ちて、すぐに鳥に食べられてしまったのです。他の種は土の薄い石地に落ちて、根をはることができずに枯れてしまったのです。茨の中に落ちた種は、伸びた茨にふさがれて、実を結ばなかったのです。ところが、良い土地に落ちた種は、豊かに実を結んだ、と語られているのです。少し間をおいて、13章18節から23節で、主イエス御自身が、弟子たちにこの譬えの意味を説明しておられるのです。それぞれの土地が、みことばを聞いた人の心を表しています。

 第一に、種が道端に落ちる、その意味を19節で説明をしています。種が道端に蒔かれる、聖書の言葉を聞いても、その言葉を自分の心の深いところでしっかり受けとめない者のことを指しています。聖書の話を聞いても、生きる参考になったというところで留めてしまうのです。「鳥が来て食べてしまった」とあります。みことばが自分の心の中に、少しも残っていないのです。
 第二に「石だらけで土の少ないところに落ち」た種です。みことばを聞いて、喜んで受け入れるけれども、その人が生きている支えが自分なので、何か辛いことや困難があるとぐらつき、つまづいてしまうのです。「自分には根がない」と言う言葉が重要なのです。確かに、石だらけの所には、根を降ろすことができず、水気がないので、育たないのです。みことばを根気強く聞いていくことによって、自分の中にみことばが根付いていくのです。
 第三に「茨の間に落ちた種」ですが、最初は聖書の言葉を読むのだけれども、今の生活に満足し、神の言葉など必要がない、世間体を重んじ、この世の習わしに従っているほうが楽だ、聖書を読んで聞いて行くよりも、お金に頼っていけば、幸福に暮らしていける、物質的なもの、目に見えるものを重んじて、この世の考え方で解決してしまうのです。
 第四に「良い土地に落ちた種。」神の言葉を人格の中心においてしっかりと受けとめ、神に信頼して信仰を全うすることが示されています。

 この譬え話は、みことばを聞いた人々について語っているだけではありません。みことばを語り伝えている者についても語っている譬え話なのです。この譬え話は、四種類の種の譬えと呼ばれてきましたが、「ひるまぬ種を蒔く人の譬え」とも呼ばれています。この譬え話は、みことばを聞く人だけでなく、みことばを伝える者に、励ましと慰めを語りかけているのです。主イエスの伝道を顧みると、決して成功したわけではないのです。むしろ、主イエスが神の国を宣教しようとすればするほど、ユダヤ人の敵意は高まっていったのです。弟子たちさえ、信仰はあやふやであったのです。伝道の成果が疑われたのです。

 その時に、主イエスは、農夫に目をやりながら、譬え話をされたのです。農夫は自分の蒔いた種が奪われたり、成長しなかったりして、不利な条件に直面して絶望してもよさそうです。にもかかわらず、豊かな収穫が与えられることを確信して、種を蒔くのです。みことばを伝えても、徒労に終わることが多いのです。不利な条件の中で失望することが多いのです。

 日本はキリスト教の信仰を受け入れる土地ではないと失望することがあります。遠藤周作の「沈黙」という小説で、フェレイラというカトリックの宣教師が、ロドリゴに次のように話している場面があります。「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたよりも、もっと怖しい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ、枯れていく。我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった。」
 このように語っている場面があるのです。しかし、日本がキリストの福音を受け入れない土地であっても、キリストの福音を聞いて信じる者が与えられていますし、信じている者が実際に存在しているのです。確かに、福音の伝道は困難です。それは実際に経験することです。伝道しても成果が現れないことが多いのです。徒労に終わる場合が多いのです。

 しかし、主イエスは、農夫のことを思い浮かべなさい、と語っているのです。種を蒔いても、実らないことがほとんどなのです、しかし、あきらめないで、種を蒔いているではないか、農夫がひるまないで、喜びと信頼をもって種を蒔いているではないか、だから、成果がないからと言って種を蒔くことを止めることはないと語るのです。そして必ず、良い土地に蒔かれた種のように、しっかりと実を結ぶのだ、と励ましてくださるのです。
 伝道は、私たちの力でしているのではなくて、聖霊が私たちを遣わして、キリストの福音を語らせ、その福音を聞いた者が聖霊によってみことばを受けとめ、イエスを救い主であると告白する者が出てくる、そのように実を結ぶことができるのです。
 
 主イエスは、私たちに、私たちが蒔いた種を神が実らせてくださるので、種を蒔いても実らない、成果がない、と落胆して失望せずに、キリストの福音を伝道することを勧めています。

20191110 主日礼拝説教  「歴史を担うキリストの働きによって」  山ノ下恭二
(創世記12章1−9節、ルカによる福音書3章23−38節)


 NHKのテレビで、ファミリーヒストリーという番組が時々、放映されています。タレントやスポーツで活躍した人、有名な人の先祖を調べて、詳しく紹介していく番組です。テレビ局がよく調べていて感心するのですが、そこには、かなり前にさかのぼって家系図が紹介されていて、特に、先祖の中で大きな働きをした人を詳しく紹介しているのです。自分の先祖がどのような人で、生きていた時代にどのような生き方をしていたのか、を知りたいということがあります。自分と先祖とは血でつながっているのであり、自分の存在と深くかかわっているので、興味があると思います。自分の存在がどのようなところから来ているのか、を知りたいと思うのです。

 本日の礼拝で読みました、ルカによる福音書3章23−38節には、二つのことが書かれています。一つは、主イエスが地上で伝道を始められたのはおよそ30歳であったと言うこと、そしてもう一つは、主イエスの系図がさかのぼって書き記されていることです。皆さんは、このところを読んでどのような思いをもったでしょうか。私は、主イエスが30歳で伝道を始めたことは分かるけれども、この系図に出てくる人たちの名前を記す意味が分からない、と思いました。そして、主イエスが30歳で伝道を開始したことが書いている後に、なぜ、主イエスの系図がさかのぼって記されているのか、そのつながり、関係が分からないと思ったのです。

 「イエスが宣教を始められたときはおよそ30歳であった。」マタイ、マルコ、ルカの福音書は共通の記事が多く記されているので、共観福音書と呼ばれていますが、ルカによる福音書だけが主イエスの年齢について書いてあります。「イエスが宣教を始められたときはおよそ30歳であった。」キリスト教会は、この言葉を根拠にして「イエス様は30歳で伝道を開始しました。」と語って来たのです。私たちはここに書かれている30歳という年齢について、余り、関心をもたないと思います。主イエスは、その時、30歳であったのか、と思うだけかも知れません。しかし、このルカによる福音書が書かれた頃のキリスト者たちにとっては、30歳という年齢はただそれだけのことではなかったのです。それでは、この30歳と言うのはどのような意味なのでしょうか。

 旧約聖書では、30歳という年齢は特別な意味を持っていたのです。神殿に仕える祭司は30歳から仕事を始め、50歳で定年に達したことが書かれています。(民数記4章23節)一人前の祭司として神殿で働くことを許されたのは、30歳からでした。ダビデも王として即位したのも30歳でした。預言者のエゼキエルが神の召しを受けたのも30歳でした。祭司、王、預言者、神に仕え、すべての人々のために働きをする人々が、その仕事を始めたのが、30歳であったのです。神がこれらの人々を立て、神の霊を注いで、その務めに任命をしたのです。このルカによる福音書の言葉を読んだ当時の人々が、旧約聖書に登場するこれらの人々のことを思い起こしたのです。30歳と言うのは、神からの仕事を始めるには、ふさわしい年齢であると考えられていたのです。

 主イエスは神と同じ方、神の子であり、同時にまことの人間であったのです。私たちと同じように、幼児として、児童として、そして青年として成長されたのです。ある宗教の教祖のように、生まれてすぐに立派なことを言ったのではないのです。言葉をもたない嬰児として、やがて言葉を覚え、歩くようになり、旧約聖書を学んできたのです。神の召しに答えて、務めにつくには、余りに若いと責任をもって務めることはできないのです。現在でも、18歳と言うとまだ若くて責任を持つ年齢ではなく、30歳という年齢は、社会の責任を担って生きることができる、と考えることができます。

 キリスト教会は、主イエスがなさった職務を「キリストの三職」と言い表しています。キリストという言葉の意味は「油注がれた者」という意味ですが、祭司、王、預言者はその務めに就く時に「油を注がれた」のです。三職とは、祭司の務め、王の務め、預言者の務めのことを言います。キリストはこの三職の務めを担って働かれたのです。キリストは預言者として、神の意志を余すことなく明らかにするのです。それは神が私たちのために贖いとなってくださる、ということを伝えるのです。そしてキリストは祭司として、私たちの罪を贖うためにキリストご自身を犠牲として献げて贖い、神の前で絶えず執り成しをされるのです。そしてキリストは王として、ご自身の言葉と霊によって私たちを治め、守り保ってくださるのです。

 主イエスがこの三つの職務を一人でなさるのであるから、十分な準備が必要であったのです。30歳まで、キリストの職務をされるために、心も身体も整えて、準備をしたのです。

 ルカによる福音書は、主イエスが地上の御業を始められたのが、およそ30歳であると記した後に、主イエスの系図をさかのぼって書き記しています。
 主イエスの系図について、もう少し正確に言うと、主イエス・キリストとは血がつながってはいないですが、父として主イエスを受け入れたヨセフの系図をさかのぼって記しています。

 この系図にはたくさんの人の名前が出て来るのです。それは系図と言うのは、血がつながって作られていて、血がつながっているからこそ、系図としての意味があるのです。この系図を読んで直ぐに気づくことがあるのです。それは、血がつながっていないところがあると言うことです。ヨセフと主イエスとは血がつながっていないのです。切れているのです。この系図の最後のところにアダムで終わっているのではなくて、神について語っています。神とアダムとは血がつながっていないのです。父と子のように血縁で、神とアダムとがつながっているわけではないのです。神がアダムを産んだのではないのです。

 このように、神とアダムとのあいだ、ヨセフと主イエスとのあいだに血のつながりがないのです。このところがとても大きな意味をもっているのです。神とアダムとの関係は血縁でつながっている関係ではないのです。神は創造主であり、アダムは神に造られた者、被造物であるのです。

 創世記の最初のところで、神は人間を神のかたちとして創造したと記されています。最初の人、アダムが創造されたのです。神は神の形としてアダムを創造されたのです。そして神との関わりに生きる者として、よい者として造られたのです。神の慈しみと愛に感謝する者として造られたのです。私たちが創造主なる神を正しく知り、心から神を愛し、神と共に生き、神をほめ歌い、賛美するように造られたのです。しかし、神の言葉に従うことよりも、自分を中心に生きようとする誘惑に負けて、神に背いて罪を犯し、神のもとから離れてしまったのです。神のもとを離れ、神を失い、神なしで生きるようになったのです。 
 現代に生きる多くの人々は、自分たちが神から離れて、自分中心に生きているとは全く考えていません。自分を中心に生き、自分の生活を優先する生き方が最も良い生き方で、それが当然であると思っているのです。神なしで生きていることが普通なのです。ここに一番の問題があります。神なしで生きていけると思っているこの世界は平和で、互いに愛し合う、犯罪のない世界になっているでしょうか。そうではありません。罪に満ちた醜い世界になっているのです。

 この系図はヨセフからアダムへとさかのぼって人名が記されています。ヨセフからアダムまでは、血がつながっているのです。この血は、罪によって濁ってしまっています。罪によって腐ってしまった血なのです。
 系図と言うのは、血のつながりがあって成り立つものです。血のつながりがない系図は、系図とは言えないのです。この系図はこの意味では系図とは言えないのかもしれません。アダムからヨセフまでの系図は血がつながっていますが、ヨセフと主イエスとは、血がつながってはいません。ヨセフのあとに、主イエスが入り込むのです。これは、注目すべきことです。アダムから始まった、罪によって腐敗した、汚れた血の流れの中に、主イエス御自身が入り込み、その罪をすべて担おうとされるのです。最初の人、アダム以来の罪の歴史に主イエス御自身が、入り込み、その罪を引き受け、罪の連鎖を絶ち切るのです。

 マタイによる福音書1章にも主イエスの系図がありますが、ルカによる福音書の系図と異なっています。マタイによる福音書では、アブラハムから始まっているのです。それと比較して、このルカによる福音書は、アダムにさかのぼり、そして「神に至る」と書き記されているのです。ルカによる福音書の主イエスの系図の最初には、神が記されて、神がいらっしゃることを明確に表現しています。先ほども言ったのですが、神に造られたアダムが罪を犯して、神に背を向け、神をないがしろにしているその罪の連鎖を、主イエスが絶ち切るために主イエスが、罪のすべてを担うことを語ろうとして、この系図を書き記されたのです。

 先週は、主イエスが洗礼を受けられた記事を学んだのですが、罪のない、清い方、主イエスがなぜ洗礼を受けるのか、それは、罪人の立場を取ったということなのです。アダムが罪を犯した、その腐敗した血がヨセフまで続き、主イエスがその血統を引き受けたことを語るのです。

 良い実のならない幹を切り、良い実のなる枝を接ぎ木することがあります。渋柿ばかりなので、その幹を切り、甘い柿のなる枝を接ぎ木することがあります。そのようなことを私たちはします。良い実のならない幹を切らなければ、良い実のなる枝を接ぎ木することはできないのです。

 アダムが罪を犯してから、私たちすべての者は罪の中にいるのです。最初の教会の伝道者パウロはローマの信徒への手紙5章12節以下で「アダムとキリスト」について詳しく語っているのです。「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、罪はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」アダムと私たち人間との関係を集合人格概念という考え方で捉えているのです。一つの集団を代表する人間が過ちを犯すならば、その集団のすべてが過ちを犯した、と見なすことです。アダム一人が罪を犯した、その罪は、アダム一人だけの罪ではなく、私たちすべての者の罪となるのです。その罪の連鎖を断ち切るために、主イエスは自らの罪の審きを引き受けてくださるのです。
 
 ローマの信徒への手紙5章18−19節に次のように書かれています。「そこで一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされたのです。」イエス・キリストが私たちを代表して、私たちの罪の審判を受けて、裁かれる、その贖いを信じる者は神が私たちを正しい者と認められ、罪が赦されるのです。私たちが罪の中に生きず、神の愛を受け、慈しみを与えられ、神を信頼して生きるようにしてくださるために、主イエスは、自ら十字架で犠牲をささげ、肉を裂き、血を流してくださるのです。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3章23節)

 キリストが十字架で血を流された、このことと、系図が血でつながっていることと深く結びついているのです。アダムからヨセフまでの歴史は、罪にまみれた濁った血の歴史なのです。しかし、主イエスが十字架で血を流してくださることによって、罪の歴史が終わり、神と共に歩む、新しい歴史が始まったのです。
 主イエス・キリストの血潮により、私たちの罪は洗い清められ、罪なき者としてくださるのです。十字架の血によって清められて、神の前に義しい者とされているのです。讃美歌515番1節に「『十字架の血に きよめぬれば、 来よ』との御声を われはきけり。 主よ、われは いまぞゆく 十字架の血にて きよめたまえ」とあります。

 マタイによる福音書の系図と比較すると、マタイによる福音書は、この福音書の最初に主イエスの系図が記され、その後に主イエスがお生まれになった記事が続いています。ルカによる福音書は、主イエスの洗礼ののちに、神の召しを受けて公に活動を始めるときに、系図が書き記されています。

 マタイによる福音書はユダヤ人キリスト者に向けて書かれています。ユダヤ人の先祖がアブラハムであり、アブラハムからユダヤ人の歴史が始まるので、マタイによる福音書は、主イエスの系図が、アブラハムから始まっているのです。それに対して、ルカによる福音書は、ユダヤ人だけではなくて、異邦人をも含めて全世界にいる人々に向けて書き記されています。ルカによる福音書が、ユダヤ人の先祖アブラハムから書いているのではなくて、最初の人アダムから書き記されていることによく表れています。主イエス・キリストの御業が、全世界のすべての人々の罪を贖う御業であることを明らかにしようとしているのです。

 マタイによる福音書に記されている主イエスの系図とルカによる福音書の系図とは語ろうとしていることが異なるのです。マタイの場合は、ユダヤ人として主イエスが正統な血筋であることを強調していることに比べて、ルカの場合は、主イエスが洗礼を受けた後に、神の召しを受けて公に活動を始める、その後に系図が記されているので、主イエスの働きが、神の救いの歴史の中での働きであることを強調しているのです。

 一般には、系図は、先祖がどのような人がいたのか、そのことに関心があるのですが、主イエスの系図は、主イエスの働き、救いの業が、神の救いの働きであることを語ろうとしているのです。 主イエスの家系が優秀で家柄が良く、有名な人がいると誇らしげに自慢して記したのではありません。主イエス・キリストの御業が、すべての人々の罪を贖い、罪を赦す御業であることを明らかにしようとして、この系図が記されたのです。
 罪に苦しみ、罪に悩む歴史は主イエスによって終わったのです。新しい、神と共に生きる時がイエス・キリストによって始まったのです。

 家族というのは、血でつながっている、何も言わなくても、互いに分かっているような快いものを感じます。しかし、親しいことが逆に争いが起こることがあります。親の遺産を誰が引き継ぐのか、親の面倒を誰が見るのか、そのようなことで、関係が悪くなることが起こるのです。

 キリストを信じている教会の仲間のあいだは血でつながってはいません。別のものでつながっているのです。教会は、イエス・キリストによる罪の赦しによってつながっているのです。教会に生きる、私たちキリスト者は、自然的な血縁によって、利害によって、同じ考えでつながっているのではありません。キリストによって与えられた、新しい関わり、つまり、愛によってつながっているのです。

20191103 主日礼拝説教  「神のみこころにかなう者−それはキリスト」  山ノ下恭二
(詩編2編1−12節、 ルカによる福音書3章21−23節)

 
 私が北九州の若松教会におりました時、若松出身のアフガニスタン東部で医療活動をしている、中村哲というキリスト者の医師の講演会に行ったことがあります。中村医師は1984年からアフガンの人々のために、ハンセン氏病治療をはじめとする医療活動をしていたのですが、旱魃などによる水不足がアフガンの人々の生活を脅かしていることを痛感し、常態化した水不足を克服するために、ボランティアの協力を得て、用水路建設に乗り出し、1400本の井戸を掘り、全長24キロの用水路を造ったのです。その結果、戦乱と旱魃に苦しむ不毛の地は、緑豊かな大地として甦り、農作物も実り、人々のいのちを救うことができたのです。最近、中村哲医師と作家の澤地久枝との対談が書かれている「人は愛するに足り、真心は信じるに足る」という本を読み、中村哲医師はキリスト者として、戦乱と旱魃に苦しんでいるアフガンの人々を深く、愛して来たことを知りました。自分のためにではなく、神のために、アフガンの隣人のために仕えて来た、その姿に感銘を受けたのです。

 本日の礼拝で、ルカによる福音書3章21−22節の御言葉を読みました。このところは、主イエスが洗礼をお受けになったところです。主イエスが洗礼を受けられたことは、マタイによる福音書もマルコによる福音書も書いています。その中でルカによる福音書の書き方は、最も短く、簡潔です。「民衆が皆、洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて、祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
 
 マタイ、マルコの主イエスの洗礼の記事と比べて、すぐに気がつくことがあります。皆さんは、気がついたでしょうか。ルカによる福音書3章21節に「イエスも洗礼を受けて祈っておられると」という言葉があるのです。マタイ、マルコの福音書を読んでみても、主イエスが洗礼をお受けになったときに祈っておられたということは書いていません。これはルカ独特の記事です。このルカによる福音書は、これから後、主イエスの歩みを記すときに、主イエスが祈る方であったことを書いています。たいへん忙しい伝道の仕事をしておられた間に、主イエスはしばしば独りになられることを好んだのです。それは祈るためでした。主イエスは弟子を選ぶ時に、徹夜して祈りをされたのです。このルカによる福音書には、主イエスが祈っておられる姿が良く記されています。(ルカ5章16節、6章12節)主イエスが洗礼を受けて、まず最初に何をしたかというと、祈りをなさったのです。主イエスがこの世に出られての最初の仕事は祈りであったのです。

 主イエスは、いつも祈りをされたのです。主イエスがいつも祈りをされたということが、とても大切なことです。私たちは、祈りが神への語りかけであり、それに対して神がこの祈りに答えてくださるということを信じて祈るのですが、とても心細い思いをするのです。祈りに対する疑いをもっているのです。自分が神に祈っているときに、何か独り言を言っているのではないか、一人で何かしているのではないか、と思ってしまうのです。神に対して語りかけているのだけれども、神は直接答えないので、自分が独り言を言っている、そういう感覚をもってしまうのです。そして一所懸命に祈っても何も答えてはくれないのではないか、と思ってしまうのです。祈りが独り言ではなく、神に向かって祈っているのだと、私たちは確信を持っているのでしょうか。
 
 私たちの祈りとは異なって、主イエスは確かな神との関わりの中に、神との絆の中に生きていたのです。そして、御自身の父なる神に祈り、そしてその父の答えを聞いて行動されたのです。私たちは祈っても、はっきり神からの答えをいただいたという確信がないのです。しかし、主イエスは、祈りつつ、確信をもって神の言葉に聞き従いながら、仕事を始められたのです。そして主イエスは、いつでも祈っておられ、生活のどの場面でも祈りの姿を見ることができたのです。一日の生活は祈りで始められ、一日の終わりには、祈りでもって終わるのです。十字架の上においても祈り続けたのです。祈ることが止むことはなかったのです。この世において真実に、確かな確信に満ちた祈りは、主イエスの祈りだけであったのです。
 
 私たちの祈りは、祈ることがまことに少なく、神に対する確信がなく、頼りなく、言葉も貧しい祈りをしています。祈りに値しない祈りをしながらも、私たちは、私たちの祈りの最後に「主イエス・キリストの御名によって ア−メン」と言うのです。祈りの最後に言う、この言葉は、神に対して祈る時に、イエス・キリストの執り成しによって神に祈ることを表す言葉です。それと共に、主イエスの祈りは、私たちと違って、神に対する確信をもって祈っているので、主イエスの祈りに支えられているのです。祈りが独り言のように思われる、自分の祈りへの答えがないように思う、心細く思う、祈りの言葉が貧しく、確信のある祈りができない、そのような祈りの生活ですが、主イエスの確かな祈りに支えられているのです。主イエスは、私の名によって祈るならば、聞かれないことはないと約束してくださったのです。父なる神とのしっかりした絆をもって主イエスは祈り、確信を持って祈っておられるのです。私たちはその祈りに支えられているのです。
 
 聖書は、前後の文脈から読むことが大切です。本日、読んだ聖書のテキストの前には、ヨハネがこの当時のユダヤの領主ヘロデによって捕らえられ、牢に閉じ込められ、外での活動ができなくなったことが記されています。このことは何を語ろうとしているのか。それはヨハネが活動をした時代は終わったのです。ヨハネは旧約の時代に生きていた人です。ヨハネが語ったのは、神が裁くために来られる、と言うことです。民衆が神を忘れ、自分中心に生きていることを批判し、神がもうすぐ審判に来られるので、裁かれないように身体と心を清めて、神を迎える備えをしなさい、と言うことです。ヨハネの言葉を受け入れた者は、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたのです。この洗礼は、神が審判に来た時に神に審判されないために、悔い改めて、身を清めることです。
 しかし、このヨハネの時代は終わったのです。マタイ、マルコ福音書と比べて、ルカ福音書には、主イエスの洗礼の記事には、ヨハネという言葉がないのです。それは、すでに主イエスの時代が始まったことを示しています。

 主イエスが洗礼を受けられた、このことについて疑問を持つ人も多いのです。主イエスは、全く罪がなく、悔い改めるべきものは何もないのに、洗礼を受ける必要があるのか、と言うことです。なぜ、主イエスは洗礼を受けられたのか、と言うことです。そのような疑問を抱くのです。それは、主イエスが御自身の立場を罪人の立場に置いたと言うことです。主イエスは神であり、神の審判を下す方ですが、御自身を罪人の側に置いたと言うことです。主イエスは人々の側に立ち、人々の中に混じることをされたのです。自分は神と同じであるから、あなたがた罪人とは違うのです、と言うのではなく、私たちのあいだに入って混じるのです。私たちは、よくこういうことを経験するのではないか、と思います。ある人に会って、用事が終わり、別れます、相手は雑踏の大衆の中に入っていって、どこにいるか、わからなくなってしまうのです。主イエスは、人々の立場に、人々の側に属して、その中に混じっているのです。人々がヨハネのところに来て、悔い改めの説教を聞いて、罪を悔いる民衆の中に、立ってくださったのです。
 主イエスはここで、この民衆に中に立ち、混じって、政治を批判したり、権力者を批判するということはしないのです。この当時の権力者、兵士、徴税人が神のみこころから遠いことを御自身の悲しみとしたのです。主イエスの祈りには、その悲しみをよく表している祈りがあります。十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23章34節)このような祈りが十字架上で祈られていますが、その祈りがもう始まっているのです。主イエスは、この世には悪があり、悪を重ねていることが多く、人々は神のみこころを行おうとしないので、嫌になった、この世から出ていこうと言ったのではないのです。そこに生きているひとりの人間として、この世にある悪や苦しみや悲しみを誰よりも深く受け止めて、祈っていたのです。この世界には犯罪があり、テロがあり、事件があるのです。痛ましい事件もあります。一向に解決されない問題も多く残されています。
 私たちの中にある深い罪を主イエスは、深く受け止めて、執り成しの祈りをされたのです。私たちよりももっと深いところに立って、祈っておられるのです。

 主イエスが洗礼を受けて祈っておられると「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。」とあります。この主イエスの祈りが聞かれたのです。神が主イエスの祈りに答えたのです。聖霊が鳩のような姿を取ってイエスの上に降り、天から声がしたのです。聖霊が主イエスをとらえたのです。
 東大宮教会におりました時に、ある年、ひとりの神学生が、夏期伝道の実習に来たのです。夏期実習が終わる頃、どうして伝道者となることを決心したのか、を聞いたことがあります。この神学生は、会社に勤めていて、途中で辞職して神学校に入学したのですが、それは神に召されたという経験があったということを話してくれたのです。ある時、聖書を読んで、祈ったあとに、神が私に迫って来た、福音を伝えよ、という神の迫りがあり、それを拒否できなかったので、すぐに会社を辞めて、神学校に入る準備をするようになった、と言うのです。私はこの神学生が「神の迫りがあり、答えざるを得なかった」と言う言葉に感動をしたのです。
 
 主イエスは、聖霊にとらえられて、救い主としての働きを始められたのです。ルカによる福音書は、祈りを重んじたと共に、聖霊について語ることに心を注いだのです。主イエスが具体的に伝道を始められたことを語り始めるルカ4章14節にこういう言葉があります。「イエスは、霊の力に満ちてガリラヤに帰られた。」とあります。聖霊による働きが開始されたのです。

 私は祈りの度ごとに、みこころに適うように、という祈りをします。しかし、神のみこころに適うことができているのか、と問われると心もとないのです。 主イエスに対して、天から、神の声が聞こえたのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」この言葉は、詩篇2編の言葉です。まことの王が与えられた、その時に、これまで敵対していた人々の働きは意味がなくなるのだ、と言うのです。まことの王が立てられたとき、主なる神が「あなたは愛する子」と言われたのです。この詩篇は、王が即位した時にただ歌った詩篇である、ということではなくて、人々がほんとうに幸いになるためには、まことの王が来なければならない、という願いを歌ったのです。この地上の王は神のみこころに適うような統治をしてこなかったのです。旧約聖書には、多くの王が登場しますが、多くの王は、まことの神を礼拝することなく、偶像を礼拝していたのです。神の民のために働かなかったのです。どの時代、どの地域でも、神のみこころに従うよりは、自分の権力を保持し、政権を維持するために権力を用いて、国民を苦しめてきたのです。詩編第二編は、まことの王が来なければならない、来て欲しい、その願いを歌うのです。それがやがてメシア、真実な救い主、王が、神から与えられる、その約束の言葉がここに書かれているので、多くの人々に愛されるようになったのです。

 この「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」この言葉は旧約聖書の他のところにも出典があります。それはイザヤ書42章1節です。(旧約p1128)「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。」この言葉は、神が支持し、神が選び、喜び迎える者、心から満足することができる者がいる、と言うのです。
 このイザヤ書42章について解説をしている、ある注解書に、次のような文章がありました。神は長いあいだ、私たちの中に神の御心に適う者を捜し求めておられた、その人を見つけて神が喜ぶことができるような人を見つけたい
、と捜しておられたけれども、なかなか見つからなかった、しかし、遂に神は神ご自身の「心に適う者」を見つけて喜ばれた、その人はヨルダン川の洗礼者ヨハネから洗礼を受ける人々の中にいた、と言うのです。

 このような解説を聞いて、直ぐに反論が出ると思います。神は長いあいだ、捜される必要はなかったのではないか、神ご自身の計画のなかに主イエスはお生まれになり、主イエスが洗礼を受けることは、よくご存知であったのではないか、そのように言い返すことができるのです。
 しかし、この注解書を書いた学者は、神が私たちの救いのために何ができるのか、をいつも心に掛けていたことを言いたかったのです。神が私たちのことをいつも心にかけて、私たちの救いのために御心に適う者を捜し求めて、見つけた、神が支持し、神が喜ぶ者をついに見つけてくださったことを言いたかったのです。神のほうで、心を悩まし、計らいをしてくださったのです。

 私はイザヤ書42章1節のこの解説の言葉を読んで、慰められたのです。自分の利益のために、計らう者は多くいます。しかし、主なる神は、私たちのために配慮をしてくださり、私たちの救いのために全力をもって愛してくださる方なのです。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。」洗礼をお受けになった主イエスに対して、この言葉をもって語りかけた神は、一人ひとりに、ここに私が選んだ、私が気に入った者がいると語るのです。
 主イエスは、神が人々を愛していることがはっきり分かるように、重い病に苦しんでいる者の病を癒し、重い障がいを抱えて、不自由な生活をしている者に対して、その障がいを取り除きました。最底辺で暮らし、神から最も離れている者であると見なされていた人々と交際したのです。神の福音を伝えるために、譬え話で神の愛の支配を語り伝えたのです。

 主イエスは、人間として十字架で死ぬことに苦しんでいたのです。それは人間として当然のことです。自分の肉体の死を避けたい、と思い、苦しんだのです。しかし、十字架の受難の死に対して、神に対して次のような祈りをしています。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22章42)
 主イエスが十字架に向かう姿は王としての姿ではなかったのです。イザヤ書42章2節に「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。」とあります。主イエスは、もう黙ってしまった、声をあげる気力もなくなった、主イエスは黙って、ヨハネのように叫ぶことなく、声を上げないで、僕として生き続けられたのです。黙って、しかもひたすら祈り、真実の言葉をもって語り続けられた主イエスは、僕の生き方を貫かれたのです。愛をもって僕、奴隷として仕える、その道を全うしたのです。
 
 私たちは、いつも自分のために生きています。神をまことの神として礼拝せず、隣人の立場にたって考えたり、援助したりはしていません。そのような罪のある私たちのために、私たちに代わって、主イエス・キリストは、私たち罪人の立場に身を置いて、私たちの罪の贖いの道を歩まれたのです。
 
 私たちは、本日、聖餐に預かります。私たちの罪のために、主イエスが十字架で肉を裂き、血を流されたことを覚え、それによって私たちが神と正常な関わりが与えられ、神と共に歩む者とされたことを感謝して、聖餐に預かるのです。

20191027  召天者記念礼拝説教 「幸福になりたいあなたへ」 山ノ下恭
(創世記3章1−7節、ヨハネによる福音書3章16節)


 本日は、牛込払方町教会員、教会関係者で地上の生活を終えて、神のもとに召された方々を覚えて、礼拝を守っています。昨年の召天者記念礼拝から、本日までに神のもとに召されたのは、教会で共に礼拝を守り、共に交わりを与えられた青木富子さんです。青木富子さんは、9月25日に逝去され、96年の生涯でした。9月28日に牛込払方町教会にて葬儀が行われました。青木富子さんは1941年に五反田教会で、洗礼を受けられ、この教会に転入会され、それ以来、教会員として礼拝を中心とした教会生活をされたのです。聖書に親しみ、説教を聞くことを喜びとした方です。晩年は、施設で生活され、教会に通うことができなかったのですが、教会の兄弟姉妹の訪問を喜んで、教会の交わりの中で過ごすことができました。私は2014年4月にこの教会に赴任して、6月に調布にある施設をお訪ねし、その後、その時の礼拝説教を送りましたら、丁寧なお手紙を戴きました。その手紙には「お送りくださった礼拝説教を読んでおります。」「毎晩、ベッドに入ってから、祈りの後に、讃美歌285番を歌っております。」と記されていました。罪の赦しの洗礼を受け、キリスト教会につながって、長老として教会で中心的な働きをされ、教会の兄弟姉妹をよく訪問されて、慰め、励まして、その交わりを深くされたのです。神に愛され、神を愛し、隣人に愛され、隣人を愛する、とても幸いな生活をされたと思います。

 葬儀がある度に思いますことは、私たちには死と言うことがあるということです。死と言う限界があるのです。私たちの地上のいのちは、有限であるのです。死があることをよく認識することが大切なのです。旧約聖書にコへレトの言葉があり、人生経験豊かな高齢者が、若者にどのように生きれば意味のある人生であるかを教えています。コへレトの言葉の中に、いつも自分が死ぬ存在であることを自覚するように勧めている言葉があります。「生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。」(コへレトの言葉9章5節、旧約p1044)自分の人生が時間的に有限であることを自覚して、今の時を意味ある時間として用いることが大切なのです。意味があることに時間を用いる、と言うのですが、その意味は、何を幸福とするかによって幸福の意味は異なり、どのような幸福に価値を置くのかによって異なるのです。
 
 洗礼を受け、キリスト者となってこの教会で生活をされて、召された教師、兄弟姉妹は、イエス・キリストを信じ、告白し、神の愛に生かされて生きることに意味を見出し、そこにこそ価値がある、ここに幸いがあると信じて、教会生活を送ったのです。どのような時にもイエス・キリストが自分を愛し、共におられることを信じて過ごすことが最も幸いな生活であり、幸福な人生であると信じて、過ごされたのです。
 ある時、教会を訪ねて来た方がいて、その方の叔母に当たる方が、この教会の会員であったのですが、その方が「叔母さんは、毎週、この坂をのぼって礼拝に来てたんですね。立派だなぁ」と言いました。牛込払方町教会に来るのには、坂を登り、鰻坂を登る人が多いのです。教会に来るのに、坂を登る、それは一つの信仰の戦いであると思います。しかし、坂を登って来るのは、教会に来て、礼拝をし、交わりをする、それが喜びになっているからです。そのことが幸いであることを知っているからです。
 
 最近、出版された「人間の本性」という本に、人間の特徴として、三つのことが挙げられていました。一つは「有限性」。これは人間のいのちには限りがあるということです。これは、私たちには「死」という限界がある、ということです。二つには「依存性」ということです。何かに依存せざるを得ない。三つ目には「不確かさ」を挙げています。
 私たちは、この地上で起こることに深い影響を受けています。依存して生きているのです。依存している、一つのものに自然環境があります。自然環境が自分の生活を脅かすものでないならば、良いのですが、災害によって被災することは、幸いとは言えません。10月11日から14日にかけて、大型の台風19号が日本を襲い、暴風雨、記録的な豪雨によって、各地で大きな被害をもたらしました。天候、天気は私たちの生活に深く影響を及ぼしています。今回の豪雨で、家を流され、豪雨によって家が全壊、半壊、電気が止まり、水もでなくて、困った人もおり、逝去した人も多いのです。私は岡山におりましたが、岡山は昔から自然災害がなく、温暖な気候で、暮らしやすいと言われていましたが、昨年は倉敷の真備町で豪雨のために災害の地になりました。農業従事者にとっては、収穫物は天気に左右されるわけで、種が成長するように、良い時期に雨が降り、適当な時に太陽が照ることを期待しているのです。自然環境との調和がないと、幸いな生活はできないのです。

 私たちは自分の身体に依存しています。健康であることは、幸いなことです。私たちは、いつまでも健康でありたいと願っています。テレビには、健康に関する番組が多く放映されています。これを食べると長生きできる、この食料を摂ると認知症の予防ができる、この運動や体操をすると丈夫になると言う番組が毎日、放映されています。身体は自分のものです。自己そのものです。しかし、自分のからだは別の面を持っています。からだは自分のものですが、自分の思い通りにならないことがあります。膝が痛くて、歩くのに困難を覚える、足がいうことをきかないということがあります。言うことがきかないということは、自分そのものではないということです。からだは、自分のものでありながら、言うことをきかない時があります。歩いても足が痛くない、腰が痛くない、と言うのが良いのですが、足が痛くて歩けなくて困っている、腰が痛くて座ったり、立ったりすることが、難しい時があります。自分とからだとがうまく調和して、互いに何の違和感がなく、自分の思い通りに身体が動くならば、それはとても幸いなことです。このように自然という環境と自分とが調和する、自分と身体とが調和する、そのような調和があれば、楽に過ごすことができるのです。

 私が、東大宮教会におりました時に、どういうことで悩んでいますか、というアンケ−トを取りましたら、一番、多かった答えが「家族のことで悩んでいます」と言うことでした。家族と言うのは、最も身近な人間関係です。しかし、なかなか、うまく行かないのです。私たちは、いつも人と関わりながら過ごしています。誰とでも良い関係を持ち、他の人と調和して平和に過ごすことができれば、幸いなのですが、他の人との関係で悩むことが多いのです。相手が自分の思い通りにしなかったり、相手が自分の期待に応えないと、嫌いになり、冷たい関係になってしまうことがあります。この地上で、災害に遭わず、健康で、財産も確保しており、家族も仲良く、他の人との人間関係も良好であれば、幸福であると考えます。
 しかし、幸い、幸福を神との関わりから考えると、全く、異なる意味になるのです。聖書が語る、幸い、幸福とは、神と共に生活することなのです。神が私たちを常に愛して下さる、そのことを信頼して歩むことが幸いであり、幸福なのです。災害に遭わず、健康で、生活するだけの財産もあり、家族も仲良くしている、そのどれかを失っても、幸福、幸いなのです。この地上で生きていくのに困難なことがあっても、神に信頼しているから神に頼ることができ、神に望みを置くことができるから幸福なのです。私たちをいつも愛している神が、私たちの中におられるので、幸福なのです。
 
 聖書は、私たちが神から創造され、良い作品として造られたと語ります。私たち人間は神と共に生き、神に応答する者として造られたと語ります。
 しかし、聖書は、神に造られた存在であるにもかかわらず、神と共に生きることができなくなった、と語るのです。神と正常な関係を失ってしまった、その原因が、罪が入り込んだからだ、と語ります。
 本日は、創世記3章を読みましたが、ここには、私たちが神と共に生きることが、なぜできなくなったのか、を物語ります。つまり、人間の罪がどのようなものかを物語る、とても重要なことが記されています。
 神は最初の人間、アダムを造り、その相手としてエバを造りました。人間が生きる上で必要なもの、住まい、食料、相手、労働、そのすべてが備えられているところに住んでいました。このエデンの園の中で、禁じられていた一つのことがあったのです。それは、「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と命じられていたことです。神が「善悪の知識の木」から食べてはならないと語るのは、それを食べると、人間が神と同じになり、神のように、すべてのことを知ることになるからです。この世界のことは、神だけがすべてのことを知っているのであって、人間が神のようになってすべてを知り、すべてを支配することは、人間の限界を超えて、神と同じ存在になるので、厳しく禁じられていたのです。

 ところが誘惑する者がいたのです。人間は自由が与えられていて、イエス、ノーが言える自由な人格的な存在です。人間はロボットのように、言われたままに動く存在ではなく、自分で自由に応答する存在であるのです。それは誘惑される可能性をもっていることを意味しています。エバが、善悪の知識の木を見ると、見るからに美しく、食べると美味しそうで、自分が神のように賢くなるように思えたのです。人間は美しいもの、おいしいもの、賢くなるものについては、興味をもち、手に入れたいと願うのです。美術館で美しい絵画や美術品を見て、自分が美しいと思った作品を手に入れたいと思うことがあります。自分が気に入った絵はがきなどを手に入れて、とても幸福に感じることがあります。エデンの園でエバは、美しいもの、美味しそうなもの、賢くなるもの、を見て、自分のものにしたいという誘惑に負けてしまったのです。それは、それを手に入れることによって自分が幸福になると思ったからです。
 神の言葉よりも自分の幸福を優先したのです。その時から人間は自分の幸福や利益を優先する存在になってしまったのです。罪とは神や隣人よりも自分の幸福を、自分の利益を優先する、あり方なのです。それは神との関係、人との関係を壊すことになります。自分のことを優先するのですから、相手は自分の手段になります。それは、相手を人格としてではなく、「もの」として扱うことになるのです。常に「自分にとって良いか、どうか」で判断するのです。
神がどのように思っておられるのか、と問わないのです。自分の都合、自分の利益をまず考えるのです。それが罪なのです。自分中心が罪なのです。
 
 お金をもっている人がいるとします。みんなそういう人が友達にいるといいなぁと思います。この人の友達になりたい、知り合いになりたいのです。皆、この人にはとても親切です。しかし、親切だからと言って、心から愛しているか、というとそうではないのです。お金がなくなれば、その人のところには行かないのです。もし、この人が貧しかったら、親切にするのだろうかと思います。人は、自分が追い求めている物を持っている人に親切です。しかし、その親切は、その人を愛しているのではなく、その人が持っているものを愛しているのです。人間はなんと自分中心の心を持っているのでしょうか。自分の目に良い人、自分の役に立つ人、頼れる人、助けてくれる人、得になる人、そのような利用価値がある人が周りにいてほしいし、知り合いにしたいし、友にしたいのです。反面、貧しい人に対してはそうではありません。自分の役に立たないどころか、自分を困らせるかもしれないと思い、遠ざかるのです。自分の得になることより、損をするかもしれないと、敬遠するのです。自分が犠牲になることは好まず、自分のために与え、惜しまない人を好むのです。

 私たち人間は人格をもった存在です。その人が所有しているもので関係を持つ存在ではないのです。その人そのものと交わるのが人格的な交わりなのです。お金をもっているから付き合おう、利用できそうだから相手にしよう、それは自分の手段として相手を利用することになります。相手は「もの」なのです。それは取り替えることができるのです。コップを利用しますが、古くなったり、気に入らなくなったら、捨てて、他のコップと取り替えることができます。この人はもう自分が利用できないと思えば、別の人と取り替えることをするのです。ここに、私たちの深い罪があります。関係を結ぶ時に、自分の利益を条件とするのです。相手が自分の条件を満たさないならば、相手とせず、愛することはないのです。相手が自分を利用している、ものとして扱っていることに気づくならば、関係を持ちたいとは思わないのです。

 私たちも、自分に役に立つ神であれば良いと思うのです。自分に利用価値がない神は要らないのです。金曜日に聖書を学び、祈る会で、旧約聖書のホセア書を学んでいます。預言者ホセアは、天候の神であるバアルを拝み、礼拝しているイスラエルの民に、神のもとに帰れ、と呼びかけます。「神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め。」(ホセア書12章7節)
 旧約聖書には、神とイスラエルの民とは契約を結び、その条件として戒めが与えられました。神はイスラエルの民を愛し、契約を結びましたが、それには戒め・律法を守ることを条件としていました。しかし、イスラエルの民は、神の律法を守ることはありませんでした。神をまことに神として礼拝することはなかったのです。食べるためには、食料が必要で、そのためには実らなければ収穫ができない、そのためには天候に左右されるのです。そのために主である神に頼るのではなく、天気の神を礼拝することをしたのです。現実的な自分の利益を優先したのです。神を愛することのできない深い罪を持っています。神をまことの神として礼拝しない者は、隣人を愛することはできないのです。

 そのような自分中心の生き方をしている存在を、神は必ず罰するはずなのです。しかし、神は私たちが考えもつかない、不思議な方法で、私たちに正常な関係を与え、和解させるのです。私たちが神の審判を受けて死ぬことがないように、神が神と同じイエス・キリストを送り、この方によって私たちの罪を背負い、罪を償ってくださるのです。神が、私たちに願っている生き方は、神をまことの神とすることです。そして隣人を愛することです。しかし、神の望んでいる生き方をしていない私たちを見捨てないのです。こういう人間になって欲しいと願っても、全くその条件を満たしていない、その私たちを愛する、罪の償いのためにご自身を献げるのです。このことによって和解が成立し、私たちは神と和解し、平和が与えられたのです。神との関係が平和である、このことこそが、幸福なのです。神と共に生きることがまことの幸いなのです。
 ヨハネによる福音書3章16節には「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と語られています。永遠の命とは、神とつながっているいのちのことです。私たちはキリストを信じているので、自分の肉体が滅びても、永遠の神につながっているのですから、死んでも生きるのです。

 この地上で、災害に遭うことがあるでしょう。病気になり、病と戦うことがある、様々な困難が襲うことがある、家族が仲良くできず悩むこともあります。そして死の不安がある、将来のことが心配だ、ということもあります。
 このようなことが起こるのは、この世の価値観では、不幸であるのです。しかし、私たちを愛し、私たちのために犠牲をささげてくださり、いつも共にいてくださる神を信頼しているので、幸いなのです。それは神に深く信頼し、依り頼んでいるので、動揺することはないのです。
 私が神学生の時に、教会のある婦人から手紙を戴いたことがあります。この手紙がこの婦人の私への最後の手紙になりました。この婦人は、長く入院されていましたが、医師からもう長くないことを知らされていました。その手紙には、自分は自分のいのちが終わることを知らされ、牧師に来て戴き、病床聖餐式をして戴き、神に罪を赦されていることを確認し、平安のうちに神のもとに行くことができ、感謝です、という内容の手紙でした。その婦人は、神の言葉と聖餐を戴き、神によって恵まれた生涯を終えることができたのです。

20191013 主日礼拝説教  「神が求めている生き方とは」  山ノ下恭二
(出エジプト記33章1−11節、ルカによる福音書3章1−20節)


 本日の礼拝からルカによる福音書を学んでいきます。3章の初めを読みましたが、なぜ1章から学ばないで、3章から学ぶのか、それは理由があるのです。それは1章、2章は主イエスの降誕物語が記されており、クリスマスの時によく取り上げられている箇所ですので、3章から学び始めることにしました。

 この3章にはバプテスマのヨハネが登場致します。バプテスマのヨハネは主イエスの公の生涯の前に登場し、ヨルダン川で洗礼を授けていたことはよく知られています。聖書には、4つの福音書があり、バプテスマのヨハネは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、この4つの福音書すべてに登場する人物です。 
 
 バプテスマのヨハネについて語る時に、ルカによる福音書は、他の福音書と読み比べて、特色をもった語り方をしています。一つは、1節から3節のところにこの当時の政治家、権力者の名前が出て来ることです。この地上の歴史において実在した政治家が記されています。「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」
 このルカによる福音書を編集したルカは、たいへん丁寧にロ−マ皇帝から始めて、この当時のユダヤの支配者の名前を挙げています。このような政治家の名前を挙げているのは、ルカの心の中に、一つの思いがあったのです。

 2節後半で「荒れ野」という言葉があります。私たちは「荒れ野」と言う言葉を聞くと、草も生えない、荒涼とした原野のことを思い浮かべます。しかし、この言葉はとても深い意味を持っています。この「荒れ野」と言う言葉で言おうとしていることは、人々が平和な思いをもって共に生きることができない、互いに殺し合い、憎しみ合い、愛することができない、そのようなことを「荒れ野」と言っているのです。
 
 主イエスがお生まれになった頃のユダヤの王はヘロデ大王ですが、この大王はたいへん残忍な性格で、自分の王位を狙っていると思い込んで、何十人もの肉親を殺したのです。また、その子、ガリラヤの領主ヘロデも、兄弟の妻を奪う、そのようなこともしているのです。政治家が荒れ野を作り、人々が苦しんでいるのです。それは、現在もそうであって、現代ほど、政治家に対して軽蔑と不信が満ちている時代はないと思われます。人々の生活の安定と福祉のために働くことが求められている政治家が自分の地位にしがみつき、自分の利益のために保身的なことばかりしているのです。そのようなことに関わる醜さや汚さを見ざるを得ないのです。このような、荒れ野を神が深く悲しみ、神御自身の言葉を語ろうとして、ヨハネを用いて語らせたのです。3章2節で「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」と語られています。

 先ほど、このルカによる福音書は、ヨハネのことについて、マタイ、マルコ福音書と比較して、特徴を持っていると言いました。もう一つの特徴があります。このヨハネは、先駆者ヨハネ、バプテスマのヨハネ、と言われていますが、このルカによる福音書は、バプテスマ(洗礼)を授けるヨハネというよりも、説教者ヨハネとして特徴づけているのです。3章18節には「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」と記されています。「勧め」と言う言葉は「慰めて」と訳してよい言葉です。

 ヨハネは、人間の持っている、罪と言う荒れ野を見ているのです。自分のことばかり関心があり、自分のことを最優先する、他の人と共に生きることができないでいる荒れ野を見つめているのです。自分のしていることが正しく、他の人は間違っている、そのような批判を互いにして、互いに愛し合うことができないのです。その荒れ野を見ているのです。ヨハネはそのことを鋭く批判することで終わることなく、私たちの帰るべき本来の場所を指し示すのです。
 ヨハネは、ただ批判したのではなく、本来、私たちが帰るべき場所を指し示しているのです。「居場所」と言う言葉を良く聞きます。学校でいじめられて、学校には自分の居場所がないので、フリースクールに通っているという若者が増えていることを知っています。ヨハネは、私たちが帰るべき本来の喜びの場所を指し示したのです。神のところに帰るように勧めたのです。「悔い改め」と言う言葉は「帰る」「帰還する」と言う言葉です。私たちには帰るところがあるのです。ヨハネは、神のところに帰れるのだと語ったのです。

 バプテスマのヨハネは、厳しい罪の審判を語った人というイメージがありますが、人々に帰って来い、帰っておいで、帰る場所があるから、ここに帰っておいでと言っているのは、深く愛しているからこそです。正しい、審判の言葉を語るのは、相手を深く愛しているからこそ、厳しい言葉を語るのです。
 
 私たちは、愛と言うことを誤解しているのです。どのようなことをしても受け入れるというのは、愛ではないのです。間違ったことをしていることを知っていて、何も言わないで、黙っているのは、寛容でも、受け入れているのでもないのです。相手に注意すると、自分に関わるので、面倒になるので、自分のためにしないだけです。それは、相手のためにはならないのです。自分のほうから相手に何も言わなければ、相手が、自分が悪いことをしていることに気がつかず、同じ過ちを犯すのです。その人が間違っているならば、それを正しつつ、しかし、最後に赦すのが愛です。その人が違ったことをしていても、そのままにして黙認しているのは、受け入れているのでもないし、相手を愛しているのではないのです。愛しているからこそ、人間の罪に対して、厳しく語らざるを得ないのです。

 ヨハネは、神が求めておられる本来の生き方をしていないことに悲しみ、その罪を責めているのです。7節の途中から読みます。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
 
 ヨハネが語る中心的なメッセージは、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」ということです。悔い改める、それは方向転換をする、という意味です。生き方を全く変える、と言うことです。ただ、自分が悪かった、と自責の念にかられる、相手に、お詫びして謝罪するということではないのです。悔い改めていることが、目に見えて分かるということです。悔い改めて実を結んでいるということが具体的な姿で見えてくる、それはどういうことなのでしょうか。悔い改めの実を結ぶのは、具体的な生活においてです。その姿を詳しく語っているのが、このルカによる福音書の特色なのです。

 皆さんは礼拝にでて、これから家に帰る、今までと全く生き方も、考え方も同じであるならば、それは悔い改めをしていないことになります。礼拝に出て、みことばを聞いて、悔い改めをするならば、今までの生活とは異なった生き方をするようになるのです。このルカによる福音書は、具体的な生活ぶりが変わっていくと言うのです。マタイ、マルコ福音書には書いてなくて、ルカ福音書だけに書いてある言葉があります。3章10節以下です。「そこで群衆は、『では、わたしたちはどうすればよいのですか』と尋ねた。ヨハネは、『下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ』と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、『先生、わたしたちはどうすればよいのですか』と言った。ヨハネは、『規定以上のものは取り立てるな』と言った。兵士も、『このわたしたちはどうすればよいのですか』と尋ねた。ヨハネは『だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ』と言った。」

 悔い改めている「しるし」、神に立ち帰っている「しるし」、神の言葉を受け入れている「しるし」は、具体的な生活においてです。それは自分を第一にする、そういう生活ではないのです。自分だけが満足する生活ではないし、自分の都合を優先する、そういう生活ではないのです。
 下着を二枚持っているときに、一枚は、持っていない人に分けることです。そこには下着を持っていない人のことを心に留め、思い出し、その人を自分のことのように思っている、そのような姿が見えます。タンスを開けて下着を取り出すときに、自分以外の人のことを思い起こして、あの人は持っていないのではないか、と想像力を働かせて、もう一枚はその人に分け与えるということです。

 たくさんのご馳走をいただきながら、食事ができないで飢えて苦しんでいる人がいることを思い起こして、その人に分かち与えるのです。悔い改めて生きている、そのことが分かるのは、そのような姿に見ることができるということです。悔い改めると言うことは、神のもとに帰還する、立ち帰る、ということです。神が求めている生き方をするということです。それは、神を神として礼拝し、隣人を愛するという生き方になることです。そこでは、自分の生活の中に隣人がいつも入っている、きちんと位置づけられている、隣人を無視しないでいると言うことです。

 皆さんも、気がついていると思いますが、自分の生活の中で、隣人がいつも自分の視野の中に入っていない人がとても多くなったということです。自分さえ良ければ良い、と言う人がとても多くなったのです。自由であるけれども、その自由は、神を礼拝し、隣人を愛する、という限りのなかでの自由です。相手に冷たくしたり、いじめたり、妨害したり、邪魔したり、迷惑をかけることは、自分の自由の外にあることです。

 最近、経験するのは、スマホのことです。道を歩いていると、後ろから突然、大きな話し声が聞こえることがあります。とてもびっくりすることがあります。 ある時、新聞の投書欄に「ドキッとする携帯の話し声」という題の78歳の婦人の方の投書がありました。「歩きながら、携帯電話をかけている人。私は、その声に何度驚かされたことかしれない。夕食の買い物で両手に荷物をいっぱい提げて道を歩いていると、後ろから「もしもし」と呼ばれる。『もしもし』と呼ばれると、つい振り返るのだ。すると孫のような女の子から、きつい目で見返される。携帯を持っている子だった。ばつの悪い思いで急いで歩いた。(略)今は珍しくもないくらい携帯で話している人が多い。それも通りすがりに小耳にすると、大した急ぎでもなさそうなたわいもない話のようだ。どうして歩きながらこんなことで電話しているのだろう。その人たちは「人に迷惑はかけていない」と言うだろう。確かに迷惑を被ってはいない。けれど、せめて歩きながらではなく、道の端に寄って、明るいところで、かけてくれたら私のような年寄りの心臓も、いらぬ心配をしないですむと思うのだが・・・。」

 大学でも、全学礼拝が始まっているのに、スマホのゲームをしている学生がいて、止めるかと思っていたら、司会者のチャプレンが聖書を読んでいるのに、まだ止めないので、その学生に注意をして、止めさせたことも度々あります。私たちも気をつける必要があります。礼拝の前に、携帯を操作している人もいますが、キリストを迎えるために、黙想して静かに、礼拝を待つことが肝要で、礼拝の前に、礼拝中にスマホを操作するようなことがあってはなりません。

 私たちの生活の中に隣り人のことが入っていないのです。存在していても、存在していないかのように振る舞うのです。そのような生活は、悔い改めている生活を言えるのでしょうか。

 徴税人もヨハネのもとを訪ね、悔い改めの説教を聞いて、「どうしたらよいでしょうか」と質問しています。徴税人は、公平で定額の税金を徴収したのではなくて、自分の取り分を増やして、何倍もの税金を取り立てていました。税金は公金ですが、国の役人のように水増し請求をして、自分の私的な生活のために流用していたのです。それに対して「規定以上のものは取り立てるな」とヨハネは語ります。税金が国民のために用いられる、そのような感覚を取り戻し、自分のためにではなく、隣り人のために生きるように、自分の生活の中に隣り人の生活を確保し、自分のことのように隣人を愛する、そのような生活を勧めています。

 「兵士もヨハネのもとに来て、悔い改めの説教を聞き、『このわたしたちはどのようにすればよいのですか』と尋ねた。」兵隊は、武器を持っています。武力をもって隣人の家に押し入り、金をゆすり、傷つけることができます。権力者の命令のもとにあって、自分の権力でもないのに槍を持ち、小さな武器を持って威張り、民衆が恐れて抵抗しないことをいいことに、取りたいものは取っているのです。この兵士に対して「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」(3章14節)と答えています。

 ヨハネは、毎日の生活の中で、兵士としてどのように生きるかを問い直し、神に対して生きる者として、隣人と共に生きる道を求めよ、と答えるのです。

 悔い改めにふさわしい実を結べ、とここで語られています。私たちのこれまでの生き方を顧みて、悔い改めにふさわしい実を結んでいる、それが見える生活になっているでしょうか。神の前に生きる生活は、隣人と共に生きる生活です。隣人の苦しみや痛みがいつも自分のものとなっているでしょうか。

 このルカによる福音書は、マタイ、マルコ、ヨハネ福音書にはない物語がたくさん語られています。皆さんがよく知っているルカ福音書の物語で「良いサマリア人の譬え話」があります。あるユダヤ人が強盗に襲われ、暴力を受けて死にそうになっていたのです。倒れているユダヤ人のそばを通った、この当時の宗教家たちは、この傷ついた人を見ながら、自分のことを優先して、無視して通り過ぎて助けなかったのです。しかし、日頃、交際もせず、仲の悪いサマリア人が、強盗に襲われた人を介護し、宿屋に連れて行き、その費用を支払ったのです。この譬え話は、主イエス御自身がどのような方かを語るものです。
 このサマリア人が、自分のことを考えずに、隣人のために時間と財産をささげたように、主イエスは、私たちを罪から救い出すために、十字架の死をもってご自身をささげ、贖ってくださったのです。イエス・キリストは、私たちのことがいつも視野の中にあるのです。私たちの罪から来る苦しみ、痛みに同情しておられるのです。

 現代の日本は、自分のことしか関心を持っていない人が多いのです。周りの人がどうなってもかまわないと考えているのです。隣人を気遣う、隣人を自分の生活の中に入れて配慮しないのです。自己中心で生活している人がほとんどです。そのような世相に私たちも影響されて、そのような生き方を身に着けているのです。私たちが主イエス・キリストのもとに帰り、悔い改めにふさわしい実を結ぶことができることを、神は求め、願っているのです。

20191006 主日礼拝説教  「祝福の祈り」  山ノ下恭二
(イザヤ書43章8−13節、ヘブライ人への手紙13章20−25節)


 キリスト教会の礼拝のプログラムの終わりには、必ず、祝福が宣言されます。私たちの教会では「祝祷」と言っていますが、祝福と言う言葉を用いている教会が多いのです。キリスト教学校の礼拝では、入学式、卒業式、クリスマス礼拝では祝祷をしますが、通常の礼拝は、祝祷はしません。私がキリスト教概論を教えている聖学院大学では、4月から、礼拝が終わった後にチャプレンが「皆さんの上に神の祝福がありますようにお祈り致します」と言うようになり、私は、これを聞いた学生たちが、とても安心して礼拝堂から退場することができるので、とても良いことだ、と思っています。

 本日の礼拝で、ヘブライ人への手紙13章20−25節を読みました。本日でヘブライ人への手紙の講解説教が終わります。このヘブライ人への手紙は、とても困難な状況にある教会の人々に向けて書かれた手紙です。迫害があり、信仰の萎えていた、集会もやめようと言う信徒が出て来た、そのような人々に向かって励まし、慰め、奮い立たせようとして書かれた手紙です。
 
 「祝福の祈り」のあとに、第13章22節に「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。」と記されています。「勧めの言葉」と言うのは、「励ましの言葉」と翻訳することができます。あるいは、「説教」と訳して良い言葉です。この手紙は全体が一つの説教であったと言われています。この説教は、励ましであり、慰めです。迫害の中でいつも伝道者が牢につながれているような日常の中で、語られた手紙です。
 また迫害や教会の困難の中で、信仰の姿勢が崩れてしまう、困難に耐えきれないでいる、疲れている、力が萎えてきている、そのような教会の信徒たちを励ます言葉として語られているのです。

 ここに「実際、わたしは手短に書いたのですから」という興味深い言葉があります。この言葉通りに読めば、実際にわたしは、手短に書いてきたということには違いないけれども、なぜ、それをここで書いているのか、と言うことです。この手紙は、説教として礼拝の中で朗読されたと考えられてますが、この手紙を説教するように読んでみると、時計で計ると一時間くらいかかるのです。一時間の説教と言うのは、現代の人にとっては長い説教です。私の説教の時間は30分で終わるように心がけています。10時50分に始まり、11時20分で終わるように心がけています。一時間の説教を「手短に」と書いたのは、なぜだろうか、と思います。

 手短にというのは、時間の長さ、時間の短さ、ということではなくて、この手紙を書いた著者にとって、一つのことに集中して手短に書いたと言っているのです。私たちは時間の長さ、短さ、のことを考えるけれども、そのような長さ、短さと言うことではなくて、様々な表現方法で、様々な語り口で語っているけれども、一つのことだけを語ったので、そのことに集中して、そのメッセージを聞き取ってほしい、受け入れてほしい、と言う願いをもってここで語っています。

 ヘブライ人への手紙は、私にとって忘れられない聖書の言葉です。私がキリスト教信仰に入ったきっかけになった言葉がヘブライ人への手紙の一つのみことばだったからです。私は中学3年生の時に病を得て、入院し、退院した後に、口語訳のへブル人への手紙を一気に読み、そこに書かれている聖書の言葉に深い感銘を受けて、神にお答えするように迫られ、高校1年生の時に信仰告白してキリスト者となったのです。その時は、ヘブライ人への手紙が長い、短いということではなくて、初めから終わりまで一気に読み、その内容をつかんだのです。この手紙は、一つのことを語っているのです。このヘブライ人への手紙が語りたいことは、私たちのためにイエス・キリストが罪の犠牲として、献げ、贖いとなってくださった、そして、このイエス・キリストが大祭司として、執り成してくださっているということです。
 
 この手紙の著者は、このような溢れるような恵みを、ただひたすら、このことに集中して手短に書いているので、どうぞ聞き取ってほしい、受け入れてほしい、と語っているのです。教会の人々に向かって、説教を受け入れて欲しいと願っているのです。説教の内容がどうであったかとか、良い話だったということではなくて、聞いている者が、神が語られていることとして、受け入れて欲しいということなのです。

 最初の教会で説教者が苦労したことは、説教を神の言葉として聞かないということであり、受け入れてくださいと言わねばならなかったことです。私も礼拝が終わった後に説教について感想を聞くことがあります。ある人は「先生の話で」と言うことがあります。また、献金の祈りで「お話を聞いた」ということを言う人がいるのですが、「私の話」ではなくて、説教、神の言葉として聞いて欲しかったと思うのです。パウロがテサロニケの教会に感謝していることは、説教を人の言葉としてではなく、牧師の話ではなく、神の言葉として聞いてくれたことだ、と語っています。テサロニケの信徒への手紙一 2章13節「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」

 このような溢れる恵みを語り続けて、この手紙は20節から21節に「祝福の言葉」を書いています。説教の言葉の最後に、祝福の言葉があるのです。私たちの礼拝においても、説教に直ぐ続けてではないですが、礼拝の最後に祝福を持って終わります。祝福を受けて、この世界に派遣されていくのです。派遣されるために祝福されていくのです。
 ここでは、祝福の言葉を告げています。これから独りで自分の生活に戻っていくわけではないのです。神があなたがた一人ひとりに伴ってくださるのです。
 遠藤周作が書いた「侍」という小説には、切支丹になって処刑される前に、今からあの方が伴ってくださると告げられる場面があります。どのような方が、どのような神が、一緒に行ってくださるのか、伴ってくださるのでしょうか。

 第13章20節には「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が」と書かれています。この言葉はとても大切な言葉なのです。「平和の神」。平和をもたらす神。どのような形で、私たちに平和を与え、私たちを平和にするのか、そこで、主イエス・キリストのことを語ります。神が、主イエスによって、何をなさったのか、わたしたちのために何をしてくださったのか、と言うことです。

 この20節には「永遠の契約の血」と言う言葉があります。ここで大切なことは、主イエスの血が流された、と言うことです。いのちが注がれたと言うことです。このことに根ざして、永遠の契約の絆が結ばれた、と言うことです。主イエスの血が流されたことによって、永遠の契約が結ばれたと言うことです。 このヘブライ人への手紙は、神が契約を結ばれて、その契約に違反し、罪を犯した者が、自分の代わりに小羊を殺して、血を流した血、つまり命を献げることによって、契約を更新するのです。イエス・キリストの十字架の血によって、神との新しい契約が結ばれるのです。

 毎週、金曜日の午後2時から、聖書を学び、祈る会をしていますが、先週の10月4日にはホセア書8章1−6節を学びました。8章1節後半には「イスラエルがわたしの契約を破り わたしの律法に背いたからだ。」と語られています。イスラエルの民は、神と律法を守ることを条件に、契約を結んだのだけれども、まことの主なる神を礼拝し、隣人を愛することなく、他の偶像を礼拝し、隣人を愛することがなかったのです。それで、「イスラエルは契約を破り わたしの律法に背いたから」国を滅ぼすと警告しているのです。私たちも、まことの神を礼拝せず、自分にとって都合の良い偶像を、それはお金であったり、この世の財産に頼り、自分のことのみを愛している、赦すことのできない毎日を過ごしているのです。しかし、神との契約を破って、神との関係を失い、神から裁きを受けなければならない私たちのために、神が代わって神の審判を引き受けて、肉を裂き、血を流して死んでくださるのです。

 「永遠の契約」という言葉を読むと、旧約聖書の創世記第9章が記しているノアの物語を思い起こします。ノアが生きていた時に、余りにも罪を犯す人が多いので、主なる神は大洪水を起こし、人々を滅ぼしてしまい、わずかに信仰者ノアの家族だけを残されたのです。残されたあとに、神がそこで後悔されて、もう二度とすべての人を滅ぼすなどということはしないと約束する、とノアに語られます。

 私たちが罪を犯しても、主イエスがご自身の血によって、生命をささげることによって、永遠の契約を結んでくださったのです。そして、主イエスを「永遠の契約の大牧者」と語っているのです。「永遠の契約の血による大牧者」とあり、主イエス・キリストが牧者であると告白されているのです。
 牧者というのは、羊飼いのことです。「羊の」とわざわざ書いているので、主イエス・キリストが羊飼いであり、私たちがその羊であると語られています。主イエスご自身が、羊飼いと羊の話をされています。迷った一匹の羊を捜し出して、その羊を抱き上げて、連れ帰る羊飼い。そして、良い羊飼いは羊の命を守るために生命を捨てると語ります。このような譬え話をしている主イエスは、ご自身を羊飼いとして、自分のいのちをささげ、いのちを捨て、死ぬことを自覚されていたのです。

 私たちが神のもとから離れ、自分中心、自己中心に生きている、その私たちの存在が消えること、なくなることを悲しみ、捜し求め、御自身の命をも惜しまずに献げてくださるのです。羊のことを愛する羊飼いとして主イエス・キリストは生きられたのです。
 「大牧者」というのは、旧約聖書に登場するモーセも羊飼いと呼ばれています。モーセと比較して「大牧者」と呼んでいます。モーセは羊を飼っていただけではなく、神の民イスラエルを導いて、人々のために祈り、神に執り成し、神の言葉を伝えるという牧者の役割を担っていたのです。モーセがイスラエルの民の牧者として立てられていたのです。このモーセに勝る主イエス、モーセと比較して主イエスが大牧者なのです。

 私たちのために血を流して私たちを救い、牧する主イエス、この主イエスを死者の中から甦らせたばかりでなく、ご自身の右の座に」まで引き上げてくださっている、平和の神が、私たちと伴ってくださるのです。

 祝福の言葉を告げられた者は、それぞれのところに帰っていきます。そこには会社の仕事が待っています。家族がいて解決しなければならないことがあります。不安があり、悩みがあり、苦しみがあります。それぞれのところに派遣されていきます。自分が孤独でしなければならない、自分ひとりでいなければならない、と思うかも知れません。しかし、そうではありません。13章21節には「平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。」これは祝福の言葉です。
 祝福の言葉によって、それぞれ自分のところに派遣されて行くのです。それぞれの自分のところに帰って行くのです。祝福の言葉を告げられたあとは、自分の努力で、神に従う生活をしなさい、というのではありません。最後まで、キリストの恵みが共にあるのです。キリストの恵みが保たれていく中で、私たちはここから出て行くのです。

 一人旅をすることもあり、団体で旅をすることがあります。一人旅は気楽であり、自分のペースで旅ができるので良いように思いますが、全部、自分で計画を立て、自分ですべてのことをしなければならないのです。団体旅行で海外にいくことがあります。一人で計画を立てて、いちいちホテルで支払ったり、道を尋ねる必要はないのです。添乗員、ガイドがいて、ホテルも用意されています。「平和の神が、してくださり、備えてくださる」と語っています。私たちが、自分の力や努力で、御心に適うようするのではないのです。「備える」と言う言葉は、「整える」「完全に整える」「完璧なものにする」という言葉です。
 神が、私たちのために、みんな準備してくださるのです。私たちは何をするのか、御心を行うのです。祝福された、送り出されて、これからすることは御心を行うことです。
 私が東京神学大学の学生の時に、ジョン・ヘッセリンクと言うキリスト教会の歴史を教えていて、カルヴァンの研究者がいましたが、「神の主権的恵みと人間の自由」という本を書いています。一般に、神の恵みを受けた者は、自分の自由な意志や力で、恵みに応えていく、ということを考えます。このことを巡ってキリスト教の歴史の中で、どのような議論がなされたのか、を紹介しています。神からの恵みをいただく、しかし、自分の力で応えていく、という神と人とが協力していくという考え方は異端として退けられたと書かれています。私たちは神と人とが協力していく、と考えているのです。自転車を乗る練習をするときに、初めは後ろを親がもっていてくれる、しかし、こぎ出して先にいくのは自分でこいでいく、そのように初めは神の力を必要とするけれども、その後は自分でしなさい、の論理です。この神と人とが協力していく、という論理は私たちがいつも考えていることです。しかし、これは異端として退けられたのです。

 初めから終わりまで、私たちの行いは神の恵みによることであり、人間の力でしたのではないのです。神の御心を行うには、私たちは全面的に堕落しており、何ひとつ、良いことはできず、ただ、私たちの意志が聖霊によって清められ、良い意志をもたなければ、御心に適うことはできないことを強調しているのです。

 13章20節、21節に「平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。」と語られています。
 神の御心に生きる、それは、ここまでは神がしてくださったから、これから先は私たちがやろうというのではないのです。説教を聞いて送り出されたから、これからは自分で全部、努力しようということではないのです。
 神が、すべてのことをしてくださるのです。私たちもそれによって、すべてのことをなすのです。私たちの信仰を造るのも神のわざであり、私たちが良いわざをなすのも神の恵みによることであり、初めから終わりまで、神の恵みのわざです。

 このヘブライ人への手紙を共に学んできて、本日をもってこの手紙を読み終わります。ヘブライ人への手紙によって、溢れる恵みを与えられたことを感謝し、皆さんの上に神の祝福を祈ります。

20190929 主日礼拝説教 「わたしたちのために祈ってください」  山ノ下恭二
(イザヤ書62章1−7節、ヘブライ人への手紙13章17−19節)


 昨日は、青木富子長老の葬儀が行われ、青木富子さんの信仰と教会での働きに思いを深めることができました。私は6年前に牛込払方町教会に赴任した時には、青木さんは既に介護老人ホームに入居されていて、時々、お訪ねすることが多く、青木さんが教会で礼拝をしている姿や、教会の奉仕をしている姿を実際に見たことがありません。老人ホームをお訪ねした後に、説教録を送ると、丁寧なお手紙を戴き、礼拝説教をよく読んで、みことばに親しんで来たことを知ったのです。
 
 葬儀の式辞を準備するにあたって、青木さんの文章がないかと払方町通信を一号から読み始めました。青木さんの文章が余りないのです。通信の編集委員を長くされて、座談会の文章をまとめていますが、御自身の証しや文章は少ないのです。しかし、青木さんが教会の姉妹たちをお訪ねして慰問した記事がありました。青木さんは執事として、そして長老として、教会の兄弟姉妹を覚えて祈り、気遣い、配慮され、よく訪問をされた方なのではないか、と思いました。牧師、長老は教会の指導者ですから、教会の兄弟姉妹を覚えて、祈り、配慮する働きがあるのです。

 ヘブライ人への手紙をこの礼拝で読み、学んできました。次の聖日礼拝で、この手紙を読み終わることになります。本日は、最後の一つ前の御言葉として第13章17−19節までを共に読みました。この御言葉はよく知られ、よく読まれるところではありません。聖書には、有名な聖書のテキストがあります。皆さんがよく知っている聖書の言葉の一つに「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と言う言葉がありますし、「重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言う言葉があります。これらの聖書のテキストをゴールデンテキストと呼んでいます。このゴールデンテキストの中に、今日、読んだ17節から19節の言葉が含まれてはいません。このところを皆さんが読んで、心に残るすばらしい言葉が記されているとは思わないと思います。

 その意味で、ここに記されていることは余り大切なことではなくて、読み飛ばして良いところなのでしょうか。ここに記されているのは、難しいことではありません。最初に記されているのは、指導者に従ってほしいという願いです。そして「わたしたちのために祈ってほしい」と願っているのです。この手紙を最後まで読むと、おそらくこれを書いた人は今、この手紙を読んでいる人と別れているのです。どこかの教会で面倒な問題に関わって、早く帰りたいのだけれども帰れないと言う状況にあったようです。いずれにせよ、早く帰りたくて仕方がないのです。どうぞ私の願いが満たされるように皆さんも祈ってください、そのように語っています。
 ここではっきりしていることは、指導者と教会員との関係が語られています。指導者に従うようにと言う教会員への促しと、指導者のために祈って欲しい、という指導者自らの訴えです。この指導者と言うのは、今日で言う牧師、長老のことですが、ここには明らかに導く者と導かれる者との姿、共に歩いている者の姿が浮かび上がるのです。

 この導く者と導かれる者の問題は、この手紙にとって小さな問題ではなかったのです。ヘブライ人への手紙11章には、旅する先祖たちの姿が描かれているのです。旅をするときに大切なのは、「導く者」がいると言うことです。導く者がいて、それに忠実に従う者がいないと、その旅は続かないのです。旅はいつも順調とは限らないのです。ちょうど、この手紙が書かれた時が、教会が歩む時に順調ではなかったのです。ローマ帝国からの迫害がありましたし、教会員も苦難を受けていました。苦難が続き、そこで力を合わせ、そして互いに引き締め合うことも必要であったのです。そこには導く者がいないといけないのです。小さい集団でも、指導者が必要です。家族旅行をするときにも、一家の主が計画を立て、家族を連れて旅行に出かけるのです。家族旅行を導く者に、他の家族が言うことを聞かなかったら、衝突したりして、旅がおもしろくないものになってしまうのです。
 
 一つの集団に取って大切なことは、そこに優れた指導者がいて、皆がその指導者を信頼してついていくかどうか、です。このことは、ヘブライ人への手紙を聞いている教会にとっては、決定的に大事なことなのです。
 この手紙で指導者たちについては、ここで初めて語ったのではなくて、第13章7節に既に述べています。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」これは既に亡くなった指導者たちのことです。あるいは、今、病んで死につつある指導者たちのことだと理解したのです。今、死のうとしている、その最後の姿をよく見なさいという言葉であると読むことができます。そしてしばらく間があいて、17節に登場する、この指導者、今、積極的に働いている指導者たちです。今、立てられている指導者です。

 ヘブライ人への手紙13章17節「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。」ここに「聞き入れ」という言葉はとても大切な言葉です。「聞き入れ」と言うのは、「聞く」と言うことではありません。「聞いて入れる」のです。指導者が言うことを聞くけれども、自分はそうは思わない、と言うことではないのです。元々は「説得する」という言葉です。それが、受け身になって、説得される、聞き入れる、という人の心を表す言葉です。「服従する」という言葉が記されていますが、この言葉は現代の私たちには好まれない言葉です。封建的で、命令的なので、良いイメージを持っていないのです。
 しかし、「服従しなさい」と言う言葉は、大切な、聞くべき言葉です。有無も言わさず、服従させられるということではなくて、委ねてその人の下に立つのです。その人に信頼を寄せてついて行くのです。

 指導するということの難しさは、指導を受ける者が指導者を信頼するのか、どうかにかかっていることです。この人に委ねていけば、安心である、その信頼があれば、良いのです。
 オーケストラの指揮というのは、格好が良いように見えて、一度は指揮棒をもって指揮をしたいと思うのです。しかし、指揮棒の振り方で、演奏している曲そのものが崩れることがあるそうです。その指揮に従うことがなかったら、立ち往生するのです。かつて「題名のない音楽会」という番組を見ていましたら、一度は指揮をしてみたいということで、あるタレントが指揮をしていましたが、初めてですし、素人ですので、指揮に従って演奏するのに、演奏者がやりにくそうに演奏していました。テンポが速い曲なのに、指揮のせいか、ゆっくりしていて、客席から失笑がもれていました。意地の悪いオーケストラは、若い新人の指揮者をいじめるために、わざと不服従の態度を取るそうです。指揮者に信頼して、委ねて、それぞれの自分のパートを練習するのは本来の姿です。

 それは、教会の指導者に対して信頼して、委ねるということをしないならば、信頼して聞き入れるということがなないならば、教会は成り立ってはいかないのです。前に進まないのです。牧師の言うことに、いちいち、そう言っても、それは違うと聞き入れないならば、教会は前に進まないのです。牧師は教会全体を見て、判断し、決断しているのです。教会で大切なことは、指導者に信頼する人たちがいると言うことです。これは難しいことで、やさしいことではありません。委ねて、信頼して、指導を受けるということも、私たちの教会の課題です。

 ヘブライ人への手紙13章17節は、更にこういうことを語ります。「この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。」この「心を配る」と翻訳されている言葉は、他の翻訳では、「目を覚まして」と翻訳されています。元々の言葉は「寝ないで」という意味です。「寝ないで」と言う言葉が聖書に出て来ます。この礼拝で、イザヤ書第62章を読みましたが、イザヤ書62章6節には「エルサレムよ、あなたの城壁の上に わたしは見張りを置く。」とあります。昼も夜も、目覚めて見守る者がいる、絶えず見張っている者がいる、そうでないと神の民イスラエルの旅が安全ではないのです。また新約聖書にも「寝ないで」という言葉が出て来る。コリントの信徒への手紙二 11章27節に「しばらく眠らずに過ごし」とあり、これは不眠症ということではなくて、牧会者としてパウロが教会のことのため、教会の人々のために眠らなかったのです。心配の余り、眠れなかったと言うことではなくて、意図的に起きて、祈っていたのです。この手紙ではいつも目覚めている指導者たち、いつも目覚めて教会のために祈る者たちの姿があるのです。

 子育てをした人なら経験があると思うけれども、子どもが高い熱を出して休んでいるときに、親は眠らずに起きていて、心を配っていることがあります。特に母親は、その子どものために目覚めているのです。そのように、指導者たちは教会のために目覚めている、教会員が安らかに生きて行くことができるために、安らかに眠ることができるために、目覚めているのです。カトリックのフランシスコ会訳では、「あなたがたの魂を見張っています。」と訳しています。

 聖書のひとつ一つの言葉に注意して思いを深めることはとても大切なことなのです。17節後半には「この人たちは、神に申し述べる者として」とあります。別の翻訳では「彼らは、神に対して責任を持つ者として」とあります。これは、「目覚めて」「眠らないで」という言葉と考えあわせると、主イエス・キリストが来られる終わりの時に、私たちひとりひとりの生活、歩みが神によって点検されるということがあることを語っているのです。私たちは洗礼を受けて、聖餐にあずかる者になったのです。主イエス・キリストが来られる終わりの時に、私たちの教会生活、信仰生活が問われるのです。教会員として、キリストに喜ばれ、お答えしていく生活をしてきたのか、それともそうでなかったのか、ということがキリストによって問われるのです。洗礼を受けたということだけで、実際の言葉と行動と心がキリストにお答えしてきたのか、それとも自分の生活を優先してきたのか、が問われる時が来るのです。キリストの福音を信じて、洗礼を受けた者は、実質的にお答えするものであり、神からの審判を受けるのです。

 主イエス・キリストが終わりの時に来られて、一人一人の歩みが神によって点検されるのです。その時に自分一人で立つと言うのではないのです。指導者たち、長老たちが側に立ち、その一人ひとりについて、その人の魂について申し述べてくれるのです。弁護してくれるのです。その意味で「この人たちは、神に申し述べる者として」と書かれています。
 指導者たち、現代の教会で言えば、牧師、長老たちのことですが、その役割は、教会員ひとりひとりの魂を看取り、教会員が礼拝説教を聞き、聖餐を受け、キリストにお答えできるようにいつも目覚めているように、指導を勧めているのです。

 私はいくつかの教会を経験して、多くの人に洗礼を授けましたが、その人たちが今も教会につながっているか、どうか、時々、現在の牧師に尋ねることがあります。よい知らせがあります。教会で中心的に働いて支えている、という報告を受けることがあります。最近では、富山の教会に転会した姉妹の夫が病床洗礼を受けた、という報告を受けました。しかし、あまり良い報告ではない話を聞くこともあります。教会の枝としてつながって、キリストが喜ぶような生活ができるように、指導者は心を配るのです。

 このところを読んで教えられたことは、指導者たち、牧師や長老たちが、皆さんのために、一緒になって神の前に立って、皆さんの弁護者になる使命があると言うことです。神の前にこの人はきちんと礼拝を守り、聖餐にあずかり、形やうわべではなくて、言葉も行動も心もキリストのかおりを放つ生き方をしていました、どうぞみてください、と喜んで言えるようにしようと言うのです。
そのためにも、指導者たちの言葉を受け入れて欲しい、と願っているのです。

 ヘブライ人への手紙13章18節に「わたしたちのために祈ってください。」とあります。指導者の一人として、この手紙の著者、説教者は、自分のための祈りを求めています。指導者の後からついていく者は、指導者のために祈ります。指導者たちは、目覚めていつも祈っているのです。祈りつつ、心を配るものです。そして、教会の仲間に改めて頼むのです。どうぞ、「私たちのために祈ってください。」と頼むのです。

 埼玉で一番、早く伝道がなされたのは、東武動物公園の近くに和戸という町です。和戸教会が埼玉で一番、古い教会です。和戸出身の者が横浜で、宣教師から洗礼を受けて、和戸に帰って福音を伝え、会堂を建てたのです。宣教師たちに日本語を教えた、矢野元隆という江戸にいた医師が日本語を教えていたのです。この当時、日本ではキリスト教は禁止されていましたので、伝道が自由にできなかったのです。バラという宣教師が日本では伝道の許可が下りなくて焦っていたのです。横浜のお寺の一本の松の前で祈ったのです。「伝道ができるように。」「日本の魂の救いのために働かせてください。」と祈ったのです。

 矢野元隆は、日本語の通訳だけではなくて、聖書翻訳を手伝ったと言われていますが、この後、この人は結核に罹り、1865年11月にバラに申し出て、洗礼を受けたのですが、この人が日本での受洗第一号でした。一か月、経過して、矢野が死ぬ前に、バラ宣教師は矢野を見舞ったのですが、矢野はバラ宣教師にこう言ったそうです。「わたしはもう死にます。わたしはイエス様のところに行きます。そして先生、わたしは先に行って、先生の話をイエス様にしておきます。」この一人の人の言葉によってバラは生涯を日本での伝道に献身することを改めて決意した、と伝えられています。バラ宣教師は、関東、東北、静岡、北陸に伝道し、多くの教会を建設したのです。

 バラが祈って、矢野が神に申し述べるという意味では逆になっていますが、教会のために祈る指導者の姿があり、そして、その指導者を信頼して、委ねて、その指導者のことを覚えて祈っている信徒の姿があるのです。

 本日の聖書のテキストは、ゴールデン・テキストではないのですが、教会にとって、私たちにとって大切な御言葉です。教会の指導者たちが教会の兄弟姉妹のために祈り、心を配ると共に、そのような働きをする牧師、長老、奉仕者を覚えて祈る教会の共同体でありたいと思います。

20190922 主日礼拝説教  「くちびるに讃美あふれて」   山ノ下恭二
(詩編149編1−3節、ヘブライ人への手紙13章9−16節)

 
 先週の日曜日の礼拝は、洗足教会との講壇交換のために、私は洗足教会で礼拝説教を致しました。礼拝の後に、洗足教会の一人の男性会員と話すことができました。この方は、祖父、父とも洗足教会の会員であったとのことで、大学生の時まで、時々教会に来ていたとのことですが、昨年の召天者記念礼拝の案内のはがきを見て、久しぶりに礼拝に出席し、それから休まずに礼拝に出席している、とのことでした。定年の後は好きな水彩画や趣味を生かして楽しく過ごそうと思っていたそうですが、いざ定年になり、家にいるようになると、することがなくて、次第に空しくなって、酒を飲むようになり、アルコール依存症になってしまった、その時に、教会から召天者記念礼拝の案内のはがきが来て行ってみようと思い、教会に来て、みんなからとても親切にしてくれ、心配をしていろいろ配慮してもらって、礼拝に出席しているうちに酒を止めることができたそうです。そして、日曜日に教会に行くことが楽しみになり、今年のイースターに洗礼を受ける事ができた、教会に来てほんとうに良かった、自分は礼拝や教会に救われた、と話してくれました。

 この人の話を聞いて、退職と言うのは、ひとつの人生の危機・クライシスではないか、と思ったのです。退職して仕事から解放されて、ストレスもなくなり、自由に生活ができる反面、今まで社会的に所属していた会社などの集団から切り離されて、自分の所属を失うことになり、仕事を失うことによって自分の生きがいと自分の存在意義を失い、何か役に立ちたいと思うけれども、自分の役割がないということになります。自分が自分であることがどのようなことか、分からなくなる、それは大きな危機なのです。しかし、教会に来て、礼拝に出席し、教会で交わりが与えられ、洗礼を受けることによって、教会に所属し、キリストによって、自分の本来の居場所を持つことができたのです。

 この話を聞いて、教会と言う存在、毎週、礼拝をしていることがとても大きな意味をもっていると思いました。日本の各地に教会があり、礼拝が行われていることはとても大きな働きをしていると再認識したのです。日曜日に教会に集まって礼拝をしていることはとても意味のあることです。

 私たちに礼拝をする場所が与えられ、安心して礼拝することができることは、私たちにとって大きな喜びなのです。それは当たり前のことだ、と思うかもしれませんが、当たり前ではないのです。礼拝していた者たちが、礼拝をすることができない時期を経験することがあるのです。もし、地震や災害で、私たちが、礼拝する時と場所を失ったとしたら、自分が信じている神を失い、自分を支えている心の拠り所を失ってしまうことになるのです。
 
 そのようなことを思っていた時に、旧約聖書のエズラ記を思い出したのです。旧約聖書・エズラ記3章には神の民イスラエルの人々がバビロンでの長い囚われの生活を終えて、廃墟となっていたエルサレムにおいて神殿を再建した、その定礎式のことが記されています。それは、国が破れ、文化も社会も崩壊し、人生の意味も目標も失われ、生きる力も萎え果てた、そのような虚無的な状態から神殿を再建したのです。

 普通は、戦争や災害があって廃墟となった時にはじめにどうするのか、それはそれぞれの家を再建するのです。町の復興を始めるのです。しかし、イスラエルの民は、まず、神殿を建てたのです。神殿を建てることを優先したのです。廃墟の中から、どうして神殿を再建したかというと、それは人々が新しく行き始めるために、どうしても礼拝を必要とし、礼拝の場所を必要としたのです。

 エズラ記3章10−13節(旧約p.726)に次のように記されています。「建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を讃美し、感謝した。彼らも『主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに』と唱和して、主を讃美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を讃美し、大きな叫び声をあげた。昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。人々は喜びの声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。」
 
 ここで神を礼拝する場所が与えられて、主を讃美し、感謝したばかりでなく、「大きな叫び声をあげた」「大声をあげて泣き、多くの者が喜びの叫び声をあげ」、そして喜びの声と泣く声を識別することができず、「民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いた」と書かれています。神の民イスラエルの人々の生活の中で、失われた礼拝の場所をもう一度、再建し始めた者の喜び、礼拝の家を建てることを許された者の感激がここに表現されています。
 
 一般には、「礼拝」と「喜び」とは余り結び付けて考えられていません。「あなたの人生の喜びは何ですか」と問われると、家族と穏やかな生活があること、自分の仕事が認められたこと、たくさんの趣味に生きていること、多くの友人を持っていること、などを挙げるのです。「あなたの人生の喜びは何ですか」と問われて、「礼拝」を思い起こすということはありませんし、「礼拝です。礼拝こそわたしの喜びです」と言う人は少ないのです。

 しかし深く考えると、人生の喜びは、礼拝にあるのです。礼拝こそが、私たちの最高の喜びなのです。ある神学者は「本当の喜びには、上から与えられた、恵みによって与えられた、そのような性格を持つ」と言っています。前もって分かっているものを与えられても、その喜びは大きなものではないのです。思いがけなく、自分が予想しないで、与えられたものは喜びが大きいのです。
 アブラハムの物語で、長い間、子どもがなかったアブラハムの夫婦に子どもが与えられた、その子どもの名前を「笑う」イサクと名付けたのです。思いがけなく「喜び」が与えられた、それは深い喜びになるのです。

 礼拝と言うのを、私たちキリスト者は義務のように考え、出かけて行って話を聞き、祈りをするものだと考えている人がいますが、そうではないのです。私たちの予想を遙かに超えた恵みにあずかることなのです。礼拝は、私たちが恵みの経験をすることができるのです。礼拝が何故、喜びになるのでしょうか。それは礼拝がもたらす喜びが、私たちの存在の根拠となり、私たちの存在を深いところで意味づけるものだからです。礼拝に出席することによって、何故、喜びが与えられるのか、と言うと、礼拝で「恵み」と「救い」が語られ、歌われ、伝えられるからです。

 ヘブライ人への手紙は、恵みと救いとを、礼拝との関わりにおいて語っているのです。この手紙は、礼拝によって与えられる恵みと救いについて語っているのです。特に、この手紙は、ユダヤ教の礼拝、神殿における祭儀について語りながら、キリストを中心とする礼拝がどのようなものであるかを詳しく語っているのです。そしてこの手紙は、ユダヤ教の礼拝と私たちのキリスト教会の礼拝とを区別しながら、キリストの恵みにあずかる礼拝がどのようなものであるかを語っています。

 礼拝と言うと、礼拝プログラムを考えます。私たちの教会も礼拝プログラムを持っています。しかし、礼拝の本質は、讃美歌を歌う、聖書を読む、説教を聞く、と言うプログラムに中心があると言うよりも、そのことを通して、私たちが神と出会い、恵みを受けることが大切なのです。
 
 旧約聖書の時代の礼拝は、エルサレム神殿のいちばん奥にある至聖所があり、年に一度、大祭司が血を献げるのです。血を献げることは、命を献げることであり、これによって神の民イスラエルの人々は、自分たちの命を神に献げるということを考えたのです。血を献げると肉が残り、その肉は宿営の外で焼いたのです。宿営というのは人々が住んでいるところであるので、その外で焼いたのです。ヘブライ人への手紙13章11節には「なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運びいれられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。」と記されています。これはユダヤ教の神殿のやり方であり、私たちと関係がないように思いますが、私たちのキリスト教会との関連で論じているのが、ヘブライ人への手紙13章12節です。「それで、イエスもまた、御自分で聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。」

 旧約の時代、イエス・キリストがこの地上に来られる前は、動物の血を献げることによって、罪が赦された、と考え、救いの問題を解決していると考えたのですが、イエス・キリストが、この地上に来られたからには、動物ではなくて、イエス・キリストが御自分の血を流して救いを成し遂げてくださったということが、この手紙の中心的なメッセ−ジなのです。
 この13章12節には、私たちが神のものとなり、神の子となるために、イエス・キリストが御自身を犠牲にして、生命の供え物として、贖いとして、献げてくださったことが語られています。

 聖書を読んでいて、分からない言葉に出会います。ここに「宿営の外で」「門の外で」「宿営の外で」と言う言葉が続けて出て来ます。ユダヤ教の礼拝では、動物の血を献げて用がなくなった動物は、外で焼かれたのです。主イエスが十字架につけられた場所であるゴルゴダもエルサレムの郊外にあり、そこで処刑されたことは、その共同体から排除されたことを示しています。つまり、主イエスの十字架の死は、当時のエルサレムの人々から完全に排除されたのです。そのような仕打ちを受けたにもかかわらず、逆に彼らを神に所属する者にするために、十字架にかかって血をながし、痛みをもって、御自身の生命を献げてくださったのです。

 私たちが、自分たちの深い罪から救われるために、イエス・キリスト御自身が私たちに代わって、深い罪の底辺(底)にまで降りて、死んでくださったのです。この主イエス・キリストの十字架によって、私たちの一切の罪が赦され、そして私たちに神のいのちが与えられたのです。
 ユダヤ教の礼拝は、自分たちの罪を赦してもらうために、その度毎に毎回、献げ物をささげて、罪を赦してもらわなければならなかったのですが、キリストによる礼拝はそのようなユダヤ教の礼拝から決別したのです。ヘブライ人への手紙13章13節には、「だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。」と語られています。「宿営の外に出て」と言うのは、ユダヤ教と決別して、別れて、と言う意味です。

 キリスト教は、大祭司が、動物の犠牲の血を献げる、そのような人間の業を何度も繰り返して、罪の赦しを受けるという、ユダヤ教から決別しているのです。キリストの一回限りの、一度限りの、犠牲によって私たちは罪が赦されているのです。キリストによって、私たちの罪を赦してくださったことに私たちの礼拝の根拠をもっているのです。神に対して罪を犯したから、神にお詫びするために礼拝に行くのではないのです。すでにキリストによって罪を赦してくださった神にお会いするのが、私たちの礼拝なのです。根本的に、私たちは神と和解できている、その中で、罪を赦してくださったキリストである神にお会いするのが礼拝なのです。
 相手に悪いことをしたから、お詫びにいくと言う仕方ではなくて、すでに相手と良い関係をもって、互いに相手の存在を認めあい、愛し合っている中で、相手と会う、そのようなことが私たちの礼拝なのです。
 
 礼拝について書いた本で、レイモンド・アバと言う神学者が書いた、「礼拝−その本質と実際」と言う本があります。礼拝を英語では「ワーシップ」と言いますが、この言葉は「価値ある者に対する態度」という意味であると書かれていました。この「ワーシップ」と言う言葉は、「神の無限の価値を承認すること」であり、「これは、ささげものによって示される」と書かれています。「価値ある者に対する態度」がどのようなことか、身近な具体例を挙げています。「妻を『尊敬する』夫は家庭内の雑用を手伝ったり、花束を贈ったりして、彼女の価値を評価していることを表すけれども、奉仕と贈り物という二つのものは、彼が彼女の価値を評価し認める献げものなのである。」私たちの罪を赦し、無限の愛をもって愛してくださる神を価値ある存在であると認める者は、神を尊敬し、神を讃美するのです。

 ヘブライ人への手紙13章15節では、「イエスを通して賛美のいけにえ」とありますが、「賛美」と言うと「讃美歌」を歌うという狭い意味で理解しますが、そうではなく、礼拝のことを語っているのです。
 礼拝と言うと、様々な讃美歌が歌われ、聖書の朗読がなされ、キリストの話があり、献金があり、聖餐がある、そう考えがちですが、礼拝の根本には、キリストのいけにえ、犠牲による罪の赦しがあるのです。
 礼拝において私たちがいただく恵みは、キリストによる罪の赦しです。神との和解によって与えられる、罪の赦しなのです。

 私たちの魂を痛めていることは何でしょうか。それは、人と人とが和解できない、人の罪を赦さない、自分の罪を相手が赦さないで、和解できないでいるということです。それが私たちの魂の重荷となり、ストレスになっています。
 
 最初に紹介した、洗足教会の会員は、定年で仕事を失って、自分の生きる居場所を失ったのです。それで教会に生き、自分が生きていく居場所を与えられたのです。それは別の会社の仕事ではなく、神から、「あなたはとても大切な存在だ、罪が赦された存在だ」と言われて、キリストに所属する者となったのです。礼拝することによって、自分が生きる確かな場所・位置を持つことができるのです。

 礼拝に関する本を読むと、よくヨハネによる福音書4章にある、主イエス・キリストとサマリアの女性との対話が、礼拝の意味を語るものとして解説しています。罪を犯したサマリアの女性が、シカルの井戸で、イエス・キリストに出会うのです。この女性は魂が渇いていたのです。何人もの人とうまく関わりが持てず、人々は遠くから厳しいまなざしで見ていたのです。誰もこの女性を相手にしていなかったのです。人との関係が破れ、自分が生きて行くための確かな手応えを持つことができなかったのです。

 しかし、主イエスが、人生に疲れ、魂の渇きを感じていたこの女性を相手にして、厳しいけれども、愛をもって語りかけることによって対話が生まれ、出会いが起こったのです。主イエスは、この女性を、神から命を与えられた、ひとりの人格をもった存在として扱い、罪を赦し、神の愛を伝えたのです。

 私たちは、礼拝によって自分の生きる確かな場所を与えられ、神の祝福を受けて、生活を立て直すことができるのです。
 礼拝はキリストと出会う時であり、キリストと対面する場所なのです。そのような恵みが与えられていることを感謝して、礼拝の生活を続けていくのです。

20190908 子どもと共に守る礼拝説教   「神様に祈ることは楽しい」  山ノ下恭二
(サムエル記上3章6−9節、コロサイの信徒への手紙4章2節)

 
 私は、夏休みに、京都の舞鶴、そして、滋賀県の近江八幡、彦根に行って来ました。彦根は彦根城というお城を見て、ゆるキャラのひこにゃんに会ってきました。ひこにゃんも、暑いのにぬいぐるみを着て大変だな、と思いました。
 近江八幡は、ヴォーリスと言う宣教師が立てた、近江兄弟社と学校と施設と会社があり、この宣教師が設計したとても綺麗な建物を見てきました。
 近江八幡という地名は、八幡という名前で分かるように、古い神社があるのです。市ヶ谷にも八幡神社があります。近江八幡の神社の中に入ると、多くの人が、手を合わせて祈っていました。何の願い事をしているのかな、と思いました。

 皆さんはお祈りしたことがありますか。とても困った時に、「神様、助けてください」とお祈りしたことがある人は多いと思います。
 神社に行ったことのある人がいると思いますが、この神社が祭っている神様はどのような神様であるか、と言うことは、あまり気にしないでお参りしています。どのような神様なのかと思うよりも、関心があることは、この神社の神様にお参りするとどのようなご利益、自分にとって良いことがあるかと思ってお参りし、自分の願いを祈るのです。試験に合格をするために湯島天神に行く、会社が発展して儲かるように神田明神に行く、よい結婚相手に巡りあえるように東京大神宮に行く、健康な赤ちゃんが産まれるように日本橋の水天宮にお参りに行くのです。お参りする神社の神様がどんな神様であるかは二の次で、お参りして、自分に良いこと、自分にご利益があれば良いのです。

 キリスト教会の祈りは、どのような神に祈るのか、ということを問題にしています。皆さんは、話している相手が、どのような人なのか、わかって話すのです。私のお父さん、私のお母さん、学校の先生、友達、相手がどのような関係の人か、よく分かって話します。自分を大切にしてくれる人、優しく接してくれる人、信頼することができる人にお話をするのです。全く知らない人に話しかけて、自分が困っていることを話すことはしません。そして自分に意地悪をする人、自分を困らせる人にお話をすることはないと思います。

 皆さんは相手に話しかける時に、名前を呼ぶと思います。「・・さん、こんにちわ」「・・・さん、お元気ですか」と相手の名前を呼んで、話を始めます。 お祈りする時も、神様のお名前を言って、お祈りを始めます。私は、「イエス・キリストの父なる神様」と言います。「神様」と言わないのです。それはなぜでしょうか。それは私たちの神様は、イエス・キリストによってご自分を現した神様だからです。神様とイエス様とは全く異なる神様ではありません。神様はイエス・キリストにおいてご自分を現した神だからです。

 私たちは神様からいのちを与えられ、必要なものはすべて与えられていますが、そのことに感謝もせず、神様なんかいなくても楽しくやっていける、と思っています。自分さえ楽しければいいや、と自分中心に過ごしています。
 そして、友達を憎んだり、嫌いな人に口をきかなかったり、お友達に協力をしなかったり、しています。そのような私たちを、神様は良くないと思っています。しかし、神様は、イエス・キリストによって私たちがしているいけない罪を、自分で背負って、その罰を受けて死んでくださったのです。
 
 私たちのために、神様はイエス・キリストによって犠牲をささげるのです。イエス・キリストは、私たちと神様の仲立ちになって、良い関係にしてくれたのです。それによって、私たちは「イエス・キリストの父なる神様」とお祈りができるのです。だから、祈りを始めるとき、「神様」と呼びかけるのではなく、「イエス・キリストの父なる神様」と祈るのです。

 どのような神様なのか知っているから、安心して祈ることができます。私たちが神様から心が離れていても、神様を忘れている時にも、いつも私たちを忘れることなく、見放すことなく、遠くに行ってしまった羊を探し出す羊飼いのように、いつも私たちを心配し、優しく愛してくださる神なのです。
 
 お祈りは、自分から先に話し始めること、神様に自分のほうからお願いすることではなく、人格をもった神様とお話をするのですから、神様のお話を聞くことが先なのです。自分のことをたくさん話して、相手の話を全く聞かないのは良くないでしょう。あるとき、知り合いの本屋さんに私のほうから電話をしたら、「実は今、病気で・・・」と自分の病気のことで困っていることを話し始めたのです。自分の病気の話をし始めて、相手の長く話を聞くことになったことがあります。私が、用事があって電話をかけたので、私の話を先に聞くべきではないかと思い、自分中心の人だな、と思いました。
 お祈りは、自分から先に話し始めることではなく、神様のみことば、聖書のみことばを読んで、祈ることが先です。
 
 お祈りって、自分からお祈りすることだ、と思っている人も多いと思います。
そうではないんです。神様は私たちのことをよく知っていて、いつも心にかけて、愛しているのです。
 皆さんは、生まれてすぐに、自分のお母さんに「お母さん」「ママ」と呼びましたか。呼んでいないですよね。お母さんが自分の名前を呼んで、だんだん、自分の名前がどのような名前であるか、自分が分かってくるのです。「・・ちゃん、かわいいね」「・・ちゃん、ミルクを飲もうか」とお母さんが言って、この人が自分を大切にしてくれる人だ、愛してくれる人だ、この人に任せておけば、安心だ、と思って、大きくなっていきます。
 
 お祈りは、私たちを愛し、慈しんでくださる神様に信頼して、安心して祈ることなのです。イエス様は、祈る時に神様のことを何と呼びましたか。「アバ」
と呼びました。この「アバ」という言葉は、赤ちゃんが最初に覚える言葉です。みなさんも赤ちゃんの時に最初に覚えて言葉は「パパ」「ママ」「お父ちゃん」「お母ちゃん」でした。イエス様は、親しい気持ちで、神様を「アバ」と呼びかけています。

 相手と話そうとする時に、相手の名前を呼んで話に入ります。「イエス・キリストの父なる神様」と呼ぶことができます。そのあと、どのような言葉で祈ろうか、と悩むことがあります。教会で祈る祈りを聞くと、きちんとした、綺麗な言葉で祈れない、だから祈ることは苦手だと思う人も多いと思います。
 
 祈りは神様に話しかけることです。皆さんは、学校から家に帰ったときに、お母さんに「ただいま、お腹すいた」「今日、学校でこういうことがあってね」と話すでしょう。それと同じように、神様に「ああ疲れました」「今日は無事に過ごすことができました」と祈っても良いのです。
 
 教会の礼拝の司式の祈りや献金の祈りは、みんなを代表して祈る公の祈りですから、よく準備して、言葉を整え、準備して祈ることが必要です。
 
 個人の祈りは、親しい人に話しかけるように祈ることで良いのです。「今日は、こういうことがありました」「こういうことで今、悩んでいます。」率直に神様に話して良いのです。
 
 そうすると、自分中心の祈りになってしまうことになるので、祈る相手である神様のことを覚えて祈ることが大切になります。
 日曜日の礼拝で、いつも「主の祈り」を祈っています。「主の祈り」の言葉を覚えていますか。何も見ないで言えますか。この「主の祈り」はまず、神様のことについての祈りが先にあります。私たちは、祈りと言うと自分のことが先になり、一日が無事でありますように、健康を守ってください、と言うお願いが多くなります。神様にこれをくださいと請求することになります。でも、本来の祈りは「神様に感謝をする」ことなのです。「今日も新しいいのちが与えられたことを心から感謝致します」「様々なことがありましたが、あなたが私を守ってくださったことを感謝致します。」神様に「これをください」と請求する祈りではなくて、「ありがとうございます」と感謝する、領収書のような祈りなのです。そして私たちの祈りは、神のみこころがなるように、神のみこころに従うことができるように、と祈る祈りなのです。
 
 「主の祈り」は、まず、神様のことについて祈り、そして私たちがいつも必要としていることを祈る言葉があります。私たちが必要としていること、それは、食べること、人間関係、そして生きていくことを妨げる様々な困難です。私たちのいのちを支える食物がいつも与えられるように、相手を赦すことができ、相手も赦してくれて、よい関係で過ごすことができるように、そして病気や事故、苦しい試み、そのような困難に遭わないようにしてください、神様なんかいない、誰も信じられない、と思うような厳しい試練、試み、テストがないように、と祈るのです。

 家族や友達と話すのは、とても楽しいです。でも話すことができない時もあると思います。神様にたくさん話してください。神様はみなさんの祈りを待っています。
 

20190901 主日礼拝説教  「私たちの神は永遠に変わることはない」  山ノ下恭二
(イザヤ書51章4−8節、ヘブライ人への手紙13章7−8節)

 
 昔と今とを比較すると、様々なことが大きく変化をしていることに気づきます。私が大学生の頃は、国鉄の電車に乗る時には窓口で行き先を言い、切符を買い、改札口で切符を切ってもらって乗車したのです。三鷹から西荻窪までが30円でした。今は、JRに乗るのは簡単になり、改札口でスイカカードを機械に当てれば、入場でき、スムーズに電車に乗ることができます。
 最近、しばしば目にするのは、町を歩いていると、歩きスマホをしている人も多く、歩いていて相手とぶつかりそうになります。電車の中でも、スマホを手にして操作をしている人が多いのです。私が学生の時には、電車の中で、本や新聞などを読んでいる人が多かったのですが、今は、本を読んでいる人は珍しく、ほとんどの人がスマホを操作しているのです。
 
 時代も人も絶えず変わり、変化をしています。時代が変化する中で、この地上の歴史を支配し、導いているのは神であることを聖書は私たちに語っているのです。私たちの生活には様々なことがありますが、その中で、神の御心は変わらないのです。

 日本の近現代の歴史を顧みると、戦争の時代が長く続きました。8月は、日本が太平洋戦争で敗戦し、平和を取り戻した時です。私は、7月に新宿にあります、平和祈念展示資料館を訪ねました。その時に、南洋群島、特に、サイパン、パラオなどに移住して平穏な生活をしていた人々が、戦争のために、戦火を逃れて、ついには、断崖絶壁から身を投げて死んだ人も多かったのです。死ぬことはなくてもいのちからがら、生き延びて、やっと日本に引き揚げることができた人々もいました。それらの痛ましい記録を見ることができました。戦争がなければ、平穏に生活できたはずなのですが、戦争のために命を失い、家族を失い、家などの財産を失ったのです。

 夏期休暇では、京都の舞鶴の引揚記念館を訪ね、そこには、旧ソ連、シベリア、中国東北部(旧満州)、朝鮮から引き揚げてきた、人々の記録が展示されていました。舞鶴港には、57万人が引き揚げたそうです。旧満州で敗戦を迎えて、旧ソ連の軍隊に拘束され、それぞれ、強制労働をさせられ、長い間、苦難の生活をしていたのです。ある旧日本軍兵士は、7、8年という長い期間に捕らわれていたのです。記念館には、引き揚げる人々を写した写真が多くありましたが、シベリア抑留を終えた兵士たちを載せた船が舞鶴の港に着く直前の写真がありました。やっと日本に帰ることができる、その喜びが表情に溢れていました。多くの旧日本軍兵士たちがソ連の抑留地で次次に亡くなっている中で、生き延びた人々にとって、日本に帰ることができる、それは喜び以外の何ものでもないのです。
 
 現在は太平洋戦争のような戦争はありません。現在は平和な時代だから、ひとりひとり自由に生き生きと生活できているか、と言うとそうではありません。ひとりひとり苦労がなく、問題を抱えないで、順調に過ごしているか、と言うとそうではないのです。生きていくことが辛く、困難であると感じている人々が多くいる時代なのです。
 
 最近、「82年生まれ、キム・ジヨン」という本を読みました。この小説は韓国の女性が書いたものですが、韓国で女性が、男性と比較していかに差別されているか、を具体的に書いてある作品です。韓国で100万部以上売れた、ベストセラーで、日本語に翻訳されて、日本の子育てをしている世代の女性の共感を呼び起こし、日本でもよく読まれている作品です。子育てしながら、仕事をしたいと願っている女性が苦しみ、直面していることを取り上げて、具体的に書かれています。
 
 この小説は、一人の女性が会社に就職して、自分に合った働きができる会社であったのですが、子どもが与えられて、不本意ながら、会社を退職するのです。子育てをしながら、自分は仕事をしたい、と言う願いをもっていたのですが、願いが叶えられず、心を病んでしまうのです。この小説は、この女性が生まれてから、小学生、中学生、高校生、大学生、会社員の時に、女性であるために経験した様々な差別が書かれていました。韓国も日本も男性優位の社会で、女性の人権など問題にされないのです。日本でも大学の医学部の入学試験で、点数によって公平に合格を決めず、女性よりも男性を優先的に合格させるスキャンダルがありました。
 この小説では、男の子を産むことを強制され、兄弟でも男の子が優遇され、会社では、接待の時に相手の会社の上司から、セクシャルハラスメントを受ける、その情景が記されています。主人公の女性は、大学生の時に、ある男子大学生とつきあっていたのですが、あることで気持ちが通じなくなり、付き合いを止めたのですが、同じクラブの男子大学生たちが一人の男子大学生に「キム・ジヨンと付き合えよ」と言ったら、「要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか」と言うのを聞いて、この女性は自分が「人が噛んで捨てたガム」なのか、と深く傷つくのです。また、主人公の女性が、公園で赤ちゃんとベンチに座っていると、隣に座っていた会社員が、主人公の女性に「ママ虫」と呼ぶところがあります。このママ虫とは、働かないで、昼間から公園で遊んでいるママを指す言葉です。女性と言うだけで、差別している社会の中で、女性が必死に生きようとしているのです。戦争のない、平和な時代と言われても、ほんとうに一人一人が大切にされることなく、自由に生きることができない時代なのです。
 
 本日はヘブライ人への手紙13章7−8節を読みました。13章8節には、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」と語られています。口語訳では、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることはない。」と訳されています。
 このみことばは、ヘブライ人への手紙の中で最も良く知られている言葉です。よく知られている言葉だけに、独立した言葉として受けとめることが多いのです。しかし、この言葉の前後のつながりでこの言葉を理解したほうが良いのです。13章7節には、次のように語られています。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」この言葉の背景には、かつて神の言葉を語った、尊敬に値する指導者たちが既にこの世を去り、教会の人々がたいへん不安を感じていたことがあります。指導者を失ってこれからどうなるのだろうか、ととても不安を感じていた人々に語っているのです。これらの人々に対して、変わることのないもの、変わることのない方を明らかにしようとしているのです。教会で中心的な働きをしていて、みんなが信頼していた先輩の信徒が亡くなり、教会の信徒たちが動揺し、これからどうなるんだろうか、と心配になったのです。しかし、何に信頼していくのか。すでにこの世を去った指導者が語った神の言葉そのもの、その神の言葉の中核であるイエス・キリストが臨在し、変わることはない、と語られているのです。
 決して変わることのない主イエス・キリストにしっかりと目を留めなさい、と勧めているのはです。

 激しく揺れ動く時代の中で、その時代の嵐の中に巻き込まれ、不安と動揺の中で、変わりゆくことのない方を信頼し、この方に望みを託すことを、今日のみことばは私たちに勧めているのです。この8節のみことばは、私たちに生きる勇気と力を与え、励ますみことばです。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」
 「きのうも今日も」という言い方は、一つのことがずぅっと継続することを表す言葉です。そして何がずぅっと継続するかというと、私たちに対する神の深い愛と思いやりが継続するのです。私が神学校の学生の時に、授業の中で熊沢義宣教授が、この言葉はどのような意味か、と質問したことがあります。同級生が「神がきのうも今日もいつまでも愛してくださっているということです」と答えると、「その通りです」と教授が返事をしたことをよく覚えています。神がこの世界を創造した、神の創造のはじめから、この世が終わる、終末、最後の時まで、私たちの人生でいえば、誕生から死まで、私たちの神は常に継続して私たちのために深い配慮をしてくださり、私たちに深い関わりをいつももっていてくださるのです。神は私たちが悪いことをすると途中で愛することを止めたり、中断することなく、私たちのための神として振る舞い、真実を尽くしてくださるのです。絶えることなく、神は私たちの神であり続けてくださるのです。常に、いつも、神は私たちのために心を配り、心配し、どこまでも私たちを手放すことなく、見捨てることはないのです。

 聖書には「旧約」聖書と「新約」聖書がありますが、この「約」はどのような意味でしょうか。この「約」は「契約」と言う言葉を省略したものです。旧契約聖書、新契約聖書と書いてある聖書もあります。普通、契約とは契約を結んだ両者が、条件を守ることによって、その契約は継続していき、契約の条件を守らなければ、契約は破棄、無効になるのですが、神と人との契約は、人間が契約の条件を守らなくても、神の側では、契約は無効とならず、破棄されず継続するのです。旧約聖書において、神はイスラエルの民と契約を結びますが、イスラエルの民は契約の条件を守らず、戒めに違反してきたのです。しかし、神は、契約を守らず、戒めに違反し続けても、イスラエルの民を見捨てることなく、継続して、愛してくださるのです。愛の絆をもってイスラエルの人々を扱い、愛し抜いたのです。神を忘れ、自分本位に生き、深い罪を犯しても、神は見捨てることなく、手放すことなく、継続して、その関わりを絶つことはなかったのです。

 ホセア書11章4節「わたしは人間の網、愛のきずなで彼らを導き、彼らの顎から軛を取り去り、身をかがめて食べさせた。」神は愛の絆をもって、継続的にイスラエルの人々を心から愛したのです。

 神の御心は「変わることがない」のです。私たちはよく経験するのですが、私たちを愛してくれる存在は、その時によって変わるのです。幼い時は両親であり、兄弟であったり、結婚すれば夫、妻であったり、その時々に、愛し、愛される相手が変わるのです。しかし、神の愛の御心は変わらないのです。「変わらない」という、この言葉は詩編102編28節に由来しています。「しかし、あなたが変わることはありません。」そしてこの言葉はヘブライ人への手紙1章12節にそのまま引用されています。「しかし、あなたは変わることなく」
 「きのうも今日も、変わることなく」ここではイエス・キリストが過去、現在、未来にわたって少しも変わることなく、私たちのために生きる神であることを示すものです。

 「きのう」と言うと、昨日の8月31日であると思うかも知れませんが、厳密に言うとそうではないのです。聖書では、時、時間、と言う言葉は二つの言葉を使っています。この地上の時間のことをクロノスと言います。私たちはこの地上の時間で過ごしているのですが、時間の元々の言葉はクロノスです。私たちが過ごしている時間、時計の時間です。もう一つ時間を表す言葉があります。カイロスと言う言葉です。このカイロスと言う言葉は、神が決定的に私たち人間と深く関わる時の言葉として用います。主イエスが誕生された時、主イエスが十字架につき、復活された時、主イエスが昇天された時です。「きのう」とは、主イエス・キリストがこの地上において救い主として御業をなさってくださったと言うことです。福音書で語られているように、神が肉を取り、人となられ、主イエスとして誕生され、そして福音を伝え、弟子たちから裏切られ、捨てられ、十字架において苦しみを受け、死んで甦られた、この神のみ業が行われた、それが「きのう」という言葉で表しているのです。
 
 主イエス・キリストは十字架と復活の御業によって、私たちに対する慈しみ深い愛の御業をなさったのです。まさしく、私たちのための神として肉を裂き、血を流し、犠牲を献げてくださった、神の御業を「きのう」という言葉で語っているのです。

使徒信条で「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白していますが、「今日も」というのは、主イエス・キリストが天に昇り、神の座におられて、私たちのために今も変わることなく、執り成しの業をしていてくださることを示す言葉なのです。主イエスは、この地上でなすべき仕事を終わって、あとは知らないと神のもとに帰られたというのではなく、今日も私たちのために、神の前に祈り、私たちのことを祈っていてくださるのです。

 神は愛をもって私たちに深く関わってくださり、この地上で生きている私たちの「きのうも」「今日も」「永遠に」「いつまでも」主イエス・キリストは、私たちのために生きる神なのです。
 私たちの心は変わりやすいのです。その時、その時、考えや気持ちは変わるのです。「心」と言う言葉は「ころころ」という言葉から由来していると言われます。人間の心は、ころころ変わります。しかし、神は初めから終わりまでその愛の御心は変わることがないのです。私たちが自分中心に生きていて、神を忘れても、私たちが自分だけを愛して、神から心が離れても、私たちの態度によって心変わりすることなく、私たちを深く愛してくださるのです。

 日本のキリスト教の歴史を振り返ると、アメリカの教会によって日本に宣教師が派遣され、盛んに伝道がなされたのですが、国家主義、軍国主義によって、教会はとても苦しんだのです。太平洋戦争が終わり一時期、キリスト教ブ−ムになり、人数は増えましたが、やがて人は来なくなり、少数の人々で、礼拝を守るようになったのです。その中にあっても、教会の礼拝は途切れることなく、続けられています。私たちの教会は時代の流れに動揺し、様々に変わるけれども、神が私たちを愛してくださっていることは変わらないのです。神が私たちを愛する、それは、強い意志をもって愛しているのです。
 イザヤ書54章10節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、あたしが結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」

 私たちは、この地上に生きていて、様々なことを経験します。愛する人との別れ、孤独、病、死、など、様々な困難に直面します。そのような時に「主イエス・キリストは、きのうも今日も、永遠に変わることはない」というみことばに勇気を与えられるのです。

 このみことばは、原文では「イエス・キリストは、きのう、今日も同じ方、そして永遠に」と書かれています。この言葉は礼拝の時に、主の祈りのあとに会衆が唱えた言葉であると言われています。牧師が「イエス・キリストはきのうも今日も同じ方」そのように言うと、会衆が「そして永遠に」と答えるのです。そして皆で「ア−メン」と唱えるのです。
 
 私たちは互いに励まし合う、慰め合うのです。「平和があるように」「神の平安があるように」と互いに励まし合うのです。それだけではなくて「イエス・キリストは、きのう、今日も同じ方、そして永遠に」と互いに慰め合うのです。


20190825 主日礼拝説教  「神との絆」  久保哲哉牧師 (聖学院大学キリスト教センター主事)
(箴言29章18節、エフェソの信徒への手紙4章25−5章2節)


 8月の初めに聖学院大学の学生と岩手県釜石市にボランティア・ツアーに行って参りました。参加者は教職員と学生で約50人。何のために行ったのかと申しますと、大学でキリスト教センターの主事として任じられていますので、この主事という役職は英語でいうとマネジャー、つまり礼拝全体をマネジメントしコーディネートすることを職務としていますので、そのツアーが日曜日を挟むために、現地で主の日の礼拝の説教者としてツアーに加わったということです。

 聖学院大学では2011年の東日本大震災の直後から釜石と関りを続けていました。震災直後は流れ込んだ土砂のかき出しなども行っていたようですが、今は復興住宅に住む方々の心に寄り添う、そのような「交流」がメインになっています。若者たちが、復興住宅に暮らす高齢の方々のところに行きますと、本当に皆さんに喜ばれます。その姿をこの目で見て参りました。学生たちは現地の方々から様々な話を聞き、学びを深めて行きます。教職員も得るものが多いツアーです。今回、ひとりの牧師として非常に印象的だったのは、仙寿院というお寺に行き、住職から震災当時の話を伺ったことです。

 住職は、あの震災による津波が来た際に、寺を開放し、約700人の人々の世話をし、151日にわたって被災者の方々と生活をした方です。寺のある場所は地震の被害の大きかったところですが、津波の被害が非常に大きい場所でした。それで、寺の近くの中学校の体育館が遺体の安置所になりました。この住職は真っ先にこの安置所にお経をあげに行き、体育館一杯に1000体以上、それも欠損が激しい、親しい者も多かったことでしょう。そうした方々の遺体の確認を約1000件行った体験を持つ方です。住職はそのときの体験がきっかけで、PTSDという心的外傷ストレス障害になったそうです。訪問者に当時の話した結果、そのことが原因で2度心臓が止まったことがあるそうです。ですから、学生たちも住職から話を伺うかどうか、本気でミーティングして相談していました。近隣の高校と、聖学院の中高と一緒にツアーに行ったのですが、この方から話を伺うかどうかということを、各校でミーティングをして、学生たちは住職命に係わることなので止めようという話になっていたのですが、各校で話し合った結果、住職の話を伺うことになったということです。

 その時、住職は学生たちを前にこう言ったのです。「人々の死が、本当に凄惨な状況が日常となった中で、半数以上が茫然自失となり、ただそこに立ち尽くすしかできなかった」と。しかし「その中で僅かな人たちが前を向いて、今出来ることをやろうとして手伝ってくれていた」とのことです。どのような人が前を向いて進んでいたのかというと、手伝いをしてくれたのは「信仰が浅いか、深いかは関係ない。仏壇に手を合わす習慣を持っていた人たちだった」ということです。これは、教会に属する私たちにとっては「主なる神に心を向ける習慣を持っていること」と言い換えて良いと思います。信仰の篤い、薄いは関係がない。「信仰が無ければ、何もできないのだ」ということを、住職は言っておられました。そして信仰が無ければ、そうした苦難のとき「心を失うのだ」とおっしゃっていていました。「信仰が無ければ何もできない。信仰が無ければ心を失う。」その言葉が非常に印象的でした。

 自分のことを振り返ってみると、今から8年前のことですが、東日本大震災のときに、心を失った経験をしました。久保家の長女は東日本大震災の3週間後に生まれました。妻はそのとき、出産の準備をしており、銀座で最後の買い物をしていました。そのときに地震が起こったのです。帰宅難民になり、当時は世田谷に住んでいて、経堂北教会で伝道師をしていましたが、臨月の妻が銀座から世田谷まで一気に歩いて帰ってきたという体験をしています。そのときに自分が何をしていたのかというと、あの地震は金曜日でしたから、次の日曜日の説教の準備をするべき日でした。にもかかわらず、地震のショックで赤ん坊が生まれてきてしまったらどうしようと心配をしていました。交通網は完全に止まっていましたから、救急車も動かないでしょうから、そこで産むしかないという状況に陥るわけです。もしものことを考えると心がウロウロして何もする気が起きませんでした。テレビを見ることしかできなかったという、完全に心を失った状態でした。「信仰がないと心を失う」というのは本当のことだと思わされました。

 ただ、多少なりとも信仰がありましたので、主なる神に、妻と娘の無事を祈りました。そのときに心に浮かんだ聖句は、様々あるのですが、今日読まれた聖句、5章1節「あなたがたは神に愛されている子どもですから」、だから大丈夫。主なる神が私たちを悪いようにはなさらない。必ず救ってくださる。そのことを信じ、祈ることで、心の重荷がすっと取れまして、心が軽くなりました。それでただ茫然としてはいけませんから、とにかく夕食を作って待っていましたら、夜の9時頃に妻は歩いて無事に帰ってきて、温かいごはんを一緒に食べたという思い出があります。

 このツアーに参加した目的、それは日曜日の役割は御言葉を語ることでした。学生たちに「信仰があれば、心が守られる、どんな苦難、困難の中でも、目の前の死という現実があったとしても、信仰があれば心が守られる」そのことを伝えたいと思わされ「隣りのトトロ」と「千と千尋の神隠し」の二つを喩えにしようと思いました。

 僕は大学で山ノ下先生と同じように「キリスト教概論」を担当しているのですが、その中でこの二つの話をすると、学生たちの顔が上を向くのです。大学生たちはなかなか手ごわいですから、分かりやすく話をするために山ノ下先生も僕も苦労しているのですが「トトロ」と「千と千尋」に「信仰」を絡めて話すと、ちょっと興味深いようです。これは以前幼稚園の園長をしていたとき、教職員の研修会で知ったことですが、宮崎駿という監督は、「少女の自立」を題材としたときに綿密な取材をして作品を作り上げます。この二つの物語を比較するときに、臨床心理士であるとか、幼児教育の専門家たち、また小学校教育の専門家たちが集まって、これを議論すると非常に白熱して、興味深いということを聞かされました。

 簡潔に要約するならば、「隣りのトトロ」は1955年頃を舞台としているために、現在70〜80歳ぐらいの方々の少年少女時代を描写されているといいます。これに対して、「千と千尋の神隠し」は2000年頃の少年少女たちの自立を描写されているのです。ですから現在の30代の方々の少女時代が描かれています。この二つの作品の時代は半世紀ほど異なりますが、ともに主人公は10歳の少女です。同じ10歳の少女に焦点を当てているにも関わらず、二人の主人公の自立の度合いが全然違って、その目の奥の輝きが全然違うのです。それは何故かということを様々な人が分析するのですが、ある臨床心理の専門家は、今から50〜70年前の少女たちに比べて、今の子どもたちは退化していると言いました。その方は、親から子への愛が冷えている、その結果、子どもの育ちが歪んでいると分析しています。

 これは本当のことだと思わされました。何故かというと、「隣りのトトロ」では冒頭の引っ越しのシーンで、主人公家族が新天地に赴く際に、親が子を非常に労っている。そして子も親を労う。そういう理想の家族関係が描写されています。親が借りてきたトラックの荷台に子どもたちが座っているのですが、その荷台から世界を眺める目がキラキラして、これから先なにが始まるのか、非常な期待を持って世界を見ているという描写がなされています。印象的なのは、初めて行くお化け屋敷みたいなぼろぼろの家の2階に行く暗い階段を上っていくときに、本当に目をキラキラさせて、暗闇に向かっているという描写があります。暗闇を恐れずに進んでいく。その姿が印象的です。

 それとは対照的に、「千と千尋の神隠し」では、子どもの目が輝いていません。主人公は他のジブリ作品の主人公に比べて、格段に弱く、自立していません。物語の冒頭に、暗い洞窟の中を進んで行くのですが、一人ではその洞窟を進んで行けないので、親に寄り添っていきます。怖いので腕に寄り添って行くのですが、母親は子供に「くっつかないで、歩きにくいわ」と言ってしまいます。挙句の果てに、親が・・・というシーンまであります。親の愛が失われ、子そもたちが目の輝きを失ってしまっている。そして暗闇に象徴される苦難や困難といったものから、目を背けて、これを乗り越えて行くことができなくなっていると読み解くことができるわけです。

 一人の牧師としてこの物語を見たときに、非常に印象的だったのは、トトロと言う作品を見たときには、その世界観の中で、神と言われるものが生き生きと描かれています。神社などが出てきますが、とても存在感のある描写がされています。主人公の妹が行方不明になったときに、妹の無事を祈り、願うというシーンもあります。タイトルが「となりのトトロ」ですから、通常は目に見えない、子どもたちだけに見える不思議な存在であるトトロ、そういう神的な存在ですが、それがとなりにいて、ピンチのときに助けてくれる、という物語です。そのような明るさの中で生きている子どもたちは、その時代をまるで天国のように生き生きと生きている描写がなされます。

 それに対して「千と千尋の神隠し」では、神は隠されています。物語の冒頭には引っ越しのシーンで、ボロボロの祠を横目に行くのですが、千尋が「あの家みたいなの何?」と聞いたときに、「石の祠。神さまのお家よ」とお母さんが教えてくれるシーンです。その祠はボロボロで誰も管理していません。トトロがとなりにいて、いつでも守ってくれる、導いてくれる、助けてくれる、そういう世界観とは正反対の、目には見えない神的な存在にも襲われて逃げ惑っているという描写がされています。

 個人的な感想ですが、「千と千尋の神隠し」ですから、神が「隠された」現代社会の中で、この地上で誰も助けてくれない、親も冷たい、そして近隣からのネットワークも遮断されて、一人で何の助けもなしに、これから先どう生きて行けばよいのか、まことに頼るべき存在を見失った結果、子どもたちの目が輝くはずはないのです。神が隠されたこの世界で、現代の子供たちは理由も分からないままに呻いている、そのように読み解くことができます。

 前置きが長くなりましたが、先ほど司式者に読んでいただいた旧約聖書に注目したいと思います。箴言29章18節「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」

 幻とは何か。ここで言う幻とは英語のVisionのことです。日本語で幻というと幻覚のような、砂漠の蜃気楼のようなフヨフヨしたものをイメージしがちですが、聖書でいう幻は、そういう根拠のないモヤモヤしたものではありません。「神の言葉に根拠を持つ希望」と言ってよいと思います。言い換えれば、今日のような主の日の礼拝で語られる神の御言葉によって示される真の希望、今日の聖書箇所で言うならば、私たちは神に愛されている子どもなのだ、そのような恵み、希望と言い換えて良いと思います。主の日の度毎に、私たちは神に愛されていることを知らされます。神はいまも生きて働いておられる。その現実、それが「幻」です。これが無ければ「民は堕落する」と聖書は言うのです。ここで言う「堕落」とは、ヘブライ語では「ゆるむ」とか「たるむ」という意味があります。それが転じて、「滅びる」という意味すらあります。ですから、「幻」が無ければ民は堕落する。「幻」つまり神の言葉によって示された「あなた方は神に愛されている」そのような希望、すなわち、神との絆を失ってしまったならば、人々の絆、社会を一つにしていく力、愛はゆるんでいってしまって、遂には崩壊してしまう、滅びていくのです。そう言い換えても良いと思います。

 私たちの住むこの世界はどのような現状にあるのか、もう一度繰り返します。私たちの住むこの世界は、主なる神との絆が緩んでいないでしょうか。ゆるむどころか、神との絆が隠されて、失われてしまってはいないでしょうか。主なる神との絆が失われてしまったことで、私どもは気力を失い、疲れてはいないでしょうか。疲れ果てていては、愛の業は行うことはできません。神を愛し、隣人を自分のように愛するどころか、神に文句を言い、自分を嫌い、隣人に悪を行うことしかできない、そのような現状が私たちの内に横たわってはいないでしょうか。

 例えば、今日の聖書箇所、エフェソ書4章26節には、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」と記されています。現代社会に目を向けますと、世界の人々から愛と忍耐が失われた結果、怒りにまかせ、人を傷つけてしまう。そして、日が暮れるまでどころか、日常が怒りに支配され、隣人の、愛する家族の命を脅かし、傷つけ、またこれを奪って行ってしまう、そのような報道が日々なされていることを私どもは目にしています。この原因を考えると、僕自身はある一人の無差別殺人犯の言葉が思い浮かびます。

 11年前に秋葉原にトラックで突っ込んでいった無差別殺人犯ですが、私と同年代ですが、彼はこう言っています。「ぎりぎり一杯だから、ちょっとしたことが引き金になる。」そういった書置きを電子掲示板上に残して彼は犯行に向かって行ったとされています。どうしてもこの言葉が心に引っ掛かります。普段はいいのです。心が愛に満たされていて余裕あって、前向きに進んでいる状況であれば、誰もあんなことはしません。しかし、精神的に追い詰められて「ぎりぎり一杯」になると、どうにもならなくなるということは、私たちが人生の端々で経験することです。そういうぎりぎりのところで、誰かに優しい言葉をかけられたり、誰かに必要とされたりして、自分を取り戻すことができたという経験を持つ人は少なくないと思います。逆に言えば、そのようなぎりぎり一杯の状況の中で、愛に触れることができればよい。愛に触れることができなければ、私たちの心にはポッカリそういう穴があいてしまって、そこが、悪魔の狙う隙になってしまう。そういうことだろうと思います。

 これも以前、幼稚園で職務を任されているときに知ったことですが、今現在、幼児教育の現場では、子どもたちが生き生きと生きるためには何が必要か、それは保護者や親族や、友人や学校や、地域や行政、様々な角度から大切にされること、愛されることが最も重要なことであると叫ばれています。キリスト教の幼稚園も、キリスト教でない幼稚園でも、現場ではこのことが言われていました。それは何故か。子どもたちはピンチのときにどうやって前に進んで行くのか、誰かに寄り添ってもらうことで力を回復し、愛されることで力を蓄え、そのことによって前に進んで行く力を得ることができるのです。

 これは大人も同じに違いありません。自分自身のことを考えると、主なる神ともし出会っていなかったとしたら、心を失い、何をしているか分からず、もしかしたらあのような出来事を起こしていたかも知れない。牧師であったとしても、そういうぎりぎりの状態に陥ったとしたら、心を失わない保証はないのです。大人も子どもも健全に生きるためには、人から受ける愛だけでは決定的に足りない、そのような実感があります。ですから、人から受ける愛だけでは、片肺飛行のようなものです。もっと言えば、人から愛を受けられる、いつも受けられるとは限りません。人からの愛はいつでも保障できるものではない。だからこそ、この他者からの愛、隣人からの愛に、私どもは神の愛「アガペー」を加えなければならない。そのように思わされるのです。

 私たちの神は、魚を求めるのにヘビを与えるような神ではありません。主の日の御言葉において、命のパンを惜しみなく私どもに与えてくださる方です。主の日の度毎に礼拝に集うことで、永遠なるお方から、私どもは尽きることのない愛の泉を御言葉からいただいています。そしてこの社会で、神が隠された結果、愛が冷え、人々が愛の欠乏によって心を失っている現状があるのであれば、世界が癒されて行くために、神の愛を、この教会が伝えて行きたいのです。ここにこそ、この伝道にこそ、この世界が、そして私たち一人ひとりを本当の意味で癒すことができるのです。その力が「神にのみ」ある。その確信を今日は確認していきたいのです。

 それでは、具体的に私たちはどのように神に愛されているのでしょうか。そのことが今日示されましたエフェソの信徒への手紙5章2節にはっきりと記されていますので、もう一度朗読したいと思います。

「キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。」

 キリストが、私たちを愛して、ご自分を香りの良い供え物、つまり、いけにえとして、その生命を十字架の上、私たちのために神に捧げてくださった。その主イエス・キリストの、十字架を見据えて、罪の赦しの出来事によって、私どもが愛されている、この恵みをこの場所で私どもは知らされております。心がぎりぎり一杯のときに、なかなか偽りを捨てられない私たちです。また、真実ではなく、悪い言葉を日々語っていってしまう私たちです。ですけれども、洗礼によって罪赦された私たちは、あの十字架の出来事のゆえに、聖霊が私どもに働いてくださり、贖いの恵みが保証されている、そのことが今日の聖書箇所に記されています。言い換えれば、終わりの日に、私どもが神の前に引き出され、審きを受ける、その時においても、私どもの内には救われる値打ちは全くありません。そして、良いものがなく、悪いものでありながらも、しかし、主の十字架の故に私どもには救いがある、保証されている。

 今日これから、讃美歌2編の136番を歌いますが、心にとめて歌っていただきたいのです。3節に「われ聞けり、みかむりと真白き衣をつけ、主をほむる民あり」とあります。私どもの心は弱く、まったくもって真っ白とは言えない、そんな私どもの心ですが、主イエス・キリストが十字架によって罪を赦してくださった、そのことによって私どもは、この真白き衣を、聖霊の力によって着させていただきました。また別の聖書の言葉によれば、「イエス・キリストを着ている(ガラテヤ3章27節)」のです。主イエス・キリストを衣として私どもにまとわせてくださる。その衣のゆえに、私どもは救いに覆われて、聖霊によって救いが保証されている。その時には、審かれ、永遠の死の池に放り込まれることはない、神の国を継ぐ者とされている。その恵みを得たときに、私たちは心が強くされる。そして、神に愛されている子どもですから、神に倣い、キリストに倣い、神を愛し、隣人を自分のように愛する。そのような生活へと召し出されていくのです。

 それは私たち自身の信仰の力ではないのです。神に愛されている。そのことが私どもの心に本当の意味で安心感を与えるのです。そして、霊的に生きるよう導いてくださり、私どもの目が輝き、前へと進んで行くことができるようになるのです。この神との絆を主の日の度毎に、御言葉によって確認をして行きたいのです。繰り返しになりますが、私どもの心がぼろぼろでぎりぎり一杯のときには、何もできません。しかし、このぎりぎり一杯の心を、神は救ってくださるために、主イエス・キリストを十字架に向かわせ、そして、私どもの罪を赦すために、主イエス・キリストが十字架におかかりになりました。命をかけてくださったのです。そのことを思い起こすときに、私どもと「神との絆」が私どもの前に現れ、力を得ることができるのです。この現実を子どものように信じていきたい。私たちは神様の子どもですから。

 最後に、子供のように信じるとはどういうことなのかに触れて終わりにしたいと思います。これは子育てで失敗したことから得たもので、少し恥ずかしいのですが、確か長男が幼稚園で段ボールの剣を作ってきたときか、もしかしたら、娘がドレスを作ってきたときだったかも知れません。この制作物は段ボールとか新聞紙で作っているのですぐにぼろぼろになってしまいます。2〜3週間遊んでいるとどうにもならなくなって、ゴミ箱に行ってしまうことがあります。懐かしく思い起こされる方もあると思いますが、子どもたちには隠れてゴミにしてしました。しかし、ちょっとしたことで、ゴミを捨てにいったときに、長男に見つかってしまったことがありました。そのときに、息子は本当に本気に悲しんで「何故捨てるのか、これは自分が作って本当に恰好よい剣なのだから」と本気で泣かれたことがありました。それを見て思いました。子ども達にはこの剣が、新聞紙で作ったぼろぼろのドレスが、輝かしい本物のドレスであって、本物の剣に「見えている」ということを知りました。ですから子どもたちは、そういう目で、この世界が見えているのです。だから、神に「あなたは神に愛されているのだ」そのことを主の日の御言葉で聞いたときに、彼らは本当に神に愛されていると信仰の目をもって感じるわけです。聖書の発想で言えば、これはヘブライ書ですが「信仰とは望んでいる事柄を確信(ヘブライ11章1節)」することですから、子どもたちは信仰の薄い私たち大人とは比べ物にならないレベルで、自分の望んでいる世界を確信し、そして神に愛されている、その見えない事実を、信仰をもって確認している。そのようなものなのだと思います。

 私たちは老いも若きも、神に愛されている子どもですから、どうぞ主の日の度毎に、ここ牛込払方町教会に集い、御言葉を子どものように聴き、信じ、進んで行きたいと願います。本当に従順に神の愛を受け取って行きたいと思います。そして聖霊の助けによって、主キリストに倣い、互いに赦し合い、愛し合って行きましょう。ここに、私たち一人ひとりが、神の国に進んでいく秘訣がある、また、その先で世界が癒されて行く。その秘訣があるからです。

 では、共に祈りを捧げたいと思います。

 天の父なる神よ。あなたの御名を称えます。
 今日もあなたに守られて、ここに集い、あなたの愛に豊かに触れることができましたこと、その恵みに感謝いたします。 私どもの世には苦難があります。困難が多いこの旅路の中で、心を失ってしまうような時があります。
 どうかそのような中にあるときにこそ、あなたとの絆をこの目で、信仰によって確信し、主イエスの御姿を見失うことがあ りませんように、どうぞ私どもの信仰をあなたが支えて下さいますようにお願いします。
 すべてのことを、あなたにお願いいたします。あなたの御心がありますように。
 救い主、愛する主イエス・キリストのお名前を通して、御前にお捧げいたします。アーメン。

20190818 主日礼拝説教  「平和に生きるために」   山ノ下恭二
(詩編34編15節、マタイによる福音書26章52節)


 先日、新宿にあります平和祈念展示資料館に行きました。丁度、「南洋からの引き上げ展」をしていました。多くの人々が移住した、サイパン、パラオなどの南洋群島で平穏に暮らしていた生活が、激戦の島になり、人々はジャングルを逃げ惑い、断崖絶壁から身を投げて死んだ人も多く、戦火をくぐって生き延びた人々はやっとのことで、日本に引き揚げることができた、その記録が展示されていました。この資料館では、引き揚げの船の内部の様子が大きな模型で詳しく展示されていました。また、この他にも、シベリアに抑留された収容所(ラ−ゲリ)の部屋に人間の大きさの模型も展示されていました。収容所(ラ−ゲリ)内部の部屋、二段ベッドがある部屋で一人の兵士がパンを細かく切っているのを、ベッドから自分がどれをもらえるかを注目している4人の兵士の姿が展示されていました。
 石原吉郎という詩人はシベリアで抑留生活を長く経験した人ですが、「望郷と海」という本で、収容所の部屋の壁に、ぎっしりと日本人の名前が刻まれていることに気がついた、と書いています。なぜ抑留者の名前があるのか、それは、シベリアの寒さや飢え、そして過酷な労働で多くの人々が死んで行く中で、抑留者たちの名前があることの意味を考えたと言うのです。シベリア抑留者の無数の名前があることは、この収容所で生きていたことの証明にもなるし、もし死んだら、自分のことを家族に知らせて欲しい、という願いが込められているのではないか、と書いています。

 8月は、6日には広島に原爆が落とされ、9日には長崎に原爆が落とされ、15日は日本がポツダム宣言を受け入れ、敗戦したことを正式に表明した日です。その意味で、8月は戦争と平和を心に刻む時です。
 韓国、中国、東南アジア、南洋群島、という広い地域で、戦争が続けられ、海外の人々をも含めると、多くの人々がこの戦争のために命を落とし、傷つき、家を失い、家族を失うということであったのです。太平洋戦争と言うと、真珠湾攻撃、中国東北部への侵略、満州での避難民のこと、沖縄戦、特攻隊、広島・長崎の原爆投下、大空襲による多数の死、慰安婦、徴用工、そのようなことを思い浮かべるのです。太平洋戦争での戦死者が約310万人であり、海外からの引き揚げ者が、約310万人であり、民間の死亡者を入れると相当な数になるのです。
 平和祈念展示記念館に行きました時に、丁度、「樺太の悲劇」という30分のビデオ上映がありましたので、鑑賞することができました。1945年8月9日にソ連軍が南樺太に侵攻し、そこに住んでいた多くの人々が、山に逃げたのですが、攻撃を受けて、多くの人々が亡くなったのです。特に病院の看護婦や電話の女性交換手が敵から辱めを受けることを潔しとせず、集団で自決をした、そのような痛ましい事件があったことも知りました。戦争がもたらす残酷さ、むごさを思い知りました。

 私は戦後生まれで、戦争を体験していない世代です。話は聞いていましたが、戦争を経験していないので、戦争がどのようなことなのか、本やテレビ、映画でしか分からないのです。しかも、高校で日本の近現代史を学ぶことがほとんどなかったのであまり関心はなかったのです。
 東京神学大学で朴米雄(パク・ミウン)さんと言う在日韓国人の同級生がいました。ある時、朴さんのこれまでの歩みを聞くことができました。朴さんは、父親が戦前、韓国から日本に来て、日本人の女性と結婚して、朴さんは東京で生まれ、下谷教会に導かれて、神学校に入学したのです。朴さんの話を聞くうちに、韓国の歴史を知りたいと思い、カン・ジェオン著「日本による朝鮮支配の40年」を読み、戦争へと向かった戦前の歴史、太平洋戦争についての本を読むようになりました。なぜ、日本に60万人もの在日韓国人、朝鮮人がいるのか、なぜ、父親が日本に来たのか、それは日本が韓国の人々の土地を奪い韓国では生活ができなくなり、日本にやってきたのです。日本が韓国の土地を奪い、言葉を奪い、創氏改名、神社参拝などをして、苦しめてきたのです。

 旧約聖書には、多くの戦闘、虐殺が記されていますが、その一方で、明らかに平和主義的な言葉もたくさんあるのです。武力によらない平和について語られています。イザヤ書2章4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」そして、悪を征伐することよりも、むしろ、平和を求めることを重視しているのです。詩編34編15節「悪を避け、善を行い 平和をたずね求め 追い求めよ。」
 新約聖書で主イエスは、戦争そのものについて具体的に一言も触れていません。非暴力主義を示唆する言葉を見出すことができます。ルカ6章27節「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」マタイ26章52節「そこで、イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』」そして相手を何度でも赦すようにと語っています。マタイ18章21節−22節「『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』イエスは言われた。あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」主イエスは、人を赦し、和解することの大切さを語っていますので、暴力や戦闘行為を認めてはいません。そして新約聖書は、暴力を振るう、怒り、争う、そのものを否定しているのです。神が私たちと和解してくださったのだから、私たちは隣人を愛し、赦して、正常な関係になるように努めることを勧めています。

 「ポツダム宣言」は現在の日本国憲法を理解する上で、重要な文書であると言われています。ポツダム宣言を受諾した経過について次のように記されています。「1945年7月17日には連合国首脳によるポツダム会談が開催され、26日には日本に降伏を求めるアメリカ・イギリス・中国による対日共同宣言(ポツダム宣言)が発表された。宣言の内容は、日本政府に対して、軍国主義勢力の除去、連合国軍による保障占領、植民地、占領地の放棄、陸海軍の武装解除と復員、戦争犯罪人の処罰、日本の民主化、賠償支払い、などの諸要求を突きつけたものだった。日本政府は、当初、ポツダム宣言を『黙殺』するという態度を取っていたが、8月6日には広島に、続いて9日には長崎に原子爆弾が投下され、さらに8日には、ソ連が日ソ中立条約の存在を無視して日本に宣戦布告し、約150万名の赤軍が満州に侵攻してきた。」とあります。(吉田裕著「アジア・太平洋戦争」シリーズ日本近現代史E p214)この状況で、宣言を受け入れようとする勢力が出て来て、天皇の支持のもとに、8月10日、14日の二回の御前会議により、ポツダム宣言を受け入れることを正式に決め、15日にラジオ放送により、発表したのです。

 日本が侵略をしてアジア諸国を苦しめ、国土と人命を奪った戦争、その戦争を再び、起こさないように、1947年に新しい憲法が制定されました。憲法の制定経過などいろいろな議論がありますが、太平洋戦争の敗戦によって戦後の日本の歩みが始まったのです。この憲法の前文を注目したいのです。久しぶりに、憲法の前文を読み、重大なことが記されていることを知りました。
 日本国憲法の前文のはじめに、次のような言葉が記されています。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
 
 1889年に発布された「大日本帝国憲法」には、「前文にあたる勅諭があり、そこで『国家統治ノ大権ハ朕ガ之ヲ祖宗二承ケテ之ヲ子孫に伝フル所ナリ』として、憲法の大前提が祖先神以来の君主主権主義であることを宣言している。憲法の条文では第一条で『大日本帝国ハ万世一系の天皇之ヲ統治ス』、第四条で『天皇ハ国ノ元首二シテ統治権を総覧シ此ノ条規二拠リ之ヲ行フ』と規定している。天皇の大権はきわめて強大である。」(江村栄一著「明治の憲法」岩波ブックレット シリ−ズ〈日本近代史〉3 p36)そして、議会の議決なしに行使できるものは多く、戦争に関することでは、「軍の統帥」「軍の編成」「宣戦・講和・条約締結」「戒厳」など、天皇一存で行うことができるのです。天皇制国家に服従する臣民を造るために、国家的教育が行われ、その道具として「教育勅語」「御真影礼拝」「軍人勅諭」が用いられたのです。
 
 テレビ番組で戦艦大和に乗り込んでいて、今もなお生存している元兵士がその時の体験を語る番組がありました。アメリカ軍の空爆と魚雷によって、戦艦大和が傾きかけて、船が沈みそうになるときに、上官が、船底にいた兵士に、「天皇、皇后の御真影は大丈夫か」と尋ねると「自分のからだにくくりつけております」と答えたのですが、この兵士は助からなかった、という場面がありました。兵士のいのちよりも天皇の写真のほうが尊いという教育がなされてきたのです。「国家統治の大権をにぎる天皇の地位は、神話に登場する天照大神がその大権を子孫に伝えるという『神勅』に根拠を置いていた。」この天皇に服従することが、臣民の義務である、という教育がなされてきたのです。国民は天皇のための国民であることを教育で教え、天皇のために死ぬことが、誉れであるという教育なのです。国民の生命よりも天皇制の維持、存続のほうが意味があると考えて、戦争のために総動員して戦わせたのです。

 日本国憲法が制定されたことにより、日本が天皇制国家であることを止め、国民主権の国家として生まれ変わったのです。憲法制定の歴史は複雑ですが、初め日本人によって憲法を作ることを目指していましたが、それは日本帝国憲法とあまり変わらないものであり、改革をする内容ではなかったのです。それで新しい憲法ができたのです。占領軍が戦後の改革を進めてきたのですが、連合国では、極東委員会があり、アメリカ以外の代表者は天皇を処罰することを主張していました。しかし、占領軍のトップである、マッカサ−は、天皇を戦犯として処断すると、天皇崇拝をしてきた日本人が反乱を起こして、混乱し、占領政策が順調に進まないだろうと判断して、憲法制定の作業を早く推進して、天皇制を残したのです。

 日本国憲法の前文は、第二次世界大戦によって、アジアの諸国やアメリカに甚大な被害をもたらしたことを踏まえて、諸国民と平和の関係を造り、そして国家のために自由を失っていた国民が自由になり、戦争によって多くの命を失うことがないように生きて行くことを決意したのです。
 日本国憲法第九条について次のように解説しています。「日本国憲法は、第二次世界大戦の悲惨な体験を踏まえ、戦争についての深い反省に基づいて、平和主義を基本原理として採用し、戦争と戦力の放棄を宣言した。これまで世界的に、さまざまの戦争廃絶の努力がなされてきた。」(芦部信喜著「憲法」第六版 p54 岩波書店)「国際法には、1919年の国際連盟規約」1929年に「戦争放棄に関する条約」(パリ不戦条約)、「1945年の国際連合憲章などが存在し、」憲法にも多くの憲法に、「戦争放棄の規定が設けられた。しかし、これらはいずれも侵略戦争の制限ないし放棄にかかわるものにとどまっている。これに対して、日本国憲法は、第一に、侵略戦争を含めた一切の戦争と武力の行使および武力による威嚇を放棄したこと、第二に、それを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、第三に、国の交戦権を否認したことの三点において、比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出している。」(芦部信喜著「憲法」第六版 p54 岩波書店)

 現在、自衛隊が存在しているのに、自衛隊が憲法違反であるというのは矛盾しているので、自衛隊を憲法九条で明記することを自民党政府は推進しようとしていますが、自衛隊を憲法に明記すれば、新しい条文が有効になり、九条の第二項の条文は空文化、形骸化してしまいます。そして2016年に自衛隊が海外派遣をして他国の戦争に加わることができる集団的自衛権を認める法案が国会で通過することによって、九条をなし崩しにしてしまっているのです。このことによって日本が関係の無い他国の戦争に巻き込まれる危険性があり、戦争ができる国になってしまうのです。
 現在は、戦後生まれの人たちが、ほとんどなので、戦争の悲惨さを知らないこともあり、今の自分の生活が続けば良いと考えているので、憲法や政治に関心をもたない若い人たちが多くいるのです。
 戦争体験をした人たちが、なぜ、その体験を語らなかったのか。それは戦争が余りにも残酷なものであり、辛いものであったので、語ろうとしても語れなかったのではないか、と最近、思うようになりました。実際に戦争を経験した人たちは、すでに80歳、90歳を超えていますし、日本の人口の割合では少数です。身近な人から戦争体験を聞く機会はこれから余りないと思います。しかし、戦争体験記、映像などで、戦争について思いを深めて、戦争を二度と繰り返すことのないように、と決意をすることが大切です。

 戦争と平和を考える時に、日本国憲法が、「個人の尊厳」を明確に打ち出して、大切にしていることに注目したいのです。大日本帝国憲法は、天皇を元首とした国家であり、個人の自由を厳しく制限していたのです。
 日本国憲法で、重要な条文は、第13条です。「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」「すべて国民は、個人として尊重される。」国民がみんなで決めたとしても、ひとりひとりの「個人」を尊重するという原則を犯してはならないのです。これこそが人権の意味です。人間らしく生きたい、と言う願いを支えていくための権利を人権というのです。

 最近、吉田裕著「日本軍兵士−アジア・太平洋戦争の現実−」という本を読むことができました。310万人に及ぶ日本人犠牲者の9割が1944年以降に出ているとありました。戦争のために必要な食料は現地で兵士たちが調達しなければならないので、餓死者が非常に多いのです。戦争体験記を読むと、食べられるものはすべて食べたのです。蛇、ねずみ、虫、なども食べたと書いてありました。大岡昇平の「野火」という小説には、兵隊同士で一つのさつまいもを奪い合って殴り合いをする場面が出て来ます。日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数は約230万人であり、そのうち栄養失調による餓死者とそれに伴う体力消耗、マラリアなどの感染症の病死者の合計は140万人で、戦没者の61パーセントであったのです。戦闘による死よりも、自殺が多いのです。そして、捕虜になるくらいなら死ねと言われて死んだ者が非常に多いのです。
 戦争になれば、個人のいのちは無視され、人権は全くないのに等しいのです。本で読んだのですが、長野に「無言館」というところがあります。美術を専攻し、学徒兵として戦争に行き、戦死した学生の絵が展示されているのです。戦争がなければ絵を描きたかったと思いますし、学徒出陣した大学生もひとりひとり、したいこともあり、自分の将来のプランをもっていたに違いないのです。
しかし、戦争によってその人生が生きる希望を失い、国家によって人生が中断させられてしまったのです。
 国家といえども、個人の生きる権利を剥奪することはできないのです。戦争になれば、個人の生きる権利などどうでもよくなってしまうのです。
 国家あっての個人ではなく、個人が生きるための国家なのです。私たちは自分の今の生活に満足していくというのではなく、この地上に生きる人々が人権が守られ、平和に生きることができるように関心を持ち、、平和をもたらす政治が行われるように努め、監視し、行動する責任があるのです。

20190811 主日礼拝説教  「虐待されている人たちのことを思いやりなさい。」  山ノ下恭二
(レビ記19章13-14節、 ヘブライ人への手紙13章1-6節)


 私の出身教会は栃木・鹿沼教会ですが、鹿沼教会で長く伝道・牧会された高崎隆牧師は、長く栃木女子刑務所の教誨師をされていました。教誨師として月一回のキリスト教講座、希望者への個人教誨をされていました。ある時、高崎隆牧師から、女子刑務所を満期で出所した女性が大宮の近くに住むことになったので、教会を紹介したという、電話があり、その後、この女性が教会を訪ねてきたことがあり、これまで歩んできた話を聞いたことがあります。刑期を終えた人ですから、無罪放免になったと思うのですが、この女性は自分を責める人で、罪を犯した自分を赦すことができないと言っていました。

 毎週、日曜日の朝日新聞に「朝日短歌」という欄があり、刑務所に入所しているひとりの男性が応募して選ばれ、その短歌が紙面に出ていました。どのような罪を犯して、刑務所にいるのか知りませんが、心打たれる短歌です。今年の1月、2月に3回選ばれています。「獄窓の 目隠板に 冬の蜂 休日昼間の 静かな時間」、「真冬日の カレ−うどんは 獄食の ベストスリ−に 入れるほかなし」、「満期まで 二年を切れば 独房の 窓に広がる 雪晴れの青」。この最後の歌は今年の2月17日の新聞に掲載されましたが、刑期があと二年で満期になり、刑務所から出所できる、喜びが伝わってきます。

 ヘブライ人への手紙を読み進めて、本日から第13章に入ります。本日の礼拝で、13章1−6節までを読みました。ここのところには、兄弟を愛すること、旅人をもてなすこと、獄につながれている人たちのことを思いやること、そしてさらに、結婚を重んずべきであること、また、金銭に対してはそれにこだわってはならないことが語られています。ひとつ一つを見ると、それぞれ余り関係がないことがばらばらに語られているように見えます。しかし、根本のところでは、密接につながっているのです。
 
 1節では「兄弟としていつも愛し合いなさい。」と語られています。これは教会員お互いの愛を語る言葉です。そして2節からは、教会員だけの愛に止まらないで、それが更に広がって、その教会の仲間ではないが、あなたがたのところを訪ねる旅人があったなら、それを喜んでもてなしなさいと勧めているのです。それだけではなく、ある人が解説していますが、その愛の波紋が広がるように、ここにはいないのだけれども、獄中につながれている人、また力を持った人から痛めつけられ、虐げられている人たちに同情を持ちなさいと、愛がすこしずつ、広がっていくのです。自分の身近な人、自分の隣にいる、目に見える隣人から、目に見えない、自分の目からは見えない人々へと、愛が広がっていく、思いやりが深いものになっていくのです。
 いつも、毎日、接している人々に対して、思いやり、気をつかい、覚えて祈るけれども、自分の生活には直接、関わりのない人に対して思いやり、気をつかい、祈ることは少ないのです。しかし、ここで、私たちの生活において、愛が広がり、深まるのです。私たちの愛が自分の身近なところに止まらないで、波紋のように広がって、そこまで及んでいき、思いやりが深められていくのです。

 13章1節は「兄弟としていつも愛し合いなさい。」と語られているのです。口語訳では「兄弟愛を続けなさい。」と訳しています。新しく出版された、聖書協会共同訳では「兄弟愛をいつも持っていなさい。」と訳しています。原文では「兄弟愛がとどまり続けるように」とあります。命令ではなく、祈り、願いの言葉です。
 ここには、兄弟愛が足りない、教会員同士に親しさがない、もっと熱心に愛そうというのではなく、兄弟愛はある、その愛が消えないようにしなさい、と言っているのです。かつて親しく関係を持っていても、転居や転勤などで別のところに行ってしまうと疎遠になり、再会しても、互いに関係がなく、初めて会ったような思いになることがあるのです。ある教会に転会して、五年ぶりに教会に戻ってきた人に、教会の仲間が帰ってきたことを喜ぶ、そこに兄弟愛が消えないで生き続けていることを感じ取ることができれば良いのです。

 「兄弟としていつも愛し合いなさい。」「兄弟愛がとどまり続けるように。」兄弟に対する愛は、何時、始まったかと言うと、それはイエス・キリストから始まっているとこのヘブライ人への手紙は語ります。主イエス・キリストが、私たちの兄弟になってくださったと語ります。ヘブライ人への手紙2章15節には、私たちが死の恐怖(恐れ)に一生涯、奴隷とされてしまっている私たちを、その死の恐怖(恐れ)から解き放つために、私たちの兄弟になってくださったと語られています。死の恐怖(恐れ)から自由にするために、主イエス・キリストは私たちの兄弟になってくださったのです。私たちが兄弟を愛する、隣人を愛する、それは身近な人々だけではなく、私たちには見えない、遠く離れて、顔も分からないけれども、その苦しみ、痛みも分からないけれども、まさにそこにいる人々を愛するのです。それは、主イエス・キリストが私たちを憐れんで、ご自身のからだをもって私たちに向かい、私たちのために肉を取り、人となり、死のために恐怖を抱いている私たちを抱きしめて、恐れを取り去り、裁きから私たちを守るために、ご自身を献げ、私たちの兄弟になってくださったのです。
 私たちのために生きる存在となってくださったのです。私たちのことばかりが心配で、思いやりが深くなってしまったために、遂に私たちのところまできてしまったのです。そして、ご自身の命までも献げて、兄弟となってくださったのです。主イエス・キリストが私たちの兄弟となってくださったのです。そのような兄弟愛を既に与えられているのです。

 そのような兄弟に対する愛が広がり、深まると、旅人をもてなすことになります。「旅人」と言う言葉は「よそ者」と言う言葉です。家族の中に、仲間の中に、よそ者が入ってくるのです。今夜、泊めてほしいと。そのようなよそ者を受け入れるのです。受け入れることができるような開かれた者となるのです。
教会の中に、馴染みのある人、昔から知り合いの人、と関わるだけではなくて、よそ者が入って来る、初めて教会に来た人が入ってくる、そのような人たちを開かれた心で受け入れ、兄弟の愛に生きるのです。教会は内輪でまとまっているところがあり、新しい人や知らない人が仲間に入れないような雰囲気がありますが、どのような人でも、開かれた心で受け入れるのです。教会にも在日の外国人が来ることもあり、毎日の生活で、関わりを持つ機会が多くなるのです。どのような人でも、神が命を愛している存在であることを心に留めて、愛をもって関わるのです。

 ヘブライ人への手紙13章2節「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」ヘブライ人への手紙は、旧約聖書が語る信仰に生きた人たちを何度も思い起こして語っています。旧約聖書、特に創世記のアブラハムとサラの夫婦の物語の中に、出ているのですが、まさに、見知らぬ旅人と思って迎えた者が天使であったという物語があります。天使のような白い羽根が生えている姿をした者が訪ねてきたというのではなく、旅をしてきて、その表情は疲れ、衣服は汚れている、見たことのない顔であるから、信頼して泊めてよいかどうか、危ぶむこともあります。しかし、疲れて、重荷をもった私たちをもてなし、受け入れてくださったイエス・キリストの愛を心に深く刻み、思い起こし、その愛に生きるときに「旅人」「よそ者」を迎えるのです。主イエス・キリストの愛が私たちの中で確かなものと受け入れられ、その愛の波紋が広がって行くときに、ここにいない人に対する思いやりにまで広がっていくのです。

 「牢に捕らわれている人たちを思いやりなさい。」この手紙が書かれたころ、牢に捕らわれている人たちとはどのような人たちであったのでしょうか。この当時、ローマ帝国によってキリスト者は、厳しく、激しい迫害を受けて、牢に囚われていた人たちもたくさんいたのです。牧師、教会の主だった人たちが逮捕され、教会員たちも動揺しつつ、これらの人たちのために祈り、捕らえられた人たちの家族の面倒を見ることが必要であったのです。牢に捕らわれている人たち。現代では刑務所にいる人たちのことです。「自分たちも一緒に捕らわれているつもりで」と書かれています。私たちが相手のことを思いやるときに大切なことは、その人たちがどういう状況にあり、どのような思いでその人たちが過ごしているのか、わきまえているということです。刑務所というところは、どのようなところでしょうか。刑務所に入った経験のある人が書いた「獄中記」を読んだり、テレビ、新聞などでその一部は分かるかも知れません。しかし、実際に自分がその場所に行かなければ分からないのです。
 
 私はかつて川越少年刑務所に見学に行ったことがあります。既に亡くなりましたが、その当時、上尾使徒教会の牧師であった大島正秀牧師が教誨師をしていたので、お願いして行ったのです。刑務所の少年と言っても、18歳から23歳位の青年ですが、この刑務所で何ヶ月か生活をして、その刑の重さに従って、全国各地にある刑務所に送られる中継の刑務所なのです。大島牧師は月に二度、刑務所の中で聖書の話をして、少年たちのためのカウンセリングをしていると言う話でした。少年刑務所の一つ一つの建物に入るために看守の人たちが大きな鍵をかけ、冬に訪ねたこともあったのですが、寒々としたところであると思いました。聖書の話をする教室に入るとき、退出するとき、廊下で一人一人、身体検査をしたのです。刑務所で身体的な自由が失われ、自分の犯した罪に向き合わなければならないのです。
 ヘブライ人への手紙13章3節で、語ります。この人たちが、どのような思いで、どのような条件で過ごしているのか、私たちには見えないからこそ、この人たちの現実に肉薄するような想像力をもって思いやりなさい、と語るのです。

 カール・バルトは、その晩年は、刑務所で受刑者のために説教をしていたのです。教会や大学、市民の集まりから説教を頼まれても説教をしなかったと伝えられています。ある時、バルトに「なぜ刑務所でしか説教をしないのですか」という問いに対して、バルトは刑務所では聴衆に向かって「あなたがたは、罪人だ」と改めて語る必要がないからだ、と冗談に語ったそうです。バルトの肉声の説教を聞くためには、バーゼル刑務所に入らなければ聞けないので、聞くために何か罪を犯さなければ刑務所に入れないのでないか、と冗談に市民が言ったそうです。

 相手を思いやる、それは次の「自分も体をもって生きているのですから」と書かれていることと関わるのです。「自分も体をもって生きている」という言葉は、元々、「生身の人間」という言葉です。少し砕いて言えば「あなたも生身の人間でしょう」と言っているのです。
 
 私たちは天使ではなく、からだを持った生身の人間で、その生身の人間が牢に入ったとすれば、どんなにつらい思いをするか、あなたも分かるはずだ、と言うのです。狭い独房に入って、そこで過ごさなくてはならないのです。刑務所で、酷暑の夏を過ごし、極寒の冬を過ごさなければならないのです。
 自分は罪を犯して刑務所に入るような悪いことをしていない、だから刑務所にいる人たちとは関係がない、と言うことはできないのです。私たちの愛は波紋のように広がって行くのです。自分の身近な人々のことだけではなく、からだを持った、生身の人間が冷たい牢の中に入れられて、つらい思いをしているのです。そのことに深く心をよせ、その厳しい現実に肉薄するような想像力をもって思いやりなさい、と語るのです。

 ヘブライ人への手紙13章3節には、「また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。」と語られています。「虐待」されている子どもたちがほんとうに多いのです。最近は、児童虐待が激増し、この虐待と育児放棄によって子どもが死亡する事件が増えているのです。子どもが親による言葉の暴力、物理的な暴力によって、逃げ場を失い、心に深い傷を受けているのです。児童養護施設はどこも空きがなく、満員です。親はいるのですが、親と一緒に家にいるのは子どもの命の危険にさらすことになるのです。幼い時に、親から豊かな愛を受けなかった、そして虐待を受けることによって、自分が何者であるか分からなくなり、心が不安定になると言われています。
 
 学校や職場でのいじめ、ハラスメントもあるのです。いじめやハラスメント
(いやがらせ)が悪質なのは、自分が相手にしていることが「いじめ」「ハラスメント」だとは思わないで、「いじめ」「ハラスメント」をしていることなのです。いじめられている側、ハラスメントを受けている側では、いじめ、ハラスメントだと受け取っているのです。

 旧約聖書のコへレトの言葉4章1節には「わたしは改めて、太陽の下に行われている虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はいない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はいない」と語られています。この時代も虐げが行われ、その人たちを慰める人がいないと語られています。虐げは絶えることなく、毎日のように行われています。ますます虐待はひどくなり、そのことは私たちには見えないけれども、虐待は深く浸透し、それによってつらい思いをしている人たちが大勢いる、傷ついた人たちがたくさんいるのです。その悲しみ、痛みをもって虐待されている人たちのことを思いやりなさい。

 主イエス・キリストは、私たちの兄弟となってくださった、主イエス・キリストが私たちに深く同情し、共に苦しんで、肉体を取って人間になってくださったのです。虐待によって子どもが深い心の傷を負う、親によって殺される、そのようなニュ−スを聞いて、気の毒だ、と思うだけで終わるのではないのです。虐待されている人たちがどのような思いで過ごしているのか、どのような状況の中で痛みと悲しみの中で過ごしているのか、想像して、気の毒に、かわいそうに、と心を痛めるだけではなく、覚えて祈り、関わるのです。
 
 刑務所や児童養護施設などにいる人々は、私たちには、隠されていて、見えない人々ですが、身近な人々だけではなく、私たちの愛が波紋のように広がって、私たちには隠されていて見えない人たちが愛される喜びを経験することができるように思いやることを勧めているのです。

20190804 主日礼拝説教  「聖なる生活を追い求めなさい」  山ノ下恭
(申命記30章15−20節、ヘブライ人への手紙12章14−29節)

 
 8月15日は、太平洋戦争で日本が敗戦したことを受け入れた、記念すべき日です。この太平洋戦争の戦時下に日本のキリスト教会は、国家からの圧力を受け、困難な歩みをしていたのです。私の出身教会の鹿沼教会宣教100年記念誌には、戦時下の教会の記録が記されています。日曜日の礼拝に特別警察の刑事が後ろの席に座って、説教者の説教をメモしていたと書かれていました。礼拝説教で、戦争反対、天皇制への批判などがあれば、すぐに警察に連れて行かれ、尋問を受けるのです。ある長老の家の向かい側の二階から、その長老の家を訪ねてくる人を特別警察の刑事がチェックしていたという記録がありました。だんだん礼拝の人数も減り、空襲も頻繁になって、礼拝をするのが、困難になっていったのです。
 
 このヘブライ人への手紙はローマにある教会に宛てて、礼拝説教として書かれたものです。この手紙を書いた理由があるのです。それは、ローマの教会の信徒たちが、厳しい国家からの迫害を受けていて、その信徒たちを慰めたい、励ましたい、と思って、この手紙を書き送ったのです。12章12節には、「だから、萎えた足と手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。」と語られています。このような言葉で語りかけているのは、教会の人々が、座り込みたくなる思いがあるのです。足が弱っていれば、もう歩きたくなくなるのです。私たちも長く歩いていると、椅子に座りたくなるのです。ローマ帝国の迫害が始まった時期に、キリスト者は生きていたのです。長く歩いていると、座り込みたい、膝が痛い、自分のからだが萎えてきたから、これ以上歩けない、ということがあるように、信仰の情熱が薄れ、冷めてきているので、集会をやめ、教会に行くのも止めようか、と思い、様々な理由をつけていくのです。

 その時に、「だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」と語りかけているのです。この言葉は、励ましの言葉であり、慰めの言葉です。この言葉は、旧約聖書のイザヤ書35章3節の言葉と同じ言葉です。「弱った手に力を込め よろめく膝を強くせよ。」この言葉は、大国アッシリアがイスラエルを攻めて来るその恐怖が人々を襲う、その恐怖のために、生きる勇気を持つことができなくなる、元気を失い、希望をもって生きることを止めてしまった、ユダヤの人々を励ますために語られています。イザヤ書35章3−4節「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。『雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。』」信仰の情熱を失い、もう信仰から離れようかと信仰の戦いを止めようと思っている信徒たち、もう歩くのは勘弁してくれと座り込み、もう歩けないと言っている信徒たち、に対して、「萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。」と語りかけるのです。
 マラソンをしていて、もう止めようか、走るのを止めようかと言うときに、「まだまだ走れる」と言われて、走り続けることができるのです。箱根大学駅伝の中継を見ていると、走っている後ろに車に乗った監督が、走っている選手に、呼びかけているのです。またボクシングをしていて、相手と戦っても、殴打されて勝てないような思いになっている選手に、休憩の時に、コーチが、選手に相手を倒すチャンスがあるから、諦めるな、と言う、また気の弱い選手が、相手が強そうだから試合を放棄してリングから降りようかと言う時にコーチから「戦かって来い」と励まされ、リングから降りないで、戦うことができるのです。走るのを止めようとする時に、戦いを止めようとするときに、励ますことによって走ることができ、戦うことができるのです。

 本日の礼拝で、ヘブライ人への手紙12章14−29節を読みました。本日は、特に12章14節にあります、「すべての人との平和を、また聖なる生活を求めなさい。」この言葉を中心に学びたいと思います。
 まず、「平和を追い求めなさい」と語ります。平和というと自分の生活から離れている世界平和ということを思い浮かべますが、そのことを言っているわけではありません。私たちが身近に経験している平和のことです。それは家族の中での平和を考えるとよく分かることです。子どものことで親が悩むことがあります。子どもとの折り合いが悪くて悩んでいる親も多いのではないでしょうか。両親の折り合いが悪くて、子どもが家にいたくなくて、外に出て行ってしまうこともあります。子どもが親のことで悩んでいることもあるのです。そのような人々は切実な思いで平和を求めているのです。「すべての人との平和を追い求めなさい。」平和を求めるように、平和を保つように、平和に暮らすように、このことは、聖書の他のところでも勧められているのです。「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」(ローマの信徒への手紙12章3節)「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」(ペトロの手紙一 3章11節)このように平和を追い求め、平和を保ち、平和に暮らすことを勧めています。

 私は1969年の4月に東京神学大学に入学し、その年の9月から、大学紛争に入って、教授会と全共闘の学生たちとが対立し、授業ができず、次の年の3月まで、大学の建物は封鎖され、対立は決定的になっていきました。他の大学は紛争はあるけれども、東京神学大学は一般大学とは違って、大学紛争はないだろうと思って入学しましたので、とてもショックだったのです。9月から、建物が封鎖される11月初めまで、1年生は、月に二回ぐらい、ローマ書研究会を続けたのですが、ある同級生が、「平和が欲しいなぁ」と言ったことをよく覚えています。この研究会が終わる時に祈りをしていましたが、その時の祈りは「平和が訪れ、授業が再開できますように」と熱心に祈ったのです。平和を求め、平和になることができるように、と祈ったのです。

 ある註解者は、この12章14節を解説して次のように語ります。平和を追い求めなさい、とあるけれども、人間の本来の性質は平和を求めているだろうか、と疑問を投げかけています。平和を求めていないのではないか、平和を造ろうとしていないと書いているのです。平和が良い、平和を好み、争いを好まない、というのが人間の本来の願いだ、と言うけれども、それは本当だろうか、と言うのです。自分中心でわがままな思いをもっているのではないか、と言うのです。誰でも自分のことに関心があって、自分の思いのままに生きたい、そのことを他の人に認めてもらいたい、と願いながら、他の人には自分の思い通りに生きることを求めているのではないか、と書いてあるのです。
 夫は自分の思うままに生きることを受け入れて欲しい、と願い、妻には自分が願うように生きてほしいと求めるのです。自分の思うように相手が行動しない場合は、イライラしたり、怒ったりするのです。この言葉は思い当たることがあるのです。自分は自由に時間を使っていながら、相手が時間を自由に使おうとすることを認めない、ということがあるのです。相手が自分の思い通りに生きないときに私たちはイライラするのです。しかし、自分は相手の思い通りには生きたくないのです。私たちのあり方そのものが、わがままで、自分勝手なのです。病院で医師に呼ばれるのを待っている、そういう場面があります。
自分より先に診察室に入った人が、医師との話し合いが長くて、なかなか診察室から出て来ない時に、この人はどうして長いのだろうと思い、他の人のことも考えて欲しい、と思うのです。ところが、自分が診察室に入ると他の人のことなど考えないで、長く診察室にいることがあるのです。

 私たちは真実に平和を求めているのでしょうか。いやむしろ、相手を自分の思いのままに従わせたい、という罪があるのです。自分が中心になりたいという深い罪があるのではないでしょうか。このことを考えていた時に、フィリピの信徒への手紙2章21節の言葉を思い出したのです。「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを求めています。」口語訳では「人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。」と訳しています。自分にこだわり、自分のことしか考えていないのです。人間は本来、平和を求めていないのではないか、私たち自身の中に深い罪が宿っていることを知らされるのです。

 平和と言うことを聖書で第一に考えるとき、それは神との平和のことです。人と人との平和を追い求める前に、私たちは神との平和を追い求めるのです。この基盤の上に、人との平和があるのです。平和という言葉を尋ねていくと、ヘブライ語のシャロームという言葉ですが、このシャロームという言葉はどのような意味かと言うと「十分持っている」「命が充満している」と言う意味だそうです。神によって豊かにされている、神によって守られ、恵み深く扱われている、神に豊かに守られ、祝福されている、と言う意味です。
 礼拝の祝祷で、アロンの祝福を宣言します。この言葉は民数記6章24−26節の言葉ですが、その中に「主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」とあります。神が私たちに御顔を向けて、恵み深く扱い、愛の絆をもって慈しんでくださるのです。その文脈の中で「平安」言葉を用いています。
 平和とは、神と私たちとの良い関係であり、この平和は神が造り出してくださったのです。キリストが私たちの平和を造りだしてくださったのです。私たちが神に敵対し、神が願うような生き方をせず、自分の思い通りに生きているにもかかわらず、その罪をキリストは引き受け、別の生き方をしている者を赦し、受け入れてくださった、そのことによって平和が造り出されたのです。平和と言う言葉を別の言葉で言うならば、和解ということです。神と和解の関係があるのです。

 私たちはキリストによって罪が赦され、和解を受けているのです。和解を受けた者として、人々との平和を追い求めるのです。私たちは、自分のことしか考えないでは行動しない、そのような深い罪を持っている、その罪をキリストが贖ってくださる、その感謝の中で、平和を造り出すのです。自分を中心に、自分の利益を考え、他の人のことは全く顧みることなく行動する時に、平和が崩れ、失われていくのです。キリストによって平和が与えられた者として、自分の罪を憎み、他の人の立場を思いやることによって、平和や和解が与えられるのです。

 ヘブライ人への手紙12章14節「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい」このみ言葉を読んで、私たちは平和と聖なる生活、この二つは別々のことを言っているように思うのです。しかし、基本的に共通しているのです。それは「平和」も「聖なる生活」も、キリストによって私たちが与えられていることなのです。
 「聖なる生活、この「聖」と言う言葉は「神によって区別された」「神に属している」と言うことです。「特別なものとして取っておく」と言う意味です。高価な宝石は、他の宝石と区別して、別のところに保管する、と言うことがあります。価値のないのは、紛失しても構わないので保管しないですが、価値があるものは、特別に保管するのです。
 私たちは何の良いものもないにもかかわらず、キリストの贖いによって罪の赦しを受け、神のものとされているのです。神との和解を受け、神との平和が与えられているのです。神の愛の対象としてくださり、聖なる者、聖徒とされているので、聖なる生活、神に属する者としての生活をしようと呼びかけているのです。

 神にとって私たちは良くない存在であり、罪ある者であるけれども、そのように見ているのではなくて、イエス・キリストによって、良い存在として私たちを見ていてくださっているのです。私たちを「聖なる者」「聖徒」と呼んでいるのは、私たちの毎日の生活に落ち度があり、自分中心であり、欠点があり、良い生活をしていないにもかかわらず、神が私たちを大切なかけがえのない者として見ており、そのように扱ってくださっているということです。聖なる者となりなさい、と神が命令して、私たちが努力して何とか、合格するように修行をするということではないのです。神が私たちを本当に神の子として慈しんでくださるので、その期待に応えてほしいと願っているのです。
 私たちが信仰によって神が義と認めてくださる、その恵みを与えられた者が、聖なる者となる、それは、私たちの自分の努力ですることではなくて、聖霊の働きによって聖なる者となるのです。

 パウロは、手紙の中で、それぞれの教会の信徒たちを「聖徒」と呼んでいるのです。コリントの教会は、問題だらけの教会であって、教会は分裂していたし、復活はないと言う信徒もいたし、聖餐も乱れていたのです。それでも、教会員を「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」(コリント一・1章2節)と呼びかけています。イエス・キリストを主と告白し、洗礼を受けて、教会に入会した私たちが、聖なる者なのです。どこを見ても、欠点がない、非の打ち所がない、道徳的に立派だ、というのではなくて、キリストを主と信じて、洗礼を受け、キリスト中心、教会中心に生きることに切り替えた私たちが聖なる者であり、聖なる生活を求めて生きていく、ということです。

 ボンフェッファーが「共に生きる生活」という本に、一日の生活の中で、神と共にある時、自分一人の時、人々と共に過ごす時、この三つの時がある、と書いています。神と共にある時、とは、礼拝する時、聖書を読み、祈る時であり、その時間を確保することはとても大切です。私たちは神の前に生きない、即ち聖書を読み、祈ることをしないと、自分中心になり、世俗的になるのです。話す話題も生きる態度も、キリスト者である、その香りがしなくなるのです。この世の人と変わらないようになってしまうのです。
 礼拝に来なくても、聖書を読まなくても、祈らなくても生活するのに困らないのです。生きていけるのです。不都合はないのです。しかし、そのような生活になってしまった時に、聖なる者とは言えなくなるのです。そうならないように、12章5節で警告をしています。「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。」平和を求めず、聖なる生活を求めず、神から離れ、恵みから落ちてしまうのです。そうすると「苦い根」つまり、偶像礼拝、つまりお金、物質的なものを優先し、まことの神でない神を礼拝し、そのことによって多くの害毒をまわりの人々に流すものになるのです。
 
 エサウを例にあげていますが、エサウは目先の物質的なものに目を奪われて、神の恵み、霊的なもの、目には見えないけれども最も大切な神の恵みに目を留めなかったのです。私たちも、お金や物質的なものに心が奪われて、神の恵みに心を留めない、そのような危険性をもっているのです。ヘブライ人への手紙は、警告の言葉が多く出てくるのです。3章12節で「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」と勧められています。

 自分は大丈夫だ、と思うな、と警告しているのです。礼拝に来て、御言葉を聞き、聖書を読み、祈っているから、神から離れることはない、そう思うな、と語るのです。私たち一人ひとりは、キリストによって神のもの、聖なる者とされています。しかし、人間としての弱さをもっているのです。神から心も体も離れて、脱落し、キリスト者として戦いを止めてしまうことがあるのです。そのような者に対して、励まし、慰めの言葉を語りかけ、信仰の歩みを全うしようと呼びかけているのです。私たちは、励ましあって、祈りあって、共同体として、まとまって、信仰生活を続けていきたいと思います。

20190728 主日礼拝説教  「鍛えられた信仰者になろう」  山ノ下恭二
(イザヤ書32章15−20節、ヘブライ人への手紙12章4−13節) 


 2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されることもあり、スポ−ツに関するテレビ番組がよく放映されています。マラソンなどは、切符を買わなくても、沿道で応援できるかも知れないと思います。柔道、空手、などの格闘技も興味があり、テレビで見ることができます。

 本日の礼拝においてヘブライ人への手紙12章4−13節を読みました。この手紙は12章に入って、私たちの信仰生活を競走の例えを用いて、忍耐強く走ろうと呼びかけています。マラソンのような忍耐が要る長距離競走に例えて、私たちの信仰生活について語っています。
 ところが12章4節に来ると、長距離走ではなくて、「戦い」という表現が用いられています。この「戦い」というのは、ボクシングの戦いをするような戦いを意味する言葉なのです。前回のオリンピックでボクシングの試合で金メダルであった、村田涼太が、この前の試合で負けて、タイトルを奪われ、前回、負けた同じ選手と試合をして、勝ったのですが、顔や胸が傷だらけで、激しく打ち合ったことを知りました。
 ボクシングは、グロ−ブをはめて、試合をするのですが、この時代のボクシングの試合は既に、グロ−ブをはめて試合をしていたそうです。そして現代と違って、グロ−ブに金具をつけていたというのです。金具を付けたグロ−ブで相手から叩かれたら血を流すことになります。金具を付けたグロ−ブで相手と戦ったのです。自分の正面から台頭してきているボクシングの相手を想定しながら、信仰生活の戦いについて語っているのです。

 マラソンとボクシングとは、同じスポ−ツでも相当、違います。ボクシングは、相手と戦って、相手に勝利しなければなりません。ボクシングと言うのは、見物している者にとって勝敗がよく分かるスポ−ツです。ノックアウトされて倒れてしまい、カウントを数えても起き上がれなければ、それは負けたということになります。ボクシングのように、相手と戦うという場面が信仰生活にはあるのです。
 戦いのない信仰生活はありません。相手の言っていることや、この世の人々の生き方に同じように合わせ、同調していくならば、信仰生活を貫くことはできないのです。近くの神社にお参りに行きましょうか、と誘われても、私はキリスト者ですから、神社でお参りはしません、というでしょう。礼拝なんかに行かないで、遊びましょうよ、そのような誘いに対して、私は礼拝に出席するので、教会に行きます、と私たちの信仰生活には戦いがあるのです。戦いがないならば、それはキリスト者であることを放棄しているのです。

 金具を付けたグロ−ブで相手と戦うボクシングの場面を思い浮かべながら
12章4節で「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。」と語っています。この言葉は私たちに何を語ろうとしているでしょうか。この言葉は、ある人の説明によると「殉教」を指しているといいます。「血を流す」というのは、「殉教」のことを考えて良いのです。

 具体的にはロ−マ帝国の迫害があって、キリスト者であるために捕らえられて殉教するということですが、キリスト者であるために不利な立場に追い込まれたり、不利益を受けるということです。自分がキリスト者であることを貫こうとする時に、不当な扱いを受けたり、不利益、身体的・精神的な被害を受けると言うことです。

 加藤常昭先生がある著書で、自分が小学3年生の時に「富ヶ谷小学校」に転校した後のことが書いています。「家族と共に代々木福音教会に通い始めた。(略)しかし、教会通いは暫く中断した。学校でいじめられたのである。高学年になると国史を学ぶ。キリシタン伝道を学ぶときも、カトリック教会の侵略主義が強調される。ついでに担任の教師が『まだ耶蘇の学校に行っているやつがいるか』と同じクラスの粟野君と一緒に立たされ、糾弾される。教会堂に行く途中に級友の家の前を通るとまた糾弾される。これは小学生の身には厳しかった。」ようやく小学校卒業直前に教会に戻った、と書かれているのです。

 このようなこともキリスト者の戦いと言うことができます。「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。」私たちにとってドキッとするような言葉です。この言葉は断定的な言い方であり、しかも、私たちへの問いかけなのです。あなたがたは、罪に対して血を流すほどの抵抗をしたことは、ないのではないか、と語るのです。先ほど、殉教を指していると言いましたが、殉教は、権力をもって外から圧迫されて起こるものですが、もう一つは背教することを指しているのです。つまり、信仰を捨ててしまうことです。教会に来なくなってしまうことです。キリスト者であることを止めてしまうことです。日本のキリスト者は「背教」という意識がほとんどないと言われています。「自分が若い頃に教会に行っていた」「実は自分は洗礼を受けている」という人も少なくないのです。「自分は若い時は教会によく通っていた」と、青春時代の思い出の、ひとこまのように話す人がいるのです。神に対して背教したという意識がないのです。
 その意味では、確かにボクシングで戦う前にリングから降りてしまい、正々堂々と戦わないで不戦敗ということになります。キリスト者として戦わないで、キリスト者としての看板を降ろしてしまったということになるのです。

 この12章4節の言葉を私は今まで自分が信仰の戦いをしてこなかったことを指摘する、肝心なところで戦ってこなかったことを反省する御言葉として、理解してきたのです。

 この言葉は、私たちを責め、糾弾するために語られた言葉なのでしょうか。しかし、そうではないのです。この言葉を読んで、罪と戦って血を流すことをしていないと思うのです。罪と戦うよりも、罪に支配されているような生活です。しかし、この言葉は私たちを告発しようとしているわけではないのです。それは12章2節に書かれている言葉に注目したいのです。「信仰の創始者または完成者であるイエスを見つめながら、走ろう」と呼びかけているのです。この手紙は、決して、私たちの信仰の至らなさ、貧しさを責め、糾弾するために書かれたのではないのです。励まし、慰めるために書かれたのです。
 この手紙を読み、あるいは礼拝のこの説教を聞いている信徒たちは、疲れている、気力を失いかけているのです。もう走れないと言っているのです。へなへなと座り込んでいるのです。

 そのような時に、イエス・キリストを見てごらん、イエス・キリストを見れば、走れるではないか、戦えるではないか、と語りかけるのです。
 村田涼太が、前回負けた相手に勝つために、一所懸命に練習し、厳しいトレーニングを積んで、試合に臨み、すごい勢いで相手と戦っている姿を見て、自分もがんばろうと思うのです。
 自分は信仰生活において戦えない、負けそうだ、と思っている時に、イエス・キリストを見て、大きな勇気をもらうことができるのです。

 ボクシングの試合で、相手から顔や体を強く殴打されれば、赤く晴れ、血が流れ、そのために目の周りに青いあざができるのですが、金具のついたグロ−ブで殴打されたら、血が噴き出すに違いないのです。
 血と言う言葉と、罪という言葉から、イエス・キリストが私たちの罪を贖ってくださった、罪との戦いを思い起こします。

 金曜日の聖書を学び、祈る会で旧約聖書のホセア書を学んできました。神の民であるイスラエルの人々は神と契約を結び、主である神を愛し、隣人を愛する生活をしなければならないのですが、自分の生活を優先して、自分の生活を豊かにしてくれる、外国の神、自然の神を拝み、盛んにその神を拝んでいたのです。預言者ホセアは、偶像礼拝ではなく、目には見えないけれども、イスラエルの民を愛するまことの神を、信仰をもって知ることを勧めているますが、聞く耳を持たないのです。それで預言者としてホセアは、神の審判を告げます。罪によって滅びることを語るのです。
 私は、預言の言葉を読んで、自分が神の前で、深い罪を犯してきたことを知らされるのです。この罪の罰を、死をイエス・キリストは、自分の罪として引き受けて、肉を裂き、血を流すのです。

 ヘブライ人への手紙の宛て先の教会は、迫害のために、信仰生活を続けていけない、疲れていて、気力がない、という状態なのです。それで、主イエスが、血を流して耐えた、血を流して十字架に死んだ、そしてそれによって神に通じる道を開いているので、わたしの後について来なさい、と語っているのです。 主イエス・キリストが私たちの罪のために、どんなに厳しい戦いをなさったか、主イエス御自身が肉を裂き、血を流すほど罪のために戦ってくださったのです。それはほんとうに厳しい戦いです。罪と戦って、叩かれ、打たれ、負けてしまったか、というと、そうではないのです。十字架の死の後、復活して、罪に打ち勝った、勝利したのです。罪との戦い、勝利した主イエス・キリストを見つめながら、戦うことを勧めているのです。
 そして、信仰生活において起こること、外からは迫害、内側から起こる罪との戦い、苦しみ、困難は、私たちの信仰を鍛えるものとしてあります。そのことを心に留めなさい、と語ります。

 ヘブライ人への手紙12章5−6節の言葉は、箴言3章11節以下の言葉です。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。」と語られています。この「鍛錬」「鍛える」というギリシャ語は、元々、どのような言葉から来たかと言うと「子ども」という言葉なのです。子どもを育てるという言葉が由来しています。

 現代は、子どもを育てる、乳幼児のときには、子どもを受容して、受け入れていく、ということを大切にするのですが、子どもを育てるときに、「しつける」ことはとても大きな役割を持っています。
 エフェソの信徒への手紙6章1−4節には、キリスト者の家庭の生き方について語っており、特に4節で、「父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」この「しつけ」と言う言葉が、「鍛錬」という言葉と同じ言葉です。父親が子どもをしつけることを例えながら、神が私たち一人ひとりの信仰を鍛えることを語っているのです。今日、家庭や学校でも「しつける」「鍛錬する」「鍛える」と言うことがなされなくなったのです。「鍛錬」と言う言葉が、「子ども」「子どもを育てる」という言葉から派生しているのですが、現代は、子どもの個性を伸ばすという方向が強調されて、鍛えていく、しつける、という面が弱くなり、ほとんどしなくなったのです。子ども自身の個性を伸ばすのですから、子どもに任せる面が強くなり、親が子どもを指導したり、誤りを正すことはなくなるのです。誰も、何も言わないのですから、子どもたちの言葉つかい、生活態度、行儀が悪くなったのです。自分のわがままを通したり、他の人の迷惑を考えないで振る舞う人たちがとても多くなったのです。しつけられない、鍛えられないと、一人前の大人になれないようにように、私たちキリスト者も鍛えられないと、一人前のキリスト者にはなれないのです。

 信仰の鍛錬は必要です。信仰の鍛錬というよりも、信仰の訓練と言って良いと思います。私は教会で鍛えられたのです。祈りに関しては、小学生のときに、教会学校の教師から一年間、祈ることができるように訓練された、それでも祈りができなかったので、高校のときは、水曜日の聖書研究と祈祷会に出て、信仰の先輩の祈りを聞きながら、祈る言葉を整えることができたのです。

 私たちキリスト者の鍛錬について、12章11節に「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われる」とあります。この鍛錬は、試練によって鍛えられると言うのです。この鍛錬というものは、私たちの実際の生活の中で起こるのです。身近なことで言えば、一所懸命に、教会に通っているのに、家族の中で不幸が続くことが起こり、困ってしまう、家族の中で、重い病を抱えてしまう、様々に状況は異なりますが、悲しみを持つのです。悲しみが心を支配してしまうのです。悲しいものと思われるけれども、それがしつけ、鍛錬であると言うことです。

 悲しいことに出会う、苦しみに出会う、そのことに直面することは嫌なことであるけれども、後から考えると、それが、とても良かったということがあるのです。順調に物事が運んでいると、真剣に考えたり、新たに目を開かれることはないのです。生活が豊かで、今の生活に満足して楽しいと、本来のものに、目を向けることがないのです。後から考えると、悲しんだこと、苦しんだことが、自分にとって良かったということがあります。

 病気という苦しみ、悲しみを経験して、そこで自分が生きていることの意味を知り、病気の人の苦しみが分かり、共感できる心豊かな人になれるのです。苦しんだことや悲しんだことが、自分の信仰を問い直し、見るべきものを見るようになるのです。その鍛錬によって、より深みのある信仰者にするのです。
 私たちにとっては、苦しいこと、悲しいことに出会う、家族の無理解や、人間関係のもつれなどがあり、そのようなときは悲しく、つらい思いをするのですが、しかし「霊の父」である神は、私たちの益となるような鍛え方をしてくださるのです。
 後で考えると、苦しんだことは良かった、悲しんだことはプラスであった、と思うのです。信仰の成長にとって、苦しいこと、悲しいこと、試練というものは、とても大切なものです。

 マラソンに出場するために、毎日、10キロ、20キロ、と走って、マラソンに備えている人たちがいます。ボクシングの試合に出るために、毎日、厳しいトレーニングに励んでいる人たちがいます。グロ−ブをつけて、ボクシングの練習をしなければ、1ラウンドでノックアウトされてしまいます。

 私たちもキリスト者として、信仰生活を続けていくためには、信仰のトレーニングをいつも自分にしていかねばならないのです。聖書を読み、祈り、キリスト教の教え、教理を学び、礼拝生活に励むのです。そういうことによって、信仰の足腰を鍛えるのです。

 ゴ−ルまで走り抜くために、またボクシングで戦い勝利するために、そうするのです。このような戦いは、一人の孤独の戦いではないのです。自分が独りで苦しみ、悲しんでいるのではなくて、同じ教会に連なっていて、同じ苦しみを苦しみ、同じ戦いを戦っている、そこで励まし合っているのであり、そこに大きな慰めがあるのです。この時を忍耐して、共に走り、共に戦うものでありたいのです。

20190721  主日礼拝講壇交換説教  「バイブルを教えつつ伝道ができる」  西谷幸介牧師(戸山教会 )
(イザヤ書32章15−20節、使徒言行録2章1−4節)


 私は西谷幸介と申します。現在日本基督教団戸山教会の主任担任教師です。今日は講壇交換で、山ノ下先生とは東京神学大学で1学年ちがいだったかと思いますが同志という意識があり、先生がこちらの教会に来られたときにお訪ねして旧交を温めました。数年経ちましたので、そろそろ講壇交換をしようということになり、私が今日ここにやって参りました。私自身は今回改めて教会の主任担任となるまでキリスト教学校で長く宗教主任・チャプレンをしておりました。聖学院で14年間、東北学院で11年間、青山学院で10年間、一昨年3月に定年退職となり、教会の主任ができるようになりました。キリスト教学校のチャプレンをしていますと、青山では教会の担任までは認めてくれましたが、主任はやってはいけない、教務教師の主たる任務は学校だ、というわけです。その務めが終わりましたので早速戸山教会の主任教師になりました。私自身の出身教派が戸山教会の昔の教派でしたので、神学生時代も戸山教会の伝道所(現在の清瀬旭丘教会)で3年間お仕えしました。そういう経歴をもった者です。
 貴教会の週報を見せて頂きましたが、年間の主題に「キリストの福音を伝える教会」とあり、それに相応しい聖句が選ばれています。今、日本基督教団のみならず、日本のプロテスタント教会全体が、本当に伝道に心を向けて、神さまにお祈りするところから、様々な活動をして行かなければならないと、私自身痛感しています。従って本日の説教は西谷を通じての神さまからの伝道に向けたメッセージだと思って聞いて頂けますと幸いです。
  *
 この話の中に、小川義綏という方が出てきます。この方が牛込払方町教会の前身の教会を百数十年前に始められました。ですから、この教会は小川義綏が祈りを込めて伝道を始めた教会だったのだなあと、山ノ下先生から送って頂いた文章を読み、感じておりました。
 「ついに 我々の上に 霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり 園は森と見なされる。」これがイザヤ書32章15節の言葉です。1872年、明治5年の正月に、「バラ塾」と通称しておりますが、横浜英学所というところに外国人キリスト教徒たち、多分アメリカ人が殆どだったと思われますが、彼らによる熱心な新年初週祈祷会が始まりました。それを見た日本人塾生たちの一人が、自分たちもそれを開きたいと宣教師バラに申し出ました。バラは戸惑いを感じながらもそれを許可します。そこから、おそらく日本では初めてのリヴァイバルタイプの祈祷会がバラ塾の新しいチャペルで始まったのです。その初めの礼拝で、バラが、使徒言行録のあのペンテコステの言葉に基づいて説教をし、黒板に書きとめたのが今のイザヤ書の言葉でした。
この祈祷会は正月からさらに連日のように続き、3月10日に9人の受洗者が与えられました。これが日本キリスト公会横浜本会のもとになったものです。これより8年前の1864年に、宣教師の日本語教師であり通訳でもあった矢野元隆が病床で信仰告白をし、洗礼を受けて天に召されました。これがプロテスタント教会の伝道の受洗者第1号でした。その後、1868年に2人の男性が洗礼を受け、1869年に小川義綏、鈴木ナ次郎、鳥屋だい(女性)が洗礼を受けました。そして、上記のリヴァイバルの祈祷会が起こり、1872年3月に9人の受洗者が与えられたわけです。今の横浜海岸教会の前身のキリスト公会がこのようにして始まりました。そして、数年後に小川義綏が日本キリスト東京公会を設立し、それがこの牛込払方町教会につながっているということになります。

さて、3月の9人に続いて、4月に6人が受洗します。この時にバラ塾に所属していた本多庸一という青山学院の創設者の一人がこのリヴァイバルを目の当たりにして、自らも「真に日本を救うものはキリストである」と宣言し、「これがためには身命を捧げても苦しくない」との決心を起こします。そして、続く第3回目の5月の洗礼式に他の3人とともに受洗します。本多、23歳のときでした。この祈祷会はその年の夏まで続きました。そして、その勢いは翌年まで達し、本多の受洗から1年後――この時に禁教令が撤廃されましたが――植村正久(富士見町教会の創設者)が受洗し、その年末までに総勢50名近くが日本キリスト公会のメンバーとなりました。これが日本のプロテスタント教会の一番最初の出来事でした。
ザビエルが日本に来たのが1549年。そうして1853年、ペリーが浦賀にやってきて開国を迫り、大騒動になりますが、総領事ハリスが幕府と渡り合い、「日米修好通商条約」を結び、その第8条に、日本にいる外国人はその居住地の中であれば教会堂を造り、そこで礼拝をしてよい、という条項を加えました。これが1858年で、翌59年から早速タムソンとかヘボンなどの宣教師が来て、その数年後にバラが来日した。このバラが横浜英学所、バラ塾で塾生たちに洗礼を授けたのです。そして、来日して10年後の1871年にとんがり屋根のチャペルを建てます。植村正久の回顧によると、多く入っても40〜50人しか入れなかったようです。そこで日曜礼拝を守っていましたが、上述のように1872年にリヴァイバルが起こったわけです。最初の生徒数は25名ほど、数年経って40名近くになり、そこに本多とか植村が加わっていたのです。

本多庸一は津軽藩出身で、家老の息子として大変裕福な家系に生まれたわけですが、廃藩置県で体制ががらりと変わり、ただの寒村の農民になったのでした。そこで英学を目指してバラ塾にやってきたわけですが、1年間で学費が底をつきます。けれども横浜英学所で学んでいるうちに、意味深い学びをしているという自覚がわき、弘前に戻って家財を売り、お金を作って、横浜に急行した、と書いています。そして、あのリヴァイバル集会にぶつかり、自らも信仰を得て、洗礼を受けたのでした。大政奉還のために藩の名家から寒村の農民となった家族の没落を見て、それが自らを非常に謙虚にさせた。その時、不思議にも、全く無関心に聞いていた、いや、むしろ反発を感じていた、聖書の教えが、生き生きと私の心に迫ってきた、としるしています。英語を学びにきたのに、授業の前に祈りがあり聖書の学びがあって、最初は面倒くさいと思っていたのでしょう。しかし、ついに、次のような見事な信仰告白をして、バラ先生に洗礼を受けたいと申し出たわけです。すなわち、私は私が罪人であること、神と人とに対する私の道徳的責任がきわめて大きいこと、そして、私が自分を救うことはできないことを痛感しました。そして、イエス・キリストを主と受け入れます、と。
これが、私がこの礼拝で皆様にもう一度思い起こして頂きたい――はじめて聞く方もおられるかも知れませんが、さすがに牛込払方町教会ですから、ご存知の方も沢山おられるかと思います――私の考える日本プロテスタント教会の伝道のDNA、遺伝子構造ということです。

横浜英学所は、もともとは税関のお役人たちに英語を勉強させるために幕府が作った教育施設でした。バラ塾、横浜アカデミーとも言われました。タムソンも、ブラウンも、ヘボンもそこで教えたのですが、私が資料を読む限りは何と言ってもバラ先生が一番熱心に、伝道の心をもって活動していたと思います。このバラ塾にこそ、教育的伝道というべき、日本プロテスタントの福音伝道の原型があると思うわけです。
本日の礼拝説教の題にしたのはバラの言葉です。バラが「英学所で英学を志す日本人青年たちに、バイブルを教えつつ、キリスト教伝道ができる」と確信し、そして英学所にチャペルを建て、キリストの弟子となることを決意した学生たちに洗礼を授けたのでした。その中に本多庸一、植村正久、その他多くの有為の青年たちがいたわけですが、この歴史が日本プロテスタント教会の生命発生の原歴史と確信しています。
バラは学校でのキリスト教教育を通じて、日本人青年をキリスト教信仰へと導いたわけです。人はいろいろな機会を経てキリストに導かれるわけですが、日本人の場合、ミッションスクールに通ってキリストを知り、ついにキリストへと導かれた、という方が多いのではないかと思います。今ここで挙手は求めませんが、後で皆さんのそうしたお話を聞きたいと思っています。キリスト教学校でバラのような働きをすることを今一度、本当に真剣に考えなければいけないと思うのです。

私は女子聖学院短期大学、また聖学院大学から始めまして、35年間、宗教主任、チャプレンをやってきましたが、その間、学生たちを教会につなげたいといろいろ努力をしました。しかし、なかなかうまく行かない。教会の牧師でもありましたので、その立場になると、送ってくださるのはありがたいのですが、なかなかうまく教会につなげられない。このギャップを何とかできないかと、思い続けてきました。
私が聖学院大学にいましたときは、滝野川教会の緑聖伝道所につながっておりまして、同僚の牧師先生方にお願いして、私の説教でない日曜日、自由に動けるときに、学生を連れて他の教会の礼拝に行ってもいいですか、ということで、実際かなりの学生を彼らが通える教会に連れて行くというようなことをやりました。いろいろやりましたが、学生を洗礼にまで導くことはできませんでした。そういう挫折の経験もあります。
 継続性が確保されなければ、教会定着は難しいのです。日本人には――隠れキリシタンの方々を除いては――キリスト教の蓄積がありません。アメリカ人には無自覚にでもヨーロッパからつながるキリスト教の記憶がありますから、リヴァイヴァル説教1発でボーンアゲインということも起こるわけです。その意味でバラ塾でのリヴァイヴァルは奇跡的でした。ただ250年以上の鎖国の状態に辟易としていたことも、とくに武家出身の青年たちのキリスト教的新生への飛躍を促したと思われます。
いずれにしましても、そういうわけで、私は学校教会の再興ということを考えるようになりました。そして、青山学院大学の教員、宗教主任になったときから、それを発言し始めました。東北学院時代、ごくわずかの先生方にそれを話したことはあったのですが、その話をしたときは、隠れキリシタンのような感じでした。日本のプロテスタント・キリスト教界全体にある雰囲気が依然として支配していたのです。学校は学校としての分があるだろう、その分を守るべきだ。やれることを一所懸命やって、後は教会の牧師先生方に任せるべきで、あまりいろんなことを思いついて軽々に実行すべきではない、という雰囲気です。

しかし、青山学院大学に来ましたときに、学校教会再興論を声に出して言い始めました。青山学院には昔、学院教会がありました。いろいろな経緯があるのですが、それが今は日本基督教団の1教会になっています。学校を離れて。そして、厳しい言い方ですが、学生伝道の観点からすると、成功はしていません。外に出て、普通の町の教会になっている。こういう例は、青山学院に限らず、少なくありません。〜学院教会という名前を残しながら、実際には在学生などほとんど通ってこない教会になっています。こういう学院教会の歴史の残滓があるのです。しかし、青山学院大学に来まして、ここには学生に対する伝道の気持ちがあるなあと感じました。また、ここは他のキリスト教大学に勝って学生へのキリスト教的なケアがあるなあと。しかも組織的に。
どういうことかと言いますと、それなりの成績を収めた学生がクリスチャン推薦ということで、面接と小論文で入学してくるわけです。クリスチャンファミリーの子女で、洗礼を受けている、あるいは熱心な求道者です、教会のこともよく分かっています、なので是非、特別に入学を許可して頂きたい。わかりました、本学のキリスト教精神の担い手となって頂きましょう、どうぞ、というわけです。そういう制度で入学した学生の中に、学校側からするとクリスチャン学生としての実を示してよくやっている、証し人になっていると思える学生と、入るときはこうした制度を利用するのですが、入った途端にどこに行ったか分からない、探し出すのに時間がかかったという学生もいて、しかも中には推薦の特典などどこ吹く風という態度。これが私も経験した宗教主任の悩みでした。それが今でも続いている学校も少なくないと思います。
そういう中で、1980年代前半に青学の宗教主任になられて、こういう悩みが続かないようにしたいと思われたのが、東方敬信先生でした。そして、青山キリスト教学生会を組織され、推薦で入学してきた学生たちのキリスト教的な面倒を4年間しっかりと見られた。そして、それが土台となり、またしっかりと継承されて、今や11学部、それぞれの学部に○○会という聖書の言葉を冠にしたキリスト者学生会が組織され、さらに聖歌隊、ハンドベルクワイヤ、ゴスペルクワイヤ、こういうグループがきちんと作り上げられ、チャプレンや他のクリスチャンの先生方が講義の他に、聖書に親しむ会、キリスト教文化を学ぶ会といったものを、これらの学生たちとともに、守っておられるわけです。小さい細胞が幾つもあって、大学祭やクリスマスなどで力を合わせて大学キャンパスのキリスト教的雰囲気を盛り上げております。そして、そこにノンクリスチャンの学生たちが友だちになって加わってくる、というわけです。
面接して、この子はいいだろうと思って、クリスチャンとして受け入れたのに、どこに行ったか分からないみたいなことは、今や青山では無くなったかと思います。これは大変な努力です。青学では先生たちの講義のノルマは5コマですが、それらの講義をきちんと全うした上で、聖書に親しむ会、あるいはいろいろな会の面倒を見る。これが青学のキャンパスのキリスト教的雰囲気の土台になっています。
それを私は目の当たりにしまして、東北学院もよくやっておられますが、青山に来て、私の思っていることを声に出していいのだ、出さなければいけないのだ、と思ったわけです。つまり、青山学院にもう一度教会を再興しよう、日曜日の礼拝をしようということです。そうしましたら、何人かのチャプレンたち、またクリスチャンの先生方が、賛意を表明して下さいました。青学でそれを本気でやる時代が来ていると言い残して他大学へ移られた先生もおられました。しかし、従来のあの意見も依然としてちらほら聞こえてきます。すなわち、やはり伝道は教会に任せられた事柄であって、学校は学生たちにキリスト教関連の授業と学内礼拝をとおしてキリスト教を伝えるというところまでがその使命ではないか、という意見です。
たしかに青学ではウィークデイの朝10時半から11時までの学内礼拝をしております。月火水木金。火曜は夕拝もあります。学生たちにはキリスト教概論で、一学期に3回は学内礼拝に出なさい、そのレポートを書きなさい、教会出席のレポートでもよい、といったノルマもあります。しかし、延べ人数を考えますとそのノルマ以上に学生たちは礼拝に出ております。また、ここ30年間のキリスト教学校の雰囲気が伝道に向かって徐々に充実してきているのではないかと感じます。そして、青山学院はその中でも一番先頭を走っているとも感じましたので、声を上げました。共感を得ましたが、残念ながら私の在職中には、日曜礼拝は実現しませんでした。

けれども、同じような思いをもち、そして大学宗教部長になられた塩谷直也先生が苦労の末、日曜礼拝を実現して下さいました。それが昨年の5月。そして、毎週ではありませんが、5,6,7、9,10,11、各月1回、日曜日に学生、とくに1年生を誘っての学内礼拝が行われています。ウィークデイの礼拝では味わえない教会の礼拝に近い礼拝を経験してみて下さい、ということで、昨年の11月は270名の学生が出席しました。私は戸山教会の責任がありますので、そこには出たことはないのですが、逐一報告を聞かせていただいて、今年も5,6,7月、9,10,11月とやりますとのことでした。このことを皆さんにお伝えしたかったのです。
日本のキリスト教にとって、今は本当に伝道の危機であります。高齢化が進んでおります。私の教会もそうです。一昨年、6か月続けて、毎月、教会のご婦人方が召されました。礼拝のメンバーでした。では、受洗者がそれに見合うほど与えられているかというと、そうではない。どんどん礼拝の勢いが落ちている。
しかし、他方、キリスト教学校で、本当に学生さんたちに気持ちを込めて聖書研究会を続けておりますと、4年間休まないノンクリスチャンの学生が出てきます。そして、卒業間近になると洗礼を受けたいという学生が――日曜礼拝をしていないときでも――出てきました。私は通称ビジネススクールというところで、ビジネスエシックス(企業倫理学)を教える牧師で、えらく苦労しましたが、しかしその関係で、今、戸山教会に出席している学生さんたち、家族で来ている人たちが3家族います。副牧師さんの家族を含めると4家族。独身ですが洗礼を受けた人がもう一人。何かそういう形で、それぞれのチャプレンが心を込めて学生たちに接すると、とくに大学院で6年も学び続けている学生さんなどは、「洗礼受けるの?」、「そうですね」、という感じになるわけです。普通に良い関係でやっていれば、キリストの福音がその心に浸透し、学生はそういうふうになってくる。
そこに日曜日の礼拝をやれば、もっと教会というものがわかり、クリスチャンの生活というものも理解して、本当に洗礼を受けようという決心に至るのではないか、と思うのです。例えば日曜礼拝で何が教会と同じかというと、献金をするわけです。ウィークデイの礼拝では献金はしません。献金の目的を学生たちに伝えて――教会で用いるような献金の使い方ではないのですが――献金をします。いずれにしても神への感謝の献げ物ということが大切なのだということが伝わります。教会と違うのは、今のところ聖礼典はしていないという点です。つまり、洗礼式も、聖餐式もやらない。この点は議論のあるところ、見解の相違が出てくるところです。私自身は日曜礼拝を続ければ洗礼式を行う必然性が出てくるのではないかと思っておりますが、そのためには日本基督教団のような包括的な宗教法人との公的な関係なり提携が必要であるとも思っております。現在のところ、青学での日曜礼拝は、一言で言うと、ウィークデイの学内礼拝と、教会での礼拝の橋渡しの役割を果たすことに努めている、ということです。各礼拝ごとに具体的な教会の紹介と案内が教職員によってなされています。そして、実際に、それを聞いた学生たちがその教会に出席し始めたと聞いております。

先日、私と同じ意見、志をもっておられる同僚、同じビジネススクールの先生で、狛江教会の役員をなさっている井田昌之先生と二人で、青学の日曜礼拝について発信する非公式の会を呼びかけて実行しました。そうしたら、立教学院副院長の篠原先生が来られました。関東学院院長の松田先生が来られました。ICUの教会牧師の北中先生が来られました。ICU教会は一般の方々とともに在学生が礼拝に出席し、しかも受洗へと導かれている、現在ではほぼ唯一の学校教会です。上述の塩谷先生もそこで受洗され、そして伝道者としての召命を受けられました。また、この青学の日曜礼拝に関心をもたれたICU常務理事の富岡さんが来られました。東神大の長山先生も来られました。他にも聖学院大学のチャプレンの先生とか、いろいろ来られまして、全部で15人の会をもちました。全く非公式の会ですが、塩谷さんの日曜礼拝の報告を聞きたいんだと、関心をおもちの方々が集われました。
東京神学大学で毎年5月に「学校伝道協議会」が行われてもう20年以上になります。全国のキリスト教学校の宗教主任の方々が来られて、大体70〜80人、東神大の先生を入れると、多い時には100人ほどの先生方が参加しておられます。そして、来年の協議会では、この塩谷青山学院大学宗教部長の日曜礼拝の報告を聞こうということになりました。皆様の中でも聞いてみたいという方は大歓迎です。私も企画委員の1人ですが、1昨日、銀座教会で来年の会の計画を立てました。私が提案したわけではないのですが、自然にそうなりました。
昨年召された古屋安雄先生は教鞭を取ると同時に、ICU教会の牧師を長くしておられました。日本伝道に力を入れなければならない、だからこそICUの学生たちにも伝道するのだと言っておられた先生でした。この先生の持論は、何故日本にキリスト教が根付かないか、それは知識階級にだけ伝道して、一般大衆にしてこなかったからだ、というものでした。私はちょっと意見が違っておりまして、日本での福音伝道はたしかにバラ塾でそうであったように知識階級から始まり、一般大衆にまで行き届いてはいないかもしれない、しかしこの学校教育をとおしての伝道はそれなりの成果を示してきたのであり、これはこれでしっかりと続けていくべきだ、多くの人々が大学教育を受けるようになった現在はなおさらのことだ、というものです。ともかくもキリスト教学校を通して福音に触れる人々はきわめて多いのだから、学校在学中に、あるいは卒業してからも、その方々への伝道を継続して、教会に連なるように導くべきだということです。

 あのバラ塾で行われたような青年伝道をもう一度しっかりとやるべきだ、やり直すべきだ、という思いをもっております。そして、これからそういう時代がもう一度来るだろうと望みをかけております。自分の教会でも願ったようにはうまくは行かないという現実はありますが、にもかかわらず、まず私たちが祈りをもってそのことを覚えて、神さま、何とか私たちの礼拝をもっと多くの信仰の仲間と共に充実させて下さい、という祈りを続けて行くべきではないかと思っています。
 いろいろな戦いがあります。キリスト教学校で日曜日に礼拝するということについて、ましてやそこで聖礼典を執行するということについては、とんでもないことだと思っている教職は依然として多いのです。何を言っているんだ、そういう顔をされていた。10年前まではそういう感じがありました。しかし、今は、どうでしょう。自らの教会の現状がそれを許さないのではないでしょうか。
 日本プロテスタント・キリスト教の最初の歴史を見ると、青年たちに対する「教育的伝道」のヴィジョンをあらためて指し示される気が致します。小川義綏さんもバラ塾の前身、あの英学所で、日曜日の礼拝を守りながら、洗礼を授かった。この初心、最初の形に戻って、私たちが神様に一所懸命伝道のための祈りを捧げるということはとても意義のあることではないかと、今でも、いや、今だからこそ、思うのです。
お祈りを捧げます。

天の父、
 本日は牛込払方町教会の皆さまとともに、礼拝を捧げるお恵みを頂き、心から感謝致します。今、僕が与えられた幻について語らせて頂きましたが、どうぞ私たちひとりびとりに伝道の志をまた新たに起こさせて下さいますように。全世界に出て行って福音を宣べ伝え、弟子をつくれと、主イエス・キリストご自身が仰いました。どうぞこの大いなる伝道の命令をしっかりと受け止めて、私たちの信仰生活、証しの生活を全うしていくことができますように、ひとりびとりを豊かに祝福し、力を与えて下さいますよう、心よりお願い致します。
この祈りを、我らの救い主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン

20190714  主日礼拝説教   「キリストに向かって走り抜く」  山ノ下恭
(エレミヤ書31章7−14節、ヘブライ人への手紙12章1−3節)


 日本の各地でマラソン大会が行われています。この近くを歩いていると走っている人をよく見かけます。同じ人が、同じ時間に走っています。走ることは楽しいのかもしれません。しかし、長い距離を走るのは大変だと思います。長い距離を走っている時に、走るのを止めたいと思う時もあるからです。

 私は高校一年生の時に、高校の行事で、16キロの長い距離を初めて走ったことがあります。16キロの距離を走るのは、初めてですから、一人では途中で棄権してしまうかも知れないと思い、友人と一緒に走ることにして、当日、友人と励まし合って、伴走して、やっとゴールに辿り着くことができたのです。

 何でも、一つのことを継続していくことは並大抵なことではありません。会社に勤めて、定年まで長く働き続けることも努力と忍耐が必要になります。
 教会も同じです。長い間、一つの教会に長く教会員として仕えていくことは容易なことではありません。40年も、50年も、教会の礼拝を休まず、神と教会に仕えて、信仰生活を続けていく、それはとても大変なことです。それは、個々の教会には、教会の中でいろいろなことがあるからです。その中を、忍耐して、教会を離れないで、信仰を守り通すことは並大抵なことではありません。教会から離れないで、忍耐して、長い間、教会生活を継続していく、それはとても地味なことですが、とても大切なことです。

 本日の礼拝でヘブライ人への手紙12章1−3節を読みました。このヘブライ人への手紙は、信仰生活を競技場でのランナ−に例えています。ランニングやボクシングは、ギリシャから始まったものが、地中海沿岸の世界に普及していたのです。この手紙は今のトルコのあるところで書かれたのですから、ギリシャの習慣がそのまま伝わっていて、マラソンが盛んに行われていたのです。このような例えを使うと、興味を持ち、よく理解できるということで、この著者もランニングの例えで語っています。

 私たちの中で、42.195キロのマラソンは走ったことがある人もいるかもしれませんが、多くの人はそのような長い距離を走ったことはないと思います。マラソン選手のように長距離を走らなくても、長い距離を走っている時は、全く孤独で、その孤独をいかに耐えるか、自分自身との戦いがあることを経験するのです。私たちキリスト者も信仰生活をしているときは、自分一人ひとりが責任を負ってゆかねばならないという一面があります。自分が信じる、私が信じると言うことであって、他の誰にも頼ることができないという面があります。礼拝に来るときも自分の足で教会に来るのですし、説教を聞く時も一人で神に対する責任をもって聞いているのです。従って、信仰生活において確かに一人ひとりが自分の責任を負ってゆかなければならないという一面があるのです。

 それにもかかわらず、信仰生活は、孤独ではないのです。このところがマラソンの選手と違うところです。実際のマラソンでは、走っている人たちはライバルであり、あの人よりは自分は先に走っている、ここで勝負を賭けようか、と思ったり、別の人を追い抜いた、他の人に追い抜かれた、ということがあるのですが、信仰生活というマラソンを走るのは、ライバルではなくて、一緒に走っている仲間なのです。誰がトップで、誰が最後にゴールに辿り着くということではなくて、共に走る仲間なのです。

 仲間ですから互いに励まし合いながら、一緒にゴールに到達することが大事なのです。互いにライバルで、走るのが遅い人を軽蔑して、自分だけ先に走っていくというのではなくて、一緒に走る人たちは仲間なのです。私たちの信仰生活と言うのは、集団で並んで群れをなして走って行くグループであり、その中で走って行くのです。互いに励まし合いながら、一緒にゴールを目指して走って行く、それが教会です。ひとりぼっちだなぁ、と思っていても、自分のことを覚えて祈る友がいる、心配してくれる兄弟姉妹がいる、困った時に、話を聞いてくれて助けてくれる兄弟姉妹がいる、それが教会なのです。失敗があったり、落ち度があっても、赦してくれる人々がいる、それが教会なのです。

 ヘブライ人への手紙12章1節には「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上」と語られています。
 「おびただしい証人」というのは、ヘブライ人への手紙11章に旧約聖書の中ですぐれた信仰生活をした人たちのことが述べられていましたが、その信仰先輩たちのことがここで考えられています。最初の教会の人たちにとって、先輩と言うのは旧約の時代のイスラエルの人々です。最初の教会の人たちにとって、旧約時代のイスラエルの信仰者たちは、大きな信仰の支えであったのです。最初の教会の人たちは、礼拝において旧約聖書が朗読され、使徒の手紙が読まれたのですが、旧約聖書が特によく読まれ、イスラエルの信仰者たちの信仰の姿勢を学ぶことが多かったのです。

 旧約聖書に登場するアベルから預言者まで、彼らは既に信仰の歩みを終えて、つまり、マラソンの全コースを走り終えて、沿道に並んで、あとから走りつつある私たち、教会のキリスト者を応援してくれていると言うのです。走るマラソンの選手の沿道に多くの人たちが旗を振り、横断幕を掲げて応援しているように、既に信仰のマラソンを走り終えた信仰の先輩たちが、私たちの信仰生活を応援しているのです。今日の私たちは、初代、最初の教会から、中世、近代と信仰を証ししてきた信仰者たちの応援を受けて、走っているのです。

 ヘブライ人への手紙12章1節「こういうわけで、わたしたちもまた」と書かれています。「わたしたちもまた」とあります。口語訳聖書は「わたしたちは」と訳されていますが、新共同訳、聖書協会共同訳では「わたしたちもまた」と訳されています。「わたしたちもまた」、「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」とつながっているのです。つまり、2千年の教会の信仰者たち、ここでは旧約の先輩たちが走り通したコースを私たちもまた彼らと同じように、一所懸命に走り抜こうではないかと語るのです。

 「私たちもまた」という言い方が深い意味を持っているのです。旧約のイスラエルの信仰の戦いと新約の信仰の戦いとは、一つの目標に向かって走っている、その姿勢において同じです。信仰の歩みを成し終えた先輩たちが、私たちが走るのを見守りながらゴールの近くから声援を送ってくれる、これほど大きな励ましはないのです。このような励ましを受けることによって、力が湧き出るのです。従って、私たちは孤独の戦いではないのです。

 12章1節後半では「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」とあります。このところは、私たち一人ひとりに課せられている責任に触れているのです。「自分に定められている競走」とあるので、信仰生活とは、自分が神から託されている責任を、他の人に押しつけることはできないことを語るのです。私たちは、一人ひとりライバルで走っているのではなく、仲間として、集団、群れとして走っていくのですが、しかし、一人ひとり、自分の、神に対する責任が与えられ、それは自分の責任として負っていくものです。確かに仲間同士が互いに祈り合い、助け合うことをしなくてはいけないですが、しかし、信仰者には一つの節度が求められ、必要以上に他の人に甘える、迷惑をかけることは避けなければならないのです。一人ひとり状況は異なり、多くの人の助けを必要とする場合もあり、比較的、自分で何でもできる状況の人もあり、その状況にふさわしく対応していくことですが、自分ですべきことを他の人に押しつけたり、重荷を負わせたりすることは、避けるのです。一人ひとり、走るのです。自分の責任において走る、一人ひとり課せられているのです。

 特に一人ひとりに求められていることは、「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて」とありますので、自分自身との戦いがあるのです。私たちは、キリスト者として生きようとするときに、神に従うのか、それとも自分に従うのか、その葛藤があるのです。葛藤しながら、戦っているのです。どのようにしたら、神の御心に従うことになるのか、肉体を持っていますので、自分の思いや考えもあり、したいこともあるので、その間に立って葛藤を持つのです。神の言葉に聞き従うのか、自分の気持ちに従うのか、と言うかは、私たちの毎日の戦いです。
 
 自分の足を引っ張るのは、自分以外の他人ではなくて、自分自身が自分の足を引っ張るのです。自分の中にある罪が足を引っ張って先に進めなくなるのです。罪が自分の内側から信仰をだめにしてしまうような働きをするのです。「絡みつく罪をかなぐり捨てて」とありますように、罪をかなぐり捨てて、走り抜くことが勧められています。この信仰のマラソンは、ゴールに向かって孤独に走って行くというものではなく、12章2節に「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」とあるように、イエス・キリストを見つめつつ、走るのです。

現代は、多くの情報が溢れている社会です。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなど、情報が溢れています。若い人たちはスマホでいろいろな情報を得ているのです。情報が洪水のように溢れて、私たちを押し流してしまっています。信仰の創始者という言葉を、他の翻訳では「信仰の導き手」「先に走る者」「水先案内人」と訳しています。一番、先に走ることによって、あとから来る者が道を迷うことなく走る役割をもっています。イエス・キリストのことを先に走る者と呼んでいるのです。どのように、どの方向に走っていけば信仰をしっかり守ることができるか、その道筋をはっきり示してくださる方なのです。また「水先案内人」は、船の針路を正しく示す役割をもち、荒波が来ても難破しないように、船の針路を導くのです。
 
 現代は溢れる情報があり、どれが正しく、誤っているのか、判別ができないのです。私たちは、礼拝で神の言葉を聞いて、神の御心に従うことが求められているのです。先週、お会いした女性牧師は、持ち運びの良い、手に載せることができる、ほんとうに小さな旧新約聖書をいつも携帯して、電車に乗っている時も、時間があれば、努めて、聖書のみことばを読んでいると言っていました。牧師だからそうしていると言うのではなく、いつも聖書の言葉に触れていることが大切です。

 ここでは、マラソンの例えで、信仰生活を語っているのですが、信仰生活というマラソンを走りながら、見るべきものは何かということです。信仰のまなざしをもって見る、言葉を変えると、信仰をよって心にいつも抱くべきことは何か、です。このヘブライ人への手紙は、キリストのなさったことを大祭司の役割を果たしてくださったことを語っています。キリストは、御自身を罪の犠牲として献げ、それによって私たちの罪を取り除いて、神に通じる道を開いてくださったのです。私たちはキリストが開いてくださった新しい道を通って、天、つまり、神のところに行く道をつけてくださった、そのキリストを見つめながら走ろうと呼びかけているのです。

 もう一つは、「完成者」という言葉です。キリストが完成者、全うさせる者です。私たちの信仰を完全なものにしてくださる方です。自分の信仰生活を顧みて、完全である、完成している、とは言えないのです。不完全であり、未完成です。しかし、信仰が弱く、神の御心に従っていない者であるにもかかわらず、私たちの信仰生活を継続させ、完成させてくださる方がイエス・キリストなのです。イエス・キリストは神から委託されたことは完全に成し終えたから、あとはよろしくというのではなくて、今も生ける主なる神として、私たちを導いてくださるのです。

 どのような方を頼りにしながら、信仰生活をマラソンのように走って行くのでしょうか。パラリンピックの競技で視覚障がい者に伴走して二人で走る場面を見たことがあります。目が不自由なので走るコースが見えないのです。見える人と共に走ることで安心して走ることができるのです。目の不自由な人は一緒に伴走してくれる人が誰であるか知っているので、信頼して安心して走ることができるのです。

 ここでは、走る時、イエス・キリストを見つめながら走るのですが、このイエス・キリストがどのような方か、を詳しく語ります。その方を信頼しつつ、走るようにと勧めているのです。このイエス・キリストは、私たちの罪を贖い、その御業を完成し、「神の玉座の右にお座りになった」と書かれています。私たちの神となるために、罪に勝利して神の右に座しておられる、この方を仰ぎつつ、走り抜こうではないか、と語ります。私たちの信仰生活を共に走り、見守ってくださるのです。

 ヘブライ人への手紙が書かれた当時の教会は、迫害が及ぶ、困難な時代でした。その中で、信仰から外れないように、礼拝を止めないように、信仰を捨てないように、という勧めを繰り返し語っています。そこで大切なことは、キリストは苦難に遭い、罪人たちの反抗があって苦労したけれども、忍耐されたことをいつも信仰をもって受けとめることなのです。

 信仰生活はいつも順調な時ばかりではなく、人間関係で苦労したり、嫌なことを経験するのです。信仰生活を続けることは難しいのです。キリストが忍耐されたように、私たちも忍耐して走り続けて行くものでありたいのです。

 私たちはいつも、聖書を生きた神の言葉として、自分の責任において受けとめて、祈りを絶やさないようにしたいのです。教会が一つの群れとして、神の言葉をしっかり聞いて、応答しつつ、ゴールに辿り着きたいと願います。

20190707 主日礼拝説教  「大切なものは目に見えない」  山ノ下恭二
(出エジプト記3章1−14節、ヘブライ人への手紙11章23−40節)


 先週の木曜日に図書館で「児童心理」という雑誌の7月号を読もうとして探していましたら、本棚に3月号が置いてあり、この雑誌が3月号で休刊になったことを知りました。この児童心理は、内容も良く、私が愛読していた雑誌で、とても残念に思いました。3月号の「特集」は「子どもが信頼する先生」で、「信頼とは何か」「子どもが先生を信頼する時」という論文が掲載されていました。どのような先生が子どもに信頼されるのか、その条件が記されていました。「自分の話をよく聞いてくれる」「わかりやすく、ていねいに教えてくれる」「自分の成長のために叱ってくれる」「約束を守ってくれる」「自分の気持ちを分かってくれる」と書かれていました。
 先生が子どもを愛して、子どもに愛情を注ぎ、その先生を子どもが信頼する、その関わりが最も良い関わりだと言うのです。先生が子どもに愛情を注ぎ、子どもが自分のことを大切に思って愛を注いでくれる先生を信頼するのです。
 
 私たちにとっても、愛と信頼に生きる、それが私たちを生かす源であり、私たちを生き生きとさせるものです。
 愛、信頼と言うのは、目には見えませんが、私たちにとってとても重要なものです。目に見える物質的なものよりも、もっと大切なものです。お金をたくさん持っていても、自分を愛してくれる人がいないならば、独りぼっちで不幸です。何かを相談しようとしても、信頼して相談する人を持っていないのは孤独で、不幸です。私たちは、自分を愛してくれる存在を必要としますし、信頼できる人をもっていることが、私たちを生かすことになるのです。

 この礼拝において、ヘブライ人への手紙11章23−40節を読みました。この11章では、旧約聖書に登場する信仰者について語っているのです。人間としての弱さ、欠点を持ち、困難なことに直面しつつも、神を信じていった旧約の信仰者を語っているのです。旧約聖書に登場する信仰者をアベルから順にあげて、アブラハムの信仰について語り、さらにモーセ、そして士師、預言者たちのことが取り上げられています。

 11章23節−31節には、モーセについて語られています。モーセは、ユダヤ人にとっては、神の言葉と等しいと考えている律法(トーラー)を神から授かり、ユダヤ人に取り次いだ、重要人物と理解されています。古典ユダヤ事典には、モーセを旧約の五書の著者、トーラーの賦与者、契約の仲介者、最大の預言者、トーラー遵守の模範者、と書かれています。ユダヤ人にとって、律法は、信仰生活の規範というだけではなくて、神の言葉そのものと理解されていたのです。この律法を授かったモーセを、最も権威ある者と高く評価していたのです。ユダヤ教は、戒律的な宗教で、律法を厳格に守ることが信仰生活であると考えています。律法を授かったモーセは、神に近い存在です。ユダヤ人たちは、律法を学んでいることをモーセの弟子と自称していたのです。

 しかし、キリスト教は、ユダヤ教とは異なって、戒律を守ることが、信仰生活とは考えていません。最も重要なことは、神の愛に信頼して生きることです。神が私たちの深い罪を赦してくださることを感謝して生きることなのです。
 先週の木曜日に大学の礼拝に出席しましたら、児童学科の教師が、ルカによる福音書15章にある、迷える小羊の譬え話を話しました。この譬え話は、一匹の小羊が、羊の群れから、道に迷い、遠いところに行ってしまい、羊飼いがこの羊を探し出して、羊の群れに連れ戻す譬え話です。
 この譬え話は、神から離れて、神に背を向け、神との関わりを失った者を、神のもとに連れ戻すために、神ご自身が自分の外に出て、肉体を取り、イエスという人間になって、罪を贖い、神のもとに連れ戻すことを語っています。キリストの十字架の死と復活によって、十字架による神の痛みによって、私たちは、罪の赦しを与えられるのです。律法を行うことによって、神が正しいと認めるのではなく、ただ、神が私たちに真実を尽くしてくださる、そのことを信じることによって、私たちは正しいと認められるのです。

 イエス・キリストによって私たちの罪が赦される、このキリストの福音に生かされることが、私たちの信仰生活なのです。このキリストを信じる、キリストの愛に信頼して歩む、この視点から、ヘブライ人への手紙は、信仰を語るのです。このヘブライ人への手紙が相手にしている教会の信徒たちは、信仰を与えられているけれども、迫害に耐え忍び、困難に直面して、戸惑い、疲れているのです。その中で、旧約聖書に登場する信仰者の信仰のあり方を語りながら、信徒たちを励ましているのです。

 この11章に多く出て来ている言葉は「信仰によって」と言う言葉です。「信仰によって」と言う言葉は23回、「信仰」と言う言葉を合わせると26回出て来ます。多く出てくる言葉が、鍵の言葉ですから、「信仰によって」「信仰
」と言う言葉が大切な言葉となります。信仰と言うと、一般に、信心、信心深い、と言う言葉を思い出すと思います。熱心にお参りをする、熱心に祈る、そのような人が信仰者としては立派な人だ、と考えます。
 
 しかし、自分の熱心さ、信心深さというのが信仰と言うのではなく、神を確かな方と信頼する、それが信仰なのです。この「信仰」と言う言葉は、アーメンと言う言葉が元々の言葉です。堅い、堅固、まこと、真実、という意味です。神が堅い、堅固、神がまこと、真実であると信頼する、と言う言葉です。自分の熱心さではなく、あくまでも、神を信頼することなのです。
 神を信頼する、と言っても、神をこの目で見たことはないし、イエス・キリストも見たこともない、聖霊も見たことがないので、神を信頼することがどのようなことなのか、分からないのです。

 私たちは、信頼することによって私たちの生活が、成り立っていることを知る必要があります。電車でこの礼拝に通って来た人も多いと思います。事故があったために電車がよく遅れます。教会の玄関で、電車の事故があって遅れた、と言う話を、教会の人たちが聞くのですが、事故は見ていないのです。しかし、その話を信頼して、事故があったと認識するのです。

 私たちは神をこの目で見てはいません。しかし、旧約聖書は神から話を聞いた人たちが神の言葉を証言しているのです。新約聖書は、イエス・キリストに実際に会って、十字架の死と復活を見た人たちが、証言している書物なのです。神をこの目で見てはいないし、イエス・キリストを実際に見ていないし、十字架の死と復活の場面にいたわけではないのですが、聖書によって、神が語られたことを証言し、イエス・キリストの十字架の死と復活を証言しているのです。聖書が作り話だ、と言うならば、別ですが、聖書によって自分に神が語っていると信頼するのです。聖書の証言を信頼して、神の御心を知るのです。
 信仰とは、神が、私たちにしてくださる神の愛、神の救いに信頼することです。私たちは様々な困難に直面します。すべて思い通り、順調にことが運ぶということはないのです。この先にどのようなことがあるのか、私たちには分からないのですが、ただ、神の愛と配慮とを信頼して歩むことなのです。

 モーセは、旧約聖書に登場する信仰者ですが、私たちの信仰生活を見直す意味で、とても大きなことを教えます。モーセは、とても困難な中で、神の愛を信頼して、神の御心を行う者としてその生涯を送ったのです。私たちがキリスト者として歩む時に、困難なことに出会うのです。特に、日本と言うキリスト教信仰とは無縁の社会の中で、私たちは信仰生活を送っていますので、多くの困難があるのです。ここには、モーセについて、信仰についての大切な言葉が記されています。この手紙がモーセのことを取り上げるのは、今日のところが初めてではありません。既に3章において、主イエス・キリストが神の家を治めるのに忠実であられたのに対して、モーセが神の家に仕えるものとして忠実であったと言う意味で、主イエスとモーセが対比させられています。さらに3章から4章にかけては、イスラエルの荒れ野の旅でのイスラエルの人々の不信仰について厳しく語っている中で、指導者モーセのことが記されているのです。モーセのことが、今日のところで三回、扱われています。

 モーセは、ユダヤ人にとっては、律法(トーラー)を神から取り次いだ神に近い人なのです。ユダヤ教にとって主イエスは教師、単なるユダヤ人に過ぎないのです。ユダヤ教にとって、モーセと主イエスを比較するなどもってのほかであり、モーセよりも主イエスのほうが神の側に立つ者だ、と言うのは我慢ならないことです。しかし、ヘブライ人への手紙の著者は、モーセを主イエスと対照し、比較して語っているのです。主イエス・キリストは、神の側に立つ方であられ、モーセはイスラエルの人々の一員で人間の側に立つ者であるのです。ヘブライ人への手紙11章では、モーセをアブラハムたちと同じレベルで、信仰者の例として語っています。

 モーセの生涯は波瀾万丈であり、本人が予想もできない人生が展開されるのです。エジプトでは、ユダヤ人の出産率が高いので、ユダヤ人の人口が増えることに脅威を感じたエジプトの王が、生まれた男の子を殺すように命令するのですが、モーセの両親は、モーセが産まれてから3ヶ月のあいだ、モーセを隠していたのです。それは両親が、神がこの子モーセを選んだという信仰をもって神のわざの美しさを見たので、隠したのです。エジプト王の命令を恐れなかったのです。次に、不思議なことに、モーセは、エジプト王パロの娘に拾われて王の一族として育てられ、権力も富も持つことができたのですが、モーセは、自分がユダヤ人であることを自覚し、ユダヤ人と共に、その苦労を共にしたのです。奴隷として自由がなく、重い労働によって苦しみの生活をしていた同胞と共に生きる決心をして、エジプトを脱出することを目論んだのです。
 モーセは、自分が英雄になるために行動したのではなく、ただ自分を召し、呼びかけた主なる神に忠実に仕えようとしたのです。

 本日、出エジプト記3章1−14節を読みました。神の山ホレブでモーセが指導者として召命を受けるところです。ここで、モーセは、苦難の叫びを聞いた神が、イスラエルの民をエジプトから脱出させるように、モーセを指導者として召すのです。この神の召し、呼びかけ、神の業をなすようにという委託に対して、その任務が自分には身に余る大事業なので、怖じ気づき、恐れるのです。神がモーセに委託した任務が、エジプトにいるイスラエルの民をエジプトから導き出すというとてつもない大きな任務であるので、どのような神なのか、を聞くのです。何十万という人たちとこれから旅をするので、多くの困難があることは明らかです。その時に、途中で投げ出してしまう神であると困るのです。最後まで、イスラエルの民と共に旅をする神なのか、どうかを聞くのです。すると、神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と神ご自身の名を明らかにするのです。この名がヤハウェと言う言葉なのです。この「わたしはある」主、ヤハウェと言うのは、イスラエルのために神が全力をもぅって救い、どのような時にも共にいる神であると言う意味です。
 モーセは、この「主」という神の名を知り、どのような時にもイスラエルのために全身をささげ、苦しみを見、叫びを聞き、痛みを知り、救い出す神がおられることを信仰によって受け入れることができたのです。神の名を知らない時には、これからどうなるのか、と不安があり、怖じ気づいていたのです。しかし、主である神がその業をしてくださることを信じていたので、パロ王の怒りも恐れず、何度も何度も、ひるむことなく、粘り強く、実現に向けて交渉をしたのです。
 神の働き、神のみ手の働きを見ることができ、神のみわざを見つめながら、深く信頼していくのです。現実には、圧倒されるような権力をもった王がおり、どのようなことをしても、奴隷としてのイスラエルの人々を手放すはずはない状況にいたのです。しかし、モーセはただ、神の御心を見、神のわざを見て、交渉にあたったのです。
 
 ヘブライ人への手紙11章25節には、「神の民と共に虐待される方を選び、」と記されています。同胞と共に奴隷となって、その代表者として行動することを選んだということです。これまでは、イスラエルの人々を支配するエジプトの側に立って行動していたのですが、今や支配される側に身を移したのです。
奴隷の生活と言うのは、虐待される生活、奴隷として生命がなくなるまで働かされ、処遇もひどい状況の中にありました。モーセは虐待される側に身をおいたのです。

 モーセが、人々を支配する側ではなくて、虐待される側に身を移したと言うのか、それはイエス・キリストがまさにそのような方であることを言いたかったのです。「神の民と共に虐待される方を選び」というのは、モーセについて、ヘブライ人への手紙が解釈しているのです。そこには、この手紙の持っているメッセージが含まれているのです。イエス・キリストについてヘブライ人への手紙4章15節に「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく
」とあり、イエス・キリストが私たちの苦しみを共に苦しまれた方であることを語っています。そのようなメッセージがここにあります。主イエス・キリストは、神と等しい存在であるにもかかわらず、私たちの救いのために、人となり、私たちの苦しみを自分の苦しみとして担ってくださったのです。モーセも虐待されている民の側に、民と共に生きたのです。

 イエス・キリストとの関わりで、モーセを解釈しているのですが、モーセがそのように、虐待される人々の側に立ったと言うのは、私たちの生き方をも示しているのです。自分が物質的に豊かになることを願うのではなく、自分たちが豊かな生活をするために、貧しくなり、苦しんでいる人々がいること知り、その人々の苦しみを共にするということです。
 モーセが、神の御心を見て、目に見える現実に自分の生きる根拠を置くことなく、神の働き、神のみわざを見て、そこに自分の生きる根拠を置いたのです。見ることのできない神を確かなものとして信じたのです。

 ユダヤ教は、旧約聖書だけを聖書としており、新約聖書を聖書として認めていません。しかし、キリスト教は、新約聖書の立場から、旧約聖書を解釈するので、イエス・キリストから、モーセを理解するのです。イエス・キリストとの関わりで、モーセを解釈するのです。そして更に、モーセの信仰者としてのあり方が評価されているのです。モーセはイスラエルの民を奴隷から解放するために、自ら奴隷となり、屈辱を受けたのです。モーセとキリストとは、時代的に隔たっているけれども、イエス・キリストが罪の救いのために、罪人の側に立ち、身代わりとなって十字架の死によって罪を贖った、そのキリストにモーセが倣うことになるのです。キリストが私たちの罪のために十字架についた、その服従を示しているのです。
 キリストに従う、それは時間としては、キリストの後の時代に起こったことと考えるのですが、モーセが、イスラエルの民の苦しみを共にした、それはキリストに従うことを遙か昔に行った、と理解しているのです。モーセは、キリスト以前に既にイエス・キリストへの服従を全うしている、だから私たちキリスト者は、信仰の模範としてモーセの信仰の姿勢を見倣うようにと語るのです。

 現代は、目に見える物質的なものに価値を置く社会です。しかし、目には見えませんが、愛と信頼に生きることこそ、最も大切なことなのです。一人一人、それぞれ困難があります。しかし、神の愛に信頼して歩むことが最も大切なことなのです。

20190630 主日礼拝説教  「真実な愛の言葉を語ろう」  山ノ下恭二
(詩編12篇1−9節、エフェソの信徒への手紙4章29−31節) 


 私たちは、何気ない言葉で慰められ、励まされることがあります。「とても良かったです」「あなたがいて心強い」「お話が素晴らしかった」「覚えて祈っています。」逆に、何気ない一言によって、傷ついたり、打ちのめされたりすることがあります。「君は、何にも知らないんだね」「そんなことも知らないの」「頭、悪いね」「変わっているね」「だいたい、あなたは、ぐずなのよ」と言ってしまい、相手を傷つけてしまうのです。

 私たちは、人と関わる時に、言葉によって関わるのです。言葉にはいのちがあり、力があります。相手を思いやり、相手の立場を考慮して語る言葉は、相手の存在を生かすものとなり、相手の心を温め、支える力になります。逆に、自分が言いたいことだけしか言わず、相手の立場や思いを考えずに投げつける言葉は、ナイフや刀のように、相手を斬りつけ、相手の心を傷つけ、生きて行く力を失わせるものとなります。

 イエス・キリストを信じ、生きるようになると、私たちの生活は変わります。今までの生き方が変わるのです。例えば、日曜日の過ごし方が変わります。洗礼を受けて、イエス・キリストを信じて生きるようになると、それまでは日曜日は休日であって、自分が好きなように過ごすことができる日と考えて過ごして来たのですが、洗礼を受けて、信じて生きるようになると、日曜日が休日ではなく、礼拝をする日に変化します。その他もさまざまに変化します。大きな変化は、自分はこれで良いのか、と日常の言葉や行動を吟味するようになることです。

 本日の礼拝で、エフェソの信徒への手紙4章29−31節を読みました。私たちがイエス・キリストを信じて生きるようになると、自分の言葉が変わります。ここでは、何よりも自分の言葉を吟味することを私たちに勧めています。 私たちはいつもどのような言葉を使っているのでしょうか。朝、起きた時から、夜、寝る時まで、私たちはどのような言葉を使っているでしょうか。今は、スマ−トフォンに録音機能があるので、朝から晩まで、一日の間、自分がどのような言葉を使っているか、録音しておき、その録音を聞けば、分かるのではないでしょうか。自分の言葉を自分が聞いていて、どのような言葉を使っているのか、が分かります。乱暴な言葉を使っているのか、それとも丁寧な言葉をつかっているかが分かるのです。相手が聞いていて快く、心温まる言葉を使っていることが少なく、逆に、不平不満の言葉、人の悪口の言葉、怒った言葉、からかう言葉を多く使っていることに気づくのです。私たちは、どのような言葉を使って過ごしているのでしょうか。
 エフェソの信徒への手紙4章では、日常の言葉をどのような言葉で話しているのか、それを吟味することを勧めているのです。

 エフェソの信徒への手紙は、ここで、まず、私たちの言葉を検証することを語ります。4章25節に「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。」と記されています。 教会はキリストの体ですから、教会の仲間に対して、語る言葉について勧めています。「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。」と言うことを、「偽り」「うそ」を言わないで、ほんとうのことを語れ、と勧めていると理解するかもしれません。この「真実」と言う言葉は「神の真実」のことです。嘘ではなく、ほんとうのこと、と言う意味ではなくて、福音による神の真実のことです。イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦してくださった、神が私たちに与えてくださった愛の真実のことです。
 
 4章25節には「わたしたちは互いに体の一部なのです。」と書かれています。ここで言う「隣人」とは誰よりも教会の仲間のことです。私たちは教会に集っている時には、会話することによって交わりを造っています。教会で、キリストによって罪が赦された、その神の愛を互いに語り合っていくことを勧めているのです。私たちは、いつも神の愛の言葉を聞いているのですから、私たちが交わす言葉は愛の言葉なのです。キリストの愛から、私たちの言葉が生まれるのです。

 26節には、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはいけません。」と語られています。私たちが怒ると、怒るあまりに冷静さを失い、相手にひどいことをいってしまい、言わなくても良いことも言ってしまうのです。怒ると、ずっと怒り続けることがあります。ある時、書店で老齢の男性が女子の店員に怒っていて、その女子に対して大きな声で叱っているのです。怒りが収まらないので、店員がとても困っている様子なので、別の場所にいた数人の女子社員が、そこに集まって来たのです。老齢の男性が切れてしまったのです。
 ある時の夕方、教会の近くを歩いていたら、母親が、男の子に時間通りに家に帰らなかったと叱り続け、塾の時間だから、夕ご飯ぬきだ、と大声で叱っていました。その叱り方がひどかったので、子どもだから遊びたいので、その気持ちを汲んで、受けとめれば良いのに、と思いました。

 正義感の強い人は、不正を許さず、よく怒るものです。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」「日が暮れるまで」と言うのは、朝、怒りだして、午後7時過ぎまで、怒っているのは良くない、と言うのではなくて、朝、怒り出して、次の日の朝まで、日延べで怒っていてはいけない、と言うのです。それは悪魔にすきを見せてしまうことになるからです。
 キリストの愛によって、教会の共同体を造っていくのに、怒りによって、悪魔が、愛の共同体を壊そうと狙っているのです。不正を糾す、真実な言葉であっても、それが怒りとして語られるとき、隣人を愛し、慰める言葉とならない限り、互いの関係を壊すことになるからです。

 4章29節に「悪い言葉を一切、口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」
 私たちは毎日、会話をしています。日常の言葉について勧告がされています。「悪い言葉」とはどのような言葉なのでしょうか。ある注解書には、もともとこの言葉は「腐った言葉」と言う意味の言葉であると解説されていました。
 相手の、聞いていると聞くことが嫌になる言葉があり、話すのを止めて欲しいという時があります。教会に来て、間もない若者が私に、「教会の人って人の悪口を言うんですね」と言いました。ちょうど、教会の大掃除で、集会室の床に油を引くのですが、担当の人が、油を買うのを忘れてしまったのです。買うのを忘れたんだって、とだけで終われば良かったのですが、忘れた人への悪口が次々に出て来たのです。それを聞いて、その若者はがっかりしたのです。
 
 教会の人たちが、どのような言葉で会話しているのか、教会に来て間もない人たちは、よく聞いているのです。「悪い言葉」この言葉は「腐ったおしゃべり」とも言い換えることができます。私たちはおしゃべりが好きですが、たのしい会話であれば良いですが、人の悪口、陰口であるならば、腐った言葉になるのです。
 言葉は、その人の人格を表す言葉です。その人の心を運ぶものですから、その人の言葉は、その人の人格そのもの、その人の心そのものを映すものなのです。悪口を語る腐ったこころでなくて、相手を慰め、生かす言葉を語るのです。この手紙は、悪口を語る腐ったこころに打ち勝つ道を示すのです。

「ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」このみことばは、必要のないおしゃべりをするのではなく、必要、最小限の言葉を語りなさい、と言っているのでしょうか。私が東京神学大学大学院2年生の時に、私が通っていた教会で祈祷会がなかったので、木曜日に武蔵野教会の祈祷会に通っていました。熊野義孝先生が、卒業して教会に赴任することを考えて、気をつけることを話されました。それは、牧師は言い過ぎてはいけない、言い過ぎると取り消しができない、言い足りなければ補うことができる、と言われたことを思い出します。相手にとって必要なことを語りなさい、余計なことは言わなくても良い、と言うことを言っているのでしょうか。
 
 私たちの日常の言葉はあまりよく考えることなく、思うがままに語っています。改まった言葉は使っていません。「必要な言葉」とは何でしょうか。この言葉には「人を造り上げるのに役立つ言葉」と言う言葉が関わるのです。「造り上げる」と言う言葉は、建築家が家を建てる時に使う言葉です。人を建て上げる言葉です。人を叩き潰す言葉ではなく、「慰めの言葉」です。「愛の言葉」です。

 「ただ、聞く人に恵みが与えられるように」と書かれていますので、相手に神の恵みを伝える言葉になっているのか、ということが問題なのです。神の恵みを映し出すような言葉になっているのか、吟味する必要があります。ただ、自分の言いたいことを言って、それで済ませてしまうのではなく、自分の言葉が、相手の心にどのような言葉として受けとめられているのか、と言うことを吟味するのです。相手にどのような言葉として届いているのか、と言うことです。
 
 私が説教塾で学んだことの一つは、言葉は裏切ると言うことです。自分の言葉が正しく伝わらないと言うことです。そういう意味で言ったのではない、と言っても、相手は別の意味で受け取っていることが多いのです。自分が言おうとしていることを、相手がよくその意味を理解できるように語るのは、難しいことですが、相手の心に届き、自分が語った言葉が心を支え、心が軽くなるようにするのです。「神の恵み」を伝えている、それは、神が私たちをキリストの十字架の死によって赦してくださる、神の愛を伝える、愛されていることを感謝して、伝える言葉なのです。

 エフェソの信徒への手紙4章30節に「神の聖霊を悲しませてはなりません。」と語られています。
 私たちが洗礼を受けて、教会員として生きる、それは私たちが神の前に、聖い、神に喜ばれる生活をするように期待し、望んでいるのです。私たちは一人で生活をしているのではありません。自分のすることは、いろいろなところに影響を与えます。親の顔に泥を塗る、と言う言葉があります。自分がしたことが、親に迷惑をかけた、ということです。それは、親が自分に期待をし、望みを持っているからです。聖霊も同じです。私たちが、神の前に、聖い、正しい生活をして欲しいと願っているのです。私たちの会話を、聖霊において臨在されている神が聞いて、誰よりも神ご自身が悲しまれるというのです。腐った言葉、うわさ話や悪口、陰口、皮肉、余計な言葉を聖霊である神が聞いて、悲しむと言うのです。うわさ話や悪口、陰口、皮肉、余計な言葉、そのような言葉が発せられるのは、心が腐っているからです。そのような言葉を交わしていることを知って、聖霊なる神が悲しむことになるのです。

 「婦人の友」と言う雑誌があり、その会社が販売している壁掛けには「キリストは、私たちの家の見えない主人である。キリストは、私たちの会話の、静かな聴き手である」と言う言葉です。自分たちの会話は、自分たち以外には誰も聞いていない、と思っていますが、その場所でキリストが私たちの会話を聞いているのだ、と言うのです。聖霊の神が聞いて喜ぶような、言葉を語りたいのです。

 言って良いことがあります。言って悪いことがあります。そのことを判別することはとても難しいのです。相手がどのような性格なのか、どのような経験をしてきたのか、言葉に敏感な人なのか、触れてはいけない話題は何なのか
そのことは分からないので、相手を傷つけてしまうのです。
 言って良い時があります。言って悪い時があります。言って良い人がいます。言って悪い人がいます。話して良い場所があります。話して悪い場所があります。
 ある野球監督は、一人の選手に注意をする時には、他の選手たちがいるところで話すのではなく、練習が終わった後で、他の人がいない場所で静かに注意をする、と言う話をしていましたが、その選手がみんなの前で恥をかかないように配慮して、穏やかに話をするそうです。

 話す内容、話す時、話す人、話す場所を的確に判断して、話すのは難しいのです。言い過ぎることもなく、言い足りないのでもなく、相手の心を支え、相手が生きる勇気を与えられるような言葉を語ることは難しいのです。

 しかし、私たちは、真実な愛の言葉を語ることができるのです。それは私たちが、聖書を携帯して、聖書を読むことによって真実な愛の言葉を語ることができるのです。いつも聖書の言葉に触れていることです。先週の水曜日にテレビ番組で、サッカ−の選手で、中島翔哉と言う人が、ゲストで出て来て、話を聞きましたが、中島選手は、いつもサッカ−ボ−ルを離さずに持って、時間があれば、サッカ−ボ−ルでドリブルをして練習をしているそうです。それがサッカ−がうまくなる秘訣であることを知りました。
 いつも、聖書を読み、聖書に触れている、それが、私たちが真実に愛を語ることができる秘訣なのです。聖書の愛の言葉を聞いて行くならば、愛の言葉を語ることができるのです。
 
 神が聞いて喜び、隣人が聞いて、心が軽くなり、愛されていることが分かるような言葉を語ろうではありませんか。

20190623 主日礼拝説教  「私たちの生きる拠り所は天にある」   山ノ下恭二
(創世記12章1−12節、ヘブライ人への手紙11章13−22節)


 ひとりひとり「生まれ故郷」を持っています。自分が生まれ、育ったところですから、懐かしいところです。ふるさとに帰りたいなぁと思うこともあると思います。自分の生まれ故郷は懐かしいものです。

 本日の礼拝で、ヘブライ人への手紙11章13−22節を読みました。このところには「故郷」と言う言葉が出て来ます。一般に、「故郷」「ふるさと」と言うのは、生まれ、育ったところと言う意味で用いています。日常の会話で「ふるさとはどこですか」「どこの出身ですか」と相手に聞くことがあります。「故郷」「ふるさと」という言葉は、自分が生まれ、育ったところと言う意味のほかに、自分の帰るべきところと言う意味で用いることもあります。自分の帰るべきホ−ムと言うことです。私たちは一人ひとり、故郷を持っています。地上においてふるさとを持っているのですが、私たちキリスト者は、もう一つの故郷、目にみえない天に故郷を持っていると信じているのです。確かに、地上においてふるさとを持っていますが、それだけではなくて、より確かな天にあるふるさとをもっているのです。その信仰が一人ひとりを生かすのです。
 
 ヘブライ人への手紙11章には、信仰によって神とのいきいきとした交わりが与えられてきた旧約聖書の人々が登場します。特に、11章8節から信仰の父アブラハムについて語っていて、信仰によって歩むのはどのようなことか、を語ります。天にあるものを見つめつつ、神の約束を信頼して、その生涯を歩むあり方が記されています。
 
 アブラハムの物語は、アブラハムの誕生から始まっていないのです。ハランというところにいた時に、神に呼ばれ、召し出しに応えて、住んでいるところを出て、アブラハムの物語が始まっています。アブラハムが、神に呼び出されて、故郷を出て、そこからアブラハムの物語が始まっています。
 アブラハム物語と言いましたが、これは信仰の物語です。信じる始まりは、「神から呼ばれる」ことであり、故郷を出ることです。

 創世記12章1節には次のように書かれています。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」このアブラハムがまだアブラムと言ったころ、彼はまことの神を知らない異教徒でしたが、突然、神の声が聞こえて、「主の言葉に従って旅立った」のです。
 
 ヘブライ人への手紙11章9節には、「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み」とあります。生まれ故郷を出て、神に呼ばれて旅立った、しかし、その行く先は知らなかったのです。行ったところが、これが神が神の与える約束の地だと言われれば、安心して、そこに住むのです。そこが新しい住まいとなるのです。しかし、その住んでいるところが永住の場所としなかったのです。家を造らずに幕屋、テントに住んだのです。ついの住みかを得たのではないのです。神の召し、呼びかけがあれば、直ぐに別の場所に移動できるように、テントをたたむのです。そして次のところに移動したのです。

 創世記を読み進めていくと、23章にアブラハムの妻が死んで、アブラハムはとても困ったことができたのです。サラの遺体を葬る場所が無かったからです。アブラハムの時代には、仮住まいをしている者でも自分の家族が死んだときには、それを葬るのは自分の土地でなければならなかったのです。ところがアブラハムは、妻を葬る土地さえ持たなかったのです。そこで周囲の人々にアブラハムは頼むのです。わたしはここで土地を持たぬよそ者として生きて来た、葬る場所がない、何とかしていただけないか、もちろんお金は支払います、と交渉したのです。アブラハムは周囲の人々に好意を得ていたので、容易に墓の土地を手に入れることができたのです。アブラハムは自分の土地を持たなかったのです。

 この地上でテント住まいをして、神からの呼び出しがあれば直ぐにテントをたたんで、示されたところに行く、そして、自分の土地を持たなかったのです。なぜ、そのようなことがアブラハムにできたのでしょうか。そこが重要です。

 ヘブライ人への手紙11章10節に「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。」と書かれています。家を建て、都市を造るには、きちんとした計画を立て設計する者がいなければならないのです。アブラハムを呼び出した神が、ご自分で計画を立て、建設してくださるのです。神は、天において、永住可能な家が集まる都市を造っていてくださる、その望みに生きたと言うのです。

 新しい住居を設計し、建設するということは、誰でも心踊るような、楽しい、喜びに満ちたことです。新築した家に招かれて、その家を案内していただくことがありますが、この地上で新しい住まいを持つと言うことは喜びです。
 しかし、アブラハムは地上に永住できる土地としっかりした家を持たなかったのです。アブラハムは、神が設計し、建設してくださる家、都を望みながら、この地上の生活を全うしたのです。そして、これはアブラハムだけではないのです。アブラハムと共に生きたイサク、ヤコブも、あるいは妻サラも含めて、これらの人々は皆、信仰を持って死んだのです。よそ者として死んだのです。よそ者として生きながら、しかし、よそ者であることを喜んだのです。
 まだ、手に入れることができない、まだ、そこに住むことができない都をはるかに望みながら喜びにあふれたのです。

 ヘブライ人への手紙11章16節には「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」と書かれています。信仰とは故郷を出て行くことであり、天にある故郷を仰ぎつつ、旅することであったのです。信仰の基本、信仰者の原型であるアブラハムのあり方、生き方を語りながら、私たちがこの地上で生きるとき、どのように生きて行くのか、ここで明確に語っているのです。天の故郷を待ち望みながら、この地上ではよそ者であり、仮住まいの者として生きるのです。

 ヘブライ人への手紙11章13節には、「はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であることを公に言い表したのです。」
 スコットランドの新約聖書学者のウイリアム・バークレーが多くの注解書を書いて、日本語に翻訳されていますが、ギリシャ語に詳しい学者です。この注解書に「よそ者」について解説していました。「よそ者」という言葉は、異国人、外国人、あるいは避難民と言う言葉で、仲間にいれてもらえないと言う意味です。「仮住まい」と言う言葉は「寄留者」とも訳されますが、自分が永住する土地を持ちながら、他の土地に一時的に滞在している、と言う言葉です。これらの言葉はあまり良い意味で用いられていません。「はみ出し者」として奴隷同様に扱われ、一時的に滞在していても、どこかに行ってしまう者と見なされている言葉であったとバークレーの注解書に書かれていました。
 ギリシャ語そのものは、余り良い意味で使われていないのですが、しかし、ここでは「仮住まいの者」と言う言葉は、信仰者のあるべき生き方として、プラスとして評価して使われています。天の故郷を待ち望みながら、この地上では、よそ者、外国人として、仮住まいの寄留者として、一時的な滞在者として生活をすると言うことです。

 この地上の生活がすべてであると言うことではありません。このところが、信仰によって生きて行くのか、自分が死ぬまでのことを考えて、この地上で生きるのか、の違いがあるのです。この地上の生活がすべてであるならば、この地上で成功して富む者は勝ち組であり、逆に、挫折し、失敗し、貧しい者は
負け組になってしまうのです。
 この地上の生活が、自分の生活のすべてであれば、この地上で幸福になるために必死の努力をしなければなりません。しかし、信仰によって生きることは、この地上では、仮住まいの寄留者、一時的な滞在者であると自覚するならば、この地上のことは相対的なものになるのです。
 仮住まいの寄留者、ベトナムや中国などから日本に来た留学生、4、5年、一時的に滞在し、学び終えれば、多くの留学生は、本国に帰国して、その地で生活を再開するのです。一時的に滞在して、本国に帰るのです。私たちも在日キリスト者であり、国籍は天にあり、私たちは天に(神)に生きる根拠を持っているのです。地上に生きながら、いつも心は神に向かい、神に心を向けて生活をしているのです。

 神のもとに国籍がある者、天に故郷を持っている者の生き方、あり方は、この地上では、異なった生き方なのです。神につながった、神に心を向けた生き方は、この地上では特別な生き方なのです。生きるスタイルが異なっているのです。

 創世記12章8節に、アブラハムは神に示される土地に行き、そこで天幕(テント)を張り、一時的に仮住まいをするのですが、そこで何をしたのでしょうか。「そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」とあります。アブラハムはまず最初に何をしたか、というと、主を礼拝したのです。礼拝を第一に考えたのです。礼拝者として生きたと言うことです。
 
 ヘブライ人への手紙11章7節にノアについて語られていますが、旧約聖書の信仰者の一人であるノアが生きていた時代は、悪い時代であったのです。神を畏れず、自分のために、自分の欲求を満たそうとして生きていたのです。今の時代も同じです。神を畏れず、人を愛することをしない悪い時代に、私たちは生きているのです。その中で、ノアは、神から命じられて、ただ一人、箱舟を造っていたのです。毎日、コツコツと箱舟を造っていたのです。私たちも日曜日になると、教会に集まり、教会学校の礼拝に奉仕し、分級で生徒と共に聖書を学び、礼拝をして聖書のみことばに聞き、礼拝後、様々な活動をしているのです。
 ノアは、大勢の人々が飲み、食べ、騒いでその時を遊んでいる中で、箱舟を一人で造っていたのです。ほとんどの日本人が、礼拝をしていない中で、日本で仮住まいの寄留者、私たちキリスト者は、日曜日の時間に礼拝して過ごしているのです。それはいつも神につながっており、神の前に生きているからです。

 金曜日の「聖書を学び、祈る会」では、ホセア書を学んでいます。預言者ホセアがいた時代には、イスラエルの多くの人々は、外国から入ってきた、バ−ルと言う神を礼拝していました。このバ−ルという神は、天候を司る、自然の神でした。イスラエルは農業が中心でしたから、農作物が成長し、実るためには、ある時には太陽が照り、ある時には雨が降らないと、収穫することができません。そのために、人々は天気を司る、バ−ルの神に祈ることを優先したのです。礼拝しても、多くの収穫を約束せず、豊かな生活をもたらすことのない、主なる神よりも、地上で、豊かな生活を満たしてくれる神に心を向け、礼拝したのです。日本の神々、御利益の神です。御利益の神、この地上で、便利で快適で、自分の欲求を叶えてくれる神に多くの人々は心を向けて祈願しています。人々は、自分の生活が豊かであれば良い、それが幸福だと思っているのです。そのような中で、私たちは、自分がこの世で、経済的に豊かな生活ができることをが本当の幸福であると考えていないのです。イエス・キリストによって私たちの罪を贖って罪を赦してくださる、まことの神に愛されて生きることが幸福なのです。

 天に故郷をもっている者は、礼拝する者です。イギリスやスコットランド、アイルランドなどから、アメリカに移住して、アメリカ合衆国を形成した人たちは、最初はピュ−リタンでしたが、この人たちは、アメリカに移住して直ぐに自分たちが礼拝するための教会堂をまず建てて、それから自分の住む家を建てています。それはこの人たちの信仰をよく表しているのです。行くところで、自分たちが神の民、天に故郷を持った者であることを言い表したのです。

 天に故郷を持つということは、この地上の生活を終えてから行くところがあると言うのではなくて、常に私たちが天の故郷につながる教会、私たちの帰るべきホ−ムがあり、そこで礼拝をすることができる、礼拝することと関わるのです。礼拝することによって、私たちが神に所属する者であり、神の民であり、神につながり、神に愛されている者であることがはっきりするのです。礼拝をしないと、自分が誰であるか、分からなくなるのです。
 
 天に故郷をもっている者は、この地上との関わり方が異なるのです。カルト的な集団は、この地上でしていることは、すべて悪であるから、関わらないのです。テレビも見ない、新聞も読まない、選挙も行かず、他宗教の葬儀は、隣の家の人の葬儀であっても行かないのです。地上のしていることは悪だと考えているのです。
 しかし、私たちは、この地上で行っていることがすべて悪であるので、関わらない、とは考えないのです。この地上の世界が、神のみこころに従った世界になるように、政治、教育、文化、福祉に積極的に関わるのです。

 神からの召しに応えて、この地上のことに関わるのですが、この地上に対する関わり方は、絶対的に関わるのではないのです。絶対化して関わるのではないのです。絶対的なものと相対的なものときちんと区別して関わるのです。
 
 宮田光雄というキリスト者の政治学者が、新聞のコラムで次のように書いています。「私の愛する言葉に『最後から一歩手前の真剣さで真剣に』というカ−ル・バルトの有名な一句がある。地上の課題に対しては、あくまでも真剣に取り組まなければならない。しかし、『究極的なもの』を深く確信し希望しておればこそ、地上における戦いにすべてをかけるのではなく、それを相対化してみる冷静な姿勢もとれるようになるはずであろう。真剣に、しかし、『一歩手前の真剣さで』「落ち着いて、ほがらかに』生きて行くというのである。」

 私たちの本来の生きる本拠地は神のもとにあり、私たちは神の前に生きるのです。この世の生活に埋没し、この世界に没入する生き方をしないのです。この世の価値観に沿った幸福を求めず、自己満足を求めないのです。ただ、天にある故郷を求めて、私たちを愛してくださる神に自分の生きる根拠をおいて、この地上の生活をするだけです。

 天に故郷を持つ私たちは、生きる根拠を神に定め、この地上で信仰をもって、神の御前に生きていくあり方を続けていくのです。


20190616 主日礼拝説教  「望みをもって歩もう」  山ノ下恭二
(ヨブ記30章24−31節、ヘブライ人への手紙11章1−12節)


 6月13日の木曜日、赤羽駅で、見上げるような大男を見ました。身長が2メ−トル以上で体重も相当あり、がっしりした体格で、顔もいかつく、プロレスラーのような大男でした。何度も振り返って見てしまいました。この人が自分に向かって来たら怖いと思いました。総武線の電車で時々、相撲の力士を見かけます。180センチ以上はあり、からだは大きいですが、いかつくなく、かわいい感じで、余り脅威を感じません。 
 
 プロレスラーのような大男を見て、すぐに思い出したことは、旧約聖書に登場する、ゴリアトと言う大男のことです。聖書の紙芝居に良く出て来ますが、少年ダビデが、戦った大男です。ゴリアトも2メ−トル以上の大男で、少年ダビデを倒すのは簡単であったのです。勝負にはならないのです。ダビデは鎧も着けず、剣もやりも持たず、小さな石ころを飛ばすだけの武器をもって戦ったのです。ダビデはこの大男を見て、たじろぐことなく、ひるまないで、ただ、小さな小石を投げて、この大男を倒したのです。このことは、小さな、弱いイスラエルが、神に守られて、大国の侵略を跳ね返してきたことを物語るものです。武力によってではなく、神の言葉に頼って行く姿を示しているのです。

 本日の礼拝で、ヘブライ人への手紙11章の最初のところを読みました。このヘブライ人への手紙11章は、10章で語って来たことのつながりで語っています。11章の最初は、10章の最後にありますが、「わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です」という言葉を受けているのです。特に「ひるまない」と言う言葉を受けて、11章の初めで語ります。「ひるまない」歩みがどこでできるのかを明らかにしようと、11章で語っているのです。どのようにしたら、「ひるまない」歩みができるのかを、この11章1節が明確にその根拠を挙げて説き明かしているのです。「ひるむ」という言葉は、縮んでしまう、萎縮してしまうと言う意味の言葉です。私たちは、ひるむ経験をするのです。

 私が東京神学大学大学院の学生の時に、聖書科の教師になるために、3週間、教育実習で聖学院中学・高校に行き、「聖書」の授業の実習をしたことがあります。一日目は、聖書の授業を見学し、割り当てを決め、次の日から教育実習が始まります。最初に実習する学生が緊張しながら、教室で生徒たちに聖書の話をしているのですが、生徒たちに教えるのは、初めてなので、自信なさそうに教えていたのです。他の実習生は教室のうしろで椅子に座って、授業の様子を見ているのです。その学生が授業をしている時に、突然、一人の生徒が質問したのです。後で、聞いたのですが、その生徒は他の授業の時にも、よく質問をする生徒であったらしいのです。学生がどの位の能力があるのか、試していたのではないでしょうか。その質問は、難しい質問で、学生は立ち往生してその質問に対する言葉がなかなか、出て来なかったのです。その時に私も教室のうしろにいて、どうなるのかなあと心配していたのです。私の隣の席にいる友人のノ−トをひょいと見たら、「ひるむな」と大きく書かれていたのです。この時の印象が強く残っています。難しい質問にたじろいだ、ひるんだのです。
 私たちも、ひるむ時があるのです。気持ちの準備ができないうちに、答えなければならないことが起こるのです。
 
 このヘブライ人への手紙は、ローマの教会に宛てた手紙ですが、この当時の教会は、厳しい迫害に直面していたのです。迫害は、財産没収をも含むものでした。この人々に向かって「ひるまない」歩みがどこでできるのかを、この11章1節で明確に根拠を挙げて、説き明かしているのです。

 ひるまないで生きることができる、どうしたらひるまないで生きることができるのか、その時の信仰とは、どのような信仰なのか、と言うことです。逆に、何によって私たちがひるむようになるのか、ということです。
 
 私は北九州の若松教会におりました時に、北九州いのちの電話のボランティアをしておりました。1年間の研修を受けて、ボランティアとして認定されて、私は月に二度、月曜日の6時から11時まで、話を傾聴していました。いのちの電話の原則は、相手の話をとにかく聞き続けること、こちらの意見を言わない、電話をかけてきた人が電話を切らない限り、自分からは電話を切らないことです。いのちの電話は、本来、自殺防止を目的にしてイギリスの牧師、キリスト者たちによって開始されました。深夜にボランティアに入る人は、自殺の電話を多く受けていて、徹夜で電話を受けて、朝、家に帰って、電話で自殺をしたいと言った人が、自殺しなかったか、どうかがいつも気になると言っていました。

 自殺者は減少していないのです。子どもの自殺も多いのです。最近の新聞によると、小学生は、家庭の問題が原因で自殺が多く、中学生以上は学校での問題、特にいじめが原因で自殺することが多いと報道されていました。また大人の自殺の原因は、生活の貧困、病苦、失業、などが多いのです。生活が苦しくなる、病気が治らない、仕事が見つからない、そのような目に見える現実が、自分の足もとを押し崩すように迫ってきて、追い込まれ、追い詰められて、生きる望みを失ってしまうのです。自分にとっては前に進むことができなくなり、暗闇に覆われているような思いになるのです。仕事を失って、自分の生活に希望をもつことができない、収入がなくてこれからどのようにして生活していくのか、全く先が見えない、そのような時に、生きる望みを失ってしまうのです。わたしたちをひるませるものは、自分をとりまく外部の変化だけではありません。
 
 自分のことで生きる望みを失うのです。自分に能力がないことで絶望することもあります。思いがけない病を得て、自分が考えていたほど健康でないことを知らされて絶望することもあります。このような時に、ひるんでしまう、たじろいでしまうのです。そのように絶望することもなく、ひるむことなく生きられるとすれば、それは望みがある時だけです。目に見える現実は、自分の願いを裏切るようであっても、生きていけるという確かな確信をもっていれば、ひるまないで生きることができるのです。

 この手紙が書かれた頃の教会もまた、ひるみ続けたのです。だから、この手紙が書かれたのです。ひるまないようにしよう、と呼びかけ、私たちが信じて生きることは、望みに生きることだ、と語るのです。そこで、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と語りかけています。

 ヘブライ人への手紙11章の初めには、「見えない」と言う言葉と「見える」と言う言葉とが出て来ます。「見える」というこの言葉は、3節にも繰り返されています。「見えるものは、目に見えているものからできたのではない。」とあります。見えるものは、本当は、見えないものに支えられている、そのことに気づくことが大切なのです。

 私たちは、目に見えることに心が奪われています。しかし、信仰とは、目に見えるものに心が奪われない、そのような心に生きることです。私たちは、見えるものでしか判断しない、そのような世界に生きているので、見えないものを信じる、見えないことを信じることは、とても難しくなっているのです。この手紙を書いた人も、信仰とは見えないことに信頼をおくことをよくわきまえていたし、見えない事実によって立つことは、厳しいことだということもよくわきまえていたのです。
 
 私たちは、この目で、物事を見ています。しかし、もう一つの目をもって神の働きを見ることができるのです。神を信じていない人には、神の働きは見えません。私たちはこの肉体のこの目と霊の目、両方の目をもっているのです。肉体の目だけで物事を見ているのではなく、霊的な眼をもって、神を信じ、それを根拠にしながら、この世界を見ているのです。
 私たちは、見えないものに根拠を置くのです。見えるところのものに、信仰の根拠、望みの根拠を置くのではないのです。私たちの信仰は、ただ、神の力、神の救いにだけ目を注ぐのです。

 希望とか望みとか言うと、望みは望みだけで、望みは実現するかどうか分からないのです。望みどおりにはならないということをも含んで、望みということを言いますが、ここでは、確かに実現するものと言う意味です。実現しないかもしれないが、淡い期待をかけるということではないのです。必ず、実現して、望みを実現するのです。信仰が望みを生み出すのです。信仰と望みとは別々のものではないのです。

 日本キリスト教団の教会、特に地方の教会は、教会に集まる人々が減少しています。牧師を招聘することができない教会が多くなり、隣の教会の牧師が、代務をしている教会が多くなっているのです。一人の牧師が二つの教会を受け持つようになっています。日曜日の午前にその牧師が主任である教会で礼拝をして、午後、あるいは夜に隣の教会に行って、礼拝をするようになったのです。5、6名で礼拝を守っている教会は、これからどうなるのだろうか、と心配しているのです。そのような現実を見ながら、私たちは、もう一つの目をもって見ることができるのです。それは、神が働いてくださっていて、この現実を打開し、教会を守り、導き、伝道を推進してくださることを信じるのです。
 教会が会社のように利潤をあげなければならない組織であるならば、教団の教会で、少数の人たちが礼拝している、多くの教会は、閉鎖することになるでしょう。2、3の教会が一つの教会に合併していくことになるでしょう。しかし、収益、人員、合理性ではなく、教会が霊において神が臨在していることを信じるならば、どんなに礼拝が少なくても、望みをもって継続していくのです。

 信仰とは、神が、私たちにしてくださる神の力、救いに信頼することです。
11章1節には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」「望んでいる事柄を確信し」この「確信」と言う言葉は、「下にあるために上のものが支えられる」と言う意味の言葉です。基盤、基礎、支えと言う意味です。
 
 日本では、阪神・淡路大震災、東日本大震災などがあって、耐震補強工事が行われているのですが、建物も、工事の時に、深く掘って基礎をしっかり立てないと、地震に耐えることができないのです。基礎がしっかりしているので、揺らぎが少ないのです。
 信仰と言う基礎がしっかりしているので、揺らぐことがないのです。そのことは信仰をどのように理解するかにとってとても重要なことなのです。
 私たちは、信仰をその人の熱心さ、やる気、で測ることがあります。「あの人は熱心だから、信仰がある」と言う言い方をすることがあります。しかし、ここで信仰というのは、自分の中にあるものと言うよりも、自分を支えている基盤、基礎であって、しっかりした基礎の上に立つことによって、揺るぎないものなのです。ある時には、信仰が自分にあり、ある時には熱心でないので、信仰がない、という自分を根拠にしたものではなくて、しっかりした基礎の上に立つことができるものです。

 ヘブライ人への手紙11章1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し」とありますが、ある翻訳では、「信仰とは、望んでいることの保証であり」と訳しています。「保証」とは、自分が勝手にこれは大丈夫だと思い込むことではなくて、外からの保証です。電気器具などを購入すると保証書がついています。壊れた時に保証書を探して、修理を依頼することがあります。自分で修理することはなく、外部のものが保証して修理してくれるのです。「確信」と言う言葉を「保証」と翻訳しているのは、意味があるのです。外からの保証が与えられている確かさなのです。ここでの「確信」は保証であり、その確かさは自分の中にあるのではなくて、むしろ外にあるものによって支えられる確信です。
 神が困難な状況を打開し、神のほうから解決してくださる、そのことを信頼することが信仰による確信なのです。

 この礼拝で、旧約聖書のヨブ記を読みました。ヨブ記は、私たちの人生にはなぜ苦しみがあり、なぜ不条理があるのか、を問題にしている書物です。ヨブは、幸福に暮らしていたのに、突然、苦難に襲われるのです。財産を失い、家族は死に、自分も重い病気に苦しむのです。3人の友人たちは、ヨブが罪を犯したから、その罰を受けている、と言います。しかし、ヨブは自分が罪を犯したと言うことはないと反論するのです。ヨブは、友人たちが語ることに全く同意せず、友人たちの説得に応じないで、自分は罪を犯していないと答えるのです。
 
 このヨブ記には、ヨブが苦難の中で叫んでいる言葉があります。30章26節です。「光を待っていたのに、闇が来た。」30章28節「光を見ることなく、嘆きつつ歩き」という言葉があります。まじめに誠実に生きていたヨブが、厳しい試練に遭います。家族を失い、ヨブ自身も重い病の中で、自分が生まれてきたことを呪い、痛みの中で神に訴えるのです。友人が訪ねてきて慰めても、ヨブにとっては慰めの言葉にはならず、むしろ苦しみをもたらす言葉でしかなかったのです。
 そのような状況の中で、ヨブはひるまなかったのです。それはヨブの信仰が消えなかったからです。神がこの事態を開き、神のほうから解決に乗り出すことを、あきらめずに、望みをもって待ち続けたからです。

 私たちがひるむようなことが起こります。足もとをすくわれるようなことを経験します。しかし、ひるまないし、たじろがないのです。それは、神に対する深い確信が支えるからです。

 ヘブライ人への手紙11章2節には「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」と語られています。「認められた」と言う言葉は、聖書でよく使われていますが、この言葉は「神に褒められた」と言う言葉です。ある人は、この言葉が卒業証書を与えられたようなものである、と解説しています。学校で何年間か、学んで卒業する、学業を修めて、この学校を卒業したことを認める証書を与えられるのです。卒業証書を渡した時に、先生が、よくやったね、と褒めて、送り出すのです。

 4節から、旧約聖書の創世記に登場する信仰者について、語るのですが、私たちに先立って生きて来た人たちは、そういう信仰に生きたので、神から褒めていただいたのです。
 信仰をもって、この世界を見、自分のなすべきことを判断し、決断するのです。信仰のまなざしをもってこの世界を見て、信仰をもって、歩んだ人々のことが語られるのです。

20190609 主日礼拝説教  「喜んで耐え忍ぼう」  山ノ下恭二  
(申命記32章31−42節、ヘブライ人の手紙10章26−39節)

 
 私はさいたま市の東大宮教会に25年間、在任しておりましたが、ある時、聖学院大学の学生が礼拝に出て、礼拝後、集会室で、クリーニングの会社で定年まで働いた教会員と話していた時の会話をそばで聞いておりました。その大学生は丁度、就職活動をしていたので、その会員に、就職した会社で長くに勤めることができれば良いのだけれども、と言ったので、教会員は、その秘訣は、どれだけ我慢できるか、にかかっている、嫌な上司がいるけれども、とにかく我慢することだ、と言ったのをよく覚えています。会社に入って、すぐに辞める若い社員がいるけれども、辛抱が足りない、とよく言われます。この教会員は、自分の経験を踏まえて、忍耐することが会社で長く勤める秘訣だ、と教えたのです。

 私たちの毎日の生活は、忍耐の連続であると思います。我慢することがほとんどです。そして、仕事を辞めてしまうと、辛抱が足りない、と言いますし、今は忍耐の時だ、我慢しなさいと、と言うのです。年を取ると、我慢できなくなるのです。私も、若い時には、長い話を聴くことは何ともなかったのですが、最近は、体力がなくなったのか、長い話にだんだん我慢できなくなりました。一昨年、教会とあるキリスト教学校の懇談会があり、会の終わりに、教頭が挨拶をしたのですが、短い話だろうと思って、参会者が帰ろうとして、カバンを持って立っているのに、とてもゆっくり長く話すので、早く終われば良いのにと思ったのです。翌年に、同じ会の出欠のはがきが来たので、前回の時に、終わりの挨拶が長くて、困ったので、違う人にして、短く話して下さいとはがきに書いたら、前回と違う人で、話が短かったので、良かったと思いました。他の人の話は長く感じるのですが、自分が長く話すのは何とも思わないのです。
 
 私たちの毎日の生活は、耐え忍ぶ、辛抱する、我慢する、生活なのです。今日の礼拝説教題は「喜んで耐え忍ぼう」と言う題です。説教題が「耐え忍ぼう」であれば、何事にも忍耐が必要だ、我慢しないとね、と言う内容の説教ではないか、と予想できるのですが、「喜んで」という言葉があると、どういう意味だろうと思うのではないか、と思います。そして、この題は矛盾している題ではないか、と思われたと思います。「喜び」と「耐え忍ぶ」と言うことは、反対のことであるからです。「耐え忍ぶ」と言うのは、苦しみを経験することなのです。忍耐していく、我慢していく、それは喜びにつながらないと思うのです。しばらく我慢だ、と思い、その我慢が終われば、良いのですが、これからも続くとしたら、我慢できないのです。しかし、喜んで耐え忍ぶことができる、と聖書は私たちに語ります。忍耐することが、苦しみではなくて、喜びにつながっているので、忍耐している時に、喜びを経験することができるのです。

 今日の礼拝で、ヘブライ人への手紙10章26−39節を読みました。このところは、二つに区分、分けることができます。10章26節−31節と32節−39節に分けることができます。特に、26節−31節には、「警告」の言葉が記されています。私たちキリスト者がキリスト者として生き続けるために、道を外さないための「警告」の言葉が記されています。
 
 キリスト者となる、それは洗礼を受けることによって、キリスト者になります。洗礼を受けることは、ハードルを超えなければなりません。みんなが洗礼を受けていると言うならば、自分が洗礼を受けることは特別のことではありませんが、家族の中で、自分だけ洗礼を受けるのですから、家族から理解されるのか、と言う不安があります。私は、洗礼を志願した人に、家族が洗礼を受けることを知っているのか、と聞くことがあります。日曜日に家族に内緒で礼拝に来ることはとても大変だからです。

 ある時、礼拝にしばらく来ていた女性が、洗礼を受けたいけれども、教会員にならないということができないか、と聞いてきました。どのような理由でそう聞いたのか、と聞くと、その女性の夫が警察官で、教会の案内板に、靖国神社問題の講演会のチラシがあったので、そのチラシを家に持ち帰ったら、夫が、そのチラシを見て、教会は左翼的な集団だから、良いところではないと言い、洗礼を受けるのは、良いけれども、教会に入ることは反対だと言ったので、洗礼を受けたいけれども、教会員にならないで良いか、と私に聞いたのです。私は、洗礼入会式と言う位、洗礼と教会に入会するのは、一つのこと、一体であるので、洗礼を受けて、教会員にならないと言うとはできないと答えました。 洗礼を受ける、バプテスマを受ける、それは、日本では、異質なことです。私たちにとって大きな決断を必要とします。友達が洗礼を受けるので、自分も洗礼を受けようか、と軽い気持ちで受けた人もいるかも知れないですが、多くの人は、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで受けたと思います。

 洗礼を受けて、神に従っていく決意をもって、キリスト者の生活を始めたと思います。洗礼を受ける時に、軽い気持ちで受けると、長続きをしないと思います。洗礼を受ける前と同じ生活のスタイルをしていくからです。本気で決断して洗礼を受けないと、洗礼を受ける前と同じ生活のスタイルで生活し、自分の生活を優先していくのです。洗礼を受けるということは、神を中心とした生活に切り替えたことなのです。自分の生活が大きく変化するのです。日曜日には、礼拝に行くことがなかった生活が、礼拝を休まずに出席するという生活に大きく転換をするのです。今まで、自分中心の生活をしてきたわけですが、神中心の、教会中心の生活に切り替えたことになります。
 しかし、礼拝に出席し、聖書を読み、祈る生活に切り替えたにもかかわらず、教会生活から脱落する、礼拝に来なくなってしまうことが起こるのです。このヘブライ人への手紙は、そのことが起こらないように、と警告をしているのです。
 
 10章26節−31節の言葉は、私たちが読みたい言葉ではないように思います。読み飛ばしたい言葉です。26節では、「真理の知識を受けた後にも」と記されています。これは、何が真理であるかを教えていただいた後、ということです。つまり、洗礼、バプテスマを受けてキリスト者の生活を始めた後に、ということです。「故意に罪を犯し続ける」と記されています。この「故意」、「わざと」と言う言葉はここで強調されています。誤って、罪を犯す、ということではなくて、自分で欲して罪を犯し続けるならば、そのような、罪のためのいけにえは残っていない、というのです。何を語っているか、と言うと、もし、私たちが、洗礼を受けた後に、一度だけ、罪を犯したということではなく、何度も、何度も罪を犯し続けるならば、自分のためにもう一度、イエス・キリストが十字架についてくださることはない、と語るのです。何度も自分から罪を犯した場合、赦されることはない、と語っています。
 28節では、旧約聖書の律法に、その人が確かに罪を犯したという証言があるならば、死刑に定められる、とあり、それよりも厳しく、神の審きがあることを語ります。このところを読んで、ずいぶん、厳しいことを語っていると私たちは思うのです。

 29節には「神の子を足げにする」「自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なす」「恵みの霊を侮辱する者」というのは、礼拝をしなくなる、キリストの恵みに応えないで、神に高ぶった思いをいだく、と言う意味です。そういう者に対しては、神の審きがあることは当然だと言うのです。

 このようなことが書かれて、読んでも、私たちは自分はそのような者ではないと考えているのです。自分は礼拝に出席しているし、自分が神の子を足げにして、高ぶった思いを抱くということはないと思っているのです。自分のことではなく、自分以外の人だろうと思うかも知れません。教会に来て、洗礼を受けたけれども、教会生活を止めてしまった人ならば、審きは免れない、と言っているけれども、それは自分には当てはまらないと思うのです。
 
 それに対して、10章26節に「もし、わたしたちが」とあります。自分以外の、他の人のことではありません。「わたしたち」です。自分のことです。これは他の誰でもないのです。自分のことなのです。なぜ、このように厳しいことを言うのか。それは、洗礼を受けていても、礼拝に出席しないようになってしまう可能性がある、と言うことなのです。
 
 私たちは自分は大丈夫と考えていますが、そうではないのです。私たちは、弱さをもっているのです。このヘブライへの手紙は、私たちの弱さをよく知っていたのです。私たちを押し流す力があるのです。今は、このヘブライへの手紙が書かれた時のような、大きな迫害はありません。しかし、別の迫害があるのです。和歌山の田辺教会におりましたときに、一人の女性が、ある日曜日の礼拝にかなり遅れてきたのです。礼拝後、自分がなぜ遅れてきたか、を話してくれました。自分が教会に行こうと玄関を出ようとすると、夫が用事を頼むので、急いでその用事を済ませてから、教会に来たので、礼拝に遅れてしまった、と言うのです。そのような嫌がらせをされながらも、耐えて、教会生活を継続していることを知りました。
 
 そのように教会生活を妨害されることがありますけれども、私たちは、この世の誘惑に弱いのです。この世の様々な誘惑があって礼拝の生活、教会生活を妨げるのです。この世の誘惑に私たちは負けそうになります。それは、別に信仰がなくても、毎日、楽しくやっていける、と思っている、その流れに自分も乗ってしまうのです。私たちは、自分が満足すれば良いと考えています。自己充足の生活を求めているのです。自分が楽しければ良い、おいしいものを食べている時が至福の時だ、お金がもっとあればよいのに、今だけ、金だけ、自分だけ。一所懸命に、礼拝に出なくてもいいじゃないか、都合の良いときだけ、礼拝に出ればいいじゃないか、もっと他に自分がしなければいけないことがあるのではないか、楽しいことが他にたくさんあるのではないか、と思うのです。その流れに流されるばかりでなく、自分自ら、それに同調してしまうのです。

 そのことによってキリスト者であることを止めてしまうのです。自分が誰であるか、忘れてしまうのです。自分がキリストの十字架の贖いを信じて、洗礼を受け、キリスト者であることを忘れてしまうのです。自分がキリスト者であることを失ってしまうのです。ここではその責任を問われると言うのです。

 先週、6月3日(月)に東京神学大学で、日本伝道フォ−ラムと言う会議がありました。大阪の玉出教会の小池磨理子牧師が、発題をしました。小池牧師は、神が終わりにおいて、終末において、再び来られて、私たちを審判する、と言う自覚が、牧師・キリスト者に余りないのではないか、今、神のみこころに従う、という信仰がないのではないか、そのことが、教会の停滞を招いている、と語りました。それで重要なことは、聖書を読み抜くこと、年に二回の聖書全巻通読と毎日一時間の祈り、を勧めていました。私たちは、終末において神から「あなたは、自分のために生きて来たのか、それとも神のために生きて来たのか」その責任が問われるのです。最後に、私たちの信仰生活が問われるのです。
 
 私たちは、最後に神から問われると言う感覚を失っているのです。この地上のことしか考えないのです。この地上の生活が終わるまでのことしか、考えないのです。しかし、神に対して、自分がどのように生きて行くのか、ということを中心に生きるのです。鎌倉雪ノ下教会で長く伝道した松尾御酒造牧師は、ある時、面白い映画があるので、映画館に行ってその映画を見ていた時に、ふと、次のようなことを思ったそうです。もし、この映画館に、キリストが来られて、あなたは何をしているのか、と信仰が問われた時に、言い訳ができないのではないか、と思って、途中で、映画館を出てしまった、と言う話を聴いたことがあります。映画を見たり、音楽を聴くことが全く、いけない、ということではなくて、神のみこころに従って、神に対して、誠実に生きているか、ということが問われる、ということなのです。神を畏れつつ、キリスト者として、神に対する責任を果たしているのか、と問われる、と言うのです。

 ヘブライ人への手紙10章31節に「生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです」とあります。愛の神のみ手の中に落ちるのではなくて、生ける神、審きの神のみ手の中に落ちるのは、恐ろしいことだと語るのです。これは脅かしの言葉のように受け取りますが、そうではなく、恐れつつ、キリスト者として、責任をもって、誠実に生きるように、という警告です。
 
 このヘブライ人への手紙を受け取った教会は、ローマの教会と言われます。エルサレムに、主イエスの弟子たちを中心に教会ができて、その世代から三世代、後の世代に変わってきています。先週の説教で語りましたが、この教会の信徒たちは、かなり疲れている、くたびれているのです。礼拝を止めようか、という意見も出ていたのです。礼拝に来なくなった人も多く出ていたのです。終わりの日にイエス・キリストが再臨すると信じていたけれども、いつまで経ってもイエス・キリストが来ないではないか、財産は奪われ、親しい人たちは、迫害で命が奪われている、信仰をもって生きることに何の意味があるのか、と疑問を持つようになった信徒が多くなったのです。

 このローマの教会の信徒たちは、洗礼を受けて間もなく、迫害を受けていたのです。それは、10章33節に記されています。「あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。」洗礼を受けて自分にとって良いことが起こったのではなく、迫害が起こったのです。自分のところにローマの軍隊がやってきて、捕らえられて、自分の財産が奪われ、略奪が起こる、そのような脅威にさらされたのです。洗礼を受けて、特別に困難なことがなければ、良いのですが、洗礼を受けて困難なことが起こり、その中で、戦ったことがあることを思い起こすようにと勧めているのです。そのような時に、自分だけ、そういう目に遭わないで良かったと言うのではなくて、苦しみを共にしたと言うのです。

 そのような時に、あなたがたは「喜んで耐えた」「喜んで耐え忍んだ」と言うのです。「忍耐」「耐え忍ぶ」と言うのは、我慢する、じっと耐えるということではないのです。「喜んで」耐え忍ぶのです。喜んで耐え忍ぶのは、深く確信していることがあるのです。それは、神に対する確信があるので、耐え忍ぶことができるのです。
 私たちの生活は自分独りでしているのではありません。忍耐するような、耐え忍ぶようなことがある時に、じっと我慢する、辛抱する、というのではなくて、神がこの事態を切り開いてくださる、いつか終わらせてくださる、そのように確信があるので乗り切ることができます。自分独りで辛抱する、忍耐力で乗り切るのではなくて、耐え忍ぶことのできる支えがあるのです。

 私たちは、神の外に出てしまい、神とは全く関わりのない者になったのです。しかし、神はご自分の外に出てしまった私たちを、神との関わりの中に戻すために、イエス・キリストを派遣し、私たちの罪を贖ってくださったのです。そのような神が道を外さないようにといつもとりなしの祈りをしてくださり、引き戻してくださるのです。
 ヘブライ人への手紙10章36節の言葉を読んでお祈り致します。
「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」

20190602 主日礼拝説教  「希望をしっかりと保とう」  山ノ下恭二
(イザヤ書60章19−22節、ヘブライ人への手紙10章19−25節)


 最近、大学のバスの運転手が乗車する一人一人に「お疲れ様です」と言っていることが多いことに気がつきました。授業が終わった後の帰りのバスであれば、違和感はないのですが、これから大学に向かうバスの運転手が「お疲れ様」と言うので、まだ疲れていないのにどうして「お疲れ様」と挨拶をするのかな、と思いました。皆さんも気がついていることと思いますが、最近、「お疲れ様です」と言う言葉をよく聞きます。「お疲れ様です」という言葉は、相手を労る、ねぎらう言葉として定着しているのかな、とも思います。昔は、余り「お疲れ様」「お疲れ」とは言わなかったと思いますが、会社でも学校でも「お疲れ様です」と言うことが多いと思います。
 
 それだけ、現代はみんなが疲れている時代なのか、とも思います。電車の中でも小学生たちが、「これから塾に行くので、疲れるよな」と話していました。高齢者は、疲れた歩き方をしていますし、日本国民、一億2千万人、総お疲れ状態です。「ご苦労様」という言葉を聞くこともありますが、「ご苦労様」と言う言葉は、昔のお殿様や現代の社長が上からの目線で挨拶しているように思えるので、感じが良くないのかも知れません。私も、皆さんが教会の用事を終えて、玄関で見送るときに、「お疲れ様でした」と言うことが多くなったのです。

 キリスト者、教会員は疲れないか、と言うと、そうでもなく、疲れるのです。疲れるけれども、自分がだめになるほどに疲れることはないのです。私たちは、「とても疲れた」と言う時があります。しかし、神が共にいてくださることを信じ、神から力を戴いているので、疲れが取れないほど、疲れることはないのです。
 
 私たちはキリスト者であることを保ち続けることはとても難しいと思うことがあります。それはキリスト者も、この地上で生きているので、困難や試練に遭い、心が折れる経験をするからです。そして、仕事や家庭、子育てなどの責任が免除されているわけではなく、一人の市民としての責任を持ちながら、神に対する責任をも担うことをしているからです。会社に勤め、家庭での責任を担い、子育てをするだけではなく、それに加えて、教会に対する責任を果たそうとしているのですから、それは大変です。
 
 洗礼を受けてキリスト者となる、それは、自分を中心にした生活から、神を中心にした生活に切り替えたことになります。それは、特に、日曜日の生活の仕方が変わるのです。日曜日には、週日にできないことをしたり、買い物に出かけたり、遊んだりする日と考えられていますが、キリスト者にとっては、日曜日は労働を中断して、礼拝する日なのです。キリスト者になるまでは、日曜日は自分が自由に使える時でしたが、そのことを断念して、日曜日に教会に行くのです。
 礼拝に出席することが自分の生活習慣になり、身についていけば、礼拝に出席することは特別に大変なことでは無くなります。そして礼拝に出席することが自分の生活のリズムになり、礼拝出席が身につくと、礼拝に出なかった、次の一週間は心が空虚になるのです。
 
 しかし、礼拝に出ることが自然なことで、習慣になり、当たり前になるまでには、自分の中で戦いが起こるのです。
 日本では、日曜日に教会に通うという習慣はないですし、ほとんどの人が行かないので、周囲の人たちから、理解されないで、自分独りで教会に通うことになるのです。その意味で、礼拝に休まずに出席することは、大きな戦いになるのです。

 今日の礼拝でヘブライ人への手紙を読みましたが、このヘブライ人の手紙が書かれた教会のキリスト者の状況は、どのような状況であったのでしょうか。多くの研究者が指摘していますが、信仰が緩んでいた、熱意がなくなっていたのです。信仰が弛緩してしまっていたのです。緊張感がなくなってしまっていたのです。やる気がなくなって萎えてしまっていたのです。疲れていたのです。 
 そのことが分かるみことばが10章25節に書かれています。「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず」とあります。教会の礼拝や祈りの集いに出席することをしなくなったのです。教会の礼拝や祈りの集いに参加しなくなった、これは信仰の危機ですが、そのような緩みが出て来ているのです。
 教会の礼拝や祈りの集いに習慣として出席することは、とても良いことです。ところが、出ないことが習慣になってしまった、その人たちが教会で増えてきた、そう言う状況の中で「ある人たちが教会に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう」と呼びかけているのです。礼拝や集会の集いに出席しないことを習慣とすることなく、と言わざるを得ない状況があったのです。
 
 信仰生活というのは、マラソンにたとえられます。マラソンは、42.195キロメ−トルを走り抜き、ゴ−ルを目指すのですが、走っていて走ることが辛くなる時があります。走ることを止めたくなることがあります。休みたくなることがあります。そこで走ることを止めてしまうのではなくて、走り続けるのです。このヘブライ人への手紙は、教会員が走ることを止めてしまうのではなくて、走り続けるために、慰めと励ましの言葉をここで語っているのです。
 
 このヘブライ人への手紙は、この10章のあとに、11章で「信仰」という言葉をたくさん用いています。ローマの信徒への手紙などにも「信仰」と言う同じ言葉が出て来ますが、重点の置き方が異なっています。ローマの信徒への手紙では、何を信じ、何を告白するかということが中心ですが、このヘブライ人への手紙は、信仰の内容、何を信じるのか、ということよりも、私たちの信仰の姿勢、どのように信仰というものを告白するのか、言い表すのかという信仰の姿勢を問題にしているのです。
  
 本日の礼拝説教は「希望をしっかり保とう」と言う題です。これは10章23節にある「しっかり保ちましょう」から採用致しました。「保つ」と言う言葉と「持ち続ける」と言う言葉とは元々、同じ言葉です。ヘブライ人への手紙3章6節には「もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続ける」とありますし、3章14節にも「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかり持ち続けるなら」とあります。更に、6章11節にも「私たちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために」とあります。

 このように「信仰」をしっかり持ち続けることが、ここで勧められています。「持ち続ける」と言うことは、一時的に持つと言うことではなくて、継続させるということです。信仰生活と言う言い方そのものが、まさに、信仰が継続している、継続させるべきものであることを表しているのです。
 
 そして「希望」と言うことは、自分の持っている望み、願い、と言う意味ではなくて、神が私たちのために与えてくださる救いのことです。私たちが、私たちを愛して下さる神をもっていることが希望なのです。私たちは困難や試練に遭い、生きる望みを失うことがあっても、私たちを愛して下さる神をもっている、それが希望なのです。この希望をしっかり保とう、この希望をしっかり持ち続けよう、と呼びかけているのです。

 日本では、信心と言う言葉があります。自分の内側から何となく信じたい、心の中で信じる、そういうものを信心というのです。あの人は信心深い、熱心にお参りにいく、ということを信仰と呼んでいます。自分の心の内側から出て来た信心を信仰と言うのです。しかし、聖書で語っている信仰と言うのは、そのようなものではないのです。動きがあります。向こうの側から、私たちに対する働きかけがあって、それに私たちが応答し、答えていくということが信仰なのです。信仰は、ひとりで頑張る、と言うものではないのです。

 神と私たちとの関係を、親と子どもという関係に例えると、子どもが親に答える時も、答えない時にも、親として子どもに呼びかけ、子どもが親の願い通りにしていなくても、親として責任を果たし、親は子どものことを絶えず心にかけているのです。私たちが、信じる対象である神を忘れてしまう時にも、神を熱心に信じることがなく、熱意を持っていない時も、熱心である時も、こちらの状況にかかわりなく、しっかりと私たちに対して神として臨んでいてくださり、存在していてくださるのです。常に私たちは、呼びかけ、語りかける神を持ち、私たちが行くべきところを指し示されているのです。

 信仰生活をマラソンに例えましたが、神が私たちにいつも呼びかけてくださるので、走ることができるのです。私たちは自分の精神力、体力で信仰生活を続けると言うことではありません。自分の信仰の強さ、信心深さで信仰生活を続けていくのではないのです。神が私たちに呼びかけ、私たちにみことばをもって語りかけ、その時、その時に信仰をもって答えていくのです。自分の精神力や信心で信仰生活を続けるために頑張っていくならば、休みたくなるし、息切れしてしまうのです。しかし、私たちは、神が私たちに語りかけ、力づけ、励ましてくださるので、走り続けることができるのです。
 
 毎年、正月の2日と3日に東京・大手町から箱根を往復する大学駅伝があります。この駅伝の様子をテレビで見ていると、走っている選手の後方で、監督が、呼びかけているのです。監督が、少し、ペースを落とせ、今だ、ダッシュせよ、と言葉をかけているのです。何年か前に、青山学院大学の神野大地と言う選手が箱根の山坂を走り、優勝したことがありましたが、神野大地は今度、東京マラソンに出場するために選ばれる予選の中に入ったのですが、青山学院大学の原監督がいつもメールで励ましていたそうです。自分独りだけで走り抜くことは困難ですが、いつも自分を応援している者がいることは、心強いのです。

 私たちに語りかけ、私たちを励ましてくださる方、私たちをほんとうの意味で慰めてくださるので方はどのような方なのでしょうか。そのことがはっきり分かり、受け入れるということが、大切なのです。それはキリスト者であることを続けて行く中で、とても大切なことなのです。それは主イエス・キリストが私たちのためにご自身を犠牲として献げ、私たちのために生命を献げてくださったということをいつも信じると言うことです。私たちの深い罪の審判をご自身が引き受けて、肉を裂き、血を流して死んで下さる、それが私たちのためである、私の救いのためであることを確信するということです。神がいつも私たちのための神であり続けていてくださることを信じることができるのです。

 この私を、この私たちを神が愛して下さる、そのことを確信しながら、その信仰を保ちながら進むのです。神が私たちのためにご自身を犠牲として献げてくださった、そのことを日々、受け入れ、確信していくのです。そのようなキリストに対する信仰を保ち続けていくためには、一人では難しいのです。

 教会に集い、礼拝をすることの中でキリストに対する信仰を確信することが大切なのです。もし、私たちの生活に教会がなかったなら、礼拝がなかったなら、キリストに対する信仰を保つことは難しいのです。一人では礼拝はできないし、信仰を継続することは難しいのです。

 教会の礼拝に出席することは大きな恵みを与えられます。自分の存在が
どのようなものであるか、自覚することができるのです。自分が何であるか、どのような存在で、何をしなければならないのか、を知らされるのです。礼拝において説教を聞き、罪ある者であるにもかかわらず、私たちがキリストの血によって、贖われた者であり、罪が赦された者であることを確認することができるのです。神に良いと認められた者であることを知らされ、自分は生きていて良いのだ、と確信することができるのです。礼拝を休むようになると、どうしてもこの世の考え方になじみ、世俗的な考え方に影響され、この世の価値観でものごとを見てしまい、自分中心的な生き方になってしまうのです。
 礼拝に出席するならば、神を神として礼拝でき、この世のものはすべて相対的なものとして区別することができるのです。

 信仰を継続し、保っていくこと、それは並大抵なことではありません。教会生活を続けていくことは、疲れる時がありますが、しかし、本当の意味で疲れないのです。疲れるけれども、疲れないのです。自分の魂を支える言葉を礼拝で与えられて、その言葉によってその後、支えられるからです。それは礼拝に集うことによって、自分が神に愛されている者であり、自分が生きている意味を確認することができるからです。それによって、一週間の疲れを除くことができ、元気になって一週間を始めることができ、信仰が保たれるのです。礼拝が信仰の原動力となっているのです。

 最近、出た「払方町通信」に書きましたが、北森嘉蔵という神学者の「神の痛みの神学」を読んでいます。私が神学生の頃、神学大学のチャペルで北森嘉蔵先生は「自分が尊敬している人たちがいる。それは信仰生活を50年も60年も、長く続けている人たちだ」と語ったことをよく覚えています。北森先生が尊敬している人たちは、有名な神学者たちだろう、と思っていましたので、この話を聞いて、意外に思ったのです。どの教会にも存在する人たちです。長く、教会の礼拝に仕え、様々な奉仕をしてきた人たちのことです。
 
 長い間には、教会で様々なことが起こり、礼拝に通うことが苦痛になったり、心が折れる場面もあったに違いないのです。しかし、その度ごとに、みことばと聖餐をいただき、キリストによる罪の赦しの福音を聞いて、心が立ち直ることができて、教会生活を途中で止めることをしなかったのです。
 北森先生は、自分が尊敬する人たちは、教会生活を50年、60年、継続しているキリスト者であると言いました。
 
 礼拝に出席し続けることは、私たちの具体的な信仰の告白なのです。礼拝に出席することによって、たくさんの恵みが戴けるのです。この恵みを戴いているので、疲れることはないのです。

20190519 主日礼拝説教  「神が愛のまなざしを向けてくださる」 山ノ下恭二
(詩編11篇1−7節、ルカによる福音書5章27−32節)


 私たちの人生には、思いがけないことに遭遇するものです。災害や事故に遭う、それは、私たちにとっていのちの危機であるのですが、その危機にどのように対応するのか、ということはとても大切なことです。
 ある時、テレビニュ−スで、自治体や学校が主催して、地震が発生した時に、山や高台にどのように逃げるのか、逃げる訓練をしていることが放映されていました。私は地震が来たら困るだろうと思って、パンの缶詰一個と備蓄用トイレットペーパー一個を用意していますが、これでは間に合わないと思いながら、防災グッズを用意していません。完璧な防災グッズを用意していないのは、自分が生きている間は、首都直下地震は起きないだろう、と高をくくっていて、そのうちにパンの缶詰も賞味期限が切れて、食べることになろうとのんびり構えています。
 ただ一つ、何か起こった時に役に立つだろうと思っていつも携帯しているものがあります。一枚のカ−ドです。自分が事故に遭ったりした時に、周りの人が困らないように私は、外出する時に、リュックサックやカバンの中に、自分の名前、住所、電話番号、緊急連絡先、保険証の写し、などを書いたカ−ドを入れて出かけることにしています。それは、事故に遭ったり、怪我をして起き上がれない時に、通りがかった人が、救急車を呼んだり、警察に連絡する時に私の身元がすぐに分かって便利だと思うからです。
 
 私たちには思いがけないことが起こるものです。私たちは安心して、安全に毎日を過ごしたいと願っていますが、生きて行くのは、何らかの危険にぶつかるのです。私たちは毎日、危険な目に遭わないように、願っているのですが、自分の思い通りに順調に運ぶことは少ないのです。

 本日、この礼拝で詩編11編を読みました。この詩を書いた詩人はとても危険な目に遭う経験をしたのです。その時に、この詩人はエルサレム神殿に逃げて隠れていた、そのような経験をこの詩に書いているのです。

 私たちは、人生の様々な危機に出会うことがあります。「危機」という言葉はギリシャ語で「クリシス」と言う言葉ですが、この言葉は元々、分かれ道、と言う言葉です。この「クリシス」は英語では「クライシス」と言う言葉の元々の言葉です。私たちは、人生の危機を経験します。人生には分かれ目があるのです。学校を選ぶ、就職先を選ぶ、結婚する、それぞれ、分かれ道に立ち、どちらの道に行くのか、と問われ、試されるのです。

 本日は、礼拝の後に、富士霊園の教会墓地で、墓前礼拝を行いますが、この礼拝に出席されている方々は、教会の墓地に、親しい家族を埋葬している方も多いのです。私は教会の墓地に行く度に思うことは、私たちの人生には死と言う終わりがあると言うことです。私たちの命には限りがある、私たちの人生には限界があることを改めて、知らされます。死ということは、私たちにとって最大の危機、クライシスです。
 
 親しい者を失うことも、私たちにとって大きな危機、クライシスなのです。私たちが親しい家族を失った時のことを思い出すと、その時、私たちは、自分を失うような危機を迎えていることに気づくのです。自分が誰であるか、分からなくなるのです。親しい家族を失い、一緒に過ごして来た人を失うことは、私たちにとって一つの危機、人生のクライシスなのです。長い間、一緒に伴侶と暮らしてきた、相手があって私がいる、私があって相手がいる、それは、夫婦として生きていると言うのは、一つの人格であるからです。伴侶を失うことは、自分をも喪失することになるからです。伴侶を失うことは、自分の現在を失うことになります。親を失うことは、自分の過去を失うことになります。子どもを失うことは、自分の将来を失うことになります。

 病気になることも、私たちにとって大きな危機であるのです。それは、命の危機であり、病気は死とつながっているからです。自分の存在が無くなる危機であるからです。最近、岩波新書で坂井律子さんというNHKのプロデューサーが書いた「〈いのち〉とがん−患者となって考えたこと」という本を読みました。この本の終わりに「死を受容する」と言うけれども、それは無理なのではないか、と書いています。「死の受容」とは、キュ−ブラ・ロスが「死ぬ瞬間」という本の中で、言っていることですが、人間は最後まで、生きて行きたい、と願っているのではないか、と書いているのです。その関連で、自分の父親のことが書いてありました。
 
 坂井さんの父親は、がんで入院し、4年間、治療を受けていたのですが、医師から、治療する手段はもうありませんと言われて、退院したのですが、それでもあきらめることができなくて、新しい治療法を試みている静岡の病院に連れて行って欲しいと願って、遠かったけれども、検査を受けたが、手遅れであったそうです。そのことから、父親は、それでも、生きて行きたいと言う思いはあった、と書かれています。死を受け入れるのではなくて、ただ死ぬまで生き続けていいのだ、と書いています。
 
 「私は、私の友人や私の父の死を振り返り、そして、自分がこのような死を間近にした病状を迎えている今、死は別に受容しなくてもいいのではないかと思っている。受け入れることができる人もいるかもしれない、でも、受け入れる人がいなくてもいいのではないか。私はまだ受け入れているとは言い難い、いや、最後まで受け入れるという気持ちになるとはとても思えない。受け入れなければ穏やかになれないというものでもない。死はそこにある。そして、思わないでいいと、考えなくていいと言われても、かんがえてしまい、思ってしまう存在なのだと思う。だからこそ、怖くて、考えたくなくて、消えてほしい、その存在が消えてほしい。けれども、そこにあるまま、そして、受け入れることができないまま、それでもいいのではないかと思って、最後まで生きるしかないのではないだろうか。当たり前のことだけれども、人は死ぬまで生き続ける、だから、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思う。」(p218)死に直面して、生き続けることの、心の戦いがあるのです。

 皆さんは「レジリエンス」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。私は最近、この言葉をよく聞くようになりました。「復元力」「回復力」「立ち直り力」などと訳されています。この言葉は、成人への過渡期である思春期に必要な「立ち直る力」なのです。成人になると、家を離れて、親の庇護が無い中で、さまざまな危機に直面し続ける環境の中で生きて行くことになり、そうした危機に対処する力が必要となります。若者はしばしば、実際に心が折れてしまうような経験をするのです。自分の気持ちを理解してくれる者がいない、助けを求めても助けてくれる人が見つからない、そのような心折れてしまうような時に、心が折れないで生きて行くにはどうしたら良いのか、と言うことです。
「レジリエンス」この言葉は「折れない心」「打たれ強さ」と訳しても良い言葉です。

 詩編11編に戻りますと、この詩人には身の危険が迫っており、友人が山に逃げることを勧めましたが、この詩人は、山に逃げることをしなかったのです。11編1節で「主を避けどころとしている。」と歌っています。他の安全なところを避難所にしたのではないのです。この詩人は、神との関わりで、自分の存在を捉え、確認することができたのです。逃げなければならない、そのような事態に、この詩人はこのような時にこそ、神のもとに逃げるのだと言うのです。「山に逃れなさい」と勧めている友人は、神を信じている、と言っても神は何もできないし、無力である、と考えているのです。神は無力であるから、自分で自分の身を守るしかない、と考えているのです。 

 この詩人は「主を、わたしは避けどころとしている」と語ります。別の訳では「わたしは主に寄り頼む」「主に私は身を避ける。」「わたしはヤ−ウェのもとにのがれる。」と翻訳しています。「身を避ける」という言葉はヘブライ語で「ハーサー」という言葉ですが、この言葉は「強烈な日ざしから逃れて、木陰に身を避ける」といった意味の言葉です。この言葉は害の与えるものから逃げる、という意味ですが、それは危険が過ぎ去るのをじっと待つ、というのは消極的な感じがします。
 
 しかし、「主に身を隠す」ことは「ただ難を避けて逃げる」というだけではなくて、頼りになるものの保護を受け、それに信頼するという積極的な側面があります。主なる神を信頼して、保護を受けることは、消極的なものではありません。この「避けどころ」「寄り頼むところ」という言葉は、詩編の中で、多く使われています。詩編7編2節には「わたしの神よ、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください」と語られています。 この詩人は、逃れることができる避けどころをもっていました。エルサレム神殿、神がおられるところに逃れることができたのです。自分を保護し、安心して自分の心も身体も預けて、休むことができる場所を持っていたのです。
 
 自分を保護し、安心して自分の心も身体も預けて、休むことができる場所を持っていることは、とても大切なことなのです。最近、流行しているのは、瞑想だそうです。静かなところで、瞑想するのです。呼吸を整えることで、心も身体もリラックスすることができるのです。私も、朝の短い間、瞑想して、聖書を読んで、祈り、心も身体も整えて、一日を始めるようにしています。
 
 教会は私たちの避け所になっているのです。私が学生の頃、種谷裁判と言う裁判がありました。兵庫県の尼崎教会に通っていた高校生が、その当時、学生運動をしていて、警官に追いかけられて、尼崎教会に逃げ込んだのです。その当時の尼崎教会の種谷牧師が、この高校生を保護していたのです。警察は引き渡すようにと言ったのですが、引き渡さなかったので、検察が、公務執行妨害で種谷牧師を告発して、裁判になったのです。一般に、警察がその高校生を引き渡すことを要求して、牧師が引き渡すのは、当然なことだ、と考えられていたのですが、種谷牧師は、教会に来ている高校生の命を守るのは牧師としての職務であると主張したのです。牧会権と言うことを訴えて、それが裁判において、牧会権が認められたのです。国家が介入できない、神と交わる魂の場所があることを明らかにしたのです。この高校生は、種谷牧師の、牧師としてのあり方に深く感銘を受けて、神学校で学び、牧師になって、現在、北海道の教会で福音を伝えています。

 詩編11編7節に「主は正しくいまし、恵みの業を愛し、御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。」と語っています。神は、主である神に寄り頼み、深く信頼している者に「御顔を」「向けてくださる」。「主は正しくいまし、恵みの業を愛し 御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」と語ります。

 「御顔」と言う言葉が出てきます。「顔」と言う言葉はとても大切な言葉です。それは人格を表す言葉だからです。人と人との関係においても「顔」は大きな役割を持っています。相手がどのように自分を思っているのか、相手の顔の表情で、察知し、判断します。自分に笑顔で対応してくれると相手が自分を肯定し、受け入れていると感じるのです。しかし、こちらから挨拶しても挨拶せず、こちらを見ようともしないし、顔も向けない、そのような場合は、自分を肯定していない、受け入れていないと、感じます。

 詩編11編7節の言葉は、神が自分を愛して下さっていることを信頼している者に、神が愛のまなざしを向け、見守ってくださる、その喜びを歌っています。神が愛のまなざしを私たちに向けてくださるので、わたしたちは恐れることなく、安心して過ごすことができるのです。様々な危険に遭うことがあります。しかし、神は私たちを愛をもって見つめ、見守ってくださるので、びくびくすることなく、自由に行動することができるのです。この神に信頼して、恐れることなく、どこにでも行くことができるのです。

 今日の礼拝で、ルカによる福音書5章27−32節を読みました。ここには、道を通る人々から法外な値段の通行税を取っている税金取り、徴税人レビが登場します。徴税所に座っているレビを主イエスは見たのです。人々はレビを軽蔑した目で見ていました。それは、100円の通行税で良いのに、1000円の通行税を取り、その中の800円を自分の懐に入れて、儲けていたからです。明らかに悪いことをしていた人でした。主イエスはこのレビを見たのです。レビを軽蔑の目で、犯罪人がいると言う裁きの目で見ていたのではありません。主イエス・キリストは、神の愛のまなざしで見ていたのです。主イエス・キリストはレビがお金を持っていても、誰も相手にされない、みんなから軽蔑され、みんなに嫌われており、孤独の中にいる、その思いを知っていて、そのレビを憐れんで、同情して、声をかけたのです。主イエスは愛のまなざしをレビに向け、レビを弟子として召したのです。主イエスは、このレビを罪人として扱わず、神が招くのに値する人として主イエスは招き寄せたのです。何の価値もないと思われる人を神は価値ある者として、扱うのです。
 
 私たちは多くの罪を犯しながらも、主イエス・キリストの十字架の贖いによって、罪が赦され、覆われ、受け入れられている者です。神にとって私たちは値打ちのある者です。神が愛をもって、私たちにいつもまなざしを向けておられるのです。私たちが神を忘れていても、神は私たちを見守り、愛のまなざしを向けているのです。神は、あなたは生きて良い、大切な存在だ、必要な存在だ、と呼びかけてくださるのです。
 
 神によって愛され、見守られ、多くの人々に愛される、そのような経験をすることができるところが教会なのです。教会から離れないで、いつまでも教会につながっていくことが、最も安全な方法であり、安心して過ごすことができるのです。まことの神を礼拝し、互いに愛し合う、この教会、信仰共同体の中で、安心して共に過ごして行きましょう。

20190512 主日礼拝説教  「神はからだをささげてくださった」 山ノ下恭
(詩編40編1−14節、ヘブライ人への手紙10章1−18節)

 
 皆さんは五月病と言う言葉を知っていると思います。五月病は環境が変わって、新しい環境に適応しようと努力したために、心が疲れてしまう病のことです。4月に入学して学校に早く慣れようとして張り切って学ぶのは良いのですが、連休になってその疲れが出て、連休明けに学校に行きたくなくなってしまうのです。会社に就職した若者が会社に適応しようと張り切って、毎日、仕事に励むのは良いのですが、連休に疲れが出て、連休が明けて、これから仕事をするのかと思い、憂鬱になり、仕事に集中できないのです。ところが、この五月病は環境の変化で起こるだけではなくて、天候・天気と深く結びついた病だと言われます。春は一日の寒暖差が激しく、気圧の変化が激しい、天候の変化が五月病の要因になっていると言われます。ある精神科医は、うつになるのは、季節による感情障害であると指摘しています。天候と自分の身体とが調和できないこともあります。まだ5月なのに、27度にも気温が高くなり、身体を調節することが難しくなっています。私たちにとって、季節の変わり目がとても辛いのです。

 私たちは、健康でありたいと願っています。身体と言うのは自分のものです。自己そのものです。しかし、からだは別の面をもっています。からだは自分のものですが、自分の思い通りにならないことがあります。足が言うことをきかない、ということがあります。言うことがきかないということは、自分そのものでないということです。からだは自分のものでありながら、言うことをきかない時があります。歩いても足が痛くない、腰が痛くない、というのが良いのですが、足が痛くて歩けなくて困っている、腰が痛くて座ったり、立ったりすることが、なかなか難しい時があります。自分とからだとがうまく調和して、互いに何の違和感なく、自分の思い通りに身体が動くならば、それはとても幸いなことです。自然という環境と自分とが調和する、自分と身体とが調和する、そのような調和があれば、楽に過ごすことができるのです。
 
 私たちはいつも人と関わりながら過ごしています。誰とでも良い関係を持ち、他の人と調和していければ良いのですが、他の人との関係で悩むことが多いのです。私は、出かける時には、リュックサックを背負って出かけます。最近、リュックサックを背負って歩く人がとても多いのです。電車の広告には、リュックサックを背負わないで、お腹のほうに回してください、と注意しています。 リュックを背負うと、その後ろのスペ−スが狭くなり、通りづらくなるからです。電車を急いで降りる時に、このリュックサックが人に当たることがあります。私も降りる時に、私のリュックサックが人に当たったので、「済みません」と言って降りたことがあります。先日、他の人のリュックが私にぶつかってかなり痛い目に遭いました。とても痛かったので、謝りもしないで、何だ、と思ったのです。 相手の話を誤解していることが原因で関係が壊れることもあります。自分と他の人と良い関係でいることはなかなか難しいことを私たちは経験しています。相手と仲良く、平和に過ごすことができないのです。関係がうまくいかない時に、それは相手が全部、悪いと思えば、気が楽です。自分は悪くない、相手が悪いと思うこともあり、そのような思いが相手を非難し、相手との関係が悪くなり、口もきかない、冷たい関係になってしまうことがあるのです。
 他の人とうまくいかない時、相手のせいにしたり、自分は特別に悪くないと思うことがあります。自分より悪いことをしている人がいる、自分はそんなに悪くない、と思うのです。自分の生き方を審判する神をもっていないので、罪を相対化するのです。
 かつて、東大宮教会の礼拝説教で私は、人間が深い罪をもっていることを強調する説教をしたところ、その日曜日に初めて、礼拝に出て説教を聴いた人から、その日の夜に電話があり、「先生は人間が深い罪があると何度も言うけれども、自分は特別に悪いことはしていない、そんなに強調することはない」と言ったのです。この話を聞いて、罪というとそれは法律上の罪のことだと考えていて、自分は特別に悪いことはしていないと言っていることが分かったのです。

 日本の近代小説の中で、人間の罪を深く掘り下げて書いている小説は、夏目漱石の「こころ」という作品です。「こころ」は、人間の罪を主題にしています。季刊「教会」と言う雑誌の編集をしていますが、この雑誌の中で「わたしを変えた一冊」というペ−ジがあり、牧師や信徒の方々に書いて戴いていますが、ある牧師は、夏目漱石の「こころ」が私を変えた一冊であると紹介しています。この小説は、先生と言う人が、若い頃、お嬢さんへの愛を独占するために、親友のKを精神的に追い詰めて、そのKが自殺してしまうのです。先生が自分の醜さを告白し、自分を責めて死を選ぶのです。この小説に「恋は罪ですよ」と言う言葉があります。「こころ」が自分を変えた一冊であると書いた、この牧師は高校一年生の時に「こころ」を読んで、大きな衝撃を受けた、と書いています。「友に死を選ばせた自分の身勝手さ、そしてその悔悟のために生涯を過ごす辛さ。この思いに囚われて生きる年月」、この先生は、親友を思いやらないで、自分のために、死に追いやったことの責任、負い目を持ちながら、過ごしていく、そして自分を赦すことができないで、死を選ぶのです。
 自分が親友を愛することができない、その罪を自分で背負っていく、それは人として誠実な生き方なのでしょうか。自分が死ぬことで、罪を完全に解決できたと言えるのでしょうか。

 私たちにとって罪とは何でしょうか。それは、他者を真実に愛することができないと言うことです。相手が自分にとって愛する価値があれば、愛するけれども、愛する価値がなければ愛することができないと言うことです。相手が持つ美しさ、賢さ、良さと言う価値があれば、愛するけれども、自分にとって愛する価値がなければ、愛することはないのです。その人がもっている価値で愛するのではなく、相手の人格そのもの、相手の存在そのものを愛するのが、まことの愛なのです。

 聖書は、私たちがどんなに罪深いか、を厳しく語ります。私たちが神に対してどんなに罪深い生活をしているか、を語るのです。金曜日に、聖書を学び、祈る会で、旧約聖書のアモス書を学んでいます。神が、神を忘れて、自分の利益ばかり求めて生活しているイスラエルの人々の罪を糾弾しているのです。神の審判の言葉を読むと、自分の罪がはっきりして、自分を責めることになります。もし、私たちキリスト者が、自分は罪を犯したことはない、悪いことはしていない、と思っているならば、それは自分の罪深い、ありのままの姿を見ていないことになります。それは自分を欺いていることになります。
 私たちは、罪意識をいつも抱えてすごしているのです。自分の過去を思い出し、自分の今まで犯した罪を責めていくのです。

 宗教改革者ルタ−は「95箇条の提題」で最初に「悔い改め」について語ります。「私たちの主であり師である主イエス・キリストが、『悔い改めよ』と言われたとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めの生涯であることを欲したもうたのである。」この「悔い改め」と言う言葉を多くの人が誤解をしているのです。「悔い改め」を「悔いて、改める」と理解しているのです。悔いて、自分の行いを反省して生活を改善する、と考えている人が多いのです。「悔い改め」と言うことは、神が私たちの罪を問い、反省したら、受け入れると言うのではないのです。私たちが悪かったと表明したので、神が赦すというのではなく、神が罪を犯している私たちを罪人のままで、無条件で受け入れ、赦してくださる、そのことを信じて、神の懐に飛び込んでいくことなのです。自分がどういう罪を犯したか、その罪状を全部言い、申し訳ない、済まなかったと言う言葉があったので、神が赦すと言うことではないのです。
 
 ルカによる福音書15章には主イエスが語られた3つの譬え話があります。最初に「見失った羊のたとえ」、二番目に「無くした銀貨のたとえ」3番目に「放蕩息子のたとえ」が語られています。この譬え話の中心人物は、小羊、銀貨、放蕩息子ではないのです。中心人物は羊飼いであり、女性であり、父親なのです。見失った羊を一所懸命に探す羊飼い、無くなった一枚の銀貨を一所懸命に探す女性、家を出て行った息子の帰りを待ち、帰って来た息子の姿を見て自分から息子のいるところに走り寄って、息子の過去の罪を責めないで、その帰りを喜んでいる父親、を中心に語られているのです。実は、この譬え話の主人公は神なのです。この譬え話は、神が、神を見失った者に憐れんで、喜んで迎え入れる物語なのです。
 夏目漱石の「こころ」の先生は、親友のKを裏切った自分の罪を長い間責め、自分の罪悪を赦すことができないで、自殺をしてしまうのですが、聖書は、罪悪感をもって生きることではなく、イエス・キリストによって罪が赦されていることに力点をおいて語っているのです。
 自分の罪に囚われ、自分の罪を責め続けているだけでは救いにはならないのです。私たちキリスト者は、自分の過去の罪を思い出して、自分を責めることがあるのです。しかし、それが私たちのすべきことなのでしょうか。

 今日の礼拝で、ヘブライへ人の手紙10章1−18節を読みました。ここには、旧約聖書の律法に規定されている礼拝とキリスト御自身が罪のいけにえをささげて、贖いをなし、罪が赦される礼拝とが比較されて、キリストによって罪が赦される礼拝が与えられていることが語られています。
 旧約聖書の律法に規定されている礼拝とは、毎年、エルサレム神殿で大祭司が自分とイスラエルの人々の罪のために動物のいけにえを献げ、殺した血を献げたのです。これは一度で終わらずに、毎年、毎年、続けられ、繰り返されたのです。しかし、このヘブライ人への手紙は、イエス・キリストが、ただ一度、ご自身をいけにえとして献げられたことで、これからいけにえを献げる必要はなく、イエス・キリストご自身のからだを献げられたので、完全な罪の赦しが与えられたことを語るのです。
 毎年、毎年、動物の犠牲を献げる必要はなく、主イエス・キリストが肝心な仕事をしてくださった、ご自身を犠牲として献げる仕事を終えられた、完成されたので、いけにえを繰り返し、献げることはなくなった、と言うのです。

 このヘブライ人への手紙を一章から読んで来ましたが、正直に言うと、同じことを繰り返して、同じことを語っているように思えるのです。
 ところが、この10章には、私たちの心をとらえる言葉があることを発見するのです。その言葉とは、10章2節の言葉です。「もしできたとするなら、礼拝する者たちは、一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから」という言葉です。この言葉はどのような意味なのでしょうか。旧約聖書の律法の定めに従って礼拝する人たちは、動物をいけにえとして献げる礼拝を何度もしています。いけにえを献げるごとに、自分に罪があることを自覚するのです。その罪の自覚が消えないのです。この自覚という言葉は、他の聖書では別の言葉で翻訳されています。「罪の意識」「罪を意識する」と翻訳されています。この「自覚」「意識」と翻訳されている言葉は、元々、「良心」と訳されている言葉と同じ言葉です。「罪の自覚」と翻訳されていますが、罪が自分の中に残っていると思うので、良心に咎めがある、と言い換えても良い言葉です。
 自分が相手に悪いことをしてしまった、罪意識を持ち、そのために、良心に咎めがあるのです。毎年、罪を償うために、いけにえを献げても、自分には罪の咎めがあり、それが消えないのです。相手に対して、罪を犯した、相手は一回のお詫びでは赦してくれない、まだ95パーセントは償いが残っている、相手が赦してくれない、まだ90パーセント残ってるので、相手に償いをしなければならない、いつまで経っても相手は自分を赦してくれないので、自分の良心が咎める、罪責感が消えないのです。旧約聖書の律法に規定されたいけにえを献げる礼拝では、完全な赦しを与えないので、一回のいけにえでは終わらず、何回も繰り返して献げる、その度ごとに罪の自覚があり、自分の良心が自分の罪を咎めることがあり、それが消えないのです。

 しかし、10章2節では、主イエス・キリストの罪の赦しをしっかり受け入れた者は、罪の自覚がなくなると言うのです。主イエス・キリストによって私たちは完全な、罪の贖いがなされたので、完全に罪が赦された者は、もう自分の罪に対して咎められることはなくなると言うのです。
 私たちは、罪に対する認識が薄いのは良いことではなく、罪が深いことをよく認識したほうが良いと思っているのです。自分も自分が犯した罪に対して、深く自覚したほうが良い、と思っているのです。ところがここでは、主イエス・キリストによる罪の赦しをしっかり受け入れた者は、自分の罪を咎めたり、相手に対して、悪いことをした、という思いをいつまでも持つ必要はない、と言うのです。キリストによる赦しを信じる者は、自分の罪は、キリストによって、すっかり消えている、罪を思う必要はないと言うのです。
 
 それは、神が、私たちの罪を思ってはいないし、思い出すことがないからです。このヘブライ人への手紙10章には、エレミヤ書の言葉が引用されています。10章17節には「もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない」と語っているのです。それを受けて10章18節には「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。」と語っています。10章17節の「思い出しはしない」ということは、神が赦してくださったということです。私たちの罪と不法をいつまでも神が、覚えておられ、そのことで私たちを審くということは、もう止めたと言われたのです。
 
 いつまでも相手の罪を覚えている、記憶しているということは、相手を赦していないことになります。神が私たちの罪を忘れた、と消し去っていてくださるのです。神が私たちの罪を忘れた、と言っているのに、なぜ、あなたがたは自分の罪を覚え続けているのか、と言うのです。神が私たちの罪を忘れると言っているのですから、私たちも、他の人の罪を忘れるのです。自分のことは棚において、他の人の罪を何時までも、責め、言い続けることはできないですし、ましてや、他の人の弱さ、失敗を話す、悪口を言うのは、キリストによって赦されていると言う自覚がないと言うことなのです。キリストが私たちの罪を責めることなく、黙って自分の罪として引き受けて、十字架で贖いの死を成し遂げたように、私たちも、相手の罪を責めずに、赦すのです。

 私たちは、自分の罪がいかに深いか、を自覚して生きることが神に対して誠実な生き方であると思っているところがあります。しかし、私たちは、罪を自覚する、罪意識をもって生きるよりも、キリストによって赦されていることを聖霊によって知らされて、感謝して生きることを神は望んでいるのです。

 キリストが御自身のからだを私たちのために、罪の贖いとしてささげてくださったのです。それは私たちが、自分の罪を見つめて、自分を責めるためではなく、キリストによって与えられた、赦しの恵みを感謝していただき、他者を心から、受け入れて、愛することを願っているからです。

 キリストの赦しを心に留めて、感謝して、その恵みに生きることが最も大切なのです。キリストによる無条件の赦し、という贈り物を戴き、そのことを感謝することが大切なのです。

20190505 主日礼拝説教 「神の遺言−それは罪の赦し」  山ノ下恭二
(イザヤ書66章1−2節、ヘブライ人の手紙9章15−28節)

 
 先月の中旬に、駒場東大前駅の近くにある、日本近代文学館を訪ねました。前から行きたいと思っていた文学館でした。丁度、「生誕110年・太宰治 創作の舞台裏」という特別展があり、太宰治の作品の草稿などが展示されていました。太宰治の作品で、「走れメロス」と言う作品は、友人を信頼することの大切さを教える、明るい作品ですが、太宰治の晩年の作品には「斜陽」「人間失格」など、暗い作品が多いのです。この特別展に、「斜陽」「人間失格」の草稿が展示されていて、その中に「生まれてきてすみません」と言う言葉があったのです。太宰治が作品の中で「生まれてきてすみません」と言う言葉があることを知っている人もいると思います。この作品を書いた後に、太宰治は、玉川上水で心中して亡くなるのです。
 
 太宰治は、斜陽や人間失格を書く前、麻薬性鎮痛剤中毒治療のために武蔵野病院に入院していた時に、医師の斎藤達也から聖書を借りて読んでいたようです。しかし、聖書の言葉が、太宰には、立ち直る力にはならなかったのです。
 太宰治の研究家の清水氾は「太宰治とキリスト 教会には行きませんが、聖書は読みます」と言う本の中で、太宰治の文学作品には、聖書の言葉が多く引用されていますが、清水氾氏はどの作品に聖書のどの言葉が引用されているかを調べたのです。その結果、分かったことは、福音書に記された言葉が多く引用されており、その中でも、山上の説教の言葉が多いと書いています。山上の説教は、そのまま読むと、人間が生きる時に参考になる道徳訓が書かれていると受け取ることができ、太宰治は人としての生き方を教える道徳訓として、聖書を読んでいた、と言うのです。
 
 太宰治は、「生まれてきてすみません」と言う言葉から分かるように、自分が生きる価値がある存在なのかと疑い、自分の存在を消したいと思っていたのです。それは、何度も心中事件を起こしたことから、分かります。太宰治は人生の危機に直面していたと思います。
 私たちも、様々な危機に遭遇し、時には当たり前に過ぎていた日常がもろくも崩れることがあるのです。思いがけないこともありますし、困難に直面することもあるのです。そのような心が折れそうになるときに、心が折れないで、立ち直ることが必要であるのですが、太宰治は、聖書を読みながらも、聖書の言葉によって立ち直ることができなかったのです。聖書を道徳として読むことしかできなかったのです。

 私たちはしばしば、実際に心が折れてしまうような、打たれて倒れるような思いを味わうことがあるのです。私たちも、「生まれてきてすみません」と太宰治が言ったような、自分の存在が価値がなく、意味がないような思いを持つことがあるのです。そのような時に、立ち直るための力が必要なのです。

 「レジリエンス」という言葉を最近、聞くようになりました。「復元力」「回復力」などと訳されることが多いようですが、「立ち直り力」と言いかえても良いと思います。厳しい環境や状況にさらされた時に対応できる力のことです。
この「レジリエンス」と言う言葉を「折れない心」「打たれ強さ」などとも訳すこともあるようです。ここで問題なのは、どうやったら心が折れないようにするのか、ということよりも、心が折れ、倒れてしまったときにどうするのか、ということなのです。

 私たちが生きて行く時に、心が折れるようなことにぶつかるのです。自分の歩もうとすることを阻む、何かがあるのです。一つは、私たちには死があると言う事実です。親しい人の葬儀に出席する、自分も死ぬことを身近に感じる時です。死と言う不可解なことが私たちにはあるのです。

 もう一つ、私たちは生活している時に、自分が間違いを起こす異物をもっているのです。それは、罪と言う異物なのです。この罪が、私たちを間違った生き方に誘うのです。罪ということはどのようなことなのでしょうか。それは、私たちが他者を真実に愛することができない、ということです。人間が人間をほんとうに愛することができないと言うことです。
 他者を真実に愛することができない、その原因は、相手を、相手そのものを愛するのではなくて、相手の持つ美しさ、良さ、賢さと言う価値を愛することにあるのです。相手に価値があるから愛する、価値が減れば、愛も減るのです。価値がなくなれば、愛もなくなる、と言うことになります。相手に愛するだけの価値があれば愛するのです。
 
 私たちは、相手の人格そのもの、存在そのものを愛しているでしょうか。自分の利益になる手段として、相手を愛しているのではないでしょうか。一人の人格をもった存在としないで、自分のための手段として相手と関わるのです。 例えば、コップがあり、自分がそのコップを利用するときにだけ、コップは価値があるのです。そのコップでなければいけないことはなく、別の時には、他のコップを使って良いのです。利用価値があれば使うけれども、利用価値がなければ捨てて良いのです。それと同じように、その人間に利用価値があれば、意味があるけれども、使い捨てにしても良いと考えるのです。そのように、人間を品物扱いにしているのです。
 そのような罪をどのように解決するのか。罪は穢れであるので、お祓いをして罪という厄介な埃を払うのか、水に流して罪はなかったことにするのか、それとも、罪を解決するために誠実な態度で臨むのか、ということです。
 
 ヘブライ人への手紙で取り上げている問題は、私たちの罪をどのように解決するのか、ということなのです。罪を完全に解決する方法を示しているのです。
 旧約聖書のイスラエルの人々は、人間の罪という問題に最も誠実に取り組んだ人々なのです。罪の問題の解決なしには、人間の生き方そのものもあり得ないと考えていたのです。

 ヘブライ人への手紙9章1−14節には、次のことが記されています。旧約の時代には、神殿の至聖所で、大祭司がイスラエルの人々の罪を償うために、大祭司が雄山羊と雄牛とを人間の身代わりとして、殺して血を流し、毎年、繰り返し、罪を償う儀式が行われていました。大祭司が、人間の身代わりとして、動物を犠牲としてささげて、それによって、神が人間の罪を赦すという儀式です。しかし、この贖いの方法に対して、キリストによる、新しい贖いの方法があることを語るのです。

 旧約の時代の、贖いの儀式には欠陥があったのです。このような儀式をしても、誰もが罪に対して、良心が痛むことなく、習慣的、形式的に行われていたのです。大祭司も習慣的に手順に従って行えば罪の償いはできたと思っていたのです。イスラエルの人々は贖いの儀式の外にいるだけでした。そして、罪を贖うために、人間が犠牲をささげたのではなく、身代わりの動物がささげられたことです。そして、毎年、繰り返し、この贖いの儀式を行わなければならなかったのです。

 それに対して、ヘブライ人の手紙9章12節から、完全に罪を償うことができる方法があると語り、神がこの罪の贖いを改革されたというのです。恵みの大祭司としてキリスト御自身が罪の贖いとして犠牲をささげ、この贖いは永遠に有効なものとした、と言うのです。キリストが一度だけ、贖ったので、その贖いはすべての者の罪の赦しを含んでいる、と言うのです。イエス・キリストが、大祭司として、神の小羊として自ら犠牲をささげてくださった、それは繰り返し、償う必要がなく、一度だけの贖いによって、私たちは無罪放免され、完全に赦されるのです。
 
 太宰治は聖書を読んでいたのですが、人間の生き方を教える道徳として読んでいたのです。神が自分に語りかけている、と思って読んでいなかったのです。太宰が「人間失格」という作品を残していますが、「ヒューマン・ロスト」と言われます。このヒューマン・ロストという、人間として失われたところにいる、自分はもう生きる価値がない、と思った、それは、人間の関わりだけで考えているので、自分に失望して女性と心中してしまうのですが、太宰治は、神との関係において、自分が神との関わりの中で、自分が神から脱落して、自分を失っている、とは考えなかったのです。神との関わりで、自分が神から脱落している、人間失格とは思わなかったのです。 
 
 太宰治は、放蕩息子の譬え話を読まなかったのだろうか、と思います。放蕩息子の譬え話に登場する息子は父親のもとから離れて、自分が好きなように生きている、今だけ、金だけ、自分だけ、と言う生き方から、父親の元に帰ろうと、決心をして家に帰る、父親に罪を告白する前に、父親は息子の罪を赦して、家に迎え入れたのです。
 この放蕩息子の譬え話は、聖書の語る中心的なメッセージなのです。神の愛から、脱落して、神の愛の外に出て行ってしまった、神は神の愛の外に出て行ってしまった存在を愛して、神のもとに連れ戻すために、神自ら自分の外に出て、肉体を取り、イエス・キリストとなり、罪を贖ってくださったのです。太宰はこのキリストの福音・メッセ−ジを聞くことはなかったのです。
 聖書を自分独りで読み、聖書の言葉を自己流に解釈して読むことの限界を示しています。聖書は教会の礼拝において読むべきものであることを教えられます。

 神の愛の外に落ちてしまった者を、神は、神の愛の中に包み込むようにして、私たちを神の懐に戻してくださるのです。神は、イエス・キリストによって罪を赦しているのです。神が暖かく、私たちを受け入れてくださるので、わだかまりなく、神の許に帰ることができ、神のもとに安らうことができるのです。

 ヘブライ人への手紙に戻りますと、9章15節には、「キリストは新しい契約の仲介者なのです」と記しています。新しい契約とは、古い契約が人間の側で戒めを守ることを条件に成り立つ契約ではなく、戒めを守れなくても、キリストの贖いによって罪が赦されることを信じること、によって成り立つ契約のことです。そして、キリストの死によって、私たちに永遠の財産が与えられることを語るのです。
 
 このことの後に、9章16節では、遺言について語るのです。「遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。」なぜ、ここに「遺言」と言う言葉が出て来るのでしょうか。「遺言」とは、ある人が自分の財産を分け与えたいと思う人々に、財産分与、その他の約束の文章を書き残すことです。遺言は、その人が生きているときは、有効ではないのです。遺言者が死なないと遺言は有効にはならないのです。はっきり死んだという証明が必要なのです。そのとき、初めて遺言が有効になります。契約ということを語りながら、「遺言」の話になるのは、いささか奇妙に聞こえるかもしれません。しかし、ここで大切なこと、このような表現で言いたいことは、主イエスが死んでくださったと言うことです。そのお陰で、神と私たちの間の契約は確かなものとなったのだ、と言うことです。

 聖書を英語でバイブルと言いますが、聖書のことを英語では、もう一つの呼び方をしています。それはテスタメントと言います。新約聖書のことを、ザ・ニュ−・テスタメントと言います。このテスタメントと言う言葉は、ラテン語のテスタメントゥムと言う言葉から来ています。このテスタメントは「遺言」という意味の言葉です。イエス・キリストによって表された神の最後的な意志と言う意味です。
 バイブルとは、様々な本がある中で、聖書が偉大で優れた救いの本、と言う意味で呼ばれていますが、テスタメントと言う呼び方は、聖書が、神の最後の意志、神の遺言を意味します。

 このヘブライ人への手紙の著者がここで言いたかったことは、主イエス・キリストが死んでくださったことによって、(遺言者が死亡して遺言が有効であるように)、神と私たちのあいだの契約は確かなものとなったと言うことです。

 宗教改革者ルタ−は、ヘブライ人への手紙の注解書を書いています。ヘブライ人への手紙9章16節、17節について次のように解説をしています。「遺言は人が死んで初めて有効になる。そのとおりである。私たちにとって救いの契約が現実になるために『神は死なれた』。」「神は死んでくださった。そのために人となってくださった。」神は、イエス・キリストにおいて人となってくださったけれども、人であられるということで死なれたのでなくて、神そのものがそこで死んでくださる、とルタ−は語ります。

 私たちは、神から離れ、神の愛の外に脱落してしまい、人間のあいだの関わりの中で落ち込んだり、心が折れたり、神のみこころを求めないでいる者なのです。神をないがしろにしている者の罪を審くことなく、代わりにイエス・キリストが死んでくださったのです。この新しい愛の契約によって、私たちは、罪が赦されていくのです。この地上の人間社会では、遺言を残して死に、その遺言の書かれた通り、財産が分与されるのです。しかし、その財産は使ってしまえば消滅してしまうものであり、自分の財産も他の者に移ってしまうことがあるのです。

 私たちは、キリストの死によって、永遠の財産を戴いているのです。それは、神が私たちのための神として、いつまでも愛してくださる、と言うことです。神は新しい契約において、私たちをいつまでも、どこまでも忘れることなく、愛してくださるのです。私たちが神を忘れ、心が折れ、悩む時にも、神は私たちの罪を赦し、愛して、復元力、回復力、を与えてくださるのです。

 これから聖餐にあずかります。主イエスは、パンを取り、「『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ22章19−20)
 
 私たちがキリストの犠牲と死を記念する聖餐に与ることは、神が私たちのために深く愛してくださっていることをこの体で味わうことができることなのです。神が私たちの罪を赦し、永遠に愛してくださっている、そのことを信じることによって立ち直ることができるのです。
 
 心が折れる時がありますが、日曜日に説教と聖餐にあずかる度に、私たちは、回復力、復元力を与えられて、立ち直ることができるのです。

20190428 主日礼拝説教  「さらに大きな救いがある」  山ノ下恭二
(出エジプト記25章10−22節、ヘブライ人への手紙9章1−14節) 


 4月22日(日)に東京説教塾例会があった時に、沖縄の教会で仕えている一人の牧師に久しぶりに会うことができました。4年前に、神戸の教会から、沖縄の教会に転任になったのですが、沖縄の教会に赴任して元気にしているのか、と思っていましたので、元気な姿を見て、安心しました。品川駅まで一緒に歩いて話していた時に、沖縄に行って慣れましたか、と聴くと、息子たちが本土と沖縄では習慣や言葉が違うので、大変だったけれども、かなり慣れました、と言っていました。6年振りの再開でしたけれども、とても楽しいひとときでした。

 皆さんも、久しぶりに旧友に会って楽しい時を過ごした、そういう経験をした方も多いと思います。毎日、私たちは人と会います。楽しい会話をして心なごむ時もありますし、別の場面では、相手と自分の考えが違っていたり、誤解や行き違いで、関係が悪くなる時もあります。毎日、私たちは、様々な人たちとの出会いによって、豊かな経験を持つことができるのです。

 私たちは、毎週、日曜日に礼拝をささげていますが、この礼拝は聖霊によって今、生きているイエス・キリストと出会うことのできる、幸いな時なのです。このような幸いな時が与えられていることを感謝したいと思います。

 本日は、ヘブライ人への手紙9章1−14節を読みました。ここには、旧約聖書の時代の礼拝とキリストによる新しい礼拝とが比べられているのです。それだけでなくて、イエス・キリストによって新しくなった礼拝によって、私たちの罪が完全に赦されていることが語られているのです。

 私たち人間同士では、気まずいことがない限り、互いに呼びかけ合い、話し合うことができます。それと同じように神に対して何の気兼ねもなく、神と交わることができると私たちは考えているところがあります。神の言葉を聴き、私たちのほうから祈ることができると考えています。
 
 しかし、旧約聖書のイスラエルの人々はそうは考えなかったのです。多くの民族の中で、イスラエルの人々は人間の罪という問題に最も敏感であったのです。そして、罪の問題の解決なしには、人間の生き方そのものもあり得ないと考えていたのです。どのようにしたら罪を償うことができるのか、を考えていたのです。神との関係において、すべての人々が神に背を向けて生きている、この罪が解決されることを真剣に求めて、生きようと考えていたのです。

 イスラエルの人々、罪の解決なしには、人間が真実に生きることはできないと考えていたのです。この点が日本の宗教とは異なるところです。神社神道では、罪は穢れですから、お祓いをすれば、罪は消えてしまうのです。法律に違反した代議士でも、選挙で当選すれば、罪は消えてしまうのです。自分が罪を犯しても、罪に対する認識がないので、自分が罪を犯したとは考えないのです。これは、神道という宗教が持っている性格なのです。
 日本では、神は人格をもった存在ではなく、自然の中に霊が宿っている、と言う思想があり、人格的な神ではありません。神は人格をもっていないので、言葉をもっていません。神から自分の生き方を問われることはないのです。人格的な神であるならば、相手の生き方を問うのです。罪を問うのです。しかし、自分の罪を思って悔い改めることはないのです。かなり悪いことをしても、お詫びだけで済ませてしまうのです。罪の自覚がないのではないか、と思います。自分が罪をもっていると言う罪意識は弱いのです。自分がいけないことをして、相手がどのように傷ついているか、を想像しないのです。

 イスラエルの人々は、神に対して、どのように生きるのか、と言うことをいつも考えて生きていたのです。そして、罪をどのように解決するのか、と言うことが生きる課題であったのです。

 旧約聖書に登場する祭司は、もっぱら神とイスラエルとの間に立って、イスラエルの人々の罪の赦しのために努力した人々であったのです。祭司の中でも特に優れた大祭司と呼ばれる人たちによって、イスラエルの人々の罪の贖いのために動物、それも若く、汚れのない羊を殺して、その血を神の前に献げるということが行われていたのです。
 私たちには馴染みのないことですが、人間の罪の解決を真剣に考えて、旧約聖書は、犠牲をささげる儀式が行われるようになりました。

 神とイスラエルの人々とは、契約を結んで、その契約の条件として、律法を守ることを約束したのです。この律法は、十戒に明確に示されていますが、神をまことの神として礼拝し、隣人を愛することが命じられています。しかし、イスラエルの人々は、まことの神以外の偶像を礼拝し、隣人を愛することなく、自分を愛してきたのです。
 
 神との関係において、人間は神に背いていることは確かです。その者を赦すはずはないのです。自分の死をもって償わなければならないのですが、自分が死ぬわけにはいかないので、自分の身代わりに高価な動物を買い、神に献げて、赦していただくと考えたのです。羊などの動物を殺すと言うこと自体に意味があるのではなく、大切なことは命を献げると言う行為なのです。この行為によって、罪の解決が、命の代償によって初めてできる、可能にされると言う考え方であったのです。これは、人間の責任を深く考えたものです。何も動物を殺さなくても、血を流さなくても良いのではないか、と考えますが、そこまでしなければ人間の罪は解決できないという深い思想があるのです。
 
 一般に、相手にひどいことをしてしまった時には、被害者に対して、お詫びをして、賠償をすることがあります。最近、池袋で、青信号で横断歩道を歩いていた親子が、車に跳ねられて死亡した事故がありました。運転手が誤って、アクセルとブレ−キとを間違って踏んだために車が暴走してしまい、そのために親子が死亡したのです。死亡事故を起こした人が、これからその負い目を抱えながら、遺族にどのように償うのだろうか、と思いました。

 ヘブライ人への手紙9章1−10節には、旧約時代の聖所の様子が記されています。そして聖所での大祭司の犠牲をささげる行為によっては、完全に罪を償うことはできないことを語るのです。
 
 本日、読んだヘブライ人への手紙9章1−10節には、旧約聖書の時代の聖所(現代の礼拝堂)の様子が記されています。この時代の聖所は二つに区切られていました。後ろの部分は、一般の祭司は入ることができますが、前の部分(この礼拝堂で言えば、この講壇の部分)は大祭司だけが入ることが許されていたのです。垂れ幕で仕切られていたのです。大祭司だけが入ることができるのは
至聖所と呼び、ここには十戒の板が入っていた契約の箱と香をたく金のテ−ブルがおいてあったのです。この至聖所には、一年に一度、大祭司だけが贖罪の日と言われる日に入ることが許され、そこで小羊を殺し、血を流して、イスラエルの人々のために大祭司が神に赦されるように、罪の贖いの儀式をしていたのです。

 しかし、このような儀式をして、自分たちの罪が神に完全に赦された、と言えるか、と言うとそうではないのです。毎年、毎年、大祭司が罪の償いのためにこの儀式を行っていましたが、それによって完全に人々の罪の償いが全うされ、完全になされたわけではないのです。ユダヤ人たちはそれ以外の方法を知らなかったので、不完全なことを毎年、毎年、繰り返してきたのです。大祭司が償いの儀式をしている時、ユダヤの人々は神殿(至聖所)の外側で見守っていただけなのです。

 ここで問題なのは、大祭司が犠牲を献げて、自分たちの罪の償いをしてくれることは良いことですが、それが形式的、習慣的になり、それが済めば、それで解決したと言う思いになることなのです。殺した動物の血を大祭司が献げて神に赦してもらうことは大切なことですが、それがひとりひとりの良心が痛むことはなかったのです。動物の血を大祭司が献げている時に、自分の魂に痛みを感じることなく、大祭司に委せているのだから、それで赦されていると軽く考えたのです。そして、毎年、毎年、その贖いの儀式を繰り返さなければ、赦されないと言うことも大きな問題であるのです。旧約時代の罪の償いの儀式は、その意味で不完全なもの、欠陥のある儀式、制度だと言うことになるのです。これが旧約時代のイスラエルの人々の礼拝であったのです。
 
 外堀通りを四ッ谷方面に行くと、JR市ヶ谷駅に向かう橋があります。そこに、交通事故があったと思われる場所にいつも新しい花束があったのです。その橋を通る度に、新しい花束が飾っていたので、想像でしかないのですが、被害者が加害者に、花束をこの場所に飾ってくださいと言われて、その約束を守って、橋のところにいつも花束を飾っていたのではないか、と思ったのです。 被害者の家族にとっては、花束を事故現場に飾ってもらっても、多額の賠償金をもらっても、愛する人は生きて戻ってこないのです。加害者が、被害者、その家族にどんなに誠意を尽くして償ったとしても、その償いは完全であるということはできないのです。

 しかし、聖書は、完全に罪を償うことができる方法があると語るのです。神ご自身がこの罪の贖いを改革されたと語ります。イエス・キリストによって罪を償う方法が、全く新しく改革された、と語られています。ヘブライ人への手紙9章11節に「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになった」と語られています。
 旧約の時代では、大祭司は殺した動物の血を神に献げて、注ぎ、自分たちの身代わりとして動物が審かれ、それによって自分たちが赦されたと考えましたが、大祭司自身が動物のように殺されることはないし、大祭司が罪に苦しむことはないのです。罪の償いのために大祭司が動物の血を注ぐことはあっても、自分が血を流すことはないのです。心の痛みを感じることなく、お勤めとして行っているだけなのです。

 9章11−12節には、次のように語られているのです。「けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
 イエス・キリストは大祭司であると共に、神の小羊である、そこに大きな特徴があるのです。

 旧約の時代の贖いとの大きな違いは、旧約の時代が大祭司が犠牲を献げただけなのに対して、キリストによる贖いは、神の小羊として、ご自身の命を献げ、血を流して、私たちの罪を贖ってくださるのです。ここがほんとうに重要な、大切なポイントなのです。ヘブライ人への手紙9章12節に「雄山羊と雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」と語られています。イエス・キリストが、大祭司として、神の小羊として自ら犠牲を献げてくださった、それは繰り返し、償いをする必要がなく、一度だけの贖いによって、私たちは無罪放免され、完全に赦されているのです。

 私たちの礼拝は恵みに与る礼拝なのです。礼拝でただ聖書の話を聴くと言うことではありません。説教と聖餐によって、今も生きているキリストと出会い、その贖いの恵みに与るのです。それが礼拝なのです。
 
 主イエス・キリストに出会って、このキリストを救い主と信じて、すっかり変えられた女性の物語があります。この女性は、ヨハネによる福音書4章に登場するサマリアの女性です。シカルの井戸に水汲みに来た女性が、疲れて座っていた主イエスとお会いします。そして、何気ない会話から、主イエスはこの女性と真剣な対話に移っていくのです。その対話の主題は、この女性がこれまで犯してきた罪のことに集中するのです。それはこの女性にとってとても辛い、忘れたいことなのです。主イエスが触れたことは、この女性にとって誰にも話していないことでしたし、隠していたかったことなのです。この女性が一番、触れて欲しくなかった、触れると痛みを感じる問題であったのです。主イエスの鋭い指摘によってこの女性の罪が曝かれたのです。しかし、そのことによって、サマリアは自分の罪を認め、悔い改めて、主イエスは、罪の赦しを宣言するのです。そしてこのサマリアの女性は、自分の村に帰って、主イエスが、メシア、救い主であることを村の人々に伝えるのです。

 この物語は私たちの礼拝、礼拝の生活をよく伝えていると思います。私たちは、その時によって礼拝に集う時の気持ちは違います。意気揚々と礼拝に集う時もあるでしょう。とても疲れていて、坂道を登って行き、やっと礼拝堂に辿り着く時もあります。悩みや心配を抱えて、暗い気持ちで、礼拝に集うこともあるでしょう。しかし、礼拝で語られる説教によって、神がキリストによって私たちの罪を赦し、神が私たちを愛していることを受けとめて、自分が何者であるかをしっかりと受けとめて、回復することができるのです。

 毎週、礼拝説教の聖書テキストは異なっていますが、様々な語り方をしていますが、毎週、別々な主題を語っているのではなく、ただ一つのことだけを語っているのです。それは、キリストによる罪の赦しです。
 
 イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪は完全に赦されているのです。罪を償う必要はないのです。私たちは、永遠の大祭司キリストと礼拝において出会い、赦しの恵みを戴いていくのです。私たちは不完全な存在で、過ちを犯す者です。しかし、キリストによって完全に罪が赦されているのです。その恵みを戴いていますので、毎日、出会う隣人の過ちや失敗を赦すことができ、穏やかに過ごすことができるのです。

20190421 復活主日礼拝説教 「よみがえりのキリストにお会いして」 山ノ下恭二
(ミカ書7章18−19節、ヨハネによる福音書20章11−18節)


 小檜山ルイという東京女子大学の教師が書きました「アメリカ婦人宣教師−来日の背景とその影響−」と言う本には、日本が開国して続々と婦人宣教師が送られてきて、日本各地で女子のための学校が創設されたことが書かれています。現在は男女共学になっているキリスト教学校がありますが、初めは女学校として創設されたのです。1870年−80年代、フェリス女学院の前身である、ミス・キダ−の学校、女子学院の前身の、A六番女学校、B六番女学校、横浜共立学園の前身のミッション・ホ−ム、青山学院の前身の、女子小学校、東洋英和女学院の前身の、東洋英和女学校など、たくさんの女学校が創設されたのです。キリスト教による女子教育に尽力したのは、女性の宣教師です。

 女子学院は牛込払方町教会と深い関係を持っていますが、女子学院は1870年にジュリア・カロゾルスが設立したA六番女学校から始まる学校です。ジュリアは1869年4月にアメリカ長老教会伝道局の宣教師として日本に行く予定のクリストファー・カロゾルスと結婚し、同年7月初めに、サンフランシスコから船で3週間かけ、7月27日に横浜に到着して、夫と共に日本の伝道を開始しました。ジュリアは日本への伝道への意欲を強く持っていて、アメリカに帰国した後に、「サンセット・キングダム」と言う本を出版したのですが、そこには、日本に行く船に乗っていた人々は、日本での伝道事業は賛成ではなく、日本では伝道は禁止されていて、宣教師たちは日本に行く権利を持っていないと話していたが、自分たちは別な風に考え、禁教令よりも、弟子たちに世界中のどこであろうと、行って伝道するよう命じた主に従った、と書いてあるそうです。横浜から10月中旬に東京に移動し、翌1870年6月に外国人に開放された築地居留地の6番地をクリストファー・カロズルスとデヴィット・タムソンの2人の名義で借り、10月に宣教師は完成し、この宣教師館で、ジュリアが英語を女生徒に教え始めたのが、女子学院の始まりです。
 そして婦人宣教師ケイト・ヤングマン、マリ−・パ−ク(後のタムソン宣教師夫人)のB六番女学校、この女学校が移転して新栄女学校となり、千代田区にあった桜井女学校と合併して、1890年に女子学院となったのです。女子学院と言う名は宣教師の会議で決まったそうです。この女子学院の土台を作ったマリア・ツル−の墓が現在、青山墓地にあり、2013年にプレ−トができ、そこにはツル−が講演した一つの言葉の一部が刻まれているそうです。
 「自分のつとめを怠ったり、自分に力があるのに他を助けなかった時、苦痛を感じるような女性になりなさい。」
 婦人宣教師は、日本人にどうしてもキリストの福音を伝えたい、と言う熱い志をもってはるばる日本に来て、キリストの福音を伝えるために労苦したのです。婦人宣教師がどうしても日本に福音を伝えようと願い、行動を起こしたのは、聖霊の導きによることであり、聖霊の力によって未知の日本に福音を伝えたのです。

 なぜ、このような話をするかと言いますと、本日のヨハネによる福音書20章に登場するマリアは、主イエス・キリストの復活を初めて伝えた伝道者であったのです。20章18節に「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」と語られているのです。主イエス・キリストの復活を最初に伝えたのは、主イエスの弟子ではなく、マリアと言う女性が伝えたのです。マリアは主イエス・キリストの復活の福音を信じ、そのメッセ−ジを伝えたのです。

 マグダラのマリアは、ルカによる福音書8章1−3節(新約 p117)によれば、主イエスに7つの悪霊を追い出してもらい、他の女性たちと共に自分の持ち物を出し合って仕えていた、とあります。マグダラのマリアは、他の女性と共に伝道奉仕をして主イエスの伝道に協力していたのです。主イエスととても親しい交わりを持っていたのです。主イエスが死ぬことは、マリアの人生にとって大事件であったのです。主イエスを失うことは自分の存在をも失うことなのです。誰でもそうですが、親しくしていた人を失う、それはとても大きな事件なのです。私たちがよく経験することですが、子どもが家を離れて、別のところに行く、親にとっては、自分の中に空洞ができるようなさびしさを経験することになるのです。今まで愛してきた対象を失うことは、とても大きな悲しみになるのです。
 マリアは、主イエスを失って、せめて主イエスのからだを引き取りたいと思って、墓にやって来たのです。墓の中に主イエスの遺体があると思ってやってきたのです。日頃から、主イエスと弟子たちの身の回りの世話をしていたのは、女性たちであり、マグダラのマリアは、その一人であったのです。いつも主イエスのからだのことを気遣っていたマリアだからこそ、男の弟子たち以上に主イエスのからだに対する愛着は深かったのです。だからこそ、主のからだを取り戻したいと強く願ったのです。しかし、主イエスの遺体を取り戻しても、マリアの悲しみは癒されないし、立ち上がることもできないのです。主イエスのからだを取り戻しても、それは既に死体なので、マリアの虚無感はなくならないのです。マリアの心が空虚になっていることをよく知っているのは、主イエスなのです。主イエスはマリアに近づいて、マリアに生きる力を与えたいと願って、立ち上がらせようとするのです。

 20章16節以下にこう書かれています。「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で『ラボニ』と言った。『先生』と言う意味である。イエスは言われた。『わたしにすがりつくのはよしなさい』」
 主イエスを園丁であると思って気がつかないマリアに対して、主イエスは、名前を呼んでくださったのです。そこで初めて目の前にいる方が主イエスであると気がついたマリアは、「ラボニ」「先生」と言ったのです。マリアにとって主イエスは、神に示された人間の生き方を教える教師であるのです。その意味で「先生」と呼んだのです。そのようなマリアに対して、主イエスは「すがりつくのはよしなさい」と言われたのです。必死になって主イエスのからだを求めていたマリアは、主イエスが生きて目の前にあることに感動して、何があっても二度と放すものかとすがりつき、主イエスにしがみついたのです。ところが、主イエスはマリアがすがりつくことをたしなめておられるのです。
 マリアはこの地上で、主イエスと親しく関わり、主イエスとの人間的な関わりの中で、主イエスを頼りに生きて来たのです。誰でも、誰かに頼っているのです。家族でも、夫婦、親子、兄弟、それぞれ互いに頼りにしているのです。自分が病気になったときに、家族が世話してくれるので安心だと言うことがあります。マリアもいざとなったら、主イエスを頼りにしようと思っていたのです。しかし、そのようなマリアに「わたしにすがりつくな」と言われるのです。なぜ、主イエスは言われたのでしょうか。それは、主イエスとマリアとは、地上では一人の教師とその教師を慕っている弟子であったのですが、既にその関係ではなくなっているからなのです。よみがえられた主イエスとマリアとは、救い主である神と一人の人間との関係に変わっているのです。

 私たちが、心に留めなければならないことがあるのです。マリアは主イエスを慕っているのですが、マリアの目の前におられる方は、いったいどなたなのか、ということです。マリアは今までのつながりでしか、主イエスを捉えていないのですが、マリアの目の前に現れたお方は、マリアの想像を遙かに超える方なのです。このお方はまさしく神なのです。

 私たち人間は死によって限界づけられているのです。私たちは死という限界をもっているのです。死は、愛する者を容赦なく奪います。私たちがどんなに必死にもがいても、死がもたらす痛み、悲しみ、苦しみ、恐れに対して、自分の力では対抗することができないのです。私たちは決して死を支配することはできないのです。ある時、一人の学生が授業に出なかったのです。いつも授業に出ていたので、何かあったのか、と思っていました。その日のお昼に、その大学生にキャンパスで遭ったので、どうして出なかったのかを聞いたところ、高校生時代の親友が交通事故で亡くなって、その親友の葬儀に出席していて授業にでることができなかった、と言いました。そして、私に「自分と同じ19歳で死んじゃうなんて、若くても死ぬことがあるんですね」と言ったのです。年齢に関係なく、私たちは死ぬのです。私たちは死に支配されているのです。死から逃れることはできないのです。
 マリアの目の前におられる主イエスは、まさに死を突き破って、よみがえった方なのです。死に打ち勝ってくださった、そのことによって、ご自分が神であることを現してくださったのです。
 マリアは主イエスを慕って、伝道奉仕をしてきたのです。主イエスが好きだったのです。そして主イエスを自分のものにしたいと思っていたのです。しかし、目の前に現れた主イエスは、マリアが自分の思い通りになる方ではなくて、主であり、神なのです。マリアが主イエスを支配するのではなく、死を滅ぼしてくださった主イエス・キリストこそが、私たちを支配しているのです。
 
 主イエスの弟子でペトロという弟子がいます。ペトロは、いままでのつながりで主イエスを見ていました。しかし、ペトロは、主イエスが光り輝いた姿を見る経験をしたのです。自分の漁師としての今までの経験を覆すような経験をするのです。真夜中にガリラヤの海に網を降ろしたのですが、全く魚が取れず、朝、落胆して家に帰ろうとした時に、主イエスが網を降ろしてみなさいと語り、網を降ろしてみると、おびただしい魚がたくさん取れたのです。それは、ペトロが漁師として優れていたので、おびただしい魚が取れたのではなく、主イエスが奇跡を起こして、大量の魚が与えられたのです。この大量の魚が取れたことをペトロは経験して、主イエスが人の生き方を教える教師ではなく、神であることを知らされたのです。主イエスに対する見方がすっかり変わってしまったのです。今までのように、ペトロは主イエスにすがりつくことができず、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ってひれ伏したのです。

 「すがりつくのはよしなさい」この言葉は主イエスがマリアのしたことを非難し、拒否し、マリアを遠ざけていているような印象を持つ言葉です。しかし、実際はそうではないのです。マリアの関心は墓の中にある主イエスの遺体なのです。それは言い換えれば、死の世界のことなのです。そしてそれは既に過去となったことなのです。しかし、主イエスはそこにはおられないのです。私たちが見つめる死の世界とは反対側に、よみがえられた主イエス・キリストが立っておられるのです。復活された主イエスがマリアに近づき、主イエスを失って悲しんでいる、死と言う限界の中にいて、自分の無力を深く思っているマリアに近づき「マリアよ」とその名を呼んでくださっているのです。主イエスが自分の身近かにおり、何かあれば、手が届く方として、主イエスにすがりつくのではなく、これからは、主イエスを神を信じ、神の愛に信頼して歩みことを期待しているのです。
 復活された主イエスに出会ったマリアは、主イエスを神と告白することができたのです。主イエスが、自分の人生のお手本としての教師、すばらしい生き方をした教師ではなく、まさに私たちの救いのために、派遣された神の子であると信じることができたのです。マリアは主イエスをキリストとして信じる、新しい生活に入ったのです。

 ヨハネによる福音書は、マタイ、マルコ、ルカの福音書と異なって、主イエスが神と同じ存在であることを強調している福音書です。ある新約学者は「まさに神がこの地上を歩いているような書き方をしている」と言っています。ヨハネによる福音書が多く用いている言葉の一つに「派遣する」「送る」と言う言葉があります。主イエスは、天の父なる神が派遣された神の子であり、この主イエスを神と信じる者は永遠のいのちを与えられる、と語られています。「いのち」とは神とつながっている、神とかかわりをもっている、と言う意味で使います。神から離れ、脱落して、神との関係を絶ちきった私たちが、神との正常な関係が与えられる、それが「いのち」なのです。この「いのち」が与えられるために、主イエス・キリストは、私たちの持っている罪をご自分のものとして、罪の罰を受けてくださるのです。
 主イエスとマリアとは、人間的に親しい関係にあると言うのではなく、既に主イエス・キリスト、救い主を救われた人間との関係にあるのです。
 
 マリアは「主を見ました」と言っていますが、「主」という言葉はどのような意味の言葉なのでしょうか。この「主」という言葉は元々、「ヤ−ウェ」と言う言葉です。この言葉は、どのような時にも、私たちのために愛する神となってくださる神の名なのです。いつでも、どこでも、私たちと共にいて、私たちを助け、嘆きを聞き、駆けつけてくれる神なのです。私たちの死を超えて、永遠におられる神なのです。本日の礼拝で、ミカ書7章18−19節のみことばを読みました。「あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に いつまでも怒りを保たれることはない 神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ 我らの咎を抑え すべての罪を海の深みに投げ込まれる。」

 マリアは主イエスのからだを取り戻そうと、墓に行きました。これまでの主イエスとのつながりの中で、自分がこれまで生きて来た過去に生きようとしていたのです。ところが、マリアには思いがけないことが起こったのです。主イエスが、マリアが考えていた、教師ではなくて、私たちの罪を贖う、救い主であることを信じることができたのです。主イエスを、先生と呼ばずに「主」と呼ぶようになったのです。
 マリアの前に現れた方が、神であり、救い主であることに畏れを抱いたのです。そして、マリアがこのイエスこそ、我らの救い主であると確信を持ったのです。復活された主イエス・キリストの愛の御手の中に守られていることを信じることができ、その喜びの知らせを伝えたいと思ったのです。「わたしは主を見ました」と告げたのです。

 主イエス・キリストご自身の肉体はもはや私たちには見えないのです。しかし、この礼拝の中で、よみがえられた主イエスは生きて、私たちにみことばをもって語りかけ、出会ってくださっているのです。マリアは弟子たちに告げる中で「わたしは主を見ました」と言っています。私たちは主イエスをこの肉眼で見ることはできません。
 しかし、ペトロの手紙一 1章8節(新約p428)で「あなたがたは、キリストを見たことはないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」と語られているのです。
 この肉眼ではキリストを見ていないけれども、教会に生きる者たちが礼拝を通して、キリストを信じて愛して来た、そのことを繰り返し経験したことであり、今なお、教会の礼拝の中で私たちが経験してきたことなのです。このような形で、私たちもよみがえられた主イエス・キリストにお目にかかっているのです。

 マリアは死の世界とは全く正反対の側から、主イエスの語りかけを聞くのです。主イエスのみことばがマリアを立ち上がらせ、主イエスの復活の証人として弟子たちに復活の福音を知らせる者へと変えていくのです。
 キリスト教会の礼拝は、主のよみがえりを記念して、主の日ごとに行っています。この礼拝の中で、よみがえられた主イエス・キリストはみことばと聖霊によって今もなお、私たちと出会ってくださるのです。

20190414  子どもと共に守る主日礼拝説教  「美しく生きる」  山ノ下恭二
(ホセア書11章1−4節、マタイによる福音書26章6−13節)

 
 4月から、新しく幼稚園や小学校、中学校に入学した人もいますし、新しいところで仕事を始めた人もいると思います。幼稚園や学校に入学した人だけでなく、クラスの担任の先生が変わった人がいると思います。始業式が始まる前に、クラスの担任の先生が優しい先生だといいなぁ、厳しい先生だとこまるなぁ、と思っていた人もいると思います。新しく仕事を始めた人も、いい人が多いといいなぁ、と思いながら、仕事を始めた人もいると思います。

 イエス様は、一人の女性がイエス様にしたことに対して、自分に良いことをしてくれた、と褒めて、この女性がしたことが、教会でずっぅと語り伝えられるだろうと語られました。「わたしに良いことをしてくれた。」この良いこととはどのようなことなのでしょうか。この女性がイエス様にやさしくしたからでしょうか。
 
 この女性はマリアと言う名前の女性です。イエス様のお母さんも同じマリアという名前ですが、別の女性です。マリアは、イエス様の頭にとても香りの良い香水を、惜しげもなく注ぎかけたのです。
 
 イエス様と弟子たちとがシモンの家で食事をしている時に、突然、マリアが入って来たのです。そこにいた主イエスも弟子たちも、びっくりしてしまいました。皆さんも家族で食事をしているときに、あまり見かけない人が突然、入ってきたら、びっくりすると思います。あまり見かけない人が家に入ってきた、それもびっくりなのですが、この当時、女性が男性が集まっているところに入ってはいけないと言う決まりがありましたので、女性が入って来たのでみんながびっくりしたのです。女性はこういうところに入ってはけいないのだ、とみんなが思ったのです。
 
 そしてもう一つびっくりすることがありました。それは、突然に、主イエスの頭に香りの良い香水を注ぎかけたことです。
 突然で、思いがけないことなので、みんなはびっくりしたのです。マリアさんが主イエスの頭にかけた香水は、とても値段の高い香水であることを弟子たちは知っていました。
 
 この香水は、300デナリもする香水です。1デナリが一日、働いた分の給料ですから、300日分、一年分の給料に当たります。300万円もするのです。300万円もする香水を、一度に全部、使ってしまうなんて、もったいない、と思ったのでしょう。私たちだって、そんなに高い香水を一度に使い切るなんて、少しずつ使えば長く使えるのに、もったいないと思うでしょう。弟子たちは無駄使いだ、と憤りました。誰だってそう思うでしょう。300万円を貧しい人にあげれば、生活が助かるのに、300万円もする香水をこのようなことに一度に使ってしまうのか、と思ったのです。もっと意味あることに使うことができるのに、と思うのです。弟子たちにはこのマリアがしたことを受け入れることができませんでした。このことは、弟子たちが、イエス様のことに心を留めて心配していなかったことをよく表しています。
 
 弟子たちがこのマリアを咎めたにもかかわらず、イエス様はこの女性のしたことをほめたのです。「わたしに良いことをしてくれた」とほめたのです。弟子たちは無駄使いをしている女性をなぜイエス様がほめたのか、全く分からなかったのです。
 
 イエス様は、「わたしに良いことをしてくれた」と語ったのです。この時、イエス様はとてもうれしかったと思います。それは主イエスのことを大切に思ってくれた人がいることを知ってうれしく思ったのです。「良いことをしてくれた。」この言葉は元々、「その時に適って良いことをしてくれた」「美しいことをしてくれた」と言う言葉です。
 
 主イエスは自分がこれからどうなるのか、よく分かっていました。それは自分が十字架に架かって死ぬことをよく分かっていて、その覚悟をしていた時でした。自分が死ぬ時が近い、それは神様以外には知らないと思っていたのです。弟子たちも全く知らなかったのです。マリアだけが、主イエスが死ぬことを知っていたのです。主イエスが死ぬことを知っていたので、このマリアは、自分ができることをしようと心に決めていたのです。マリアは、主イエスのことを深く心に留めていたので、主イエスが死ぬ前に、自分が何をすれば良いのかをわきまえていたのです。
 
 この当時の習慣では、人が死んだら、死体に香水を塗って、身体を拭いて臭いを消すことをしていました。日本でも湯灌をします。死んだ人のからだをきれいに拭くことをします。主イエスは「この人は、わたしの体に油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。」と語っています。マリアは強く思ったのです。主イエスがもうすぐ死ぬ、そのことだけを考えて、自分ができる限りのことをしよう、そうだ、ナルドの香油を買って頭に塗れば、主イエスはとても喜ぶに違いない、と思って、実行したのです。主イエスのことを考えない弟子たちにとってマリアがしたことは、全く無駄であるかのように写っていました。
 
 しかし、マリアは、300デナリもの大金を使っても、十字架に向かって歩まれる、主イエスを励ましたいと願ったのです。
 皆さんは、親しい人を励ます時に、相手に何かしますか。「がんばってね」と言うだけではなくて、相手が喜ぶような品物を贈るかもしれません。
 
 マリアはなぜ、主イエスの頭に香油を注いだのでしょうか。それは、主イエスのことをよく考えて配慮したからなのです。香油を注ぐ、それはとても深い意味を持っているのです。油を注ぐ、それはキリストと言う言葉と深く関わります。キリストと言う言葉は元々、油を注がれた、と言う意味の言葉なのです。
 皆さんの中で、キリスト教の学校に通っている人もいると思います。キリストってどういう意味、と聞かれたら、こう答えることができます。
 それは「油を注がれた」と言う意味で、旧約聖書に出て来る、王、祭司、預言者、が仕事に就く時に、額に油を注いだ、そこから来ている、そして主イエスは王、祭司、預言者の仕事をしたのです。
 
 主イエス・キリストは、これから、救い主の業をする、それは、ご自分が十字架で死ぬことによって、私たちの罪が赦される、そのとても大きな救いのために働かれるのです。主イエスがこれから十字架へと向かわれます。すべての人々が罪が赦されるために、罪の罰を受ける十字架の死なのです。マリアが主イエスの頭に油を注いだ、と言うことは、主イエスが救い主の業を行うためのものであったのです。マリアは主イエスが救い主として神の御心を行うことができるように、香油を注いだのです。

 マリアが主イエスの頭に香油を注いだ、それは主イエスに対して思いやりを持っていたからだけではないのです。もっと深い動機があるのです。それはマリアがイエス・キリストに感謝を表したいと思っていたからです。
 
 ルカによる福音書7章38−50節(新約 p116)には、このマリアはとても罪深い女性であった、と記されています。マリアが主イエスにナルドの香油を注いだのを見たファリサイ派の人々が、マリアを咎めたところ、主イエスは一つの譬え話をしたのです。その譬え話はこういう譬え話です。500万円の借金がある人と50万円の借金がある人がいて、金貸しがどちらの借金も免除した時、帳消しにした時に、どちらが金貸しを多く愛すると思うか、とシモンに聞きました。シモンが多く赦されたほうですと答えたのです。そして主イエスはマリアに「あなたの罪は赦された」と宣言されたのです。マリアは主イエスによって、深い罪が赦された人だったのです。
 
 マリアは正しく生きたい、と願っていたでしょう。しかし、罪を犯してしまったのです。悪いことをしてしまったのです。しかし、イエス・キリストだけが、罪深いマリアを赦したのです。
 
 それは私たちも同じです。相手と仲良く過ごしたい、しかし、私たちには悪い心があって、罪があるので、人を憎んだり、人を邪魔にしたり、恨んだり、するので、仲良くなれないのです。自分が一番、大切なので、人を愛することができないのです。そのような私たちを、イエス・キリストは赦して、受け入れてくれたのです。

 私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、深い罪が赦された、そのことを受け入れる時に、その喜びから、神と隣人とを愛することができるのです。 主イエスは、このマリアが主イエスのことを心に留めて、精一杯、ささげてくれたことを「わたしに良いことをしてくれた」、「わたしに美しいことをしてくれた」と褒めたのです。
 
 ただ相手のことを配慮して、相手のために、精一杯の愛を注ぐのです。それが「美しい生き方」なのです。「美しく生きる」それは神のために、隣人のために精一杯、愛して生きることなのです。

20190407 主日礼拝説教  「私たちは新しい人になっている」  山ノ下恭
(エレミヤ書31章31−34節、ヘブライ人の手紙8章7−13節)

 
 時々、児童精神科医師の佐々木正美さんの「子どもへのまなざし」を読んでいます。3冊あるのですが、三冊目に、人間関係の発達と課題、を解説しているところで、乳児期が「基本的信頼が豊かに育つ時期」であることを詳しく書いています。「人間の人生の重要な部分は、乳児の時期にその多くが決まります。ワロンは『喜びの共有体験からコミュニケーションの感情がはじまる」といいました。ウィニコットは『お母さんから自分に与えられている愛情に安心すると、幼い子どもはお母さんから離れても不安を感じないで、ほかの人ともまじわりができるようになる』といいました。そてエリクソンは、この時期の子どもの発達課題は『基本的信頼』を育てることが、とても重要なことと考えました。では、基本的信頼とは何か、といいますと、たとえば、乳幼児期の赤ちゃんは自分では何もできませんから、おっぱいがほしい、おしっこがでてしまって、おむつがぬれて気持ちが悪い、あるいは退屈しているとき、寂しいときには、泣いて自分の望んでいることを伝えます。そのときお母さんがきて、すぐにおっぱいがもらえる、おむつを取りかえてもらえる、あやしてくれる、抱っこをしてくれる。こういうことは、赤ちゃんのほうからみれば、自分の望んだように、なんでもやってもらえたということですね。赤ちゃんにとっては、自分が望んだとおりにしてもらえたということは、望んだとおりにしてくれた人を信用する、信じることになります。」
 「エリクソンは『人間というのは、人生のはじまりにおいて、自分が望んだように育てられれば、育てられるほど、生きる希望がわいてくる。基本的信頼の中身は希望です』と言いましたが、自分が最初に出会ったお母さんをはじめ何人かの人に、自分が望んだように愛された子どもは、人を信じることができる、人を好きになることができるのです。」「ところが一般論として、現代の親は愛し方がとても下手になりました。子どもが望んでいるような愛し方をちゃんとできる親は、本当に少なくなりました。親のほうが、自分の望んでいることを子どもに押しつけようとします。たとえば、夜泣きをしない赤ちゃんになってほしい、離乳食をちゃんと食べてほしい、おむつを汚さない赤ちゃんになってほしいなど、自分が望んでいるような子どもになってほしいという感情がとても強いのです。このような感情がとても強いと、ときには虐待までいってしまうこともあります。」親が無条件の愛を注ぐ時に、子どもは信頼する豊かな心を持つことができるのです。愛情を豊かに与えられることが、子どもたちの心を豊かに育むことになるのです。
 佐々木正美さんが指摘しているように、現代は、子どもが望んでいることを大切にして、育てていこうというのではなくて、親が望んでいることを押しつける、そのように育てている親が多いのです。私がかつて一人の医師と出会いました。その人は、医学部に入るための受験勉強をしたのですが、それは親が医学部に入って医師になることを強く願っていたのです。自分の部屋で勉強していた時に、その後ろでいつも母親が座って監視していたというのです。親が望んでいた大学にはいけなくて、浪人して別の大学の医学部に入学し、医師になったのですが、親が望んでいることが優先されて、自分の希望は聞いてもらえなかったそうです。自分のことを考えてくれている、という感情を持てなかったと言うのです。勉強して、親が望んでいる学校に入れば、よい子である、そのような条件をつけて、その条件を満たした時に、良い子であり、私の子である、と親は思っていた、というのです。
 
 キリスト者で、一人の倫理学の教師が次のようなことを書いています。「倫理学の考え方に、結果を重視する倫理と内面の動機ないし心情を重視する倫理という分け方があります。聖書は、あえていえば後者に比重があるように思えます。現代社会のありかたは、とりわけ、成果主義ということばにあるように、成果それも経済的利得をもって、人の価値をはかるという傾向がつよくでています。人材という言葉を私たちは安易に使いがちですが、そこに含まれる、人間を役に立つものとしてのみ、捉える見方には、用心が必要でしょう。(略)聖書の人間観は、良い木から良い実(成果)がでてくるといっています。私たちが神の恵みによる賜物であるとは聖書の言葉からきています。動機や心情をささえる、その根幹となる賜物としての人格を重視し、その人格からあふれ出す成果を、とくに称えていると受けとめられているといえるでしょう。」
 朝が来る毎に、私たちが神に愛されていると信じて、一日を始めることができれば、それはとても幸いなことです。神が自分を大切にしている、神に愛されている、そのことを信頼して、一日を始めるのです。神に愛されている、そのことを信頼していくのが、私たちが新しくなっている、と言うことです。

 本日、礼拝で、ヘブライ人の手紙8章7−13節を読みましたが、旧約聖書のエレミヤ書31章31−34節の引用が大部分です。このエレミヤ書の箇所を引用したのは、ヘブライ人の手紙を書いた著者の意図があり、深い意味が込められているのです。このエレミヤ書31章31−34節の言葉は、旧約聖書ではとても大切な箇所です。このエレミヤ書の言葉が旧約聖書と新約聖書をつなぎ、結び合わせる重要な言葉であるからです。
 旧約聖書というのは、古い契約の書、新約聖書というのは、新しい契約の書です。このエレミヤ31章31−34節の言葉はエレミヤ書のなかでも宝石のように輝いている言葉であり、古い契約と新しい契約を理解する上で鍵となる言葉です。この箇所には、「契約」という言葉が多く出て来ます。私たちも生活していて「契約」という言葉を使います。家を借りる時に、賃貸契約を結び、毎月、一定額の家賃を払うことを条件に契約を結び、それに違反すると契約を解除するのです。それは人間同士の契約のことです。聖書は、神と人との契約であり、その意味で、人間同士の契約とは異なっています。
 
 旧約聖書での契約の代表的なものは、出エジプト記20章、申命記6章に記されているシナイ契約です。奴隷であったイスラエルの民がモ−セを指導者として、エジプトを脱出することができ、イスラエルに向かって旅をしている時、シナイ山で十戒を与えられるのです。全く自由のない生活から、解放されて、自由な生活をすることになったのです。神の望む生活の仕方がある、自由であると自分の好きなことをするようになる、人間はわがままですから、偶像礼拝をしたり、自分だけを愛し、隣人を愛することをしなくなる、そこで十の戒めを守るように、十戒を与えたのです。偶像礼拝するのはあなたがたの自由の外にありますよ、人を殺したり、人のものを盗んだり、うそをついたり、する自由はないですよ、それはあなたがたの自由の外にある、ということを戒めとして与えたのです。このシナイ契約は、条件つきの契約です。イスラエルの民が戒め、律法を守るならば、神が良いと認める民であるというのです。
 十戒を基本とした細かい宗教的な規則を律法といいます。神を神としなさい、隣人を心から愛しなさい、この戒めを守りなさい、という律法です。しかし、イスラエルの民は守ることができなかったのです。神は契約に基づいて律法を守らせるために、預言者を送り、神の審判を語ります。しかし、イスラエルの民は守らなかったのです
 現在、金曜日の祈祷会では、アモス書を学んでいますが、アモスという預言者は、神から遣わされて、イスラエルの人々が、自分の欲や利益のために、弱い立場にある人々を虐待しているか、を告発し、神がこのような悪い民であるならば、裁きしかないという審判の言葉を人々に告げているのです。

 ヘブライ人への手紙8章7節には最初の契約、すなわちシナイ契約には欠陥があった、と語っています。それは、人間が律法を守ることができないということを見抜けなかったというのです。それは、人間が罪から自由ではないからです。律法を完全に守ることは、人間にはできないことが分からなかった、というのです。その意味で、最初の契約には確かに欠陥があったと語っています。ヘブライ人への手紙8章7節「もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。」
 私たちに罪があるので、相手と仲良くしたいと願っていても、最初は仲良くできても、自分にとって利益にならないことが起こると仲が悪くなるのです。自分の味方であると思っていた時には、とても仲良くしていたのですが、自分の思いに反することになると、嫌いになるのです。十戒は、禁止命令で語っているように翻訳されています。例えば、第一の戒めは「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」と翻訳されています。「してはならない」と神が命令しているような言い方です。他の訳では「することはないだろう」という神の願い、神の期待が込められているように訳している聖書もあります。 神が、私たちが他の神を神とすることはないだろう、と信頼して期待している、というのです。神はイスラエルの民を信頼して、戒めを守ってくれるに違いないと考えを定めたのですが、イスラエルの民は、天使ではなく、罪をもった人間であることに変わりなく、律法を守ることはできなかったのです。律法にはとても良いことが書いてありますが、人間には罪から自由になれず、そして肉体の弱さをもっているので、律法を守ることができないのです。隣人を愛そうとする意志はもっているのですが、自分の中に罪の思いがあってそれを阻止する力が働くのです。隣人を心から愛そうという意志を持っていても、愛することを止めさせる罪の力、肉体の誘い、自分の思いが自分を動かすのです。
 
 これはしなければならないことだから、しなさい、と自分の外側から強制されてすることは、私たちはしたくないのではないでしょうか。他の人から命令されてすることは、あまりしたくないのではないでしょうか。
 ユダヤ教は、人間は律法を守ることができる、と考えています。たくさんの宗教的な規則を守ることが信仰生活なのです。主イエスが律法学者やファリサイ派の人々を「偽善者である」と批判したのは、戒めを守れないのに、守っているように見せかけることをしているからだったからです。偽善者というのは「仮面をつける」ということです。本当は守れないのに守っているかのような仮面をかぶっていることに対する主イエスの批判であったのです。

 律法を守れば、神は善い人間だと認める、それが旧約聖書の救いであるのです。学校では、成績が良ければ、その生徒は良い生徒だとほめるのです。会社でも成果をだせば、優秀な社員として出世するのです。しかし、学校で成績が悪いと教師は見向きもしないですし、会社でも結果を出せないと、無視され、役に立たない者と見られるのです。ユダヤ教では、律法を守ることを救いの条件としています。律法を守れば神からの救いを得ることができ、神に正しい者、義とされる、行いによって義とされる、この考え方がユダヤ教の基本的な考え方です。そのような考え方は、旧約聖書の考え方なのです。そのような考え方が支配している中で、エレミヤは、律法を守ることを条件としない、新しい契約についてここで語っているのです。

 神は古い契約に忠実でしたが、イスラエルの民が守らず、契約不履行によって無効となり、契約は成立しなくなったのです。イスラエルの民は契約を破ったのですから、制裁を下すのは当然です。契約を破った時には、賠償をしなければならないのです。ところが神はイスラエルの民に制裁を加え、滅ぼすことなく、あくまでもご自分が契約の当事者であるという立場に立って、もう一度、契約を結び直そうとされたのです。このことが人間同士の契約とは異なっているのです。一方が契約を結んでも、違反したならば、その契約は無効になり、契約を破った者は、違約金を払うことになります。
 しかし、エレミヤの新しい契約は違うのです。イスラエルの民が契約の条件を破っても、神が契約を取り消さないで、再び、新しい契約を結ぶ、というのです。人間が契約の条件を果たすことができなくても、神はその契約を続けようとするのです。

 私たちは、正しく生きたいと思っています。隣人を愛して平和に過ごしたいと思っています。しかし、私たちには罪の心があるので、隣人を憎んだり、妬んだりするので隣人を愛することができないでいます。しかし、神はそのような者であっても無条件で、愛して下さるのです。
 
 契約という言葉は「ベリ−ト」という言葉ですが、この言葉は「切る」という言葉です。「契約を結ぶ」とはいいますが「契約を切る」とは普通いいません。これは、創世記15章で主なる神がアブラハムと契約を結んだとき、二つに引き裂かれた動物の間を通る、という式をしますが、引き裂かれた動物の間を通ることによって契約が結ばれるのですが、契約締結は動物を引き裂くことと関わり、これが「切る」という言葉になるのです。契約を締結する双方が、契約を破れば、自ら、そのように引き裂かれても良いということを認めることなのです。契約をどちらかが破れば、動物を引き裂くように、血を流しても良いということなのです。このアブラハムの契約は、アブラハムには何も要求されておらず、引き裂かれた動物の間を通り過ぎるのは、主なる神なのです。アブラハムが契約を破っても、何のとがめを受けないのです。このことから、契約は、神の側の、一方的な恵みによって成り立っていることが分かります。

 律法を行うことによって成り立つ交わりではなく、律法を行うことができなくても、成り立つ、神との交わりが与えられる、そのような契約がある、とエレミヤは語るのです。律法を行うことを条件にして神が私たちを認めるのではなく、律法を行うことができなくても、その罪を赦し、愛してくださる神との関係を持ち、交わることができるのです。神を愛さず、神をまことの神とせず、自分中心に過ごしている者に対して、罰することなく、イエス・キリストが十字架に架かって、私たちの罪の罰・審判を引き受けて、私たちの罪を贖ってくださったのです。このイエス・キリストの贖いの契約、それがエレミヤの新しい契約なのです。ヘブライ人への手紙8章12節「わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」

 現代の社会は、条件を満たせば、受け入れる社会です。条件とは律法であり、規則です。そのために、息苦しい社会になっています。条件を満たすことのできないものを私たちは持っています。こうあるべきだと思いながら、それを行うことができないのです。それは、私たちに、それを妨げる罪があり、肉体の弱さをもっているからできないのです。平和でありたい、しかし、平和を妨げる人間の罪がある、愛したい、しかし、自分を愛している、そのような罪があるので、愛することができないのです。
 しかし、イエス・キリストの十字架の贖いによって私たちは、神に愛された者となったのです。私たちが神を忘れ、神の前に正しく生きない、神との関係を絶っている、そのような罪を全面的に赦してくださるのです。それはキリストの十字架の死によって解決してくださるのです。
 
 主イエス・キリストは最後の晩餐で次のように語られています。「杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」(マタイによる福音書26章27−28)「『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」(ルカによる福音書22章20節)契約を破ったならば、その責任を取り、血を流して死ぬのです。私たちが罰を受けて死ぬのではなく、神の側で、神ご自身が、犠牲となって、肉を裂き、血を流してくださる、そのことによって結ばれた、新しい契約なのです。私たちが神を忘れ、神との絆を断ち切っても、神は私たちを見捨てず、私たちをどこまでも愛して、この契約を貫き通すのです。

 私たちの罪を無条件で赦してくださる、その説教を聞き、聖餐を受ける、その恵みを受け入れる毎に、私たちは、新しい人になっているのです。





トップへ
戻る